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馬車の行き先



 馬車に揺られて半刻ほど。

 辺りは真っ暗だが、ここが川のそばだということは分かる。さらさらという水音と共に、木々がざわめく音、虫の声。街からはずいぶんと離れたようだ。


 馬車がゆっくりと停まり、御者に扉を開けられると、視線の先には暖かい光の灯った素朴な屋敷があった。


「ファーブラ男爵家に到着致しました。どうぞスピカ様」

 御者が恭しく案内をしてくれる。スピカは言われるがままに、御者の後をついて歩いた。




「あなたがスピカ様……」

 玄関にて、ファーブラ男爵家の執事と見られる男が、スピカに向かって柔らかく笑みを浮かべた。

「男爵もカリーナ様も、レオン様もお揃いですよ。さあこちらへ」

 案内が、御者から執事へと交代された。なんとレオンまで待っているという。一体これから何が始まるというのか。


 つやつやとした応接室の扉が開けられると……

 そこにいたカリーナとレオン、そして上品そうな老紳士が、一斉にスピカに目を向けた。


「スピカさん! いきなりお呼びしてごめんなさいね」

「い、いえ……」


 カリーナがわざわざ席を立ち、緊張が隠せないスピカをレオンの隣へと案内した。今日は訳の分からぬまま案内され放題である。スピカはされるがままにレオンの隣へ着席すると、不安げに彼を見上げた。


「スピカさん、急にすみません。でも、どうか心配しないで」

 レオンが安心させるように囁いた。




「初めまして、スピカさん。私は、エテル・ファーブラと申す者です」

 老紳士は、着席したままゆっくりと名乗った。では、この方がファーブラ男爵。


「お、お初にお目にかかります。スピカ・クラーロと申します」

 ファーブラ男爵とカリーナを前にし、緊張でガチガチのスピカは名乗るのがやっと。香りのよいお茶も目の前に出されたが、一体この場でどう飲めば良いのかすら頭が働かない。


「カリーナ。可愛らしいですね、レオンの妻となる方は」

「そうでしょう、エテル様。きっと睦まじい夫婦となりますわ」


『妻』『夫婦』という単語が聞こえた。スピカは理解が追い付かなかった。緊張で頭が働いてないせいだろうか? 全く事情が飲み込めない。

 チラリとレオンを見ると、彼もカリーナ達と同じようにスピカを見て微笑んだ。どうやらレオンは事情を知っているらしい。


 カリーナが、戸惑うスピカを見つめて口を開いた。


「スピカさん。レオンは、次期ファーブラ男爵となります」と。




 カリーナがレオンと共にカルモ伯爵家へと嫁ぐ以前……一度目の嫁ぎ先が、このファーブラ男爵家であった。

 ファーブラ男爵家の嫡男との間に出来た子がレオン。つまり、ここはレオン実父の生家ということになる。


「レオンが物心つく前に、あの人は病で亡くなってしまったの」

 その後実家へと戻った美しいカリーナに、カルモ伯爵家へ後妻として入る話が持ち上がった。カリーナは拒んだが、まだ若い彼女を慮ってエテルが背中を押したのだ。「まだ一人で生きていくには惜しいでしょう」と。

 

 子が嫡男一人のみだったファーブラ男爵は、カリーナがレオンと共にカルモ伯爵家へ嫁ぐことで、跡取りさえも失ってしまったことになった。

「だから、せめてレオンをファーブラ男爵家へ養子にと、伯爵に何度も話をしていたのだけれど……」

 前夫への嫉妬があったカルモ伯爵は、その提案を退け続けたという。そして自身が勧める縁談をレオンに受けさせようとしていたのだった。


「今回こそは退けないと、レオンと私で説得をしました。レオンがこのまま庶民として暮らすか、それともファーブラ男爵家を継がせるか、どちらか選べと」


 カリーナには、今回は勝算があった。外聞を気にする伯爵である。カルモの名を持つ人間が庶民になるなど、許せるはずがないと。

 結果、やっとファーブラ男爵家への養子話が叶ったのだった。




「スピカさん。この男爵家はもう途絶えても仕方がないと覚悟していたのです」

 エテルが、スピカに優しく話しかけた。

「あなたのお陰で、孫のレオンがこの男爵家を繋いでくれる」


 自分のおかげ? スピカは何もしていないはずだ。ただクヨクヨ悩んでいただけだ。


「スピカさんがいなければ、俺はあのまま義父に従っていました。あなたのお陰で間違いないのです」

 レオンもエテルに同意する。


「言ったでしょう? あなたを逃がしたくないって」

 カリーナが慈愛に満ちた瞳で微笑んだ。




 しかしスピカは、二人を最も悩ませていたことを口にした。どうしても、避けては通れないものだった。

「あの……私はレオン様に釣り合う立場ではありません。ただの、庶民なのです」

「それなら心配には及びません。継いで下さるだけで良いのです。レオンにも言われましたしな」

 エテルがやれやれと微笑んでいる。レオンが何を言ったと言うのだろうか。チラリと隣を見やると、彼は実に良い笑顔でスピカを見下ろした。

「スピカさんを妻として迎え入れることを条件として、ファーブラ家へ養子の話を持ち掛けました。お爺様にも受け入れていただきました」


 なんとこのカリーナ・レオン親子。エテル側にはレオンを養子にやる交換条件として、スピカを妻にすることを提示していたようだ。

 こんなにも双方にとって好都合なことはないが、それにしてもちゃっかりしている。


「今すぐ、という話ではございませんので。スピカさんの心さえ決まれば……お待ちしておりますよ」

 穏やかなエテルの笑顔が、少しレオンと似ているなとスピカは思った。

 





「それでは、レオン様はレオン・ファーブラ様となるのですか」

「はい、近いうちに」


 帰りの馬車で、スピカはやっと頭の整理に取り掛かっていた。馬車ではスピカの隣にレオン、そして向かいにはカリーナが満足げに座っている。

 レオンは今すぐファーブラ家を継ぐわけではなく、しばらくはエテルの元で男爵家の仕事を補佐するようだ。

「騎士団は辞めませんよ。少し遠いですが通えない距離ではないので」

「そうなんですか」

 それを聞いてスピカは少し安心した。急にレオンがいなくなるのは少し寂しい。

 ほっと息をついたスピカの手を、カリーナが、優しく包んだ。


「ねえスピカさん。『様』をやめない?」

「えっ?」

 カリーナは、いずれ夫婦となる二人に『様』は必要無いと思っていた。

「そして私のことは『カリーナ様』じゃなくて、これからは『お義母様』って呼んで欲しいわ」

 にこにこと話すカリーナを、レオンが呆れたように見やった。

「母は本当に気が早くてすみません……でも、俺も『様』は要らないかな」


 急に言われても。

 スピカの顔は、相当赤くなっていることだろう。顔の良い二人からこんなにも見つめられたら、言わないわけにはいかない。


「お義母様……と、レオン…………さま」


 やっぱり急に呼び捨てなど出来っこない。

 まごついているスピカの隣で、レオンがおかしそうに笑った。

「早く、慣れてくださいね」

 

 こんなの、夢でも見ているのかと思う。レオンとの未来が現実になるなんて。 

 ふわふわとした夢心地のまま、スピカは馬車に揺られて帰路についた。






次回で完結となります。

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