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悩める騎士は、今日も店にて彼女を待つ③

束の間の恋人①~あなたの虜 までのお話です。



 カーテンから朝日が透けて、目が覚めた。


 殺風景な部屋。小さなベッド。

 最近、毎日のように思う。目覚めて隣にスピカさんがいてくれたら、どんなに幸せかと。


 彼女には誠実な男と恋愛して欲しいと望んでいたのに、相反して俺は不誠実な願望ばかり抱いてしまう。矛盾だらけの自分が情けない。

 卑怯で、歪んでいて、不誠実。スピカさんに相応しく無い男。それが俺。

 スピカさんごめんなさい。それでも傍を離れることが出来なくて。

 





 その日サブロさんの店で、俺は耳を疑った。

 街の調律師が、息子の嫁にとスピカさんを囲い込んでいると。


 その息子は二十七歳、彼女より歳上。後継ぎの調律師だという。スピカさんと同じ『音楽』の世界にいて、寡黙な男。もしかすると俺とは違い誠実な男かもしれない。親が強引に話を進めているようだし、放っておけばこのままなし崩しに『嫁』にされてしまうのではないか。

 俺は焦った。彼女を横から取られるわけにはいかないのだ。


 自分が、スピカさんの恋人になれればいいと思った。不安定な立場の俺にそんな資格はないけれど。

 かりそめの恋人役くらいなら、許されるのでは?彼女の盾くらいにはなれるのでは?

「今度の週末、俺と商店街を歩きましょう」

 彼女は、遠慮がちにも俺の提案を受け入れてくれた。




 俺達は週末、港のカフェで待ち合わせをした。俺の心は浮き足立っていた。休日を、こんなふうにスピカさんと過ごせるなんて。


 カフェの窓際で待っていた彼女は、普段と違い柔らかなスカート姿で、髪も緩く結っていて……どこからどう見ても『恋人』だった。

 近付くのが勿体なかった。あそこでスピカさんが待っているのは俺。いつもよりおしゃれをして、今日を俺と過ごすために待っている。その喜びを噛み締めてから、俺はスピカさんに声をかけた。


「スピカさん、いいですか? この店を出たら、今日は一日『恋人』らしく振る舞ってくださいね」

「わ、分かりました。でも具体的にどうすれば良いのか分かりませんよ私は……」


 何を隠そう、俺も『恋人』がどのように振る舞うのかなど分からない。分からないなりに思うのは、好きな人には触れていたいということだけ。

「とりあえず、手を繋ぎましょう。こう」

 彼女の細い指に、自分の指を絡ませてみせた。耳まで赤くした彼女が、離してくれと懇願するように俺を見る。俺もなんだか顔が熱い。好きな人と指を絡ませただけなのに、こんなにも甘い気持ちになるなんて。

 俺達は赤い顔のままカフェを出た。




 俺の『恋人役』は、予想以上に効果てきめんだった。

 食事も買い出しも常に一人で出歩くスピカさんが、男と手を繋いで歩いているのだ。商店街では老若男女多くの人から声をこられた。その度に、俺はスピカさんの恋人として返事をした。彼女の身内として振る舞える嬉しさで、俺は絶好調だった。


 しばらく歩くと、目的の楽器店に近づいた。

 俺は花屋から楽器店の中を伺った。中には木管楽器や弦楽器などが所狭しと陳列され、カウンターでは調律師であろう男が座って作業をしている。

 俺は、調律師の息子が見たかった。スピカさんは、どんな男に嫁がされようとしていたのか。


 ふとスピカさんに視線を戻すと、彼女は花屋の花束をじっと眺めていた。彼女が見ていた花束が馴染みのある色をしていることに、俺は気づいた。それは、俺の瞳を彷彿とさせる色。

 この色を選んだこの人の可愛さに、目が眩みそうになった。

 コバルトブルーの花束を抱き抱えたスピカさんはまるで妖精のようだ。

 彼女に見とれて今日の目的を忘れかけそうになっていた時、向かいの楽器店からバタバタと調律師が現れた。


 店の中にはもう一人の人影。髪を束ねた、大人の男……あれが調律師の息子だろうか。なるほど、凛々しく寡黙な雰囲気だ。彼は、俺にはない落ち着きがあるように見えた。

 想像していたより彼のことを侮りがたいと思った。スピカさんへの独占欲は際限無く膨らんで、収まりがつかない。


「いつもスピカさんがお世話になっております! 私、このたびスピカさんと婚約しまして」

『婚約者』と名乗った俺を、彼女が驚きの表情で見ている。それもそうだろう、嘘でも婚約者と言ってしまえば、スピカさんを俺に縛り付けることになってしまう。完全に、これは俺の我が儘だった。

 わずかに沈黙が訪れたあと、調律師が大きなため息をついた。

 

「こんな立派な方、先生には似合いませんよ!うちの倅にしておけばよかったのに」

 悔し紛れに吐いた調律師の言葉など聞き流せばよかったのに、それも出来なかった。今、俺が『婚約者』と名乗ったというのに、自身の息子の方がスピカさんには似合うと言う。


「失礼な方ですね」

 俺は調律師への敵意を隠すことなく、商店街を後にした。




『似合わない』。その言葉が、俺の胸にぐさりと刺さったまま、街外れを歩いた。そんなこと、自分でも分かっている。分かっているから余計に腹が立った。


 俺は伯爵家から出たものの、庶民ではない。だからスピカさんもサブロさんも、俺に対しては敬語で話す。つまり一線を置かれている。

 気安く話をする二人がいつも羨ましかった。庶民である調律師の息子にも嫉妬した。

 俺も庶民だったらとよかったのにと、何度この身分を疎ましく思っただろうか。


「これで息子さんとの噂は立ち消えると思います、ありがとうございました」

 公園で、スピカさんがこちらに向かって頭を下げた。

 知っている。先程、彼女も『似合わない』という言葉に傷付いた顔をしていたことを。


「俺ではスピカさんに似合いませんか」


 俺はスピカさんに問いかけた。彼女は押し黙ったまま、こちらを見ていた。分かっているのだ、俺もスピカさんも。


 俺がレオン・カルモで有る限り、本当の『婚約者』にはなれないことなんて。






 『恋人』として『婚約者』として嘘の関係を作り上げたことが、自分達の関係に隔たりがあることを鮮明にしてしまった。

『婚約者』として名乗る限り、俺達は嘘をつき続けることになってしまう。

 

 あの日から、スピカさんがサブロさんの店に現れなくなった。

「あの、なにかあったんですか?」

 サブロさんが気遣わしげに俺に話しかけるが、俺は曖昧に笑うことしか出来ない。

「すみません、俺のせいなんです」と。




 彼女には、謝りたいことばかりだ。


 こんな自分勝手な俺と会わなければ、スピカさんはもっと別の男と心穏やかな恋が出来ていたかもしれない。もしかしたら、あの調律師の息子と結婚したとしても、幸せになっていたかもしれない。


 俺もスピカさんと出会わなければ、義父に逆らわず、いずれ決められた婚約者と結婚をして、向こうの家へ婿に入っていたことだろう。その生活も、案外穏やかでよかったのかもしれない。


 街の教会から鐘の音が聴こえる。何度も何度も鳴り響く鐘の音は、ポラールさんとカンセルさんが無事に夫婦となった合図であった。

 今日は彼らの結婚式だった。以前偶然ポラールさん達と会ったときに「ぜひ」とお誘いを受けたが、心苦しくて辞退したのだ。


 俺の足は、吸い寄せられるように教会への道を辿る。近づくにつれ、結婚を祝福する歓声が耳に届いた。そこにスピカさんがいるからといって、俺は教会へ向かってどうするというのだろう。

 不意に歓声が静まり返った。教会裏に立ち尽くしていた俺は、耳を澄ました。




 聴こえてきたのは、愛しい彼女の歌声。

 新郎新婦を祝福するように、自身を奮い立たせるように、すべての人を包み込むような歌声が教会に響きわたる。

 諦めようとしてもやはり駄目だった。

 スピカさんの声を吸い込んだ身体が、彼女じゃないと駄目だと言っている。


 スピカさんに会いたかった。

 こんなところで待っていても迷惑だ。頭では分かっているのに、ここに彼女がいると思うと、足がびくともしなかった。

 

 道角の向こうから、力無い靴音が聴こえる。振り返ると、スピカさんが俯きながら歩いていた。結婚式の帰り道だというのに、先程あんなに素晴らしい歌声を披露していたというのに、彼女の顔は憂いを帯びている。


「スピカさん」

 

 俺は、思わず声をかけてしまった。

 その瞬間、彼女は勢いよく顔を上げた。そしてあんなに華奢な靴でこちらへ走り寄る。


「レオン様……」


 俺達は、微笑み合った。

 たわいのない話をした。

 会えただけで、普通に話せただけで嬉しかった。

「歌を聴き終えたら帰るべきだとは分かっていたんですが、どうしても会いたくて」


 口を突いて出てきてしまった、本心が。

「スピカさんに、会いたくて」




 彼女の顔が歪んだ。


「私も会いたかったんです」

 彼女の瞳から、涙の粒がぽろぽろとこぼれ落ちる。

「レオン様のことが好きで、つらいんです」

 

 泣きながら「好き」と伝えてくれたスピカさんは、ゆっくりとこちらに近づいた。

 こんな目の前で好きな人が涙を流していて、我慢できる男など果たして存在するのだろうか。


 手を伸ばし、彼女を抱きしめた。

「俺も、好きです」

 スピカさんの小さな身体から、力が抜けていくのがわかる。

「俺も、スピカさんがいい」


 俺も気持ちを伝えると、彼女は俺の胸にもたれ掛かり、二人の隙間が無くなった。腕の中からスピカさんの息づかいが感じられて、身体中が熱くなる。

 ずっとこのまま、二人で抱き合っていたかった。




 そのまま、二人で職員宿舎までの道を歩いた。どちらともなく、恋人のように手を繋いで。

 限りある距離を、俺達はなるべくゆっくりと歩いた。この人の隣にいるだけで、なぜこんなにも満たされるのだろう。


 別れ際、スピカさんがあまりにも愛しくてキスをした。


「スピカさん、好きです、これからも」

 

 彼女は恥ずかしそうに頷いた。







楽しくてレオン視点が長くなってしまいました……

次回からスピカ視点へ戻ります。

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