エピローグ:自由の名の下に、破壊は進む
俺と莉央ちゃんは、現代に戻っていた。
バラゲールさんの今日の評価は、功罪入り乱れており賛否両論である。
彼の取った環境保護政策のお陰で、ドミニカ森林の大部分は守られた。しかしその為に強いた国民への弾圧も無視できない。
ついでに言えば、彼の取った環境対策すべてが有効だったとも言い難く、余計に評価を難しくしていたりする。
「バラゲールさんを評する言葉は様々です。ある歴史家は『状況に応じて被る皮を変える蛇』と呼びました」
「そりゃまた随分な表現だね」
「しかし彼に対する最も的確な評価は――『邪悪、なれど必要悪』。これに尽きるでしょう。
ちなみにこれ、バラゲールさんに投獄されて拷問受けた人の言葉ですよ」
「……マジかよ……」
目的を達するためには手段を選ばず、敵対者は容赦なく罰する、冷徹なマキャベリストだったバラゲールさん。
彼はドミニカを経済発展へ導いたものの、貧富の格差は広がり、彼の政権下において汚職も蔓延していた。
しかしながらバラゲールさん自身は、決して汚職に手を染めず、私腹を肥やす事もなかったという。
「結局のところ、政治というのは富をどう再分配するか、なのでしょうね。
20世紀半ばの中国を成長させた鄧小平さんも、格差社会を招いたと批判されています。
誰かを富ませる為には、誰かに貧乏クジを引いてもらわないといけないのです。
さもなくば、みんな揃って貧しくなるしかありません」
富の再分配――その言葉を聞いて、俺はイスパニョーラ島の地図をまじまじと見た。
比較的平地が多く、産業も色々興せそうなドミニカの領土に比べ、ハイチの領土は険しい山地ばかり。これじゃ林業ぐらいしかできそうにない。
俺はようやく、バラゲールさんが最期に遺した言葉の意味を理解した。
「もしわしがハイチの大統領だったら……きっとデュヴァリエと同じ事をしておっただろう」
確かにドミニカは経済発展した。しかしそれは、発展できるだけの恵まれた土壌があったからだ。
それに引き換えハイチはどうか? 仮にドミニカと同じだけの投資を行ったとしても、得られる成果は遥かに少ないだろう。
「ハイチは国民の9割以上が貧しいままでしたが、逆に言えばそうする以外に手がなかったのかもしれません。
デュヴァリエ親子がいなくなった後も、政変暗殺クーデターのオンパレードですし。
30年も統治できた彼らの方がマシだったのかもしれませんね」
「やな比較論だなー」
そして現在。ドミニカでは環境保護政策が徐々に緩和されつつあり、森林伐採が加速しているそうだ。
加えて隣国のハイチから密入国してくる、木材泥棒の被害も深刻になりつつある。
「バラゲールのクソ野郎め。『金のなる木』を独り占めしやがって……
だが横暴な独裁者はもういない! 俺たちは自由なんだ!
自由とは、民主主義とは! 俺たち一人ひとりが金持ちになる自由だッ!!」
乱伐しているドミニカやハイチの人々に言わせれば、そういう話なのだろう。
今まさに、ドミニカでは環境破壊が進んでいる。大気汚染も進んでいる。自由の名の下に。民主主義の名の下に。
もし島の森林が全て禿山になれば、土壌は流され農地はマトモに使えなくなる。水力発電だっておぼつかなくなるのは必至。そうなったらもう――
「比較的小さなイスパニョーラ島ですら、これです。
中国ほどの大きな国が民主化したら、果たしてどうなってしまうのか……ゾッとしない話だと思いませんか?」
どちらが正しいのか――いや、どちらが「マシ」なのだろうか?
莉央ちゃんの問いかけに、俺は黙りこくってしまうしかなかった。
(第7話 おしまい)




