第6話 阿仁鍬明人の迷惑的日常 『扇風機』『歌』『鳥』
僕は阿仁鍬明人、ここ私立金冴有場高校に在籍する二年生だ。
実家はとても裕福で、この学校には多額の寄付を収めている。
そのおかげで僕は授業にまったく出席する事がなくても、留年や退学になる心配はない。
金冴有場高校という名前通り、“金さえあれば”何とでもなるのがこの学校の良い所だ。
そんな僕が毎日わざわざ通学しているのは、授業に出るためではない。
体育館脇に建てられた倉庫を借り切って、自分の趣味の部屋とし、自宅では鬱陶しいメイドや執事たちから逃れて、一人自由に好きな時間を満喫するためだ。
この倉庫は一応、名目上は『漫画・アニメ研究会』の部室という事になっている。
部員は僕一人だ。
僕の趣味のメインは漫画やアニメの観賞だ。そしてそれに関連するグッズやCD、DVD等のチェック、及び収集も怠らない。
自宅にある僕専用の資料部屋の、ほぼ三分の一の資料はこの倉庫に集めた。
もちろん自宅から持ち出したものではなく、新たに買い集めたものだ。
僕の背後に見え隠れする、『金』に群がる輩も少なくはない。
当然相手にする事はないし、しつこく接触してくるようなヤツは親が雇ったボディーガードたちに排除される。
薄井幸子も最初はその中の一人だと思っていた。
いつの間にか僕の目の前に現れたその女は、シワの寄ったシャツやスカートを見るにとても貧乏臭く、他の輩と同じように金が目当てで近づいて来たものだと、当然そう思った。
だが少し様子が違った。
彼女は金よりも、僕の知識を頼って来ていた。
ある事を質問されて僕が即答した事がきっかけで、目を付けられたようなのだ。
どうやら僕の口にしたそれが、彼女の求めていた理想の回答だったらしい。
それ以降、付きまとわれるようになった。
学校一と噂されるその容姿は、確かに十六歳とは思えない美貌とプロポーションだが、二次元の女の子にしか興味の無い僕から言わせれば、ただの雌豚だ。
そんな雌豚が、毎日のように僕の部室を訪ねて来る。
聞けば何やら、毎日天からメッセージが降りてきて、三つのお題をクリアしなければ死に至るという呪いに掛かっているらしい。
ふざけた話だ。
だが彼女はいたって真剣で、飄々とした態度とは裏腹に、かなり積極的に動き回る。
家族は既にその呪いによって、皆亡くなったという。
半信半疑で、うちの専属の探偵に調べさせたら、本当に家族全員が原因不明の死を遂げていた。
そしてなによりも、こいつの目が嘘を言っていない。
雌豚の瞳など、凝視するつもりもないが、その大きな黒い瞳に嘘の欠片は見当たらないのだ。
幼少の頃から金目当てに近づく者たちを見ている僕は、相手を見て話すだけで何が目的かを看破できる。
そういった確かな観察眼を手にした僕を信じさせる程の真剣さを、薄井幸子は持っていた。
「勝手に僕のものに触るなと言っているだろうが!」
「大丈夫ですよ、阿仁鍬君。壊したりしませんから」
そして今日も雌豚は僕の部室にやってきて、部屋の中を勝手に弄りまわしていた。
部屋の隅から扇風機を持ち出して勝手に電源を入れ、回している。
「やっぱりこの部屋には何でも揃っていますね。いつも感心させられてしまいます」
勝手な事をして、勝手な事を言う。
僕はリアルな女に触れる事は出来ないので、怒りはするが、無理やり止める事も出来ない。
「阿仁鍬君はどんな曲が好きですか? やっぱりアニソンなのですか?」
部屋の棚からCDを物色しつつ、この雌豚は何かを考えているようだ。
おそらくお題クリアのために、色々と試行錯誤をしている最中なのだろう。
僕はそれらをクリアするために、これまでに何度も手伝わされてきた。
ほとんどが無理やりで、巻き添えみたいなものだ。
そして今回のこれは――ふむ。
今、こいつはアニソンの事を『曲』と言った。
アニメ・ソングを例えに出しているのだから、普通は『歌』と言うべき所をだ。
つまり今回のお題には『歌』があると思われる。
こいつの取り組んでいるお題探しにはルールがあって、そのお題を口に出してはいけないというものがあるらしい。
不自然にそのワードを外すような事があれば、すなわちそれがお題という事だ。
まあ、こいつがすぐに伝えたいというのであれば、お題をメモにでも書けば済む話なのだが……。
雌豚は僕の許可も取らず、CDをDVDマルチプレーヤーに差し込み、再生している。
歌詞カードを手にして、口ずさみはじめた。
「むむむ」
その歌声に僕は唸った。
こいつ――上手い。
小さい声で口ずさんでいるだけだというのに、軽く感動を覚えてしまった。
一曲を丸々再生して聴いた所で一度止め、歌詞カードをケースに仕舞っている。
「覚えました。このCDにはカラオケバージョンもありますね。ここでちょっと失礼してもいいですか?」
一度聴いただけの歌をこいつは覚えたらしい。
そしてそれを今ここで歌うと言っているのだ。
さっき聴いた歌声に、思わず感じ入ってしまった僕は、それを断る事も出来ないでいた。
「好きにしろ」
僕が言うよりも先に、CDを再生している雌豚は、既に歌う体勢だ。
こいつは本当に人の話を聞かない。
流している曲は、『とってもプリンセス♡ズッキュンかおたん』、二期まで放映終了していて、三期を今制作している人気アニメだ。
そのアニメのOPで流れるこの歌は、主人公の声を当てている人気女性声優が歌っている。
雌豚が歌いだしてからすぐに、さっきの口ずさんでいたものとは比べものにならない程の感動が僕を襲った。
「なんなんだ……お前は」
アニメのイメージを損なう事なく、いやむしろ人気女性声優のそれよりもイメージ通りの歌唱は、おそらく誰が聴いても納得の歌声だろう。
僕は阿仁鍬家の方針で、幼少の頃からいくつも習い事をさせられて来たが、『歌』だけは駄目だった。
音痴ではないと思うが、声が自分でも気に入らないのだ。
ここで負けたと思うのも変な話だが、こいつの歌唱力に敵う者が居るとしたら、もうプロしか居ないのではないだろうか。
一曲を歌いきった雌豚は、満足げにCDの再生を止め、プレーヤーから取り出してケースに収めた。
「クリアしたのか?」
僕の問いに答える事もなく、ニコリと笑う雌豚は次の行動に移ろうとする。
「連れていってほしい場所があります。お願いできますか?」
◇
僕たちは今、バイクで二時間かけて辿り着いた県外の海岸に来ていた。
目的地を知らされず、「あっちです、あっちの方です」と、タンデムシートに乗った雌豚に言われるがままにバイクを運転していたら、二時間も走らされたのだ。
こんな事なら家から車を呼べば良かったと後悔したが、時すでに遅しだ。
「さあ、飛びますよ私」
断崖絶壁である。
こいつは何を言っているのだ。
「ちゃんと見届けてくださいね。私、飛びますから」
飛び降りるの間違いじゃないだろうか。
こいつは『飛ぶ』と言った。
両手を広げてパタパタとさせている様子から、お題が何なのか大体分かった。
だが、このまま数十メートルもの高さから飛んで、死なない保証はない。
むしろ死ぬ確率の方が高いのではないだろうか。
「ちょっと待ってろ、雌豚」
僕はポケットからスマートフォンを取り出し、家の執事への直通の番号を押した。
それから待つ事三十分。
メインローターのけたたましい騒音と共に、断崖絶壁の崖の上に阿仁鍬家専用のヘリが着陸すると、中から僕専属のメイドが降り立った。
年の頃はまだ二十代前半の、阿仁鍬家では新参の部類に入るこの側仕えは、誰が見ても一目でメイドと分かる格好だ。
「お待たせいたしました。お坊ちゃま。こちらでよろしゅうございますか?」
胸にジュラルミンの大き目なケースを抱えている。
中を確かめると、先ほど電話で伝えたものが入っていた。
「ああ、御苦労だった。帰っていいぞ」
「はい。お役に立てて嬉しゅうございます。では、私はこれで」
ヘリの搭乗者は他に居ない。
メイドはフライト用のヘルメットを被り直し、操縦席に座って操縦桿を握ると、軽やかに飛び去っていった。
「すごいですね。メイドさんがヘリコプターを運転するのですか」
「このど素人が。操縦と言え」
雌豚の言葉を訂正して、ケースの中から取り出した物の組み立てを始める。
折りたたみ式のハングライダーだ。
翼を広げるとそれは五メートルに及ぶ。
「これを装着しろ雌豚。空を飛べるぞ」
「素晴らしいです、阿仁鍬君。こんな物があるとは思いませんでした」
簡単に操作方法を教えたが、こいつはすぐに理解したようだ。
「これで滑空できるとか、素敵ですね。これも運転ではなく、操縦すると言えばいいのでしょうか」
「どうでもいい。……初めてなのに怖くはないのか?」
「死ぬ程怖いですよ」
言葉とは裏腹に、まったく表情にも見せず、飄々とした様子のこいつは大物なのかもしれない。
一度の説明のみで、さっさと崖から飛んでしまった。
最初こそふらついていたものの、すぐに体勢を立て直し、見事に空を舞ってみせた。
毎日命を懸けているあいつに、躊躇いはない。
そして僕が協力しているのは、あいつに死んでほしくないからではない。
現実の女が何人死のうが、僕には関係ない。
アニメの推しキャラ少女が作品の中で死んでしまう事の方が、僕にとってはショックなのだ。
ただ、あいつが僕の所へ押しかけて来る度に、色々な発見や刺激もある。
つまるところ、僕は楽しいのかもしれない。
何の不自由も無い僕には、不自由だらけのあいつは見ていて面白いとも言える。
僕の生活に迷惑ばかりを持ち込む雌豚は今――
大空を舞う、鳥になっていた。




