一:蘇我氏vs物部氏! 実は宗教対立ではない?
「うっへえ、いつもの事ながら慣れねえなぁ……
ときに莉央ちゃん、ここはどこだ?」
もう俺はこういう時、当たり前の事として受け入れてから――莉央ちゃんに質問する事にしている。
彼女の情報分析能力は一介の女子高生の比ではない。瞬時に年代や場所を特定できてしまうのだ。
「今でいう所の、大阪府八尾市の辺り――あの立派なお寺は、恐らく渋川天神社ではないかと」
「寺っつーと、仏教か。やっぱり時代は飛鳥時代?」
「ですね。年代は恐らく――西暦587年」
莉央ちゃんはそう言って、すぐに俺の襟首を引っ張り物陰に隠れさせた。
辺りは武装した兵士が集まっており、いかにも剣呑な雰囲気を漂わせている。戦が始まるのだろう。
「めっちゃ物々しいな。これは……?」
「当時対立していた、蘇我氏と物部氏の戦いでしょう」
「蘇我と物部……えーと確か、蘇我が仏教びいきで、対する物部は仏教嫌い。つまり古代の宗教戦争だったって事だよな?」
俺が日本史の授業で習った記憶をどうにか紐解くと……莉央ちゃんはフウ、と溜め息をついて答えた。
「そうですね。一般的にはそう教えられていますが」
「また含みのある言い方だなぁ莉央ちゃん」
「そもそもの話ですが、あそこに見える渋川天神社。物部さんちのお寺ですよ」
「ほう……へ? ンなッ……!? ウッソだろオイ……!」
俺は素っ頓狂な声を上げそうになり、莉央ちゃんに口をふさがれてしまう。
「どういう事だよ莉央ちゃん? なんで仏教嫌いの物部の所に寺が……?」
「断言はできませんが、物部氏も決して仏教を目の敵にしていた訳ではなかった、という事です。
今回の戦も、対立原因は宗教ではなく、後継者争い……どちらの豪族が推す皇子を次に据えるか、というものでした」
間もなく始まった戦は、血みどろの泥仕合だった。
防衛側である物部の兵たちは強く、攻め手であるハズの蘇我は三度も恐れをなして撤退する有様。
しかもよく見ると、年端もいかない少年までもが武装して最前線に立っている。やがてその少年兵の一人が矢で胸を貫かれ、息絶えてしまった。
「うっわ……母親出てきて泣いてるじゃねえか。なんでこんな惨い事を……子供を戦場に立たせるなよ!」
「仕方がありません。彼らは皇族であり、この戦の総大将的な立場だったのですから。逃げるわけにはいかなかったのです」
「へ? あの子供らみんな、皇族だったの……? じゃあそこで嘆いてる母親って……」
「後の、推古天皇ですね」
推古天皇の名が出てきた事からも分かる通り。
戦には皇族が5人も従軍していた。うち4人は成人すらしていなかったのだ。
その中には、のちの聖徳太子こと厩戸皇子もいた。このとき弱冠14歳の若さである。
凄まじい犠牲を払いながらも、戦の結果は蘇我の辛勝。
歴史の教科書じゃ一行で片付けられ、アッサリ滅ぼされたイメージのある物部氏だったが……実際、厩戸皇子も危うい場面が何度もあった。一か八かの決死の総力戦だったのだろう。
「莉央ちゃん。ただの後継者争いだったっていうなら、なんで宗教戦争みたいな話で教えられてるんだ?」
「ズバリ、勝者である仏教派によるプロパガンダです。
『物部氏は仏教を軽んじたから、罰を受けて滅ぼされた。だからみんなも仏教を信じよう、な!』
ってやれば、信者を獲得しやすいじゃないですか。古代ローマ時代のキリスト教徒も、暴君ネロ相手に似たような事をやっています。
負けた側や悪名高い人物を利用して権威を高めようとするのは、割と常套手段なんですよ」
古代の戦争記録は、割とこういう流れの話が多い。
まっとうに戦っても苦戦したので、神や仏に戦勝祈願をしたら勝てた――というパターン。
実際「日本書紀」では、聖徳太子が「物部に勝てたら、四天王寺建てるから勝たせて!」と仏に祈った結果、勝った事になっている。
かの神武天皇の東征もしかり。あっちも正攻法で負けそうになってから、神の使いの加護で逆転勝利した。
当時は戦場に立つ軍人より、祭祀を執り行う宗教関係者の方が力を持っていた、という事が窺える話である。
「とはいえ、仏教が弾圧されたのは本当の話ですよ。
その原因も、渡来人との交流によって疱瘡――つまり天然痘ウィルスが流行ったせいです。
余所者が病気を持ち込んだ、というのは医学知識がなくても分かりますので、当然排斥運動が起こる訳ですね」
「ぐぬぬ……そういう所は、昔も今もあんま変わらねえんだな……」




