表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/15

懺悔



「いつの間に婚約したんだい、スピカちゃんは」

 まだ夕方には早い時間、空いている店内。ため息をつくサブロに問い詰められ、縮こまるスピカがいた。




 スピカがレオンという『婚約者』を連れて商店街に顔を出したことは、いつの間にかサブロの耳にも入っていた。

 スピカの気持ちやレオンの身元を知っているサブロは、二人が嘘をついていることに当然気付いた。その上で心配しているのだ。


「レオン様が協力してくれて調律師から出た噂は無くなったけど、今度はレオン様との噂が広まってしまってるじゃないか」

 そうなのだ。しかも今度ばかりは全くの嘘、実現不可能な噂。そんな噂を、スピカは自らばら蒔いた。ポラールに「お似合い」と言われて浮かれていたが、今後どうすればよいのかスピカは頭を抱えていた。


「レオン様、なんで『婚約者』だなんて言っちゃったんだろう」

「好きだからだよ」


 スピカは抱えていた頭を勢い良く上げて、サブロを見た。


「な、何言ってるのサブロさん」

「どう見ても、スピカちゃんのことが好きだからだよ」

「駄目! やめて! 期待しちゃうから!」


 スピカは急いで耳を塞いだ。実はスピカもそう思ってしまって仕方がなかったから。

 スピカと『似合わない』と言われて怒ったレオン、『二人はお似合い』と言われて顔を綻ばせたレオン。まるでスピカのことを好きだと言わんばかりの態度ではないか。


 でもそれがスピカの自惚れだとしたら?その可能性が僅かでもあるだけで、期待することが恐ろしすぎた。

 それに、スピカはただの庶民で、レオンは……


「家を出たとはいえ、レオン様は貴族階級のお方だからね。それを忘れちゃいけないよ」

 スピカの浮ついた心に、サブロが小さな声で釘を刺した。





 当然、学園もお祝いムードで溢れていた。

「スピカ先生、ご婚約おめでとうございます!」

 例の、スピカとレオンの噂は学園中にも広がっていた。廊下で生徒とすれ違う度に祝福の言葉がかけられ、職員室では「式はいつのご予定で?」などと具体的な話が飛び出す。

 どんどん「嘘です」なんて言えなくなっていった。スピカは嘘を重ね続ける罪悪感でくたくただった。


 その日も、スピカは音楽室に残り、歌を歌っていた。一人きりの音楽室はほっとする。一息ついていると、入り口にカンセルがやって来た。

「スピカ先生。お客様がいらっしゃってるけど、お通ししても?」

「お客様? どうぞ」

 自分に客など、業者以外は滅多に無い。不思議に思っていると、カンセルの後ろから小さな女性が現れた。

 見たことの無い人だ。年は四十台くらいだろうか。彼女は上品な佇まいでゆっくりとお辞儀をしてから入室した。「では」とカンセルは帰って行き、音楽室には彼女とスピカ、二人きりとなった。


「あの……どのようなご用件で?」

 スピカが控え目に女性へ尋ねると、彼女はにっこりと微笑んだ。

「歌、少し聴かせていただいたの。とても素晴らしかったですわ」

「ありがとうございます……?」

 見知らぬ女性から、歌声を褒められた。

「ご同僚の結婚式で、歌われるそうですね?」

「はい」

「スピカ先生ご自身の結婚式は、いつになりますの?」

「えっ?」


 この女性は、スピカの『婚約』を知っているようだった。様々な人から何度も訊かれたこの質問には、スピカも苦労していた。

「いつになるかは……未定といいますか……まだ何も」

「何も、決まっていらっしゃらないの?」

「ええと、はい……結婚するかどうかも」

 言い淀むスピカを見て、女性は眉を下げた。

「結婚しないかもしれない、ということ?」


 初対面の女性は、スピカにぐいぐいと質問を寄越した。じりじりと近くなる距離に、思わず後退りをしてしまう。

「その可能性も……ありますね」

「困ったわ。じゃあうちの息子は誰と結婚するというの?」

 女性は頬に手を当て、大袈裟に困って見せた。


 スピカは、石のように固まった。

 目の前の女性は今「うちの息子」と言った。この人は。

 スピカが顔を青くしている姿を見て、女性は安心させるように微笑んだ。


「私、レオンの母です。スピカさん、どうか怖がらないで」




 女性はカリーナと名乗った。レオンが家を出てからも、伯爵家は彼の様子を探っていたという。

「結婚はしないと家を出たレオンに、『婚約』の噂が立っているものだから……嬉しくなってしまって」

 お相手がどんな人物なのか気になってつい会いに来てしまったの、とカリーナは笑った。


 カリーナは伯爵夫人だ。音楽室の固い椅子に座って頂いたが、失礼ではないだろうか。準備室にある古くて安いコーヒーしかお出しできないが、それでも出すべきだろうか。廊下に控えているお付きの方も、椅子に座ってもらったほうが……先程からスピカの背中に、いやな汗が流れる。

「スピカさん」

 カリーナは動揺しているスピカを落ち着かせるように目を合わせ、語り始めた。

「私自身は、レオンを応援したいの」




 カリーナは、カルモ伯爵の後妻だった。

 先妻は産後の肥立ちが悪く、レオンの兄二人を遺して儚い人となったらしい。その後、若くして未亡人となっていたカリーナが、レオンを連れて伯爵家へ嫁いだ。

「つまり、レオンは伯爵や兄二人と血が繋がっていないのよ」


 伯爵も兄達も、あからさまな差別などはしなかった。彼も兄達と同じように教育され、同じように衣食住を与えられた。

 ただ、ずっとどこか余所余所しかった。兄二人が遊んでいても、レオンは一人残される。兄二人が伯爵に呼ばれても、レオンは一人残される。まるでレオンは伯爵家の子供ではないと、そのように感じるまでに。


 そんな毎日を、レオンは何も主張せず、ただにこにこと過ごしていたらしい。カリーナは知っていた。レオンの、その笑顔が『心の盾』であったことを。笑っていれば、伯爵も兄達も何も思わない。レオンが彼らの態度について「不快」に感じていることも、漏れることは無い……。

 伯爵家で軽い存在だった彼を、カリーナは切ない気持ちで見守っていた。


「だから、レオンが王都の騎士団へ入団した時はらホッとしたわ。ようやく彼も自由になれると思って」

 十八歳で王都へ出たレオンの選択を、カリーナは大いに喜んだ。彼はこのまま伯爵家にいるべきではないと、彼女はそう思っていたから。


 なのに、伯爵は二十歳になったレオンを呼び戻したのだ。兄二人と同じように、婚約者をあてがうために。

「しばらくはレオンも、あれこれ理由をつけて伯爵家へは戻れないと拒んでいたの。でもある時突然、拒むことも諦めてしまって」

 伯爵家へ帰ってきたレオンは、拒んでいたことが嘘のようにずっと穏やかに暮らしていた。そして伯爵の選んだご令嬢と、すんなり顔合わせまで済ませたのだ。


「そこからよ。レオンが帰るなり突然『断って下さい』って頭を下げてきたの」

 レオンから聞いた、伯爵大激怒事件だ。これまで伯爵の意に背いたことの無かったレオンが、断固として意思を曲げなかったらしい。

 そして伯爵から出ていけと言われたレオンは、嬉々として家を出ていったのだった。




「ここまでが、伯爵家の中の出来事なの」

 カリーナの話が終わり、スピカは強い不安に襲われていた。庶民の分際で、カルモ伯爵家の更に深い部分まで知ってしまったのだから。

「なぜ、私がこのようなことを貴方に話したのか分かるかしら」

 

「わ、分かりません。私などになぜ」

「貴方のことを逃がしたくないからよ」

 とても穏やかな笑みを湛えて、カリーナは恐ろしいことを口にした。

「貴方には、レオンと共にいて欲しい」

 カリーナは、そっとスピカの手を取った。


 少し力のこもった手に、カリーナの想いが伺えるような気がした。レオンを大切に思う気持ちが。

 彼女の暖かい手によって、スピカの胸に積もり積もった罪悪感がついに決壊した。


「申し訳ありません。レオン様が伯爵家を出たのは、私のせいなのです」


 自分の余計な一言で、レオンを振り回してしまったこと。本当はレオンと婚約などしていないこと、『婚約』はスピカを望まぬ噂から守るための嘘だったこと。

 スピカは誰にも言えなかった事実を、カリーナに全て懺悔した。耐えきれずに、目からは涙が滲んできてしまう。


「あなたにこんなにも責任を負わせて、レオンってばどうしようもない男ね」

 辛かったわね、ごめんなさいねと、カリーナはスピカを抱き締めた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ