Ⅱ
「で? どういうことなんだ」
ロズを中庭の東屋まで連行した俺は、ペイッとロズを放り出すと腕を組んだ。その程度では体勢も笑みも崩さないロズは、危なげなく俺に向き直ると軽く肩を竦める。
「どうもこうも、見たまんま?」
『それだけじゃ意味が分からん』という意味を込めて、俺はジットリとロズを睨みつける。
そんな俺を薄ら笑いとともに見つめていたロズは、表情を変えないまま口を開いた。
「今まで、依頼を一週間以上手こずらせたことがないデス・ザ・スターキッドが、今回はなぜか一ヶ月が過ぎても音沙汰がない。どうなってるんだってギルド内がざわめいてたから、派遣員として俺が手を挙げたってわけ」
ただしロズが纏う空気はシンと冷えていて、俺を見据えた翡翠の瞳は一切笑みを浮かべていない。
遠目に見れば俺達は和やかに談笑しているように見えるだろう。だが実際には、俺とロズの間に満ちた空気はどこか殺伐としている。
「ギルドにゃお前を指名したいっていう依頼が山積みで、後がつかえて仕方がないって話だぜ? 『デス・ザ・スターキッド』はやっぱ違うねぇ?」
「本来この名前を継ぐはずだったお前には言われたくない」
「仕方がねぇじゃん? お師匠様が後継者にお前を指名したわけだし」
「嘘言え。お前、このダサい名前継ぎたくなくて、師匠が後継者を指名しそうな雰囲気醸してた時期に、わざと長期の仕事請け負って行方くらましてただろ」
ロズことロズウェルは、俺の三歳歳上の兄弟子だ。師匠に引き抜かれたのは俺より二年ほど早い。俺が師匠の下についた時にはすでに一端の暗殺者で、師匠からは単独で仕事を請け負ってもいいと許しを与えられていた。
俺の主武器はナイフだが、ロズはナイフと同じくらい毒の扱いにも長けている。俺の毒薬知識は、ほぼロズから伝授されたものだ。業界でのロズの通称が『アスクレピオス』であるのも、その毒薬知識の確かさと豊富さからきている。まさに『生かすも殺すも彼次第』ということだ。
──でもまさか、ロズが出てくるなんて……
ロズは間違いなく『烏の王冠』でも屈指の暗殺者だ。『二代目デス・ザ・スターキッド』である俺をこの依頼に駆り出されているギルド側からしてみれば、有事に備えて手元に残しておきたかった人材だろう。
そのロズの王宮潜入を許した、という時点で、ギルド側が現状にかなり強い危機感を覚えていることが分かる。もしかしたら、俺への評価も下がっているのかもしれない。
「で? なーんで今回に限って、お前はこんなにも手こずってんだ?」
気まずさを隠すことができずに、俺は顔を動かさないまま視線だけを逸らす。
そんな俺の顔を覗き込むように、上体を傾げたロズが顔を近付けた。視線を伏せたままでも、顔を覗き込んでくるロズが楽しそうな笑みを浮かべているのがよく分かる。
「まさか、絆されちゃった?」
だが笑みを湛えた唇から紡がれた声は、先程のアレクセイの比ではないくらいに冷え切っていた。
「違う」
答える声は、間髪を容れずに出た。誰かさんが聞き耳を立てていることを警戒して音量自体は潜められているが、俺の声は俺とロズの間にある空気を切り裂くかのように鋭い。
「そんなんじゃない」
「じゃあ何だよ」
ロズはある程度、俺が置かれた状況を調べてから潜り込んできたはずだ。そうでなければ、先程までの振る舞いに説明がつかない。
──今の俺達を傍目から見たら、それこそ口説かれてるように見えるんだろうな。
アレクセイにこんな距離で、こんなに顔を近付けられて話しかけられたら、きっと俺の全身は警戒の鳥肌を立てていたことだろう。ロズに対してそんなことにならないのは、ここまで距離を詰めなければならない理由が分かっている上に、相手が古馴染みだからだ。
──そうだ。俺は、アレクセイの行動の意味が、ずっと分からない。
理解できないモノは、怖い。これはヒトの防衛本能のひとつだ。
なぜ自分を殺そうとしている暗殺者……しかも男に対して、あそこまで過剰な、色欲までこもった好意を抱けるのかが分からない。自分が暗殺されるかもしれないリスクを取ってまで、俺を傍に置こうとするのかが分からない。
過去に出会ったことがあるとアレクセイは言ったが、それだって多分一度きりのことだろう。その何年も前の『一度きり』だけで、ここまでの執着を拗らせることができるものなのだろうか。
「暗殺できる隙がない」
そんな諸々の内心を溜め息ひとつで押し流した俺は、改めてロズに視線を据え直した。俺が内心を仕切り直したことを察したのか、視線を受けたロズは体勢を戻すと問うように片眉を跳ね上げる。
「隙なんていくらでもあるだろ?」
「タイミングはいくらでもある。ただ、隙はない」
同じ師に学び、同じギルドに属するロズには、その説明だけで俺が置かれた状況が理解できたのだろう。片方だけだった眉が両方跳ね上げられ、後に両方ともに眉尻だけが下げられる。
「寝室に忍び込めれば一発じゃね?」
「初回でそれをやって、なぜか押し倒された」
「……あー?」
……器用だな、お前。
『え? お前が押し倒された? お前結構組手得意だったよな?』と『あー、やりそうな雰囲気あるよな、あの王子』と『なるほど、だから今こうなってんのか』って内心を『……あー?』の一言で全部表すなんて。
「……そっかー、だから『ルシウス・アンダーソン』の身元が『デス・ザ・スターキッド』だって割れちまったわけね」
「は?」
さらに続けられた言葉に訝しげな声を上げると、ロズは己の目元をトントンッと指先で軽く叩いた。
「いや、お前が身元割られるとか、そんな初歩的なヘマをするとは思えなかったからさ。もしかしてアレクセイ王子は人の心が読める魔法でも使えるのかと、ありもしねぇことを疑ってたんだけども」
『お前の瞳の色』と続けられた言葉に、俺は思わず苦虫を噛みしめたような顔になった。
「初回の襲撃で押し倒された時に、その瞳の色を見られて、そこから身元が割れちまったってわけね」
さらに『髪はヅラで誤魔化せても、瞳の色はなぁ〜』と続けられた言葉に、俺は苛立ちを込めて舌打ちをする。
今はごくありふれた茶髪短髪のカツラを被っている俺だが、デス・ザ・スターキッドとしての髪型……というか地毛の髪型は、胸元まで毛先が伸ばされた、『新月の夜のような』と評される黒髪だ。色も髪型も人目を引くものだが(長さに関しては、師匠からの指定があって短くできない。デス・ザ・スターキッドとしての拘りだとなんとかで)、俺の場合はさらに『灰色の地に金が散る虹彩』という特異な瞳の方が人目につく。
チラリと見る分にはありふれた灰色に見えるらしいのだが、真正面から視線が合ったり、顔に強く光が当たったりすると、金が強調されて、まるで瞳の中に砂金を散らしたように見えるのだとかなんとか。
教会孤児院で暮らしていた頃は、バカなゴロツキどもがこの目の金を本物の砂金か何かだと勘違いして襲いかかってきたこともあった。思えば俺が幼くしてナイフを持ち歩くようになったきっかけも、本を正せばそんな輩から身を守るためだったような気がする。
普段は視線を伏せて、なるべく相手に瞳を意識させないようにして凌いでいるが、アレクセイには初回の襲撃の時に正面から、さらに至近距離で顔を覗き込まれている。思い返せば度々間近で顔を覗き込まれていたし、言われるまでもなく誤魔化せるはずがなかった。
そもそも、当初の予定では、ここまで事を長引かせるつもりはなったのだ。最初から長期潜伏を想定していれば何らかの対策を講じもしたが、今回の場合は完全に想定外で、見込みも甘かった。
──いやでも。
俺が寝室で暗殺をしかけた時点で、アレクセイはすでに俺が『ルシウス・アンダーソン』であることを知っていた雰囲気があった気がする。さらには俺がかつてアレクセイを助けたという『オニイサン』であったことも。
アレクセイは一体、あの時点でどこまでの事実を承知していたのだろうか。
──これも、分からない……
俺は溜め息とともに緩く首を横へ振った。
もう分からないことを考えるのはやめにしよう。考えれば考えるほど、アレクセイの術中にはまり込んでいくような気がする。
「とにかく、お前が来てくれて助かった」
俺は表情をかき消すと、ヒタリと真正面からロズを見据えた。初夏の心地良い風が、サワサワと周囲の木々の若葉を揺らしていく。
「俺はこの依頼から降りる。ロズ、後はお前に任せた」
そのざわめきが不穏なものに聞こえたのは、きっと俺がその風の中に不穏な言葉を溶かし込んだせいだ。
「いいのかよ?」
答えるロズの顔からも、表情らしい表情が消えていた。互いに暗殺者としての素の表情をさらし合いながら、俺達は淡々と『打ち合わせ』を続ける。
「手柄を譲ったと師匠に知られたら、お前、大目玉食らうぜ?」
「兄弟子相手ならまだ許されるだろ。このまま依頼が完遂されないよりかはマシなはずだ」
「あの王子様が、そうそうお前を手放してくれるかね?」
「考えがある」
俺はチラリと視線を東屋の外へ流した。ロズもほぼ同じタイミングで、同じ方向へ視線を向ける。
暗殺者として張り巡らせた意識の網に、こちらへ近付いてくる気配が引っかかった。こちらが気付くことを承知で冷気を振りまくこの威圧的な気配は、アレクセイのもので間違いない。
「『シェイクスピア』の持ち合わせはあるか?」
俺の問いかけだけで、ロズは俺が何を狙っているのか分かったのだろう。
さらに一段瞳の温度を下げたロズが、平坦な声で答える。
「命の保証はできねぇぞ」
『シェイクスピア』というのは、いくつかある仮死薬……一時的に身体の機能を極限まで停止させ、死を偽装させる薬のひとつだ。暗殺者の間では、作中でこれを用いる有名な戯曲の作者になぞらえて、この俗称で取引がされている。
『シェイクスピア』の特徴は、摂取量によって症状を変えることができるというものだ。
正規の量を服用すれば仮死薬に。過剰に服用すれば毒薬に。……そしてある一定量を定期的に摂取していくと、実際に体に害を出さないまま、表面上のみ病気で徐々に体が弱っていくように見せかけることができる。
「お前の処方を信じる」
ただ姿をくらましただけでは、周囲に訝しがられる。撤退するにしても、不自然な違和感を残して、周囲に記憶されるわけにはいかない。
『ルシウス・アンダーソンは、慣れない宮廷暮らしに体調を崩し、療養のためにやむなく職を辞した』
傍目から見て分かるくらい俺の体調が悪くなれば、アレクセイとて無理には引き留められないはずだ。
手放したくないがゆえに手元に囲い込んで宮廷医師をつけるという可能性もなきにしもあらずだが、現状の関係性でそこまでの強権を行使すれば、アレクセイの周囲にいる他の人間がどんな不満を抱くかも分からない。
立太子式直前というこのタイミングで波を起こし、自陣の中に不和を生むような言動は、いかにアレクセイといえども避けたいはずだ。
俺の返答に、ロズは片眉を跳ね上げることで答えた。俺にはそれが了承の証だということが分かる。
「頼んだぞ」
俺は短く囁くと、ロズを残して東屋を出る。
そんな俺の視線の先では、姿を現したアレクセイが絶対零度の視線を俺に注いでいた。