序:駿河攻め、始まる
さて、特にさしたる疑問もなく戦国時代、とアテはつけたものの。
「場所はおそらく、甲斐でしょう。下田さんが武田信玄に言及していましたし」
「今回珍しくテキトーだね莉央ちゃん」
「問題は年代ですね。今回ばかりはすぐに特定は――」
「た、大変だぁっ! 至急、御屋形様にお知らせせねばッ」
と、いきなり寺から血相を変えて出てきた男がいた。
「どうしたのです?」
「義信さまが、お、お亡くなりになったんだよッ」
「あー……これは……年代特定はできましたが、実に残念ですね」
「へ?」
「武田義信死去。彼は元・信玄公の嫡男でしたが……謀反を疑われて廃嫡され、二年もの間東光寺(註:山梨県甲府市にある臨済宗の寺院)に幽閉されていたのです。
つまり今日は――1567年10月19日。出来れば生前の彼に会って、いろいろ話を聞きたかったのですが」
義信事件。これは流石に俺も知っている。
義信の家臣たちが、信玄暗殺を企てた。事前に発覚したため、主だった首謀者は即刻処刑。義信も計画に関わった事を咎められ、家督の継承権を剥奪されたのだ。
「義信さんが何故、父親を暗殺しようとしたのか。はっきりとした動機は分かっていません」
「でもアレだろ? 義信って確か、今川義元の娘を娶ってたじゃん。
桶狭間の戦いで敗れ、落ち目になった今川家に信玄は見切りをつけ、逆に今川領を狙い始めた。
今川家と親密な義信にしてみれば、何としても食い止めたかったんじゃねえの?」
「確かに通説はそうなっていますし、私もおおむね正しい見解だと思います。
ただ、義信さんは恐らく首謀者ではなく、親今川派の声に逆らえなかったのが実際のところではないでしょうか」
莉央ちゃんの見立てでは、親今川派の家臣団が主体となって動き、義信は担がれただけだという。
確かにその見解なら、処刑されたのが家臣のみで、義信は幽閉に留まった理由も多少は腑に落ちる。
戦国大名といえど、主従関係は決して一枚岩ではない。下剋上という言葉があるように、下をまとめきれず上が寝首を掻かれるような事態は決して珍しくない話だろう。
「ともあれ、ここから事態が大きく動くのは事実です。
この後一年近く、武田は今川領を攻略するため、織田や徳川と事前準備に励みますから」
「なるほど。駿河侵攻ってヤツだな……今川は武田・徳川のコンビネーション攻撃で、為すすべもなく滅亡する……と」
俺と莉央ちゃんは、この一年の間に武田の取次(註:外交官)武将の配下として雇われ、調略のためあっちこっちに出張ったりした。
「やっぱ信玄公、スゲエじゃねえか。『信長の野望』シリーズで全能力値カンスト寸前なのも伊達じゃねえ!
そもそもがして、武田信玄&徳川家康vs今川氏真じゃあ、武将としての能力値が違いすぎる。最初から勝負になんねえだろ」
俺は得意満面に語ってみせたが……対する莉央ちゃんは呆れたように嘆息した。
「下田さん……武田信玄ファンとか言ってましたけど、実はニワカでしょ」
「ンなッ!? いきなり何だよそれ!」
「駿河侵攻が本格化するのは1568年12月に入ってからですが……今川氏が滅亡したと定義される掛川城明け渡しが、翌年の五月です。
つまり今川方は武田・徳川両家に攻め立てられながらも、およそ半年近くは持ちこたえた事になります」
「あ、あれ……? 言われてみれば……この戦、意外と長引いてるのな……なんだってまた?」
「それについては、ここでくどくどと私の口から説明するより、実際に経過を見ていった方が早いでしょうね」
そんな訳で、せっかくタイムスリップした事だし。
俺と莉央ちゃんは武田家による駿河攻めの実際を、つぶさに見ていく事になった。




