六:どうして天皇になれなかったのか?
聖徳太子こと厩戸皇子の声望は、否が応にも高まっていた。
無理もない。大和長年の悲願だった中国大陸との国交を復活させたのだから。しかも八年前には一度失敗したにも関わらず、だ。
加えて仏教が盛んになり、宗教的な権威まで背負っている。太子でなければ説けない仏教理論まであった。
もはや怖いもの知らず、「無敵の人」である。
俺が小学生の頃、社会の先生が「聖徳太子が今生きてたら、普通のサラリーマンが関の山だろう」なんてうそぶいてたが、とんでもない!
知識階級が限定されていたこの時代に、これだけ仏法に通じ、しかもカリスマ性を備えていた為政者なんて――日本、いや世界史上類を見ないんじゃないか?
「人気もある。金もある。そして実績もついてきた……超絶リア充じゃん聖徳太子」
「そうですね。ですが下田さん……不思議に思いませんか? ここまで人望厚かった厩戸皇子が、何故皇子のままだったのか?
非実在説論者の最後の砦――彼はなぜ、高御座に就けなかったのか。実在しているなら天皇になっていないのはおかしい、という理屈ですね」
「う、うーん……あ、分かった! 太子はきっと、権力闘争の汚さを嫌ったんだよ!
だから敢えて頂点に上り詰めようとせず、摂政の地位に甘んじてたんじゃねえの?」
「……ここで四の五の議論しても時間の浪費ですから、実際の所を見てみましょう」
***
「う、厩戸皇子、今なんと……」
「私も十分な地盤を築き上げた。頃合いだと思うのだ。
どうであろう? この私を『大王』にしてみてはいかがか? 馬子どの」
俺と莉央ちゃんが目撃したのは――あからさまに皇位を望み、蘇我馬子に迫っている聖徳太子の姿だった。
(うおおおおい!? 思いっきり俗っぽい事口走ってるゥー!?)
(まあ、無理もないと思いますよ。
あの若さで絶大な地位と人気を得てしまったのですから。元がどんなに公明正大な聖人君子であっても、絶対調子に乗ってああなっちゃいますって)
対する馬子、いつもの老獪ぶりはどこへやら。冷や汗めっちゃダラダラである。
(なんか馬子さん、とんでもなく焦ってねえか?)
(もともと蘇我の地位を盤石にするため、仏教のサラブレッドとして育ててきたつもりだったのでしょうが……今や立場は逆転しています。
厩戸皇子の人気は絶大過ぎて、もし彼が即位する事になれば、もう蘇我氏の言いなりになる必要もないでしょうしね)
この蘇我馬子という人物。蘇我氏の最盛期を築き、邪魔と見れば天皇だろうと刺客を放って抹殺するほどであったが。
実は結構小心者で、あっちこっち根回ししながら多数派を形成し、慎重に慎重を重ねて政治を動かす用心深いタイプだったりする。もともと蘇我氏ってそんな強固な基盤がある訳じゃないしね。
「――そうはおっしゃいますが、厩戸。生前譲位など前例がありませぬ。
少なくともわたくしが死ぬまで待つべきでしょう。そこを曲げてまで願う話なのですか?」
待ったをかけたのは意外な事に、現役の推古天皇であった。
どうやらこの頃はまだ、譲位して上皇になるシステムが存在しなかったらしい。
結局この時の話し合いは、推古天皇の言い分が通り――太子は引き下がった。
彼の顔には余裕の笑みが浮かんでいる。この時太子は三十代半ば。いっぽう推古天皇は五十代を越えている。
今ここで強引に事を進めずとも、何年か待てば彼女は寿命を迎え、自分に位が転がり込んでくる――そう踏んだのだろう。
だが――のちの歴史が物語っているように。
天命は彼を選ばなかった。推古天皇よりも、蘇我馬子よりも先に――聖徳太子は齢五十を目前にして、没してしまうのである。




