急:平安時代のモビルスーツ、源為朝さん
「はえ~……これが武士の成り立ち……理由が分かってても、発想として頭おかしいレベルだよなぁ……」
「重装の騎兵という時点で、ものすごくコストが高く、数が揃えられません。
各種武器や鎧もそうですが、何より馬です。馬一頭で人間の十倍は食べますからね。しかも戦闘用の軍馬ですので、当然農業などの生産活動には使えません。ただひたすらに大飯を食らいまくるだけです。
これは現代でいうところの、高級外車みたいなもの。よほど裕福な貴族や地主でもない限り、維持する事すら難しいものだったのですよ」
そして特筆すべきは、日本武士のメインウェポン「弓」。これはただの弓ではない、和弓と呼ばれる縦に長い複合弓である。
現代にも伝わる弓術や礼法を見ても分かるが、弓の構え方、撃ち方も西洋のアーチェリーとは異なる。明らかに馬上から射る事を意識した型なのだ。
鎌倉武士のたしなみとして有名な流鏑馬、犬追物、笠懸。これらはいずれも騎射が前提の実戦訓練的なスポーツだ。
「あんな扱いにくそうなのに、ホント日本の武士と言えば弓ってカンジだよな……」
「戦国時代でも『海道一の弓取り』なんて言葉があるように、武士のまとめ役たる戦国大名は『弓使いの頭領』という認識です。それほど弓の腕前は重要視されていたという事ですね。
そして実際威力も凄まじいです。源義家、源為朝など……名だたる武士の活躍が語られる時、決まって弓の話が出てくるくらいですし」
「でもさー、いくらデカくたって、弓だろ? そんなに強いのか?」
「疑うんでしたら、実際のところを見てはいかがでしょうか」
莉央ちゃんの言葉が終わらないうちに、時代が進んで一人の武士の姿が見えてきた。
「……って、なんだアレ!? メチャクチャごっつい! 筋肉ダルマってレベルじゃねーぞ!?」
俺は度肝を抜かれた。いや、武士は武士なんだが……他の連中と比べても明らかに二回りぐらい体格が違う。某世紀末漫画の巨人キャラのような凶悪な風貌だったのだ。
「彼こそが鎮西八郎こと、源為朝さんです。身長は2メートル越え、左腕は右腕より12センチも長かったと言われています。イングランドの長弓兵ばりに凄まじいですね。
なお彼の弓は、並みの男が5人がかりでようやく引く事ができるほどの特注品だったとか」
「……どう見てもただのバケモノです。ありがとうございました」
為朝さんが戦場に立つと、それはもう暴れ放題。
放つ矢は簡単に敵の分厚い大鎧をブチ抜くどころか、一発放てば二人まとめて射殺できるほどだった! いやちょっと待って。この時代にそんな機関銃みたいな威力、ありえないでしょ!?
というか、威力もさる事ながら射撃の正確さも恐るべき精度。兄貴に向かって威嚇射撃した時など、兜の鋲部分だけを正確に削ってしまった。もはやチートというのもおこがましい。
「そんな為朝さんも武運つたなく戦争に敗れ、弓の腕が怖いからと利き腕の腱を切られ、島流しにされてしまいます」
「気の毒ではあるが……確かに野放しにはできねえよな……これでさしもの為朝さんも、大人しくなっちまうのか」
ところがどっこい、傷が治った為朝さん、配流された伊豆で復活し、性懲りもなく再び大暴れ。え、ちょっと待って。利き腕の腱を切られたんじゃないの? ピンピンしてるんだけど!
という訳で為朝さんは伊豆諸島を制覇し、中央政府に年貢も納めなくなってしまった。これに怒った朝廷は、討伐軍を派遣するのだが……
「この時為朝さんは、攻め寄せる朝廷軍の船にいつもの剛弓を放ち、当たれば幸い次々と沈めていったそうです」
「いや、いくら何でも弓を一発撃ったぐらいで船が沈むなんて事が……って本当に沈めてるゥー!?」
さすがに矢が当たって船が木っ端みじんに大破した、なんて事はなかったが。為朝さんの矢なら船底に大穴を開けるぐらい、朝飯前だった。
次々と船が沈んでいく有様に、朝廷軍はまともに島に近づけず、完全に震え上がってしまう。
とはいえ、いくら為朝さんひとりがド派手に活躍しても、多勢に無勢。最終的に敗北を悟った為朝さんは、9歳の息子と共に自害して果てた……のだが。
「申し上げます! 源為朝、息子ともども自ら命を絶ったとの事です!」
「ま、マジか! よし、お前、確認しに行け! 為朝の首級を持ってくれば第一勲功ぞ!」
「い、嫌ですよ! 殿が行けばいいじゃないですか! 何ビビっちゃってるんです!?」
「そういうお前だって全身ブルッブルじゃん! 相手は死人なんだろ? だったら大丈夫だろォがッ!?」
こんな具合で、為朝さん死亡のお知らせが来ても、みんななかなか島に上陸しようとしなかった。まあ、無理もないよな……こっそり見ていただけの俺だって怖いもん。
「ちなみに一説によれば、為朝さんが日本初の『切腹した武士』だとも言われていますね。
ともかく……武士の弓の力、これでよくお分かりになったんじゃないかと」
「もう嫌というほど思い知りました……」
元寇の時も、鎌倉武士団の戦闘狂っぷりは際立っていたが……その下地は、この頃からもうすでにあったんだなぁ。
なお為朝さん、このあまりの強さに某大河ドラマでも「平安時代のモビルスーツ」呼ばわりされ、死後もその強さから神社に祀られ「疫病退散のご利益がある」神となってしまった。三国志で有名な関羽といい、とんでもなく強い人が神様になるのって、どこの世界でもあるんだね。




