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月明かりの部屋



「おめでとう! スピカちゃん、レオン様」

 サブロが、珍しく目を潤ませた。


「ありがとうサブロさん!」

 今日はスピカとレオン揃って婚約の報告をしに、サブロの店までやって来た。お祝いとして、サブロが小さなチョコレートケーキまで用意してくれている。それに合わせて、二人はいつもより少し良いワインを注文した。

 

 先日まで二人で悩んでいたことが嘘のようなスピードで、トントン拍子に話は進んでいる。

 スピカが流れに身を委ねている間に、あっという間に婚約は成立した。結婚時期はまだ未定だが、この調子では決まるのも時間の問題である。


「スピカちゃんのご両親はなんて言ってるの?」

「最終的にはおめでとうって喜んでくれたけど、大変だったの」


 スピカの実家は港町の外れにあった。普通の両親、普通の兄、そして裕福でも貧しくもない普通の庶民暮らし。そんな普通だらけの一家に、その日は激震が走った。

 スピカの両親は、しばらく状況が飲み込めなかった。レオンと共に婚約の報告に行くと、スピカだけ奥の部屋に連れていかれて問い詰められたのだ。「騙されてない?」と。今まで浮いた話一つなかったスピカにいきなりこんな婚約、おかしいと思ったそうだ。

 レオンの身元や婚約まで至った経緯を彼が丁寧に説明してくれ、やっと両親も納得してくれた。


「ご両親の反応も、もっともだよね」

「そうだよね普通は……私もいまだに夢みたいで、信じられないもの」

「早く慣れてくださいって、言ってるじゃないですか」


 隣で、レオンが不服そうに呟いた。彼はもうレオン・カルモではない。レオン・ファーブラとして、一ヶ月後にはファーブラ邸へと引越す予定だ。エテルは、レオンとスピカのために、敷地内にある別邸まで整えてくれるそうだ。孫のためとはいえ、本当に至れり尽くせりである。


「レオン様がこの街からいなくなると寂しくなりますね」

 サブロが眉を下げている。料理を教えるほど仲良くなれたのに、会えなくなるのは寂しいようだ。

「店にはこれからも顔を出しますよ! 騎士団は辞めませんから。また料理教えてくださいよ!」

 レオンは眩しい笑顔で笑った。スピカもサブロも笑った。この店でのひとときがこれからもずっと続けばいいと、皆が思った。






「レオン様。男爵家では料理、できるんですか?」


 サブロの店を出た後。スピカはレオンのエプロン姿を思い出していた。意外と様になっていたのだ。

 ファーブラ男爵家での暮らしは未知の世界ではあるが、あの様子ではきっとコックもいるのだろう。庶民のように、自分達で食事を用意してもよいものだろうか?


「せっかく色々と作れるようになったから、たまには作ってみたいです」

「色々?」

「はい、サブロさんが教えてくれて。トマト煮の他にも、サラダとか、スープとか、パスタとか……」

「すごい! 大成長じゃないですか」

「そうでしょう」

 レオンは少し得意気だ。


「パスタなら材料もあるし、すぐ作れますよ。うちに食べに来ますか」

「えっ、いいんですか?」

 玉子のサラダに次ぐレオンの手料理。それは是非とも食べてみたい。彼の可愛らしいエプロン姿もまた見たい。

 レオンの手料理に浮かれたスピカを、彼はじっと見下ろしていた。


「……………………」

「? ……なんですか?」

「…………スピカさん、分かっていますか?」


 ……食べ過ぎを心配されているのだろうか。先程サブロの店で沢山食べてしまっていたから、このあと更にパスタが食べられるか。確かにサービスのフルーツまでしっかりと食べてしまったが、レオンの手料理なら別腹なので問題無しである。


「分かってますよ」

「…………いや、スピカさんは分かっていないです」

「何を……」


 レオンは繋いでいたスピカの手を強く引き寄せ、彼女の耳元で囁いた。


「俺は、手料理をエサにしてスピカさんを部屋に連れ込もうとしていたんです。分かってましたか?」




 スピカは、ちっとも分かっていなかった。レオンの男心を。

 突然に心臓が激しく音をたてた。動くことが出来ない、レオンの顔を見ることすらも。真っ赤になってしまった顔を隠そうにも、手はしっかりとレオンに握られている。


 繋いだ手に目を落とした。彼の手も、少し汗をかいていた。自分と同じ。きっとレオンも、緊張していて。


「また卑怯なやり方をしてしまいました。すみません……」

 固まっているスピカを見て、レオンが頭を下げた。けれど、謝らせたいわけじゃない。


「あ、謝らないで。卑怯でもいいんです」

 スピカは繋いだ手に力を込めた。

「卑怯でも何でも、私はレオン様がいいんですから……」

 

 スピカが愛の告白にも似た言葉を口にすると、彼は息をのんだ。そして彼女の手を両手で優しく包み込むと、意を決したように呟いた。


「俺は……毎日、スピカさんが隣にいればいいと、思っているんです」

 彼の熱を帯びた瞳が、スピカを捕らえる。

「誠実な男ではなくて、すみません」

 謝っているのに開き直っているような、レオンの声は掠れていて。そんな本心を聞いてしまえば、スピカは喜ぶ他なかった。


「そんなことないです。レオン様は、ちゃんと手順をふんでくれています」

「手順?」

「以前、言ってくれたじゃないですか。お持ち帰りなんか無理だって。デートをして、ちゃんと手順をふんでからって。レオン様は婚約までして下さいました」


 港のカフェで待ち合わせをした。商店街を手を繋いで歩いた。彼の瞳に似た花束を貰った。


 二十三年間、恋が出来なかったスピカにとって、それらはかけがえのないデートだった。


 何よりサブロの店で出会ってから、幾度も同じ時を過ごした。きっと一生思い出す。

 


「だから……」

 それ以上はスピカに言えるはずがない。

 レオンは細く息を吐くと、スピカの手を引いて歩き出した。






 二人は何も話すことなく、ただ手を繋いで道のりを歩いた。

 彼の部屋は、アパート三階の角にあった。そこは通りからも少し離れ、辺りはしんと静まり返っている。階段を登る音すら、耳に響いた。

 

 扉の前に立ったスピカとレオン。二人は見つめあったまま、ゆっくりと部屋へ消えた。


 部屋の明かりが点くことはなかった。きっと朝まで。

 レオンご自慢のパスタだって、今日はもう振る舞われることはないだろう。


 


 薄明かりの中、部屋には実ったばかりの恋に身を寄せた二人だけ。


 優しい月明かりだけが、彼らの未来を照らしていた。







――終――




最後までお付き合い下さりありがとうございました!

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