Choices
異世界にやってきてしまった、少女の一幕
主要人物
優佳
異世界に来た人。現代では高校生
困った人が放っておけず、ヒーローのように人を助けることを願う
イズ
異世界の人。グラマラスな美人
紛れもない変態にして両刀。だが功績は凄まじいと別の意味で手に負えない
アンスリア
異世界の人。凛とした女剣士
優しく真面目なテンプレタイプ。ちょっと過保護
初めての方は初めまして、
そうでない方は……久しぶりでもないですかね。
私は優佳と言います。
所謂どこにでもいる普通の高校生ではあったのですが、
ある日不慮の事故みたいなもので、別の世界へ来てしまった身です。
ホロックと言う異世界から来た人を支援してくれるギルドもあってか、
思ってるよりは不自由なく過ごしながら、元の世界へ戻るため今日も生きてます。
すでに長い月日が流れてますから、正直戻っても……と言うのが本音ですが、
帰りを待っててくれる人やお世話になった人とかもいますので。
今は所謂新人研修を基本的な目的としつつ、
定住する場所を改めて決めるためとして各地を転々としてます。
個人的には最初の場所でもよかったのですが、基本は新人研修。
学ぶためにする一種の通過儀礼みたいなもの……らしいですね。
私を拾ってくれた恩人曰く一番住みやすい場所へと向かいました、
先日までサダルスウドと言う、綺麗な海の街へと送られたのですが。
今度は真逆。一番住みたくない場所である街へ向かうと───
「えー……」
今度の悪い場所ことアンタレスは……ものの見事に、
スラム街みたいなところでした。
余り清潔感の感じられない、ごみ溜めとか粗雑な露店。
清潔さは前までいた場所とは真逆で空気もあまりよくはない。
一方でスラム街とは表現したものの、外観がそれっぽいと言うだけ。
人通りは少なくないし賑わっており、致命的に貧困な場所ではない様子。
アンタレスを中心に事件も多いので気を付けたいところだが、既に問題がある。
彼女の恰好は白黒を基調とした、人形のような恰好……所謂ロリータファッション。
恩人に渡された服は此処では場違い。すれ違うと結構な確率で視線を向けられる。
小奇麗な恰好でスラム街にいれば当然目立つので、とりあえず目的地へと急ぐ。
途中何度か声を掛けられたが『急いでいます』と断って逃げる形であしらう。
元とは言え中学では陸上部。多少程度なら追いかけられても人ごみに紛れつつ、
うまいこと逃げ切ることができた。
「えーっと、住所的に……これ?」
歩いて数十分。
スラム街みたいな街並みの中にしては、
小綺麗な宿屋みたいな屋敷が鎮座していた。
あくまで街並みの中と比べればの話であって、
修繕はしてないのか外壁は剥がれていて、蔦も多い。
所謂廃墟に近い外観であり、少し怖くも感じている。
ホロックは周囲より浮いた外観、と言うのを何度か見てきた。
つまりは此処だと思い、洋館によくある重そうな扉を押す。
「すみませーん。」
年季の入った喫茶店のような物静かな空間。
同時に、
「いらっしゃい。」
開けた瞬間、椅子に座りこんでいた人が声をかけた。
だがその姿は包帯が全身に巻かれた、さながらミイラやマミーの類。
明らかに雰囲気が違い、場所を間違えたと静かに扉を閉めてしまう。
(……此処だよね? あれ何!? ひょっとしてアンデットが管理人さん!?)
扉に両手を押し付けながら、困惑する優佳。
この世界にも人間に限らず色んな種族が混在する。
エルフやドワーフ、それらに類似するような種族だ。
なのであれもそういう類なのか、それとも間違えたか。
場所をの確認をしようと、近くに色あせた看板が倒れてたので起こす。
看板には【ホロック十一番店 イズ=スコーン】と、
ラスト語(此方でのポピュラーな言語)で書かれている。
あのミイラはなにかと不安になるも、怪我人かそういう種族。
そう思ってもう一度扉をそっと開けながら優佳は尋ねる。
「あの、イズ=スコーンさん……ですか?」
再び開けても光景は変わってない。
包帯から飛び出る紫色のポニーテールと、
赤い瞳だけが露出している状態で座りこむ。
「そうだけど、どちら様?」
先程はよく見なかったので気づけなかったが、
モデル体型とも言うべき優れたスタイルを持っており、
そこで漸く優佳は相手が女性だと気付く。
「か弱いお嬢ちゃんがこんなとこ来ちゃダメじゃない。
家出? 悪いこと言わないからアンタレスから出た方がいいわよ。
襲われたって、こっちもそこまで責任とれる状態じゃあないんだけど。」
「えっとハマル(優佳がいた街)から来ました、優佳と言います。」
「ん? 研修かなんかだっけ? まあいいや。
なら立ち話もなんだし、こっち来て座りなって。」
「あ、はい。」
手招きされて、優佳は辺りを見渡しつつ席へとつく。
ホロックはゲームのギルドみたいに色々な仕事を請け負う接客業でもある。
人が気持ちよく来られるようにしている、彼女が知るホロックはそれだ。
では此処はどうか。
年季の入ったテーブルと机がいくつかあるだけの簡素なもの。
これでは四、五人程来るだけで満席になってしまう。
内装も年季が入ってると言うよりも、これはみすぼらしい。
外の街並みと比べれば大分ましだが、それは単に基準が低いだけ。
決して此処が高い水準を持っているのではない。
年季の入った酒場、と言う意味ならひそかな人気はありそうだが。
「それにしても、よくここへ来る気になったわね。」
「え?」
「来る前に誰かに散々言われたでしょ?
『逃げろ』とか『ダメ人間』とか『やめておけ』とか。」
確かに此処へ行くときだけは気を付けてとか、
アンタレスへ行くのはハマルではかなりの人が否定的だった。
通過儀礼で仕方なく送り出すのであって自分の意思ではないと、
恩人に至ってはそんな風に自責して涙すら流した程である。
正直彼女が警戒していたのは、そういう意味でもあるからだ。
「ですが、ホロックの管理人さん……なんですよね?」
周辺一帯を束ねる者である、ホロックの管理人。
相応の人望がなければできるものではないだろう。
前評判と違って気さくに話せてるのもあってか、
あまり悪い人のイメージは彼女にはなかった。
「管理人が全員いい人って、どうして思う?」
前言撤回をさせたいかのような、
彼女の印象を一瞬にして覆すどこか冷めた視線。
先程までの気さくな雰囲気は何処にもない。
獲物を狙う鳥のような鋭い眼差しに。
がらりと変わった空気に優佳は言葉が詰まる。
全身が硬直し、息苦しく感じてしまう。
「根拠はどこにある? ハマルって言ってたし、
あの小娘のとこだっけ……彼女と同じ管理人の立場だから?」
「今はそれになるかと。」
自分を救ってくれた恩人は幼い身でありながら、
行き倒れてた見ず知らずの自分を態々救ってくれた。
その上で言葉に服に知識……数え切れないほどのものを貰っている。
ホロックは別の世界から来た人を助けるのも仕事の一つだが、
ただの事務的なものとは思えないほどに、恩人とは親密な間柄だ。
だから、どうにも彼女が悪い人だとはあまり思いたくもなかった。
「言っとくけど、あいつもホロックでは結構やばい奴だけど?」
「……アリスさんは良い人ですよ。」
もっとも、それは優佳の人間性のところもあるにはある。
元々人柄がいい彼女は、人を悪くは言いたくはない。
当然恩人を悪く言われるの自分以上に不快なものだ。
眉間にしわを寄せながらイズの言葉を否定する。
「恰好もあわせて、随分寵愛されてるようね。
あ、ひょっとしてだけど一線超えちゃった関係とか?」
「あの人はまだ十歳ですよ!?」
ド直球な発言に声を荒げる。
少なくも現代で手を出せば間違いなく犯罪だ。
……こっちの法を事細やかに把握してるわけでもないが。
「今時時間をかけなくても、一緒に寝れば一発よ?
下手だっていうなら私が教えてもいいけど、どうかしら?」
「あの、まずその方向の話をやめませんか?
私とあの人はそういう関係ではありません。」
この手の類に得意も何もないだろうが、猥談は苦手な部類だ。
真面目な顔で否定すると、流石に茶化すようなことはせず肩をすくめる。
「ま、そんな冗談は置いとくとして……半分本気だけど。
でもユウカちゃんだっけ? 管理人は揃って異常者の集まりよ。
皆『変なところがある』わけじゃあない。皆どこか『壊れてる』の。」
「そんなこと……」
否定はしたい。恩人が壊れた人間なんて言いたくはない。
けれど、これまでイズ含め三人程管理人を見た彼女も薄々感じていた。
ホロックの管理人が、常人の感性とは違うものを持っていることに。
独自の価値観……と呼ぶにしてはかなり危険な代物を。
元居た世界から考えれば倫理がどうだ道徳がどうだと、
非難されてしまうような。
「ま、壊れててもいいのよ。今までこうやってきて、
これからもこうやっていく。楽しけりゃそれでよし。
ユウカちゃんも、今更言われて変えられないことぐらいあるでしょ?」
イズは震えた動きで手を組みながらそっと顎を乗せる。
あるにはある。今更言われようとやめるつもりはないこと。
優佳と言う人物を一言で表すのならば、それはお節介焼きの化身。
病的までとはいかないにしても、困ってる人がいたら自分が損しても助けてしまう。
「……そうですね。」
アニメやコミックのヒーローに憧れて、できる範囲の人を助けたい。
そんな願いを持つ彼女は、異なる世界でもそれを実行していた。
元の世界なんかよりも命に関わるような場面が多いのにもかかわらず。
事実、そのせいで本当に殺さそうになった経験だってあるのだから。
それでも人を助けようとするお節介焼きな部分は、未だ健在である。
自ら死地へ飛び込む程の無謀さはあるわけではない。
巻き込まれた場合に限っては別として。
「さて、積もる話は置いといて。来て早々悪いけど、台所の掃除お願いできる?」
「あ、はい分かりました!」
全身包帯で先程の手の震え。
余計な行動はできないのだろう。
となれば台所は放置しっぱなしなのは容易に想像できる。
暫くは彼女の介護をしつつの仕事……と言ったところか。
「因みに台所はあっち。」
荷物は置いて、一先ず指さす方へ様子を見に行く。
正直に言えば開けるのは怖い。既にドア越しで異臭がするからだ。
開ければどんなものかと不安が募りながら開け、すぐに距離を取る。
「な、ななな……なんですかこれぇ!?」
視覚的にも酷ければ、異臭の酷さも相当なものだ。
ゴミ溜めと言っても過言ではないような地獄絵図。
視覚的にも酷ければ、何日放っておいたのか分からない、
元が何だったのか判断つかない食べ物と思しき何か。
見れば見るほど気分が悪くなりそうなもので、すぐさま窓を開く。
「いやー……見てのとおりこのざまでね。
手足は動くっちゃ動くんだけど、辛くってさぁ。
飯は配達頼んで、ごみは大体そっちへ投げ込んでた。」
「此処で働く人はいないんですか!?」
こんだけ酷い有様なら、普通に考えて誰かが掃除するはず。
全員が放っておくわけないのに何をしてるのかと尋ねるも、
「いないよ。」
「えっ。」
「アンタレスのホロック、今の従業員はあたしだけだよ。」
予想の遥か斜め上を行く答えに言葉を失う。
その場の空気が凝ったかのような一瞬の沈黙。
いや、これは理解が追いついていないと言うべきか。
「えええええ!? 街の管理どうしてるんですか!?」
頭の理解が追いつけば絶叫。
アンタレスは決して狭くはないレベルの街。
これを治安維持やら魔物退治やらなにやらを、
全部一人でこなすのはとてもできたものではない。
「あたし一人でやってるよ。無論追いつきません。
ついでこの状態じゃあ、ろくに作業できないから余計無法地帯。
今は別のとこの部下がやってきているけど、別に拠点あるから此処には来ないし。」
「む、無茶苦茶ですよ……」
想像の斜め上を行くような状況。
悪い意味で驚きの連続で既に疲労を感じ始める。
「いやね、この前までは一人いてくれたのよ?
レンってディレント人(異世界の人間の総称)がさぁ……でも逃げちゃって。」
「逃げられたって……」
ディレント人の保護が仕事でもあるホロックから、
逃げ出そうと言う発想に至る環境。どんなことをすればそうなるのか。
「何日ほどこれなので?」
「五十日前後は経ってるんじゃない?」
「……地獄だ……」
これから此処でやっていくのか。
既に不安しか感じられず、引きつった顔でいる。
そしてすぐにその不安は的中し……
───三日後。
「お、終わらない……!!」
初日から台所の掃除を最優先としていた優佳。
だが掃除に関して効率のいいことができるわけではなく、
まともな掃除道具を用意しても限度はあるというもの。
異臭によって気分を害してしまい、三日が過ぎても終わらない。
足の踏み場ができてるだけましともいえるが、所詮その程度だ。
いくら何でも進まなさすぎとは思うのだが、問題はそれらだけではなく。
「ひははふぉれぐらいにひへはへない?(今はそれぐらいにして食べない?)」
ピザを貪りながら、息切れする彼女に昼食を誘うイズ。
問題なのはこの人だ。このありさまではとても料理はできないし、
誰かに料理させようにもこのありさま。必然的に配達に頼ることになる。
彼女は食って寝ての繰り返しで、その後片付けにも追われてる状態だ。
衛生面も気遣って、此処では食事の前には必ず風呂へ入るようにした結果、
掃除に当てられる時間が更に減ってしまっているのが現状になる。
「相変わらず多いですね。」
詰まれたピザの箱は五枚近く。
最初こそピザを一人で一枚食べれると言う、
ある意味子供の夢でもあって目を輝かせていたが、
まさか三食ピザで生活することになるとは思わず、
体重も増えてきており中々つらい状況になっている。
運動したいが、それをすると余計に時間が減ってしまう。
なので色々頭を抱えざるを得なかった。
「どんな運動したらその体型になるんですか?」
ほぼ毎日一食辺りピザ十枚。
どっからどう見ても太るに決まってるはず。
にもかかわらず自分とは比べるまでもない体型を維持している。
と言うより、異臭のある部屋を隣にしてよく気にせず食えるなと。
「元々太りにくいけど、男と寝れば痩せれるわよ。ユウカちゃんもやる?」
「やりませんッ!!」
「冗談よ。実は案外痩せないし。」
恋する乙女と言うわけではないが、
イズのノリについていけるわけでもなく。
この人が何故ホロックの管理人をやれてるのか。
正直疑問しか浮かばないまま、さらに数日が過ぎる。
「えっと、ひとまずはこうなりました。」
ゴミや汚れた食器だらけのあり様だった台所は、
少なくとも人に見せられる程度にはましになっている。
一方で調理用のテーブルは変色してるのもあってか、
正直この上に食材を置くのはとてもできない状態だ。
壁等の染みも一人でできる範疇ではなくなってるので、
後は業者などの本職の人に任せる以外に手だてはない。
よもや一週間以上台所の掃除に悲鳴を上げることになるとは。
後にも先にも、この人以上の台所はもう見ないだろうことは分かった。
「おーいい具合に戻ってるわね。ありがとさん。」
怪我が大分よくなっているのか、
顔と手のあたりの包帯は取れた状態で初めて顔が見れた。
泣き黒子が印象的な、大人の女性と言った顔つき。
別に男漁りしなくても、向こうから来そうな雰囲気すらある。
「気楽に動けるようにはなってきたことだし、
手伝うとしますかね。ユウカちゃんは机でも探しにお店回ってくれる?」
「え、でもその前に除菌とか……」
ある程度はちゃんと掃除したが、
それでも衛生面は間違いなく酷いはず。
家具の買い替えは確かに必要だが、
除菌しないと料理しようにもできない。
「あたし、こうみえて元軍医だったりするのよ。
衛生面への対応はそっちよりは頼れるんだなぁ、これが。」
「寧ろ元軍医さんがあれでよかったんですか。」
軍医と言えば衛生面は気にすることでは。
本来なら頼もしいはずの存在が、信用度はいまいちだ。
気にはなったものの、あくまで店を回ると言うのは建前であり、
長らくホロックから出てすらいない自分を外出させようと言う、
彼女なりの気遣いでもあったようなので素直に出ることにした。
何かついでで買うものを想定して、トートバッグを背負って出歩く。
流石にロリータファッションで出かけると悪目立ちするものの、
残ってるのは給仕職用で普段着のスーツと此処へ来る前の現代の恰好のみ。
いずれにせよ目立つ者だし、気温のことも考えて結局そのままで出ている。
今度から外出用の服は考えるべきだと、一先ず反省して街を歩く。
(賑わってはいるけど……)
この間よりも余裕を持ったことで辺りを見渡す。
賑わってるものの狭い路地を見やればやせこけた老人や、
薄汚れた人の姿などが他の街以上に目立つ。
イズ一人でこの街一つ丸々管理などできるはずはなく、
怪我もしてれば抑止力にもならない以上無法地帯にもなるはず。
と言うより、彼女が仕事をしている場面をまだ見たことがない。
怪我で雑務してるかと思えば一日中ピザ食って寝てるだけ。
これで何故管理人でいられるのかが疑念が深まるばかりだ。
怪我が完治すればその活躍ぶりが見られるか。
そんな風に思っていると、前から走る子供と肩がぶつかる。
「あ、ごめんなさ───」
考え事をしてたのもあって自分から謝るが、
相手がぶつかったのが意図的なものだとすぐに気づく。
ぶつかったと同時に、バッグを持ってそのまま走り続けたから。
「え、ひったくり!?」
すぐにされたことに気付いて、
急いで逃げる少年を追いかける。
「え、ちょ、ひったくりの方ー! 待ってください!」
土地勘がないものの、相手は思ってるより早くない。
太り気味ではあった身体でも追うのは難しくはなかった。
どちらかと言えば問題なのは民度の方か。
(誰も助けないのって、日常茶飯事なの!?)
結構騒がしく追いかけているのに、
通りすがる人は助けようとせず傍観するだけ。
邪魔をしないだけましだが、此処まで無関心だと少し泣きたくなる。
治安が悪い所は他人に無関心とは言うが、それがこれなのか。
「追いついた!」
入り組んだ道や路地裏を行かれたりもしたものの、
相手の動きが鈍いのもあってすぐに追いついて細い肩を掴む。
「お願いだからそれを返し───」
穏便に済ませようとしたらぞわりと感じる悪寒。
覚えのある感覚に、咄嗟に手を離しで距離を取る。
彼女がいた場所を銀色の刃の一閃が横切っていく。
「え、よ、よけれた……!?」
感じたものは紛れもない殺気。
戦い慣れてるわけではない彼女だが、
嘗て感じた殺気には微妙に敏感になっていた。
もっとも、今回のは偶然に近いのだが。
「ち、近づくんじゃねえ!」
褐色肌でエルフ耳の少年は刃こぼれしたナイフを向けながら叫ぶ。
おそらく自分より年下であろう少年は、よく見れば酷い状態だ。
顔面のやけどや、明らかにやせ細っている姿。
前にいた街ではおよそ見ることはないだろう貧困を形にした姿をする。
「……お願い。そのバッグは大切な人から貰ったものなの。」
一歩踏み込むもナイフが近づいて再び距離を取る。
ナイフを向けられてると言う状況を前にしているのに、
優佳は思ってるより冷静でいられる自分に少し怖く感じていた。
普通なら腰を抜かして身動きできず……それが普通なのに。
慣れてきている証拠だが、感覚麻痺とも受け取って不安がある。
「それに、その中にお金は入ってないよ。」
相手は子供だし穏便に済ませたいが、
この様子では仕方がないと溜め息を吐く。
「何言ってんだ、重さで普通に……」
「本物の財布はこっちに入ってるの。」
言葉と共にジャケットの胸ポケットから取り出す水色の財布。
じゃらじゃらした音もあって、小銭が入ってるのが伺える。
この世界での通貨は基本紙幣は使わず銀貨等のものを使う。
故に、ろくに音を立ててない財布の違和感に気付く。
「え、じゃあこれ───」
入ってる財布の方は偽物なのか。
視線がバッグへと向けられた瞬間、
隙をついてナイフを握る手を右手で掴む。
「ごめんなさい! 『ショート』!」
目を閉じながら強く宣言すると同時に、
眩い雷光が彼女の手から少年へと伝わるように流れていく。
電流があっという間に広がっていき、彼は膝をついて倒れる。
(本当に電気出た……)
右手の中指の指輪を眺めながら、状況に呆然とする優佳。
彼女は特殊な力はなく、魔術の類があるこの世界でも習ってない。
今の一連の出来事は彼女自身の力ではなく、中指の指輪のものだ。
素養関係なしに魔術を行使できる消耗品、総称は『インスロル』。
戦いに身を置く生活ではないのでこれは対人程度の低性能ではあるが、
こうしてトリガーの言葉さえ呟けばいいのは有事の際には助かる。
特に、発動のトリガーをラスト語ではなく無難に英語にしたおかげで、
相手に言葉の意味が悟られないのは一つの強みでもある。
これもまた恩人から渡された指輪の一つ。
治安が悪いからと渡されたが、本当に使うとは思いもしなかった。
倒れる少年からバッグを取り返し、エルフ耳の少年を一瞥する。
(このまま放っておくのはあれだけど……)
困窮した生活の果ての行動と言うのが、体躯から察せられることだ。
ナイフも刃こぼれしていて、まともな手入れもできていない。
食事も満足にできてないのだろう。このまま放っておけば、
明日にも失うかもしれない命だが、自分ができることなどたかが知れている。
「まさか、ギル(此処の世界で使う通貨)を置いてくつもり?」
少年を前に立ち止まっていると、背後から声をかけられる。
背後に立っていたのは銀色の髪を束ねた紅い瞳の女性。
剣を携えた装備も相まって、ステレオタイプの女剣士らしさがある。
(この世界の女性って水準高いのかな。)
異世界に来てからと言うもの、
出会う女性が基本的に美人揃いだ。
普通と言うべき彼女にとっては少し肩身が狭い。
「いえ、しません。もっと危なくなるかもしれませんし。」
振り返ってはっきりと意思を伝える。
人が熊に餌やり感覚で食べ物を与えて、
味を占めた熊が山から下りてくると言った事件。
ある意味これはそれと同じで、乞食の類でも同じ話。
一度あげれば二度目三度目とつけあがってしまう。
最終的に今以上に大事となる事件を起こして捕まる。
だからこれは、最初から与えないのが判断的に正しい。
とは言え、これらはあくまで一般的な理由。
彼女の場合は『上げて落とすことになるから』と言うのもある。
確かにお金を置いて行けば少年は飢えを満たせるだろう。
だが所詮一時しのぎ。また同じ飢えを味わうことになるし、
今度の飢えは満たされると言う形で上げて落とすようなもの。
これもまた今以上に犯罪を犯しやすくなるものだし、
一時の感情で施す行為は本当にただの偽善だと。
だから彼女の問いには、はっきりと否定した。
「それが賢明ね。後は私に任せ……って、
余りこの辺では見ない恰好だけど、まさかユウカさん?」
「そうですが、どうして私の名前を?」
「どうしても何も、
貴女ホロックの研修でしょ。
もう何日も来なくてずっと探してたのよ?」
「……へ?」
今の彼女の発言の理解が追いつかず困惑する。
ホロックにはずっといたし、彼女のような人は見てない。
なのに心配されるとは、どういうことなのだろうか。
「ちょ、ちょっと待ってください。
ホロックってイズさんのところですよね?」
「……あの人、やっぱり嘘吐いてたってわけね……!!」
優佳の質問に答えず、一人納得して手を震わせる剣士。
魔力か何かは知らないが、謎の赤いオーラがにじみ出ている。
「すみません。状況を説明していただけませんか?」
「あ、ごめんなさい。積もる話は彼を連れながらでいいかしら。」
少年を連行……と言うよりは背負っての移動中、話を伺う。
彼女、アンスリアは今この街に滞在してるホロックの従業員の一人だ。
本来此処へ送られた人達とは別で、個人的事情で滞在している。
で、何故彼女は優佳が不在だと思っていたのかと思えば───
「ホロックの裏にあったんですね。」
ホロックの裏に、彼女達の拠点であるもう一つのホロックがあったのだ。
外観もしっかり整えられており、より一層存在感が違って見える。
スラム街らしさあるこの街には似合わない、小奇麗な宿屋が。
場所はほぼ同じで渡された地図を見ても見間違えるレベルのもの。
本来此方へ来るはずが、間違ってイズのいる方へと転がり込んだわけだ。
「でも流石にイズさんのところにいると思いませんか?」
何日も来ないで、その上非常に近くにあるホロック。
いくらなんでも気付くはずだろうに、今になって会えたのは不思議だ。
少年を他の人に任せて戻ってきた彼女へとそう尋ねる。
「一応何度か来てはいたんだけどね。
多分貴女がお風呂に入ってる間に。」
「あー。」
「風呂の人を訪ねても『夜の相手』とかで返してくるし、
私が来てるとき台所の扉全開で、正直いられないわあんな所。」
心底嫌そうな顔をするアンスリアに同情する。
短時間ですら吐き気がこみ上げてくるのだから、
それが常に充満してる場所。一秒でもいたくない。
「さっき同僚が会った時も来てないの一点張りだったわ。」
外出は気分転換とか自分を気遣ってのこと、
とは言ってたがこの様子を見るに外出させることで、
自分の存在を認識させないようにしていたようだ。
「なんだか、意地でも知らせたくなかったみたいですね。」
徹底して秘匿しようとするその行動。
今思えば掃除ばかりで外出はしなかったが、
あれも出くわさない為のものなのだろうかと思える。
「当然よ。あの人にとって貴女は都合のいい───」
「うちの従業員に何か用かい?」
彼女の言葉を遮るように、
二人の目の前に降ってくるように姿を現すイズ。
白シャツの半袖にハーフジーンズと、現代でも通用しそうな軽装だ。
わざとなのか不明だが上下ともに割とギリギリのサイズであり、
恵まれた体型を隠さない姿は、男性から非常に喜ばれそうだ。
「あれ、イズさんどうしたんですか?」
「ちょーっとユウカちゃん遅いし、騒がしくて探してたのよ。
で、なんでリラの飼い犬がいるの? ねぇアンスリアちゃーん。」
鎖の付いた長槍を向けながら問いかけるイズ。
普段飄々としてた彼女にしては珍しく鋭い視線で、
相対するアンスリアの表情も嫌悪感が全開である。
「よく覚えてますね私の名前。守備範囲外は興味ないとばかり。」
「昔夜這いしかけたこと、まだ根に持ってる?」
「持ちますよ!!」
(この人、性別問わないんだなぁ。)
騎士らしい頼りがいのある余裕を彼女は保てず声を荒げる。
両方いける口でしたか、なんて茶々を入れたかったものの、
この状況で言えば空気が非常に読めないので胸の内に留めておく。
「それよりも、先日の件のことです。」
「あれ? 別に唾つけるぐらいいいじゃない。」
「貴方の行動はただの犯罪、それも強姦未遂!
管理人の立場を利用してのそういう行為は、
ホロックの品位が下がるのでやめてください!」
先日と言うのは、イズが負傷する原因となった事件。
内容はアンスリアの言葉通り、ただの強姦未遂である。
しかも相手は子供なので余計に手が負えないことだ。
これが露呈して、彼女は制裁代わりにボコボコにされている。
最初に出会ったときの包帯姿はそれが原因と同時に一種の拘束だ。
本来ならばその程度で済ませられるものではない行為なものの、
ホロックの管理人の立場ともあってその程度で済まされたが、
当然ながら納得できるものはそうはいないだろう。
事実上、無罪放免にも等しいのだから。
なお、彼女が許される理由はひとえに重要な人物ゆえに。
毒と薬においてはホロックでも他の追随を許さない存在だ。
医療に関しての立役者でもある彼女を切り捨てることと、
彼女の不貞行為、どちらを選ぶかなれば後者になるのは必然。
それにイズを切り捨てた後の空席を埋められるだけの実力は、
殆どいないと言ってもいいぐらいに出鱈目な強さも持ち合わせる。
活動できないからこそ犯罪が増えに増えてる現状を鑑みれば、
彼女を失えば余計に犯罪が多発しかねなくなってしまう。
複雑な事情を理由に、彼女は自分の趣味に全力投球してるわけだ。
「自己利益の塊のリラんとこにいる人は言うことが違うね。
品位なんて下がらないよ。ホロックなんて地域差激しいし。
あたし一人で下がる程、この組織小さくないの知ってるでしょ。」
どうでもよさげ。興味もなさそうで明後日の方向を眺める。
事実、部外者の優佳も悪評がハマルで持ち込まれたことはない。
ある意味言ってることは間違いではなかった。
「……先日の少年、代理の保護者が私ですから。
保護者として貴女の行為を許すわけにはいきません。」
「へ~~~保護者ぁ? 自分の無責任さを棚に上げてよくまぁ……」
「わー! わー!」
どんどん険悪になっていく雰囲気に、
どうすればいいかわからず咄嗟に割って入りながら叫ぶ。
「もうやめましょうよ! リアルのレスバなんていいことないですよ!」
口論と言うのは聞いてる他人にも影響が出てくるものだ。
これ以上続けられると彼女としても気分がよくない。
「れす……ば? って何?」
「あれよ。あっち側で女性が女性を好きになる考え方。」
「それ多分レズです! 二人の関係はわかりませんけど、
イズさんも煽りに煽って揚げ足取らないでくださいよ!」
「別に取るつもりないわよ。向こうが突っかかってくるだけで。」
「突っかかるようなことしてるからじゃないですか~……」
状況の酷さのあまり泣きたくなってくる。
管理人はどこか壊れているとは、先日言った彼女の言葉。
確かにこれはおかしいと言うよりは壊れていると言われたら、
大半の人は首を縦に振るしかない程のぶっ飛び具合をしている。
此処まで強烈な存在感を放つ人は元の世界にだっていないだろう。
と言うか、いれば即座に刑務所直行だ。
「第一、その制裁はとうに受けたもの。
今更掘り返す向こうも向こうなんじゃない?」
「すぐ忘れるだろうから治るまで待ってただけですよ。
貴方は興味もないことは、すぐに忘れる痴呆ですから。」
「痴呆とは失敬な。痴女と呼べ。」
何を言っても無駄としか言えない返し。
苛立った表情は、最早呆れてしまっている。
優佳も頭痛で頭を抱えたくなっていた。
「……話すだけ無駄でしたね。
ユウカさん、荷物を纏めて此方に来てください。」
深いため息と共に優佳の手を取る。
凛とした姿でいる彼女に手を取られると、
少し見とれてしまう。
「え、でも……」
「あんな人と関わってたらろくな目に遭いません。」
「自分に正直に生きてるだけだよ。そっちと違ってね。」
またバチバチと視線がぶつかり合う。
これ以上二人を関わらせたら大変なことになりかねない。
そんな予感がした優佳は、とにかく答えを探し出す。
「あの、どっちにつくとかそういう話の前に、
研修を受けるとイズさんには言ってしまいましたし、
でも実質アンスリアさんの方も無断欠勤してたのも事実で……」
「いや気にするとこ、そこ?」
正直どっちにも悪いと思っており、
変なところで悩む彼女にイズも思わず突っ込む。
実のところ、彼女にとってはまだ分からないのだ。
確かに掃除は人生でも指折りの酷い内容ではあったり、
彼女の人柄はぶっ飛んでて理解できてないと言うのもあるが。
人柄が分からないのは、結局アンスリアにも言える話だ。
まだ出会ってほんの数十分程度の間柄でしかない。
理解してないのにどちらかへつこうなんて考え、
するべきではないと言うのが現状の結論だ。
「でも、あたしが動けるようになるまでのはずでしょ?
この通り復帰するから、とっととリラんところに帰りなさい。」
「両腕両足の複雑骨折をこの短期間で戻るってどんな身体してるんですか。
残念ながら私自身は個人の事情でいますので、暫く此処に滞在しますよ。
と言うより、治安等が安定するまではレオ様(近くのホロックの管理人)の方々も帰らないようですが。」
「え~帰ってくれないの?」
露骨に嫌そうな顔。
相性が悪いのは察してはいたものの、
此処まで悪いとは思わず、優佳は逆に苦笑してしまう。
「と言うより、貴女一人で管理できてないじゃあないですか。
周辺の町村は人材が多いのでいいですけど。」
「だって皆逃げるんだもん。」
「貴方のやることが原因でしょう!?」
「ストーップ、ストーップ!」
またも喧嘩腰になりつつある二人を仲裁に入る。
胃が痛くなるとはこういうことかと既に泣き顔だ。
「別にいなくてもいいんだけど、しばらく滞在したら帰ってよ?
あんたみたいな堅物嫌いだし。昔は純粋でかわいかったのになぁ……
あ、ユウカちゃん、昼飯注文したから戻るわよー。」
「えっと、はい、わかりました。」
返事を聞き終えると、
すぐさま跳躍して店の方へと戻る。
軽やかな動きでゆうに二十メートルぐらいは余裕で飛んでそうな跳躍は、
人間離れしたホロックの管理人らしさが伺える。
「ユウカさん。あの人の言うことは聞かない方が……」
「ですが、私給仕職が主なので学ぶことは多いかと。」
あれほど強烈ならいっそ勉強になることも多いのでは。
と言う発想を逆転させてみれば意外といいのかもしれない。
それに、なんだかんだ待遇が劣悪かと言われるとそうではなく。
風呂も食事も寝床も用意されてるし、質もいいものではある。
食事はピザ等外食ばかりで正直飽きてきてはいるものの、
普通に美味しく危険な代物でもなかった。
……贅肉の増加に恐怖はしてるが。
「え? ディレント人でホロックにいて給仕職なの?」
「そうですが……おかしいんでしょうか?」
「んー、おかしいって言うよりは珍しいかな。
ホロックって知っての通り、魔物討伐とか賊の制圧と言った、
力仕事が基本だからね。ディレント人のいた場所は武装はしないでしょう?」
「有事の際以外、基本的には……」
戦争や警察官といった例外でもない限り、
武器を携帯することは法律で禁じられている。
だから戦う経験なんて普通はないし、覚える機会も訪れない。
剣道と言った武道についても、義務教育の過程で覚えた程度のもの。
優れた武術も持ち合わせてはいなかった。
「ホロックは仕事柄恨まれやすい仕事。
だから戦わないなら離れた方が身のためよ。
元々この世界の住人なら、覚悟は決めてるか戦えるからいいけどね。」
「ですけど……」
言われてみると、
なぜ自分はホロックにいるのだろうか。
恩を返すなら別の方法だってある。
ホロックでの給仕職に拘る必要はない。
今一つ返す言葉が見つからず黙り込んでしまう。
「もしかして、好きな人がいるとか?」
「この好きは敬愛や友愛であって恋愛ではないかと……」
恩人と言う意味での敬愛はあれど、
年が離れてても仲良くなれた友達としてもいたい。
少し複雑ではあるが、恋愛の対象とは違うだろう。
何より、相手は十歳なのでこれでは普通に事案になる。
「って、話がずれてきていますね。
とりあえず、もう少しイズさんのところに滞在してみます。」
相手をよく知ってから決めるべきこと。
此処では本来基準となる親はいないのだ。
自分で決めて、自分で判断していくしかない。
ホロックに何故いるかも、答えはだせない状態だ。
「そっか。でも何かあったときは来てね。
その時はお姉さんがなんとかしてあげるから。」
「はい、わかりました。」
一先ず別れて、
優佳はイズのいるホロックへと戻る。
先ほど言われた言葉を思い返しながら。
「危険なお仕事……かぁ。」
昼食を共にした後のイズは雰囲気が変わる。
代理の面々は治安の方を優先していたことで、
どうしても手が回らない部分が出てきている。
強めの魔物討伐や、些細な仕事と言った内容が主だ。
加えて、『自分が復帰すれば犯罪減るから』と、
存在そのものが抑止力になっているらしいので、
彼女は余り治安維持に力を入れる必要がないと告げられる。
どれだけ存在が大きいんだと、内心は驚き気味だ。
「仕事行ってくる。ユウカちゃんはそっちの依頼よろしく~。」
「え、でも私に依頼は……」
十数枚ほど仕分けした依頼書を持ちながら席を立つも、
依頼を頼まれたことに優佳は困惑する。
給仕職で働く以上依頼は基本引き受けない。
何があるのか分からないのに任されても、
そんな自分が引き受けられるとは思えない。
優佳は戦闘に優れているわけではないので、
荒事の相手は難しいと言うハードルの高さもあるが。
「できそうな範囲だけ纏めたから、
無理だったらやらなくていいよ。ほいじゃ行ってきます。」
返事を待たずに、窓から出ていくイズ。
出たら先程のような異常な跳躍で屋根を伝い、
あっという間にその姿は見えなくなってしまう。
言葉どおりなのかと思いながら依頼に目を通してみる。
依頼書を掲示板とかに貼ったりすることはあったものの、
給仕職一筋だった優佳が、仕事として手に取るのは初めてだ。
少なくとも殆どは戦い慣れしてない彼女には余り要求されない、
給仕職向けの小さな仕事であるのは間違いないようだ。
とは言えこのアンタレスのスラム街っぷりを考えると、
どこまで真実なのかは定かではないが。
「えーっと……とりあえずこれかな。」
喫茶店の従業員が怪我で手が足りてないので、
それの代理で働ける人が欲しいとのことだ。
まずアンタレスの人と接する時間がなかったのもあって、
どういった人がいるのかを知るためにも向かってみる。
情報収集は人の多い場所に限る。ゲームでも現実でも同じだ。
向かった先の喫茶店……と言うよりは、
西部劇とかで見そうな酒場のような店だ。
この街らしいと言えばらしい外観ではある。
「ん? 随分可愛らしい嬢ちゃんが来たじゃねえか。」
中に入れば、眼帯の男が怪訝そうな目で迎える。
がっしりとした体躯も相まって見事な体格差。
強面も合わせて緊張してしまう。
「え、えっと。ホロックに依頼があったので来ました。」
「マジか。イズさん以外でこんなの受けてくれるのか。」
「受けないんですか? 代理の方。」
「代理の連中、そういうのはやってくんねえんだよ。
店よりも街の安全優先ってわけでな。結構不満は多いんだよな。」
渡された依頼は確かに大したものではない。
代理や荷運びと言った、大体日雇いバイト感覚のもの。
街の危機が優先されるのは、ある意味仕方ないとも思えてしまう。
こういうことに手が回らないから自分に回ってきているようだ。
「イズさん程荒事は得意ではありませんが、大丈夫でしょうか?」
こうも治安が悪いと喧嘩とか事件も絶えないだろう。
インスロルのおかげで仲裁できると言っても消耗品。
限度はあるので不安は拭えないし、調子にも乗らない。
「荒事なんてありはしないさ。
こちとら元ホロック従業員でな、
腕っぷしは結構知れ渡ってるんだよ。」
言葉と共に腕の筋肉を見せる。
鍛えられた腕だと言うことは素人目でもわかり、
人並み程度の彼女とは比べるまでもなかった。
「元々はホロックの方なんですね。」
「ディレント人だったから仕方なくホロックで働いたが、
イズさんに騙されてひでー目に遭ったし、やめたけどな。」
「騙された?」
「ろくに言葉も分からない俺に契約書にサインさせられた結果、
こっちで何百万の借金背負わされてさあ大変。こき使われたよ。」
「えぇー……」
あの人どこまで問題行動を起こしているんだ。
此処までも毛嫌いされてる理由は十分だったが、
さらに上乗せしてくるあたりいっそ清々しさを感じる。
「治療費とかも割高にふんだくられて散々だったさ。
飯とかその辺は十分だったからマシな部類だけども、
いつまでもこき使われるのも癪だと死に物狂いで稼いで、
とっとと辞めて此処で店構えてるってわけだよ。」
「よくこの街から離れようとは思いませんでしたね。」
普通なら不倶戴天の仇にもなりそうなのに、
彼女のいる街で過ごすと言うのは珍しい。
もっといい場所はいくらでもあるはずの中、
この治安の悪そうな場所を居座る理由もないだろう。
「俺、金持ちが嫌いでさ。元居た世界で手出しちまって、
刑務所にいたところをゲール(異次元の穴)でこっちに来たんだ。
此処らに金持ちはいないし、事を起こさずに済むにはうってつけなのさ。」
自分以外にも此方側へ来てる人は何人もいるようだが、
まさか事実上の脱獄囚になっている人まで来ているとは。
とは言え、自分のことを理解して再犯しないための行動を選ぶ。
その行動については敬意を払いたい……なんて思っていたが、
「今俺を『いい人』とか思っただろうが、違うぞ。」
顔にでも出ていたのか。
向こうから否定的な意見を返される。
咄嗟に変な構え方をしながら距離を取ってしまう。
「いい人ってのは、そもそも人様なんぞ殴らねんだよ。
嬢ちゃんのような、犯罪と無縁そうなのが一番いい人なんだ。」
自嘲気味に店主は笑う。
普通の人生と言うのは基本的に褒められない。
優佳自身もそれで褒めたことはないし褒められたこともなく。
それが世間的に見れば当たり前なのだから。
「お名前、伺ってもいいですか?」
「アルバートだ。」
「アルバートさんも良い人ですよ。」
犯罪者としてカミングアウトすれば、
世間的にいい目で見られることはまず少ない。
特に相手は同じ世界の住人なら理解もしやすいはず。
それなのに、アルバートを蔑む視線は何処にもなく、
寧ろいい人とさえ言ってのけた。
「確かに、してきたことは元には戻せません。
ですが、悪かった人がいいことをしちゃいけない、
そんな同調圧力をかける世の中の方が私は嫌いですから。」
性善説を信じる程ではないが、今まで受け入れようとしなかったのに、
いざ問題を起こせば『ほらやっぱり』と呆れる世の中の風潮が嫌いだ。
特に迫害される存在が身近にあったので、余計にそう思っていた。
受け入れたくない人の気持ちだって分からないでもない。
接するのが難しいことは、彼女の日常にも無数にあったのだから。
世間体を気にしてろくに言えなかった身ではあるものの、
この世界にいる間ぐらいは、自分に正直でありたかった。
「……随分とお優しいことで。」
「優佳って名前ですから。」
彼女は自分の名前が好きだ。
優しく・優れてる意味合いの言葉二文字。
何処にでもあるありふれた名前ではあるが、
この名前に恥じないように生きたいと思っている。
「おーいアルバートー! 店やってっかー!」
勢いよく扉を開けながら、
髭を蓄えた中年男性が酒瓶を持ってやってくる。
勢いもあってか跳ねるように優佳は飛び上がってしまう。
「フリッツよぉ~~~……酒にははえーし店の看板見ろ!」
「あ? そうだったか。まあこまけぇこたぁ……お?」
喧騒が服を着て歩いてるかのような騒々しさは、
優佳を見た瞬間に凝視すると同時に沈黙。
酒臭さに距離を取りながら沈黙する男へと尋ねる。
「な、なんでしょうか?」
「アルバート、いつの間にこんな若い嫁さん貰ったんだ?」
予期せぬ発言にガクリとこけそうになる。
イズよりかは普通の発言ではあるのが救いだが。
「バカ、ホロックの人だよ。第一俺にはこいつはガキで範囲外だ。
ユウカ、だっけか? 店の準備の間あの飲んだくれ相手してくれるか?」
「あ、はい!」
「セクハラには気を付けとけよ。」
「えっ。」
仕事は本当に普通の給仕職だ。
酌を任されたりと言った点や客からの軽いセクハラはあれど、
思ってるよりもずっと普通であり、わいわいとした職場だ。
他に用意された仕事もほとんどが無理なくできる仕事のみ。
もちろん、彼女は常人であることは変わりはない。
ある程度の力仕事では文字通りの力不足だったりもするが、
余り責められることもなかったり、楽しくやっていける。
最初こそ印象は悪かったし貧困が他以上に目立つことはあれど、
ずっと過ごしやすい場所でもった。
───それから暫くして。
あれからホロックの台所も、
すっかり見違えるレベルの物となっている。
今では料理しても問題がない状態になったことで、
料理当番としての役割も始まることとなった。
野菜炒めとスープにご飯に卵焼きと、実にまっとうな内容だ。
「あの、口に合いませんでした?」
一緒に食事を摂っているのだが、
イズは書類片手間の食事で静かだ。
魔物討伐したことで魔物の生態系が崩れて、
ある意味余計に仕事が舞い込んで立て続けに倒す毎日。
火事場泥棒も出てくるわで、ある意味疲れてるのだろう。
また、高カロリーなタイプのピザばかりを頼んでたことから、
恐らく普段からはジャンクフードのようなものを好んでいる。
今の食事内容はそれとは真逆で、全体的にあっさり目なもの。
ピザ三昧だった以上肉類は避けるようにはしたが、
それがよくなかったのかと不安になってしまう。
「ん? いやおいしいよ、うん。うまい。
薄味だけど結構気に入ってる。特にこの卵巻いた奴好きよ。」
「そうでしたか。」
思ったより好評な様子で胸をなでおろす。
安心しながら食事を続けるも、会話がないので当然沈黙。
彼女が仕事をするようになってから次第と口数が減っていき、
ここ数日は会話さえ挨拶と仕事以外でしていない状態だ。
普段と仕事モードの時は雰囲気が随分違うようで、
余り邪魔したくもなくてそのまま流されたものの、
「あの、少し質問いいですか?」
どうにも沈黙でいられず雑談を持ちかける。
このままでは息が詰まりかねなかった。
「お、何? 男の落とし方? 女性との付き合い方?」
「……イズさんは命懸けでも、
ホロックの仕事を続ける理由ってなんでしょうか。」
この人はこういう人です。
脳内で何度も言い聞かせながら訪ねるのは、
アンスリアに言われたホロックにいるべきかどうか。
その答えを明確にするための参考にしたかった。
「うわぁ、真面目な話かぁ……そうねー『自由だから』に尽きちゃうわ。」
「自由……ですか?」
「そ。子供と致しちゃったのばれてもボコボコにされるだけ。
死ぬことも捕まることもないって、最高じゃないこのお仕事。」
満面の笑みでさらりと自分の嗜好と言う名の犯罪を暴露してくる。
いくらしてきたことが露呈してると言えども此処までか。
この人のぶれなさは一級品で、その点は評価したくなるほどだ。
「命懸けとはちょっと違うような……」
「いやいや命懸けよ? 何処で命狙われるかわからないし。」
影響力の強い存在なら、
いつ狙われたっておかしくはない。
特に治安の悪さからことに及ぼうとする輩も存在する。
それでも生き抜けてるのが、ホロックの管理人なのだろう。
「その割には怪我してるときも狙われませんでしたね。」
「だって血液一滴で戦えるし。」
「……はい?」
「あたしの血液色んな毒が混ざりに混ざってさ。浴びれば死ぬほど苦痛よ。」
恐ろしい話ではあるものの、
まず何故血液が多数の毒にまみれているのか。
色々問い質したいが、話が脱線するのでスルーしておく。
「逆に聞くけど、そう聞くってことはユウカちゃんはやめたいの?」
「それとは違うような。」
不安なことは確かに多い。
インスロルなしでは非力な少女。
そんな自分がホロックにいてもいいのか。
一方でその理由で辞めたいと言うわけでもない。
だからこそ悩んでいただけだ。
「じゃあ、無理に変えなくてもいいんじゃない?
やめたいわけでもないのにやめてどうするのさ。
今が好きならそれやって食っていければいいじゃん。
別に元の世界だって同じでしょ? 好きな仕事で稼げるのにやめる?」
「ですけど単純な答えで、いいんでしょうか。」
彼女には明確に帰りたいと思うからこそ、
今をしっかり考えていかなければならないと思っている。
自分の今後を左右することをすぐに決められないのは、
ある意味普通の高校生である彼女だからこそとも言えた。
自分の価値観を大事にしていけばいいとは言われたが、
これまた単純なものでいいものかと考える。
「逆よ逆。複雑に考えたら良いって思うんじゃあない。
と言うか、食べ頃の女の子は気にしたら老けて味が落ちるのよ。」
舌なめずりするイズに、
体温が下がった感覚と共に距離を取る。
品定めをするような眼差しも相まって、
身の危険を感じずにはいられない。
「あの、冗談で聞きますけど。ひょっとして、守備範囲ですか?」
「んー……ぎり守備範囲外かしら。でも夜這いしてもいい?」
「お断りします。」
懇切丁寧に拒絶。
しかめ面の残念そうな表情は、
冗談ではないことを理解する。
心なしか食事のスピードが速かったのは、
彼女の気のせいではないはずだ。
───更に暫くして夜。
「お疲れ様でしたー!」
仕事を片付けて帰路に就く優佳。
アンタレスへ来てから三週間ほどの日数が経過した。
仕事にも大分慣れて、イズの扱いも大分理解できている。
絡まれたり危ないことも何度かあったがインスロルもあって、
そこまで問題が起きることもなく意外と淡々な日々を過ごしている。
この街はどちらかと言えば夜が本番か。
明かりが多く灯り、祭りのような喧噪な街並みが広がっていく。
とは言え治安の悪さもあって、優佳は駆け足で面倒ごとを避けた。
インスロルもそこそこ使ってるので、揉め事はないに越したことはない。
調子に乗らないようにと自戒するも、そうはいかなかった。
道を遮るように目の前へと人影が突然降り立つ。
反射的に別の方へと走り出すも、その前に襟元を掴まれてしまう。
「ショ……」
「こらこら、女の子が一人でこの辺りをうろついちゃだめでしょ。」
インスロルを使おうかと思ったが、
聞きなれた声に動きが止まる。
顔をよく見れば見慣れた相手なことに気付く。
アンスリアと呼ばれた女性だと。
「何故ここに?」
「見回り中に偶然見かけただけよ。
でも、ついでだし送ってあげるわね。」
「は、はい! ありがとうございます!」
端麗な剣士に見回りと言う建前はあれど護衛される。
夢見る少女と言うわけではないが、漫画のような展開に気分が弾む。
本来の日常ではありえなかったものが現実にこうして存在していた。
サブカルチャーに関しては十分オタクに分類される彼女にとって、
こういう展開があることに関しては感動してしまう。
「そういえばこの間の子ってどうなったんでしょうか。」
この間のと言うのは、ひったくり犯のことだ。
あれから見かけないのと顛末を聞いておらず、
アンスリアを見てからその少年のことを思い出す。
痩せてたのもあってか、少し不安に思う。
「ああ、あの子のことね。彼ならカマリ(アンスリアが所属するホロックの街)に送ったわ。」
「えっと、何故ですか?」
此方における犯罪者の処遇云々はあまり詳しくない。
詳しくないと言うよりは覚える必要がなかったのもあるが。
日本ですら法律や憲法を一から覚えられるかと言われたらすぐに首を横に振る。
これで人が助けられる仕事、所謂警察や弁護士を考えているのだから恐ろしい。
あくまで考えであって、明確に目指してるわけでもない。
「彼、結構短剣の腕が良かったのよ。
ちゃんとした場所で育てれば優秀になるかもって。
うちの上司は短剣がうまいから、いい線はいくんじゃない?」
「前科があっても結構待遇いいんですね。」
前科があるだけで就職難に陥る現代からすれば、
こんなあっさりと働き口を見つけられるものなのか。
仕事を斡旋してくれるホロックの大きな魅力とも言える。
「地域差はあるけどね。イズさんに任せたら、
年頃の男の子が嗜好だから渡せばどうせ……ね?」
おっしゃる通りで返す言葉もございません。
喧噪な街中で、静かに無言の肯定をする。
「とは言え、よかったです。そういう結果であったことは。」
思い出せば不安でいっぱいになっていったが、
想像してたよりもずっとましな状態に落ち着いたものに、
胸をなでおろす。
「刃を向けられたのによかったって言えるのね。」
「仕方なく悪いことをする人だっていますから。」
「……ああいうことが、
これから何度もあるかもしれないわよ。それでも続ける?」
この前の話と同じ内容。
危険があっても続けるのかどうか。
イズだけの意見を鵜呑みにはしない。
よく考え、自分なりに答えを決めてきた。
「確かに怖いこともあると思います……ですが、
それはどこだって同じことです。店で働いても強盗は遭いますし、
内職も泥棒と遭うかも。絶対に危険じゃない仕事は、ありません。」
確実に安全な仕事はない。現代も似たようなものだ。
どこにいたって、結局は死と言う存在は身近にある。
今まで降りかからなかっただけで、明日にはあるかも。
ホロックから離れたところで、その事実は変わらない。
リスクは低くなるものの元々魔物が存在する以上は、
元の世界よりも危険なことに変わりはなかった。
「親しい方と過ごせて楽しいと思える職場を、
捨ててまで安定が欲しいかと言われたら別ですから。」
勿論ホロックにいる方が危険は多くなるかもしれない。
それでも、やはり見知った人と話しながら過ごすハマルのホロック。
あそこが自分の第二の家とも言うべき場所で、今更離れたいとは思わない。
「そっか。アリス様も愛されてるのね。」
「敬愛と友愛ですね。」
「多分親愛もあるけどねそれ。
それで、こっち側に来る気はあるの?」
どっち側につくかどうかは別として、
経験を増やすためなら彼女の職場も経験したい。
イズの方はそれなりに理解できたのもあってか、
既にイズとは話をつけてきている。
「料理当番と仕事の確認してくれるなら、
別にいいと思いのほか普通に承諾してくれました。」
「あら、手際がいいわね。」
「最近どこか貞操の危機を感じたので、
とりあえず急いで確認はしましたね……」
目をそらしながら、乾いた笑いをする優佳。
何を意味するのかは言葉からもひしひしと伝わり、
余り笑うに笑えず同じような表情になってしまう。
「こっちの仕事はそんなに変わらないけど、レオ様の人達は厳しいかも。」
「気を付けてみます。」
「イズさんから料理の腕は聞いてるし楽しみね~。
なんだっけ、卵巻いた奴がいいって言ってたんだけど。」
「卵焼き愛されてますね……口に合うかはわかりませんけど自信作でして。」
後の献立のことで盛り上がりながら、
街の中へと溶け込んでいく二人。
賑やかさが伺える町中に似合う笑顔の表情で。
迷うことはある。
当然と言えば当然だ。元々はただの高校生。
勇者のような血筋を持っているわけでもないし、
揺らいだり悩んだりして右往左往する、よくある年頃だ。
だから答えを探す。常に答えを求めるのが人間だから。