始動
荷馬車が止まり、上でゴトゴトと重いものを動かす音。しばらくすると蓋が持ち上げられ、俺とリンは馬車からはい出した。
「もうダメかと思いましたよ、あんなふうに銃剣で荷物を突きまくるなんて……若様はあれを予測してたんですか」
「まあな。占領地での軍隊というのはあんなものだ。同じ立場なら私だってああする」
「……あたし、若様のことが何だかよくわからなくなってきましたよぉ」
ぼやくリンを放置して、俺は周囲を見回した。そこは表通りに面した壁に明り取りの小さな窓が一つだけ開けられた、薄暗い建物の中だ。
「ここは?」
「問題の雑貨屋です。ここはその倉庫で」
リコが答える。ではソリーナはこの敷地内にいるわけだ。
「この奥から直接母屋へ行けます。お会いになりますか」
「もちろんだ」
時刻はおよそ午後三時。先に立って案内するリコについて、母屋への階段を上がる。上がった先は中二階という感じの天井の低い部屋で、出窓にかかったカーテンがわずかに開いていた。
階下からは買い物客らしい男の声が複数聞こえる。威圧的な響きのある笑い声も。
カーテンの隙間からそっと外をうかがうと、窓から見える道路を挟んだ斜向かいに、四人乗り程度の装輪式軍用自動車が停まっていた。塗装は歩行マシンに施すものよりもいくらか暗めのグリーンだ。
(ギブソン軍の第二標準色だったか、あれは……?)
事前に確認した地図では、ここはギブソン軍が占拠したエリアからわずかにそれている。とはいってもほんの目と鼻の先、非番の者が息抜きに来てでもいるのだろう。
見目好い娘が店を手伝っているともなれば、店主を困らせるような悪ふざけがあっても不思議ではない。何かややこしい事態が起きるのではないかとハラハラしていると、階下から声がした。
――リナや。農場からリコさんが見えてるから、二階にお茶を持って行っておくれ。店はあたしが見とくから。
――ちぇ、女将が行けばいいものを……リナちゃん、早く戻ってきてくれよな!
――あ、あはは……はあぃ、皆さんまたあとで。
愛想笑いの声はソリーナに違いなかった。やがて階段に足音がして、彼女が背をかがめながら中二階へと入ってきた。
「……ロランド様!」
声をひそめてはいたが、彼女は満面に安堵と喜びを表している。今の彼女は農場で見たあの田舎娘の姿だった。
「ご無事で何よりでした……リコから安否を聞くまでは、もう会えないかも知れないと」
「なに、辺境は確かに物騒な所でしたが、戦って敵を倒せば解決する性質の危険でしたので……ソリーナ嬢こそ、ここで難を逃れておられて幸いでした」
「ええ。ここの女将さんが良い人で、助けていただいてます」
「それは何よりでした。私の部下たちもそのような幸運に恵まれていればよいのですが……」
ソリーナの無事を確認した今、俺の何よりの関心事はクロクスベ隊の、残りの部下たちの消息だった。
「隊の皆さんの居場所は分かりませんが、宿舎になさってた空き家は今、空ですね。シャッフル通りを挟んだお向かいのブロックの、少し奥まったところでしたっけ」
なるほど、この雑貨屋とはそういう位置関係か。
少し考える。彼らが市外に出たとすれば、一番アクセスしやすかったのは俺が今回潜入に使った南西、シャッフル通り側のゲートだったはずだ。
そこから彼らが向かいそうな所と言えば、さらに南にある森か、ソステヌート北西の岩山か。
どちらにも難点はある。南に向かっていたのなら、今朝から俺とリンが移動したときに接触できたはずだ。
北西の岩山に向かったとすれば、それは街が占領された日に、ギブソン軍が西ゲートを押さえていなかったという条件が満たされる場合だけかと思われる。
「……ふむ。問題の、あのリドリバは今どこに?」
「ストンプ通りの向こう側です。駐機場はものすごい警戒態勢で、とても近づけません」
「それは何とかなると思います。コルグ君たちが別行動でソステヌートに潜り込んでいる。彼らが動き始めてギブソン軍を混乱させれば、恐らく――操縦の方はいかがですか?」
「歩いたり走ったりさせるのは、だいぶ上達したと思います。でも、戦いとなるとまだちょっと難しいでしょうね」
そう言いながら、彼女は胸元からリドリバの起動キーを取り出した。
「またこれをお貸しします。もし、駐機場の警戒が手薄になって奪回の機会ができたら……ロランド様が使ってください」
「分かりました。このロンド・ロランド、貴女に代わって剣を振るいましょう」
キーを受け取りながら、彼女の顔を見た。唇にわずかに歯を立てて、口惜しそうに視線をそらしている――本当ならば何が何でも、自分であれを駆って戦いたいらしい。
「お気持ちは分かりますが、どうぞ今しばらくのご辛抱を」
「ええ、仕方ないですね」
そんな風に苦笑いを交わし合った丁度その時だ。階下から声がかった。
――リナや、お客さんには悪いんだけど、ちょいと頼まれておくれ。
「あっ、はい!」
彼女は椅子を蹴とばしながらドアのところまで行くと、階下をのぞき込んで下へ呼びかけた。
「どうしたんです?」
――ナッツ・バーがまた切れちゃってね。倉庫から追加でひと箱、出してきて。
「あ、はぁい。すぐ行きます」
女将の声は俺にも聞こえた。
「ナッツ・バー?」
そう繰り返す俺の声が奇妙に上ずっているのが自分でわかった。
「ええ……何だか最近、一度にえらくたくさん買っていく人がいるんですよ。ナッツ・バーの他にも、キャラメルとか、ドライソーセージなんかを」
「ふむ……?」
脳裏にドローバの執務姿が浮かぶ。ハモンド軍でナッツ・バーやキャラメルのような甘い携行食がふんだんに用意されるのは、ただ単に彼が好むから、というわけではない。南方の島々から海路で運ばれる砂糖の流通ルートをハモンド軍が複数押さえていて、それが財源になっているからだ。
「ソリーナ嬢。その、大量に買っていく客というのは、何者かわかりますか?」
「ええ。たしかシャッフル通りでいつも、帝都から届く新聞を売ってるお年寄りだって――」
俺はその瞬間、ものすごい顔をしていたらしい。ソリーナの顔に怯えの色が浮かんで、一歩後ろに下がった。
「ロランド様、どうなさったのです?」
「ダダリオだ……」
砂糖の一部はラガスコで直接、携行食の生産に使われている。おかげで我が軍の兵士もその手のものにやたらと親しんでいた。
部下たちはたぶんダダリオの目の届くところに潜伏していて、彼を通じて物資を入手しているのに違いない。
「ありがたい。おかげでこれからの見通しが立ちました。我々はこのあと、夜を待ってここを離れます。もう下へ降りたほうがいい。ギブソン軍の連中に怪しまれないようにしてください」
ソリーナはまだいくぶん怪訝そうにしていたが、礼を言われて顔をほころばせると、空になったトレーを小脇に階段を下りて行った。
* * * * * * *
その夜更け。中二階の隠し部屋で仮眠を取った俺たちは、リコの案内で下水道へもぐりこんだ。
馬車に積んであった銃と弾薬から、二人分の最小限の数だけを持ち出し、悪臭にうんざりしながら背をかがめて、管理用の狭い通路をくぐる。湿気とカビでぬめった敷石の上を注意深く踏みしめ、ストンプ通りの数メートル下を横切って北側の区画へ入った。
「この辺りです」
リコがそう言って、通路のどん詰まりにある壁面にうがたれた、細い階段を指し示した。
「上のマンホールから出てください、周囲に気を付けて!」
鋳鉄製の重い蓋に行き当たり、俺はそれを少しだけ持ち上げて辺りをうかがった。足音や人声は聞こえない。ぐっと押し上げ、蓋を脇へ退けて道路の上に出た
ソステヌートに潜り込んだ俺たちは、町中を警備するフリをしながらジャズマン邸の様子を探る。ロランドの旦那もどうやら部下と合流できたらしい。
おおっと、ギブソン軍の動きが慌ただしくなってきた。そこへタイミング良く動き出したのは、ソリーナさんの重戦甲リドリバ!
いいぞいいぞ、資金の持ち出しなんかさせるもんかよォ!!
次回、重戦甲ガルムザイン「市街戦」でまた会おうぜ!




