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莉央ちゃんとタイムスリップ!【短編シリーズ】  作者: LED
第4話 聖徳太子は非実在? 編
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四:遣隋使のナゾ① ~誰がお金を出したの?~

 聖徳太子、実にやる事が派手である。

 最たる例が遣隋使。中華大陸の大帝国・(ずい)小野妹子(おののいもこ)を派遣し、国書を渡したエピソードは日本史に必ず出てくる。

 サラッと書いてあるが、実際これスゴイ事だよね。


「この頃の日本はごく短期間に、何度も使者に海を渡らせています。

 一回目(600年)の時は下手を打ったらしく、日本書紀では無かった事にされていますが」

「えー。都合の悪い事を記録に残さないって……報道しない自由じゃんそれ!」

「記録にこそ残りませんでしたが――この失敗で大和(やまと)朝廷が相当、窮地に立たされたのは事実でしょう」


 日本書紀に曰く。

 冠位十二階――603年に制定。605年から実施される。

 十七条憲法――604年に成立。

 否定論者はいう。「こんな矢継ぎ早に新方針を実行できたハズがない。諸豪族の反発を招く」と。


 だが600年の遣隋使が失敗し、大和は野蛮国の烙印を押されてしまった。その焦りから、急速な改革に迫られたのでは?

 次の派遣で「大和は文明国である」と説明できなければ――中国との国交復活の望みが絶たれ、日本は技術的に詰んでしまうのだから。


「現代風に例えれば『株式会社ヤマト朝廷、社運を賭けた一大プロジェクト・遣隋使に再挑戦! 一度不渡り出してるし崖っぷち!』ってカンジですね」

「分かりやすいけど一気に俗っぽくなったね莉央ちゃん」


 確かに急な改革は周囲の反発を招くだろう。しかしそれも、聖徳太子というカリスマがいればある程度は抑え込める。

 皮肉な事に、この当時の実情をつぶさに見れば見るほど――「聖徳太子は実在した」と考えなければ、かえって一連の流れに説明がつかなくなるのだ。


「でもさー。実際大事(おおごと)だよね? 何度も船作って海を渡らせるって。沈むかもしれないし。

 とてもじゃないけど、飛鳥時代の朝廷にそんなカネがあるように見えないんだけど……」


 莉央ちゃんは「いい所に気づきましたね」と笑みを浮かべた。


***


 俺たちは聖徳太子に荷物運びとして雇われ、北に向かう事になった。


「ちょ、莉央ちゃん……いきなりすっげぇ重い荷物運ばされて疲れたんだけど……

 つーかここ、どこ?」

太秦(うずまさ)です。現在でいうと京都市右京区の辺りですね。

 下田さんが聖徳太子の資金源が気になる、というので来てみました」


 そう言って莉央ちゃんは、お寺に案内してくれた。「蜂岡寺(はちおかでら)」(註:現在の広隆寺)とある。


「答えはズバリ――この地を根城にする渡来人・(はた)氏です」

「秦氏って確か……(しん)の始皇帝の末裔(まつえい)を自称してた連中だったっけ?」

「その通り。古代日本における究極の内政厨集団。商売と財政と宣伝活動の達人。それが秦氏! 聖徳太子は蘇我氏のコネを利用し、彼らを味方につけ、政治資金の調達に成功したのです」


 秦氏は商売上手で有名であり、雄略天皇の御代(5世紀後半)、大量の絹を「うず高く積んで」献上し、皇家の財政を(うるお)わせたと伝わる。

 太秦(うずまさ)という地名もこの時の逸話からつけられたそうだ。


厩戸皇子(うまやとのみこ)の御使いか。よう参られた」


 寺から出てきたのは、秦氏の現当主――秦河勝(はたのかわかつ)である。莉央ちゃん曰く、彼が聖徳太子のスポンサーとの事。

 俺たちが運んできた中身は、仏像だった。どうやらこの蜂岡寺、この像を迎え入れる為に彼が建てたものらしい。


「此度は我ら秦氏のために、皇子より新羅(しらぎ)の尊き仏像を賜り、感謝の念に堪えませぬ」

「え、新羅……? この仏像確か、太子が自分のとこの職人に作らせてたような……」


 莉央ちゃんが困った顔をした。どうやらバラしてはまずい内容だったようで、うっかり口を滑らせた俺は恥ずかしくなってしまった。

 だが河勝さんは怒るどころか、柔和な笑みを浮かべて言う。


「ほっほっほ、お気になさいますな。皇子お抱えの職工という事は、朝鮮半島から参った職人でありましょう?

 実際、寺の建立も彼らの手で行われておりますからな。大和(やまと)で作ったものとはいえ、新羅の仏像という話に偽りはございますまい」


 河勝さん、話してみると実に人当たりがよく、地元の人々からも慕われ、頼りにされているようだ。

 太秦(うずまさ)のある嵯峨野(さがの)は、もともと(かつら)川という暴れ川を擁する土地。水害が多いため、5世紀に秦氏が移り住むまで、誰も住もうとしなかった。

 京都の観光スポットでもある葛野大堰(かどのおおい)が築かれたのも、実は雄略天皇の御代である。


「え。中学の修学旅行ついでにちょっと見た事あるけど……あの堤防、こんな大昔からあったのか……」

「もちろん作ったのは秦氏です。これで日本書紀の正しさがまた一つ、証明されてしまいましたね。敗北を知りたいです」

「なんで莉央ちゃんがそこまでドヤ顔なんだよ」


 別れ際、河勝さんは言った。


「皇子にお伝えあれ。

 『(つつみ)が破れたらまた築けばよく、田が流されてもまた耕せばよい。

  必要な品は我らが用立てます。己の為すべき事を為されませ』と」


 あー、そっか。太子による仏像進呈、秦氏(スポンサー)へのご機嫌伺いでもあったんだな。

 初回の失敗を咎めるどころか、逆に励ましのエールを送ってくれた訳だ。


「流石に懐が深いですね、秦河勝(はたのかわかつ)さんは。

 のちに邪教を討伐し、芸能の神として崇められただけの事はあります」


 会談が終わると、それまで澄まし顔だった莉央ちゃんは、興奮冷めやらぬ様子だった。

 聖徳太子のような聖人君子より、こういう実業家タイプの方が彼女の好みなんだろうか?

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