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「ライネル!こっちだ!」
極寒の吹雪の中、魔狼の群れが迫る。
ライネルと呼ばれた二十代前半と思しき美しい銀髪の青年が、声のする方向へ身を翻した。
白い毛皮の外套がはためき、雪を巻き上げるたびに、ライネルの身体は冷たい夜気に包まれる。
足元の雪が軋む音と、獣たちの低い唸り声が辺りに響いている。
視界を遮る白い帳の奥、精悍な顔立ちの青年が両手剣を構えて立っていた。
分厚い黒いコートの裾が舞い、鋼の胸当てが月光を反射して光を放つ。その下の逞しい筋肉の隆起が呼吸に合わせて上下していた。
彼の名はガルツ。
短い栗色の髪には氷の粒が宝石のように輝き、鋭い顎のラインが冷たい空気を切り裂いていた。
ガルツのもとへ、ライネルは迷わず駆け寄った。
ライネルの外套が風に舞い、現れた身体を覆う黒い戦闘服が、しなやかな身体の輪郭を際立たせる。戦闘服の表面に施された銀糸の刺繍が淡い光を放ち、細い腰に添えた剣の鞘が雪の冷たさに微かに軋む。
腰まで伸びた長い銀髪が月光を受けて揺れるたび、夜の静寂がざわめいた。
「数が多いな」
吐く息が白く凍りつきそうなほどの寒さの中、ライネルの瞳には鋭い光が宿り、背後から迫る十数体の魔狼を見据えていた。
魔狼は雪原に潜む白い捕食者。並外れた嗅覚と知能を持ち、集団で獲物を追い詰める危険な魔物だ。
「おっけーおっけー!お前が背中を預かってくれれば、俺が派手にぶった斬ってやるぜ!」
ガルツはわざと軽薄に笑い、両手剣を力強く構えた。
声とは裏腹に、その足運びには一切の隙がない。右足を半歩引き、切っ先をわずかに下げて相手の飛びかかりを誘っている。
コートの裾が翻り、たくましい足がしっかりと大地を踏みしめていた。
普段は陽気な笑みを浮かべる男が、この瞬間だけは鋭い猛禽のような目をしている。
その姿にライネルは一瞬だけ目を細めるが、表情に感情をのぞかせることはなかった。
「ふん、せいぜい死なないようにしろよ」
ライネルが剣を抜いた。刃に魔力を込めると、赤黒い炎がゆらめき、熱を帯びて周囲の空気が一気に温度を上げる。
白い外套が炎の光を映して赤く染まり、銀髪が炎の赤と月光の青に彩られる。
「《フレイム・ブレード》」
低く唱えられた呪文と同時に、剣が紅蓮の炎をまとった。轟、と爆ぜる音が響き、ライネルは素早く前方に踏み込む。
赤い軌跡が吹雪を切り裂き、目の前の魔狼を炎が包む。
雪を焦がす音と魔狼の断末魔が夜空に響いた。
事切れた魔狼を見下ろすライネルの銀の髪が一筋、はらりと彼の顔にかかった。
その瞬間、ガルツの脳裏に過去の光景がよみがえった。
——あれは、騎士学校と貴族学校の合同練習の日。
訓練場で他の生徒とは異質な、舞うように木剣を振る青年がいた。銀の髪が陽光を受けてきらめき、剣の軌跡が空気を切り裂いて輝いていた。
打ち合う相手を次々に制する凛とした姿。
眉ひとつ動かさない、美しさのあまり冷酷にすら見える表情であったが、木剣を振る動きのひとつひとつに迷いのない気高さがあった。
あの日、一目見て心を奪われた。
「いやー、俺たちって最強じゃね?」
ガルツは感傷を振り払い、わざと軽い口調で笑った。
戦いは終わっていない。
重いはずの両手剣を細い木の枝のように軽々と振り下ろし、襲いかかってきた魔狼を真っ二つに裂く。
白い毛皮に血が噴き出し、赤い跡が雪を汚した。
「さあな」
ライネルの声は素っ気ない。だが、背中合わせに立つその動きにはガルツへの信頼が滲んでいた。
やがて、最後の魔狼が息絶え、森に静寂が戻る。
荒い息を整えながらライネルが剣を鞘に収めた。
その隣で、ガルツが笑みを浮かべる。
「まったく、あの頃のままだ。変わらず綺麗な剣さばきだ」
「……あの頃?」
ライネルが眉をひそめる。ガルツは少しだけ目を逸らし、後頭部をかいた。
「昔、俺のいた騎士学校とお前がいた貴族学校で合同練習があっただろ? あのときもお前は圧倒的に剣さばきが綺麗だった」
ライネルの瞳がわずかに揺れた。
「……あそこにお前もいたのか」
「いたさ。ま、凡庸な俺なんか、ライネル様の視界には入らなかっただろうけどな」
吹雪が二人の間を吹き抜けた。ライネルは目を伏せて足元の雪を見つめた後、短く息をついた。
「そうか」
それ以上は何も言わず、前を向いて歩き始める。
ガルツは肩をすくめて後に続いた。
森を抜けると、目の前に雪原が広がっていた。夜空には白い月が静かに輝き、雪面が淡く光っている。
「この山を越えれば、雪ともおさらばだな」
ガルツが空を仰いで呟く。ライネルも顔を上げる。視界の彼方には、黒々と連なる山脈が壁のように立ちはだかっていた。
吹雪の中、二人の足跡が並んで雪原を南へと続いていった。