エピローグ:銀はどこへ消えた?
「いつも思うんだけど、莉央ちゃん」
「なんでしょう、下田さん」
「負けたクセに嘘を報告するって、良くないよね?」
「確かにそうですが……当時の清国は、うっかり敗戦報告などすると、責任を取らされ良くて免職、悪けりゃ死罪。正直者ほど馬鹿を見る……という体たらくでして。
だから『大負けして被害甚大だけど、敵が一旦引き上げたし我が軍の勝利!』とか、屁理屈みたいな報告も横行していました」
「コントかよ……いや背景知ってると笑えねえけど……」
この体質はアヘン戦争どころか、のちの西太后の時代に起きた、日清戦争でも全く変わっていなかった。そりゃ滅亡するわ。
まあこの手の虚偽報告は、旧日本軍も、ベトナム戦争の時の米軍司令官もやっていたし……そんなに珍しい話でもないんだろうなぁ。
さて、俺たちがこんな呑気に会話していられるのも――いつの間にか現代に戻ってきていたからだ。
毎度の事だが、行く時も唐突なら帰る時も唐突すぎる。確かにあれ以上、あんな悲惨な現場にいたくなかったけどさ。
「林則徐が解任された後、皇帝はイギリスに対して復讐心を芽生えさせてしまったらしく。
ボロ負けした清国は、交渉に応じるフリをして奇襲を仕掛けようとしたり、色々と悪あがきをします。そのせいで戦争が長引き、最終的に香港まで取られるハメになるんですけどね。
賠償金の二重取りをしたイギリスも確かに外道ですが、少なくとも約束を速攻で反故にするような野蛮な国ではなかったのです。意外かもしれませんが」
「……うーん、言いたい事は分かったけどさ。でもやっぱりイギリスへのブリカスイメージは拭えねえな……」
あれから俺と莉央ちゃんは、例によって図書館通い。
アヘン戦争に関するそれっぽい資料なんかを漁って話し合っていた。
「最初は清のお茶の輸出でイギリスの銀が減り、今度はイギリスのアヘン密輸で清の銀が減り……か。
貿易赤字って、それだけで国が傾く原因になったりするんだな……怖え話だよな」
「それに関してですが、下田さん……実は興味深い話がありまして」
莉央ちゃんは別の史料を取り出して、そこに載っている記述を指さした。
「確かに清国側で、『銀が少なくなり高騰した』と記録があります。
ではイギリス側は、アヘン輸出で儲けた分、失った銀を取り戻したのか? というと……それも違うんですね。
実はアヘン戦争前後、イギリス側でも『銀が少なくなって値段が上がった』と記述があるのです」
「なん……だと……そりゃどういうこった!? 清でもイギリスでも銀が不足って……
その不足分の銀はどこに消えたんだよ? はッ。もしやユダヤのロスチャイルド家が裏で糸を……!?」
「そんな訳ないじゃないですか、オカルトやファンタジーじゃあないんですから」
「じゃあ一体なぜだ? 納得のいく説明を求めるぞ!」
「まあ、私も確実にこれだ、と言える説がある訳ではありませんが……多少は想像がつきます。
恐らく銀は『最初から消えてなどいなかった』のでしょう」
「へ……? ますます意味が分からないんだけど……」
「この時代、産業革命で生産力が増し、取引に使う商品も爆発的に増えています。綿花、石炭、紅茶……そして勿論アヘンもです。
ですが品目や取引量が増えたからといって、貴金属である銀まで採掘量を増やせる訳ではありません」
「あ。もしかして……経済規模が一気に拡大したから、通貨代わりだった銀、相対的に不足しちまったって話……?」
俺の出した結論に、莉央ちゃんは心底楽しそうにニヤリと笑った。
なるほど、貴金属だけでは扱い切れないほど市場が大きくなってしまったら、為替とか信用取引に頼らざるを得なくなっていったのも、ちょっと分かる気がする。
***
「ちなみにアヘン戦争の元凶とも言える黄爵滋ですが。
銀をこっそりチョロマカし、横流ししていた事が発覚してクビになったそうです」
「うわぁ……なんかすっげぇ小物っぽい末路……」
「どこの国にも俗物はいるし、見栄っ張りな人も、マトモな常識人もいるって事ですよ。
イギリスだから、中国だから……などと一括りで判断しようとすると、真実を見誤ります」
「当たり前の話だけど、意外とそーゆーの、忘れがちだよなぁ……」
莉央ちゃんの言葉に、俺はしみじみと頷いたのだった。
(第3話 おしまい)
* おまけ *
「なあ莉央ちゃん。アヘン戦争の原因って銀不足で……
その銀不足が起こったのは、さっきの話だとイギリス産業革命が原因だよな?
つまり結局――ブ リ カ ス の せ い じゃねーか!!」
「まさか巡り巡って、通説に逆戻りしてしまうとは……たまげましたね」
チャンチャン♪




