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 仮死薬としては即効性を持つ『シェイクスピア』だが、仮病薬として服用した場合、効果が現れるには一週間ほど時間がかかる。


「おっと」


 俺がめまいを感じて足元をふらつかせたのは、ロズが王宮にやってきてからそろそろ二週間が過ぎるかといったところだった。今日は生憎の雨で、その影響なのか、ようやく『シェイクスピア』の効果が出始めたらしい。


 ……ったく、ロズ。お前、処方量ケチっただろ。もしくは俺が毒薬に耐性を持っているのを忘れていたかのどちらかだ。


「ルシウス? 大丈夫か?」

「え、ええ。申し訳ありません、サルストール卿」


 アレクセイも出席する会議の場に向かうべく、アレクセイ、タイラー、俺、ロズで廊下を進んでいる時のことだった。


 倒れそうになった俺は、隣を歩いていたロズの腕に抱き留められる。片腕で難なく俺を抱き留めたロズに、前を歩いていたアレクセイはすかさず振り返って冷たい視線を向けてきた。


「ルシウス、最近顔色が良くないんじゃないか?」


 ロズの胸に手を置いて体を起こそうとしたものの、また足元をフラつかせてロズの胸に逆戻りした俺の姿にタイラーが眉をひそめる。


 その一言を待ってたよ、サルストール卿。


「いえ、大丈夫です」


 俺は血の気が失せた顔で、儚げに微笑んでみせた。


 めまいはするが、その他の体調に特に問題はない。だが俺の顔色はここ二週間で格段に悪くなったはずだ。


 明らかに大丈夫ではない顔色で『大丈夫』と言い張れば、人は誰だって心配になるものである。


 案の定、俺の言葉にタイラーは眉をひそめた。だがタイラーが口を開くよりも、アレクセイがズイッと俺達の方へ踏み込んでくる方が早い。


「医務室に行こう、ルーシー」


 強引に俺とロズの間に割って入ったアレクセイは、俺を抱きしめるようにして体を支える。だが本気で足をよろめかせている俺の体はアレクセイには重すぎたのか、ロズから俺を奪い取ったアレクセイは小さくたたらを踏んでいた。


「小さな体調不良であっても、見逃せば大変なことになるかもしれない。僕の口添えがあれば、すぐに診てもらえる」

「しかし殿下」

「タイラー、僕がいない間に、細かいところは詰めておいてくれ。事前に僕の意向は皆に伝わっている。僕が多少遅刻しても会議の進行に支障はない」


 一方的に言い切ったアレクセイは、『反論は受け付けない』とばかりに強引に話を切り上げた。


 俺が関わると途端に道理が効かなくなるアレクセイにすでに慣れてしまったのか、タイラーは小さく溜め息をつくと大人しく『承知いたしました』と頭を下げる。チラリとロズへ視線を向けると、ロズは薄っすらと俺に笑みを向けていた。


「ルーシー」


 ロズと俺の視線が交わったことに気付いたのか、アレクセイは低い声で俺を呼ぶと、左腕を俺の腰に回してグイッと強引に進行方向を変えさせた。


 足元がおぼつかない今の俺では、その力に逆らうこともできない。


 アレクセイにもたれかかり、誘導に従って素直に足を進め始めると、アレクセイの足取りはまたフラリとよろけた。華奢で小柄なアレクセイでは、細身に見えても暗殺者としてそれなりに筋肉がついている俺を支えきることは難しいのだろう。


 悔しげに顔を歪めたアレクセイは、俺の右腕を自身の肩に乗せるようにして俺の体を引き上げる。まるで怪我人の搬送だ。当人としてはもっとスマートにエスコートしたかったのかもしれない。


「……ねぇ」


 そんなアレクセイが再び口を開いたのは、本来行くはずだった議場へ向かう廊下を外れ、タイラーとロズの気配を感じ取れなくなった辺りでのことだった。


 タイラーとロズどころか、周囲に人の気配らしい気配もない。しっとりと降りしきる雨の音が、逆に静寂を際立たせていた。


「あいつに、何をされているの?」


 その静寂の中に、地を這うような声が(にじ)んでいく。静かなのに周囲の静寂とは相反する声は、まるで濡れた紙の上に落とされた真っ黒なインクのようだ。


 そんな問いが出てくる意図を(はか)りかねた俺は、黙したままアレクセイに視線を向ける。


 問いに答えないまま視線だけを向ける俺に何を思ったのか、アレクセイは一度唇を噛み締めてからさらに一段低くなった声で言葉を紡いだ。


「あいつが来てから、どんどんルーシーの顔色が悪くなってる。あいつ、本当は兄弟なんかじゃなくて、同業者なんだろ?」


 そりゃあアレクセイは気付くよな。俺の正体を知ってるわけだし。下手すりゃロズの詳しい素性まで調べ上げているかもしれない。


「……質問の意図が、分かりかねます」


 そこまで理解しておきながら、俺は素っ気なくアレクセイに答えた。俺の返答が不服だったのか、アレクセイがグッと唇を噛む。


「心配なんだ、ルーシーのことが」


 だがその唇は数歩進むうちにフルリと解けた。言葉を紡ぐ声音はまだ常よりも低いが、響きは真摯で、心底言葉通りに俺を案じていることが分かる。


「あいつに何かされているなら、あいつを王宮から追い出してもいい。『何かをした』という証拠なんてなくても、僕が一言命じれば……」


 それが、分かるからこそ。


 俺は心底、こいつを『気持ち悪い』と感じた。


「……っ」

「ルーシーっ!?」


 俺は重心移動だけでアレクセイの手を振りほどく。足は相変わらずふらついたが、壁にぶつかるようにして何とか体を支えた。


 その上で、俺は感情をかき消した瞳をヒタリとアレクセイに据える。


「ル……」

「殿下、(なが)(いとま)をいただきたく存じます」


 切り裂くように響いた声に、アレクセイは伸ばしかけた手もそのままに凍りついた。ヒュッという息を呑む音だけが、俺が発した言葉の余韻に重なるように響く。


「なん……っ」

「幼少期に完治したと判断されていた病が、慣れぬ宮廷暮らしで再発しました。皆様にご迷惑をかけるわけにはいきません。王宮を辞し、療養いたしたく存じます」


 もちろん嘘だ。俺の見せかけだけの体調不良は、ロズが処方する『シェイクスピア』の長期摂取による仮病。摂取さえやめれば、俺はたちまち見た目も健康体に立ち戻る。


 仮病の理屈は分からないだろうが、アレクセイだって俺が逃げを打ったのだということは察しているだろう。だが今の俺の様子を見て俺の口上を聞けば、アレクセイ以外の人間は皆納得する。そして引き留めはしないだろう。むしろさっさとお払い箱にしたいはずだ。


 何せ俺は、入ったばかりでなぜかアレクセイの寵を得ている新人だ。皆、大なり小なり、俺のことを面白く思わない気持ちはある。そんな俺が自主的に消えると言うのだ。大手を振って送り出したいに違いない。


「デス・ザ・スターキッドの依頼完遂率は、100%なんじゃなかったの?」


 俺の考えを、恐らくアレクセイは読んでいる。そして王宮の権謀術数の中で生きてきたアレクセイならば、もはや打つ手がないことも分かるはずだ。


「僕の暗殺は、まだ完遂されていない。それなのに、逃げるの?」


 だからこそ、アレクセイは俺に向ける言葉の種類を変えた。


『第一王子と護衛専門侍従』ではなく、俺達の本質である『暗殺対象と暗殺者』としての立場に立った言葉へ。


「殺せる目処の立たないマトの元に留まる暗殺者なんていない」


 アレクセイは、今までずっと、知っていることをほのめかしながらも、ストレートにそこに踏み込んでくることはなかった。いつだって曖昧に誤魔化して、断言を避けて、逃げ道を残してきた。


 その余白の中に俺は、身を潜めることを許されてきた。いや、違う。逃げることも捨て身になることもできなかった俺は、そこに居ざるを得ないように誘導されてきた。俺自身も、それを理解していながら受け入れざるを得なかった。


『ルシウス・アンダーソン』は仮面で、その下に隠されているのが『デス・ザ・スターキッド』だと知られていると分かっていても、アレクセイが見て見ないフリをするから、何となくこの距離感が成立してしまっていた。


 そのグレーゾーンを潰してしまえば、もう元の距離には戻れない。


 なぜならば、暗殺者と暗殺対象にとって、互いの正体を知った上で、平然と同じ場所に居続けることなど『異常』極まりないのだから。


「俺にはお前は殺せない。こんな、得体の知れないお前を、俺は殺せる気がしない」


 アレクセイにとっては、異常でもいいのかもしれない。


 だが俺は、この異常に耐えきれない。


「俺は、この依頼から降りる」

「許さない」


 不意に、声が近くなる。


 めまいの影響で色々感覚が狂っているのか、俺は距離を詰めるアレクセイに対処することができなかった。気付いた時には足の間にアレクセイの膝を入れられ、顔の右側には左腕が、顎には右手がかけられている。


 寝台に押し倒された時よりも近く感じる距離感にも心が凪いだままだったのは、はたして揺れ続けるめまいのせいだったのだろうか。それとももう、依頼を降りれる目処がつき、こいつとの縁も切れると安堵したからなのだろうか。


「もう逃さないって、決めた」

「俺があんたに縛られなきゃならん(いわ)れはない」

「何度も守ってくれたのに……っ!」

「俺の都合での行いを、あんたの尺度で勝手に美化するな」


 俺はその凪を隠すことなく、アレクセイに突きつける。


「俺は依頼を完遂するために、結果的にあんたを助けただけであって、あんたを助けたくて助けたわけじゃない」

「……っ」


 どの言葉が刺さったのかは分からない。だが何かがアレクセイの心を揺らしたのだということは、至近距離にある瞳が激しく揺れたことで分かった。


 ジワリと痛みの感情を滲ませていく碧眼が、まるでその感情を抑え込もうとしているかのように細められる。


「今だって、こんな距離にいるのに、殺さないじゃない……っ!!」

「今ここで殺したら、犯人は俺だって丸わかりだろ。下手人と割られて追われるような殺しを、俺はしない」


 アレクセイは、きっと俺の行動の何かを……あるいは何もかもを、好意からのものであると曲解していたのだろう。


 その勘違いを突きつけられたアレクセイは、静かに瞳に影を落とす。


「……それでも、逃さないから」

「『ルシウス・アンダーソン』じゃない俺は、あんたの命令が届く外側にいる人間だ」


 俺は顎に添えられたアレクセイの手に己の手を添わせた。さらにその手をツツッと肘まで滑らせる。


「あんたの思惑からも、俺は降りる」


 そのまま俺は軽く指先に力を込めた。


 たったそれだけでアレクセイの腕はカクリと折れ、俺の顎に掛かっていたアレクセイの指が外れる。


 さらにそのまま肩まで指先を滑らせた俺は、アレクセイの胸元をトンッと軽く突いた。その一撃だけでアレクセイは一歩後ろへよろめき、俺に掛けられていた拘束の全てが外れる。


「っ……」

「ここから先は、一人で大丈夫です。殿下はどうぞ議場へお急ぎください」


 指先だけでアレクセイを退けた俺は、サッと身を翻すと廊下を進んだ。不本意だったが少し足を止めたおかげか、一人でも行動できるくらいにはめまいも収まっている。


「っ、ルーシー!」

「大丈夫です。仕事の引き継ぎはしっかりしていきます」


 腕が伸ばされる気配を感じた俺は、振り返る代わりに言葉を投げた。


「皆の記憶に残らずに消えていくためにも、引き継ぎは必須ですからね」


 その言葉に、アレクセイは凍りついたようだった。俺を追うことも、叫ぶことも、もうしてこない。


 静かに降り注ぐ季節外れの雨の音と、俺の革靴が立てる硬い音。


 そのふたつだけを伴に、俺はアレクセイの視界から消えた。


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