ダンシングモォモォ ∼ 牛になった王子 ∼
美しい山々に囲まれたとても小さな国、ジダラメシア王国。
王城を中心に広がるささやかな街、そしてその周辺は森と田園と牧場が取り囲む。
豊かな大自然と平和、それだけがこの国の自慢だった。
ひっそりとした静かな街並に人影は少ない。寂れた路地では商店の古びた看板がカタカタと風に揺れる。
大自然の豊かさとは裏腹に、この国の民は貧しかった。
国王には、クーネルという名の一人息子がいた。十五才になる自堕落な王子だ。
王子は毎日寝てばかり。たまに目を覚ましたと思ったら、おやつを食べてまた昼寝。
町の民衆からはいつもこんな悪口が聞こえてきた。
「あのぐうたら王子め。クーネルというだけあって、喰って寝てばかりか!」
「贅沢三昧の寝坊助め。あんな生活をしていたらいつかきっと牛になるぞ」
民衆の悪口は王子の耳にも届いていた。
「牛になるだって? 食べたらただ太るだけさ」
他人からの悪口なんて気にもしないし聞く気もない。
ある日のこと。いつものように昼寝をしていた王子。
「モォォ……。モォォ……」
何処からともなく聞こえてくる牛の鳴き声に、王子はうつらうつらと目を覚ましかけた。
今日は心なしか、身体を重く感じている。
「モォォ……。モォォ……」
王子は驚いて飛び起きた。
今日は体の調子が悪いな、と言ったつもりが、王子の口から出たのは牛の鳴き声だった。
なんと! 目覚めた王子は牛になっていた。
どこからともなく聞こえてきた牛の鳴き声は王子自身の寝言だった。
「モォッ? モォォッ!?」
なんだ? 何がどうなった!? そう叫んだつもりが、これがまた牛の鳴き声になってしまう。あまりの出来事に王子は呆然とした。しかし、すぐに、ある不安が心を過った 。
牛の行く末はどうなってしまうのだろう? 焼肉? ステーキ? ハンバーグ? ダメだ……。肉の料理しか思いつかない。このままではステーキになって食べられてしまう!
不穏なことを想像してしまった王子。
肉の料理は食べてこそ美味しいが、食べられる立場となったら非常にまずいし命はない。
王子は生き延びる方法を考えた。必死になって考えた。考え……た。考……え……グゥ……。グゥ……。グゥ……。
知らぬ間に眠ってしまった。
普段頭を使っていないから、考え事をするとすぐに眠くなってしまうのだ。
しばらくして誰かが王子の部屋のドアをノックした。コンコン。
王子はその音で目を覚ました。
召使いだ。おやつの時間だ。どうしよう……。
焦る王子に構うことなく部屋のドアを開けた召使いは、驚きのあまり大きな叫び声をあげた。
「 牛ぃぃ!! クーネル様の部屋に牛がいるぅぅ!!」
王子は思わず召使いの脇をすり抜けて部屋を飛び出した。
逃げなければ! ここから脱出しなければ! 心にあるのは「逃げる」という思いだけ。王子は一目散に城門から逃げ出した。
城の窓にはその光景を見下ろす国王の姿があった。
「もうそんな歳になったか、クーネルよ。古より伝わる王家の試練。民を学べ。国を学べ。そして立派な王となれ」
国王は見守りの笑みを浮かべて呟いた。
街に逃げ出した、牛になった王子。その耳にはあちこちから様々な声が聞こえてくる。
「牛がいるぞ。 どこの牛が逃げ出したんだ?」
「危ないんじゃないか? 捕まえた方がいいぞ」
このままではまずい。捕まってしまったらステーキコースまっしぐらだ。
そんなことを考えていた王子の目に、道端に立つ一人の少女の姿が飛び込んだ。少女は笛を吹いていた。その足元には、数枚の小銭の入った小さな箱が置かれている。
どうやら笛の演奏で小銭を稼いで生活しているらしい。
その瞬間、王子は閃いた。
少女のそばに駆け寄った牛のままの王子は、二本足で立ち上がると派手に陽気に踊りだした。
少女は驚いた。目が点になった。その視点は踊る牛に釘付け。しかし笛の演奏をやめることはない。
笛吹きの少女とダンスを踊る牛。この奇妙な光景はすぐに街の話題となった。
翌日、少女と王子は街の人気者となっていた。
これはいい。なんとかステーキにならずに済みそうだ。と、少し安心する王子。なんとか肉料理になることは免れた。
数日が経つと笛吹きの少女の周りには音楽自慢の人たちが現れて、それぞれが様々な楽器の演奏を始めた。こうなると、もう小さな音楽隊だ。
笛、太鼓、トランペット、ハーモニカ、アコーディオン。陽気な音楽と、物珍しい踊る牛。街はご機嫌な空気に包まれた。
「モォォ! モォォ!!」
王子もステップを踏みながら、牛の鳴き声でご機嫌に叫ぶ。
こうしていつしか、王子はダンシングモォモォと呼ばれるようになっていた。
街はダンシングモォモォを見に来る人々で賑わい、商店街には牛柄模様の服やモォモォ人形を売り出す土産屋が何軒も並んだ。
寂れていた小さな町は楽しい音楽に包まれて息を吹き返した。今ではもう、お祭り騒ぎの毎日だ。
「モォモォ! オレと踊ってくれぇ!」
そんなことを叫んでダンシングモォモォと一緒に踊り出す者も現れた。
とても楽しい毎日に、いつしか、牛として踊ることは王子の生き甲斐となっていった。
ステーキにされないために始めた苦しまぎれのダンス。そのおかげで街はこんなに元気になったのだ。
王子の心は喜びに満たされた。
充実の毎日は繰り返し、音楽とダンスの祭典は終わらない。そして今日も夕日は街を茜色に染め、楽しく賑やかな一日が終了した。
王子は地面に寝転がり、星降る満天の夜空を見上げていた。
牛になって初めて国のことを考えた。
「今までに誰がこの貧しい国をこんなに元気にできただろう。私は今、この国をこんなに元気にして……。……ん!?」
牛になったはずの王子は、自分が人間の言葉を喋っていることに気づいた。
王子は手のひらを自分の顔の前に翳してみた。
「うわあぁぁっ!! 人間に戻っている!!!」
王子は驚いた。あまりの驚きに叫び声を上げた。
王子は、自分でも気づかぬうちに人間に戻っていた。
何がどうなったのか!? 何やらワケが分からない。
もしかしたら牛になってからの毎日が一生懸命だったから? ぐうたら生活が終わったから人間に戻れたのか!?
王子の頭の中は疑問だらけだった。しかし一つだけ理解できることがあった。
「楽しかったモォモォ生活も、もぉ、これで終わりか……」
人間に戻れたことは嬉しいが、王子の心は複雑だった。
「ダンシングモォモォがいなくなったらきっと街は寂しくなるだろうなぁ」
王子は一人呟いた。街の元気がなくなることを心配した。
王子はしばらく考え込んだ。考え……込んだ……。考え……グゥ……。グゥ……。
いや、寝てはダメだ!
王子は立ち上がると、静まり返った夜の街からひっそりと姿を消した。
翌朝。街は今日も、いつもと変わらない賑わいを見せている。陽気でご機嫌な雰囲気を楽しみながら、王子はぶらりと街の散策をしていた。
「この国も本当に元気になったものだなぁ」
牛柄模様の服を着て走り回る子供たち。楽しむ子供たちの姿を笑顔で見守る大人たち。街にあふれた観光客。モォモォグッズを売る大繁盛の商店街。
王子は幸せな気分に浸りながら街を見て回った。ダンシングモォモォの焼き印入りの饅頭も買った。
笛吹きの少女の音楽隊の前まで来ると、そこでは今日もダンシングモォモォが元気に踊っている。
このダンシングモォモォは何者かって?
実はこの踊る牛は、昨夜のうちに王子が連れてきた正真正銘の本物の牛だ。連日の牛の生活の中で牛の言葉を喋れるようになった王子。
「ダンスを踊って毎日を楽しく暮らさないか? よかったら私と一緒に来てくれ」
牛たちにそう声を掛けたら、何頭かの牛が喜んでついてきた。よく見たら、あちこちに踊る牛の姿が見える。
ダンシングモォモォはたくさんに増えていた。きっとこれからも、モォモォダンスブームはずっと続いていくだろう。
王子は笛吹きの少女に向かって、自身の左胸に右手を添えて膝を曲げ、ゆっくり優雅に一礼をした。
「お嬢さん、私と踊っていただけませんか」
少女は驚いた。音楽隊の仲間たちはウインクして微笑みながら、少女に目で訴えかける。
少女は頬を赤らめながら、恥ずかしそうにコクリと頷いた。
王子と笛吹き少女の、質素ながらも優雅なダンス。時々、癖となったモォモォダンスのステップを踏む王子。何も気づかぬ素振りで可憐に踊り続ける少女。
二人の踊りが終えた時、一際大きな歓声と拍手喝采が民衆から沸き起こった。
王子が笑顔で少女に告げる。
「君のおかげだ。君がこの国を変えた。救ってくれた。ありがとう」
真っ赤な顔でうつむく少女。少しだけ香る恋の予感。
「もうこの国は大丈夫だ。私は城に帰るとしよう。お嬢さん、機会があればまたダンスを御一緒に」
王子は一礼し、お城に向かって歩き出した。
城門の前、そこにも踊る一頭の牛がいた。王子はこの牛にペコリと頭を下げて小さな声で囁いた。
「これからもモォモォダンスを頼んだぞ」
王子はもう、以前のぐうたら王子ではない。希望にあふれた瞳を持つ、一人の好青年になっていた。
「牛の姿でもこれだけのことができたのだ! 人間に戻れた今の私にはもっと凄いことができるはず!」
王子は新たな決意を胸に城へと帰った。
「見届けだぞ、クーネルよ。これがお前の新しい国なのだな」
国王は満足げに微笑んだ。
部屋に戻った王子は久々に柔らかなベッドに横になると、懐から取り出した饅頭をかじりながら、誓いの言葉を口にした。
「私は民のための王になるのだ! もう、喰って寝てばかりのクーネルなんて言わせはしないぞ!」
そして、これからの自分が何を成すべきかを考えた。考え……た。考……え……グゥ……。グゥ……。眠ってしまった。
喰って寝てばかりのクーネルであった。
しかし、その眠りの中で見たものは、街の大衆食堂で民たちと共に語らいながら楽しく食事を交わす夢だった。
山々に囲まれた美しい国、ジダラメシア王国は今日も陽気な笛の音が響き渡り、お城には王子の幸せそうなイビキの音が響いていた。
グゥ……。 グゥ……。 グゥ……。
おわり。