表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/18

 俺の名前はデス・ザ・スターキッド。


『名前を笑ったヤツは皆殺し』をモットーとする暗殺者。


 ふざけた名前をしているが、これでも依頼完遂率は100%。現在はルーベンス王国第一王子、アレクセイ・ブロワ・ルーベンスの暗殺依頼を完遂すべく、侍従補佐官ルシウス・アンダーソンとして王宮に潜入している。


 ちなみに『ルシウス』というのは本名だ。どうやら偽名を考えるのを面倒くさがったギルドマスターが本名のまま必要な根回しをしてしまったらしい。……この依頼を完遂したら、ちょっとぶっ殺してもいいだろうか?


 まぁ、そのことは、ひとまず置いといて、だ。


 暗殺対象(マト)がデカかろうとも、やることはいつもと同じ。相手に察知されないように距離を詰め、サクッとひと刺し。それで終わりだ。


 実際に俺は先日、就寝中のアレクセイの元に潜入することに成功した。その瞬間に全ては終わるはずだった。


 そう。なぜか俺がアレクセイに押し倒されたりしなければ。


 ──いや、なんっっっでそんな話になるんだよっ!?


 俺は思わず噛み殺せないうめき声を上げながら頭を抱えた。そんな俺にチラリと視線を向けた仮初(かりそ)めの同僚達は、何も言わないまま視線を前に戻す。


 うぅ……こういう『無駄に他人には干渉しない』っていう気風、助かる。実際のところ、これは優しさとかではなく、『他人を蹴落としてのし上がるのが当たり前』っていう貴族社会の冷たさからくるものなんだろうけども。


 ──一体俺がアレクセイ(あいつ)に何をしたって言うんだっ!? あんな展開になる要素、思い返したってどこにもないだろっ!?


 あの夜のことは、今でも鮮明に思い出せる。


 トロリと甘くとろけた瞳。嗜虐(しぎゃく)の色を隠しきれていない表情。不機嫌とは違う、低く威圧感のこめられた声。俺の体を這った手の熱さ。


 それらを思い出すと……


「〜〜〜〜〜〜〜っ!!」


 俺の体は悪寒を覚え、全身寒気が止まらなくなる。


 いや、女ならトキメくシチュエーションなのかもしれないが、あいにく俺は男でしかも暗殺者。そして相手はつい一瞬前まで殺そうとしていた相手なわけだ。


 恐怖でしかないだろっ!? 殺意を向けてた相手に理由不明で好意、つーか欲目を向けられるわけよ。怖すぎんだろ、そんなの!


 ……さっき『女ならトキメくシチュエーション』って言ったけど、訂正する。


 こんなシチュエーションは女であっても怖いはずだ。たとえ相手がイケメンの第一王子であってもだ!


 おまけに『ひ弱』って前情報があった相手に一瞬で組み敷かれて、全力の抵抗を余裕で押さえつけられてるっていう状況下。半泣きで持ちこたえた俺を褒めてほしい。


 と、いうわけで。


 俺、二代目デス・ザ・スターキッド(ダサい名前は師匠から無理やり押し付けられたものだ。俺はこの名前を襲名するつもりは微塵もなかったんだ!)は決意した。


 この案件、さっさと片す。


 デス・ザ・スターキッドの姿でマトと接触するのは(貞操の面で)危険だ。ならば侍従補佐官ルシウスの姿で接近し、事を成した方が早くて安全なのかもしれない。


 そう考え直した俺は、あの夜が明けた翌日から表の業務(侍従補佐官)従事中にアレクセイの隙を探っている……わけなのだが。


「静粛に。殿下のご入室です」


 その瞬間にパンッと打ち鳴らされた次席侍従の手の音に、部屋の中にいた人間が皆ハッと顔を上げた。机について作業にあたっていた侍従達はパッと起立して姿勢を正し、部屋の中を行き来していた侍従補佐官達は壁際に整列すると侍従達に(なら)うように背筋を伸ばす。


 俺も他の補佐官達に紛れて並び、生真面目な顔を取り繕うこと数秒。


 部屋の外から微かな足音が響き、執務室の扉が外側から開かれた。重厚な扉の向こうから姿を現したのは、侍従長と護衛官を従えたアレクセイである。


「おはようございます、殿下」

「おはようございます!」


 次席侍従の発声に従い、執務室に詰めた全員の挨拶の声が響いた。さらにキッチリ全員が頭を下げると、フワリとアレクセイが微笑んだのが雰囲気で分かる。


「おはよう。皆、朝早くから御苦労様」


 その声を合図に、部屋に詰めた人間は一斉に顔を上げた。


 周囲の動きに合わせて顔を上げた俺は、さり気なくアレクセイを観察する。


 ──つくづく、正統派イケメン王子なんだよなぁ……


 サラサラの金髪。透き通った碧眼には理知的な光が宿り、甘く整った顔には淡く笑みが浮いている。アレクセイの周囲だけ、部屋に差し込む光が倍くらい集まっているのかとツッコミたくなるくらい、何だかキラキラして見える気がした。


 体つきは小柄で華奢だが、むしろその儚さがアレクセイの持つ柔和な美しさを引き立てている。顔つきが女性寄りなのも、『ひ弱』というよりもいい感じに気品や美しさを演出していた。


 ほんと、何であの晩、全力で抵抗していた俺を片手で押さえつけることができたのだろうか。魔法か何かでも使えるのか?


 おっと、思い出したら鳥肌が……


「ルーシー?」


 一瞬、意識が今から()れる。


 その瞬間、心配そうな声が俺に向かって飛んできた。ハッと意識を今に引き戻せば、俺の前を通過しようとしていたアレクセイが足を止めてジッと俺の顔を見上げている。やたら近くから俺を見上げてくるアレクセイの顔には、声と同じく心配が浮いていた。


「ルーシー、顔色が良くないんじゃないか? 体調でも悪いのか?」


『ルーシー』という女のような呼び名は、アレクセイが俺につけた愛称だ。『ルシウス(略)』だから『ルーシー』。分かりやすいし、実際に下街でそう呼ばれることも多々あるが、俺はこの略され方が仕事名と同じくらい不本意だったりする。


「無理をしてまで業務に励まなくてもいいんだぞ?」


 どうやらアレクセイは俺がひっそり鳥肌を立てているのを『体調不良』と見て取ったらしい。心配を隠さないまま、アレクセイはそっと腕を上げ、なぜか俺の顔に手を伸ばそうとしてくる。


 その光景に嫌でもあの日のことがフラッシュバックして、俺は思わずひっくり返った声を上げた。


「で、殿下!」


 さらに反射的に後ろに下がろうとするが、元から壁際に立っている俺に逃げ場などない。


 結果、半歩足を引いて革靴の踵を壁にぶつけた俺は、ついでに後頭部も勢いよく壁にぶつけた。


 ふ、不覚……!


「ルーシー!」

「だ、大丈夫です! ちょっとボンヤリしていただけですからっ!」


 実際問題、ごくごくありふれた茶髪の髪型を装うためにカツラを被っているし、その下には長めに伸ばした黒髪が束ねて収納されているから、俺の後頭部はかなりクッションが効いている。見た目よりも衝撃は受けていない。


 衝撃と言うならば、目の前にしたアレクセイが何やらグイグイと距離を詰めてこようとする行動の方に衝撃を受けている。


 何だ、何なんだ。その伸ばした手を下ろせ。まさか俺の正体に勘付いたりしてないだろうな……っ!?


 俺は引き()りそうになる顔で無理やり笑みを取り繕った。


「私のような新人にまで、細やかな心遣いをいただき、感謝申し上げます。ほ、本当に、大丈夫ですので……」


 ついでにチラリ、チラリと周囲に視線を配ると、つられてアレクセイの視線も周囲へ散った。


 それだけで、アレクセイも気付いたはずだ。


 周囲の冷たい、突き刺さるような視線が、俺に向けられているということに。


 ──そりゃあさ、入って日も浅いポッと出の新人が、明らかに殿下に気に入られてたら面白くねぇよな。


 その辺りの心の機微は、アレクセイの方が(さと)いはずだ。敏くなければ、これだけ王位継承権争いが激化している宮廷の中で、勢力を伸ばすことなどできない。


 血筋に恵まれ、能力を持ち合わせていようとも、立ち回りでヘマれば容赦なく追い落とされるのが貴族社会というものだ。アレクセイの来歴を踏まえて考えれば、この場でこれ以上俺を構い倒し、自陣に不和を生むのが得策でないことは分かるはず。


 そして俺としては、これ以上周りに不必要に睨まれるのは動きづらい! 暗殺業務を遂行する上で、不必要な面倒事が増えるのはごめんだっ!


「……くれぐれも、無理はしないように」


『いい加減に離れてくれぇ……!』という切なる願いが届いたのか、アレクセイの指は俺に触れることなく離れていった。そのまま身を翻したアレクセイに、俺は深く頭を下げる。


「皆、騒がせてすまない」


 侍従長が(うやうや)しく引いた椅子に腰を下ろしたアレクセイは、ペンを手に取りながらニコリと微笑んだ。


「今日も一日、よろしく頼む」


 その声を合図に、本日の業務は開始された。




  ✕  ✕  ✕




『侍従』というのは、アレクセイの身の回りの世話をする他に、執務のサポートを行う役職でもあるらしい。何人かいる侍従の中でも、身の回りの世話を専門とする者と、執務のサポートを専門とする者がいて、この執務室に詰める侍従達は執務のサポートを専門としている者達だ。


 ちなみに侍従長は四六時中アレクセイの傍らに控えていて、身の回りの世話もするし、執務のサポートもこなす。それを知った時は『王族ともなると、完全に一人になれる時間もないんだな』と少し哀れに思ったものだ。同時に『日中に暗殺しようと思うと、最大の障壁になるのはコイツか』とも思ったわけだが。


『侍従補佐官』というのは、文字通りそんな『侍従』達を『補佐』する役割を負っている。


 簡単に言ってしまうならば。


「ルシウス」

「は……」


『はい』と答えるよりも早く、ダンッという重い音とともに目の前に紙の山を積まれた。


 これは……本? いや、書類、か?


「それを全て書庫の所定の場所に片付けておくように」


 俺の前に山を築き上げた侍従は、言葉を言い終わるよりも早く自分の席に戻り、次の仕事に取り掛かっている。


 うっかり殺したくなったが、この場ではこう答えるしかない。


(うけたまわ)りました、ハインリッヒ様」


 何とか笑みを浮かべて答えるも、侍従は顔も上げないし、頷くことすらしない。完全に無視だ。


 ──こん、の、ヤロ……!


 侍従補佐官の仕事とは、すなわち、侍従達にパシられること……もとい、侍従達が高度な仕事に従事できるよう、思考を必要としない煩雑な作業の一切を引き受けること、だった。


 つまりこの場では『アレクセイ≫侍従≫≫(超えられない壁)≫≫侍従補佐官』というヒエラルキーが確立されている。侍従補佐官は侍従やアレクセイに雑に扱われても文句は言えない。『文句があるなら辞めちまえ。お前の代わりを志願する人間なんて山程いる』というのが彼らの本心だと俺は踏んでいる。


 それでも侍従補佐官達が(内心、何を思っているのか、正直なところは分からないにせよ)文句を言わずにニコニコと仕事をこなすのは、将来侍従に格上げされる機会が少なからずあるからだ。採用する側もそのことを意識しているのか、ただのパシりであるくせに、侍従補佐官にはそれなりの家柄の、それなりに能力のある人間を採用しているという。


 侍従ともなれば、アレクセイの補佐ではあるが、国政の中枢に身を置くことができる。侍従に何らかの政策決定権は与えられていないが、第一王子、かつ次代国王最有力候補であるアレクセイと言葉を交わせる距離で仕事ができるというのは魅力的なのだろう。職場環境がドブラックでハイパーギスでも志望者が後を絶たないのはそのためだ。


 ──ま、俺は仕事の一環じゃなけりゃ、こんな場所、一分一秒でも早く辞めたいけどな。


『アレクセイ暗殺』という目的がなかったら、初日の数時間でこの部屋の住人の半分を殺していたかもしれない。


 いや、そもそもアレクセイ暗殺の仕事が降ってこなければ、俺はこんなところでこんなことはしていないわけなんだが。


 とにかく、どれだけ目の前のニワトリみたいな男を屠殺してやりたくなっても、依頼完遂のために今はグッと我慢だ。


 俺は上辺だけの笑みを取り繕ったまま、書類の山を持ち上げ……いや、重っ!? 何だこれ、クソ重いなっ!? どう考えても一人で一度に運べる量じゃないだろ!?


 思わずチラリとこの山を積み上げたハインリッヒに視線を投げると、一瞬顔を上げたハインリッヒはニヤリと実に悪役な顔で(わら)った。


 テメェ……マジで今この瞬間に、頭と体でお別れを言い合いたいらしいな?


 思わず無意識の内に袖に仕込んだナイフに指先が伸びる。


 その瞬間、カタンッと微かな音が響き、部屋の中の空気がサワリと揺れた。でもその『揺れ』は、風が忍び込んだとか、そういった(たぐい)の『揺れ』ではなくて……


「手伝うよ、ルーシー」


 こんな『揺れ』を起こす人間は、この部屋に一人しかいない。


 その張本人の動向を把握するよりも早く、俺の目の前に積まれていた書類の山が高さを2/3程に減じた。


 空いた空間の向こうに見えるようになったご尊顔が、俺を見上げてニコリと人懐っこく笑う。


「体調が優れない上に、入ったばかりのルーシーでは書庫の場所も分からないだろう? 僕が案内してあげよう」

「で、殿下……っ!?」


 ひっくり返った声を上げたのは、俺だけではなかった。常にアレクセイの一挙手一投足に注意を払っているこの部屋の住人達は皆、アレクセイの突然の行動に大なり小なり声を上げている。


「しっ、しかし……」

「僕も書庫に用事があるんだ。ついでだから、ね?」


 いや、困ります。


 あんまり二人きりにされると(貞操的な意味で)身の危険を感じるし、不必要に周囲の嫉妬も煽りたくない。


 デス・ザ・スターキッドとしても、ルシウス・アンダーソンとしても、この展開は歓迎できない……っ!


「殿下、そのような雑用くらい、このわたくしが……!」

「王族の人間にしか利用できない、閲覧制限がかかっている棚の本に用事があるんだ」


 たまらず声を上げたのはハインリッヒだった。


 いいぞ、ハインリッヒ。ここでアレクセイを思い留まらせたら、お前の屠殺……もとい暗殺は後回しにしてやってもいい。


 俺は密かに内心でニワトリ似の侍従を応援する。 


 しかし所詮(しょせん)、ニワトリはニワトリでしかなかった。


「それとも、何だい? イアン。君に僕の行動を制限できる権限でもあったのかな?」

「ヒッ!!」


 ユラリとハインリッヒを振り返ったアレクセイがハインリッヒを一瞥(いちべつ)する。そのいつになく冷たい視線に威圧されたハインリッヒは、小さく悲鳴を上げながら縮こまった。


 まさに蛇に睨まれた蛙、狼に睨まれた鶏。


 おいおいおいおい、さっきの陰険さはどこ行ったよトリ頭!


「出過ぎた発言をお許しください」

「いいんだよ、イアン。君が僕を気遣ってくれたことは、分かっているからね」


 ……おーおーおー、そんなこと言う割に、目が笑ってねぇんだよ、王子様よ。ニッコリ綺麗に笑っときながら、さっきよりも視線が凍てついてんだよ、王子様よ。


「それじゃあ、行こうか、ルーシー」


 この部屋の絶対権力者はアレクセイで、アレクセイが強く望めば誰だって反対はできない。


 普段のアレクセイはそれをよく分かっている。だからこんな言動は滅多にしない。


 そんなアレクセイが見せた振る舞いだからこそ、この部屋の住人達は全ての不満を飲み込むしかないし、俺にはこう答えるしか道は残されていない。


「ありがとうございます、殿下」


 ──もしかして俺、正体バレてる?


 それともこいつ、好みのタイプには見境なく色目使うタイプなのか? 見かけによらず。


 俺は色んな意味で引き攣る顔で何とか笑顔を取り繕うと、残りの書類の山を抱えて、先に部屋を出たアレクセイの後に続いたのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ