急:張郃と馬謖、その将器の差
俺と莉央ちゃんはこっそり抜け出して、魏軍の様子を偵察していた。
「む……? 砦にも水場にも兵がおらぬ、だと?」
「は。どうやら蜀軍は南山に移動し、そちらに布陣しているとの事」
報告を聞き、魏の将軍・張郃はほくそ笑んだ。
「……諸葛亮とやら。これまでさほど名は知られていなかったが……
こたびの手並み、敵ながら見事と感心しておったのだ。
にも関わらず、街亭のような守りやすい拠点を得ながら、砦に頼らず山に登るとはな。
やはり夷陵の戦いで負った痛手から回復しきってはおらなんだか。将が育っておらぬ」
「して、いかがなさいますか?」
「砦を押さえ、水場を占拠せよ。我が軍はしばしの間、この街亭に留まる」
「こ、ここで持久戦の構えですか将軍? 祁山への救援のため、無理を押して行軍していたのでは……」
「状況が変わったのだ。山に陣取った蜀軍を放置すれば、我が軍は挟み撃ちに遭う。
さりとてこのまま山に攻めかかれば、高地の敵相手では不利。であればどっしり構え、敵が渇くのを待つ」
一見、張郃の決断は理に叶っており、後世からすれば当然の選択だったように思われる。
だが莉央ちゃんは大いに関心したらしく、しきりに褒め称えていた。
「……むむむ。流石は張郃。歴戦の手練れ。何より胆力が違いますね」
「へ? そーなの? この判断ってそんなにスゴイ事なのか?」
「私たちは結果を知っていますから、そう思えてしまいますが……この時点で持久戦を選ぶのは覚悟が要りますよ。
下手をすればここで睨み合っている間に、祁山が落ちてしまうかもしれません。
そうなると張郃さんの評価は散々です。『戦いもせず、尻込みしている間に救援の機会を逃した』と非難される事でしょう」
戦国の世にありがちな話だが「戦わずして負けるより、戦って負けた」方が、評価を落とさないケースが多々ある。
かの織田信長の家臣・佐久間信盛が追放処分を受けたのも、本願寺攻めの折、四年以上も攻勢を仕掛けずにいたのを「サボっていた」と解釈されたからだ。
なので、武将というものは往々にして「このまま座していれば損害は出ないが、戦わないと臆病者と誹られる。なら戦って負けた方が『一生懸命やりましたが力及びませんでした』と言い訳が立つ」と考えがちである。
恐らく馬謖も、そうした判断から敢えて水場を捨て、短期決戦を選んだのかもしれない。
だが張郃はそんな安い挑発に乗るような凡将ではなかった。
「あるいは前任の夏侯楙であれば、まんまと敵の狙いに乗っかったやもしれぬな。
だが勘違いするな。軍とは己の栄達のための道具にあらず。畏れ多くも魏の皇帝陛下より賜った、国家の財産である。我個人の打算や感情のために、使い潰して良いものでは断じてない。
いざとなればこたびの不始末は、全てこの張郃が責任を取る。それが総大将の務めというものだ!」
ここにきて、己の事しか考えが及ばぬ将と、国家を見据えて動ける将との差が出た。出てしまった。
「……アカン。これは馬謖じゃ勝てんわ。将としての度量も経験も違いすぎる……」
「ええ。この時点で、山に布陣した彼の軍の命運は尽きました。
人間、食糧が無くても水さえあれば、一~二ヶ月は生き延びられるといいますが……逆に水が無い場合、どれだけ食糧があっても四日と保ちません」
馬謖の軍はわざわざ麓に降りてまで、水を汲もうとしていたが、全て張郃の守備兵に捕捉され、敢え無く失敗。
水汲みに来ていた兵士が真っ先に水を飲もうとしていた時点で、蜀軍の水不足の深刻さが伺い知れる。
「こういう経緯で進退窮まって、馬謖は一か八かの逆落としに賭ける羽目に陥った、って訳か」
「演義ではそういう話になっていますが……それは違うかもしれません」
「へ……? どういう事だってばよ、莉央ちゃん」
「最後の疑問が残っているんですよ、下田さん。『なぜ、馬謖は斬られたのか』」




