No Words
後悔に苛まれた中年男性の逃避行の先
主要人物
連
異世界から来た人。現代では刑事
少し気だるげな中年男性だが面倒見がいい
薙音
異世界から来た人。現代では小学生
喉の怪我で声が出せない。良くも悪くも子供っぽい
シャーン
異世界の人。しっかりとした女性
ただ悪魔・魔族なので感性は別物
気づいたら、そこは暗い空があった。
いや、暗い……と言うよりは紫色の空で、山も黒い紫。
僕は笑った。なんて趣味の悪い夢なんだこれは、なんて。
でも、笑い声は聞こえてこない。雷がゴロゴロと鳴るけど、
風が吹いて草が揺れるけど、僕の笑い声はどこにもない。
それだけで、僕はこれが夢ではないと気付いた。
整地された道をいくつもの馬車が走る。
馬車とは言うがこれは大型の蜥蜴と言うべきか。
他の馬車も同じように同じ種類の蜥蜴が引いており、
暗雲立ち込める空や、そのままペンキをかけたような毒々しい紫色の山々。
普通の雰囲気ではない物々しさ溢れるダークファンタジーさは、
見る人によってはきっと中々に見栄えがいいことだろう。
此処を知ってる人にとっては、そんな余裕はないが。
「おーい、おじさん。そろそろ到着だよ。」
そのうちの一つの荷馬車、
フードを被った若い男が、荷物に挟まれた男へ告げる。
男は、この場には余り馴染まない恰好をしていた。
枯葉色のスーツはくたびれていて、いかにも中年男性らしい姿だ。
無精ひげが目立ち、何処かだらしなさが伺える。
「ホント悪いな。急に乗せてくれて。」
「いいってことさ。」
「俺を悪い奴とは思わなかったのか?」
此処に来る前に、スーツの男は何かから逃げるように
荷馬車についでで乗せてもらうよう運転手に頼みつつ駆け込んだ。
特に理由も聞かずに運転手は受け入れたが、これで彼がもし犯罪者の類なら、
逃亡の手引きをしたことになってしまう。
「おじさん『無理だったら降りる』って言ったじゃん。
悪い人なら、寧ろ無理やりにでも乗るって言うもんだよ。
第一、悪い人が態々『黒山羊の領域』に行こうなんて思わないさ。」
「……黒山羊?」
「おじさん、この辺の事については知らないんだな。
行先のアルゲディの周辺は魔物の危険度が高いのさ。周りにも護衛の人達が多いだろ?」
落ちないように顔だけを出しつつ、
周りの馬車を見渡せば彼からは多いのかどうかの判断はできないが、
荷物の運搬にしては、結構な人数が乗り合わせていることは伺える。
穏やかな雰囲気でもなさそうだ。
「時に最上級危険生物と出会うこともあるしで、
毎度毎度、此処の往復は心臓に悪いんだよなぁ。
出ないこともあるから損もあるけど、命には代えられないし。」
「そうまでして行くのか?」
苦言を漏らすものの表情は苦笑で、
別に悪い気分ではなさそうな雰囲気。
何かしらの理由があると思って訪ねてみる。
「危険な連中が多いのは、割に合わないわけじゃあない。
武器とか装飾品に用いる質が良くなるって言う利点もあるんだよ。
例えばアスタイラって言う、猛毒の牙を持った生物を用いた短剣があってさ。
これは前に競りで女の人が九千万ギル(通貨。レートは現代とほぼ同様)で落札したとか。」
「短剣一本で九千万……どんな大金持ちが落札したやら。」
そこまで高いと武器としてよりも、
コレクターレベルで使う人いないだろ。
余程価値を理解してないか、頓着がないのか。
「そういった優れモノの多くが、この先の場所にあるってわけ。
噂じゃあ、ホロックが優秀な鍛冶師や職人は攫われないように、
黒山羊の領域に異動させてる、なんて噂があるぐらいの陸の孤島だよ。」
「まるで牢屋だな。」
優秀な人材を奪わせない為の場所。
職人揃いのいい場所ではあるものの、
同時に抜け出すことも叶わない牢獄のような感覚だ。
「牢屋と言っても、悪人は寧ろいないだろうけどね。
入るにしても逃げるにしても危険地帯で簡単じゃあない。
だから治安の良さは最高峰で、結構安泰だったりするんだよ。
壁に囲まれてるから人によっては窮屈だろうけど、結構平和だってさ。」
「あんたは?」
「俺は臆病だから、遠慮しとくわ。」
管理された社会なのにいいところなのか。
なんて思うが自由に苦手意識を持つ人がいるように、
逆に管理された安心感も一つの魅力だと納得する。
(あー、この生活も早く終えたいなぁ。)
深いため息を吐きながら男は見えてきた城壁を見やる。
荘厳にして堅牢を形にしたような、見事なまでの城壁の姿を。
自分の後悔と同じような、燃え尽きた灰色で。
その後特に何事もなく、城壁の中へと入れた。
城壁の中にある石畳が敷かれた木組みの街。
外の不気味な雰囲気と違って思ってるより普通な情景。
壁を背にした白を基調とした城が、強い存在感を放っている街並み。
加えてスーツ姿も大変浮いているのだが、それもそのはず。
彼はこの世界の人間ではないのだから。
(さて、と。探しに行きますか。)
哀愁漂う風体に見えるものの、意外にも彼自身は悲壮感は余りない。
なぜなら彼、連は既にかなりの時間をこの世界で過ごしている。
月日で言えばもう年単位のレベルで経過している状態にあった。
仮に現代へ戻っても仕事は無断欠勤でとっくに解雇だろうし、年も中年。
今更戻っても安定した生活は望めず、此方でのんびりと過ごしている。
……今は諸事情でのんびりと言うわけでもないのだが。
「お?」
適当に歩ていると、人だかりを見つける。
元々は現代で刑事をしていたで事件なのかとも思いながら、
「ちょいと通らせてくださいなっと。」
人込みを軽くかき分けて向かってみるも、あるのは掲示板。
事件性はなく、どうやら何かがあった程度の野次馬だろう。
「悪いんだけど、これなんて読むの?」
「いや俺にもこの紙の意味はわかんねえな。」
連はすぐ隣にて掲示板を見る大柄な男性へ問いかけるも
空振りの返事……と言うわけではなく。
「悪い。こっちの文字。俺ラスト語(この世界の言語の一つ)は分かるんだけど、どうも他はちょっとね。」
彼が問いかけたのは張り出された紙の方ではなく、
上のフランス語みたいな曲線を描いた独特な文字にある。
他の人達と違い、連は紙の方に何が書かれてるかはわかっていた。
問題は、この紙を見てどうすればいいのかと言うことだ。
「カリコ様、時折フィン語で書く癖抜けてねえからなぁ。
『意味が分かる方、至急ホロック(異世界の人間を支援するギルドのようなもの)まで連絡を』だ。」
「あんがとさん。ホロックってどっちにある?」
「壁に埋まるように建ってる城だよ。目立つから道案内もいらねえだろ?」
「ああ、あれホロックだったのか……」
城が拠点とは何とも派手なことで。
どんなお偉いさんなのやらと考えたくなる。
ホロックには元々行く予定があったのもあって、
話が済みそうではあるものの、一つ問題が。
「……遠いね。」
どうみても距離的に遠い。
うっすらと色が薄く見えており、
少なくとも近くではないだろう。
此処まで馬車以外で休む暇が少なかった彼にとって、
さらに歩きと言うのは正直重くのしかかるものだ。
「人力車の仕事ついででやってるが、乗ってくか?」
「……お願いします。」
渡りに船とはこのことか。
来たのは人力車のようではあるが、
この際その言葉など彼にとってはどうでもいい。
(それにしても意外だな。)
人力車まで案内される途中、街を眺めながら思う。
ホロックは異世界の人間に対して支援を行う団体でもある。
故に、ある程度言語は学んでいる……というのが普通だ。
だからこそあの張り紙は中々珍しく感じた。
張り紙に書いてあったのは日本語だ。
『だれですか? 父さんと母さんは?』と言う疑問の言葉。
おそらく相手は子供だ。文章や字の書き方からなんとなくわかった。
とは言え、彼としてはまず肩の荷を下ろしたいことが最優先なのだが。
───ホロック。
城内は、外装通りと言うべきか。絢爛な明るい雰囲気。
前にいたホロックとは比べるまでもない程の雲泥の差と言えるが……
(やばそうなの一杯いるんですけど───!?)
別に彼は人以外の人種も多く見てきてはいる。
獣人だったり鳥人だったり小人だったり、本当に色々。
この世界ではそういうのはよくある、ありふれたものだ。
確実に見慣れてきたはずが、見たことがない特徴の人ばかり。
街にもいたものの、此処のホロックは更に人種の違いが強くなっている。
危険な場所だけあってそれと戦う側も変わり者が多いのか。
一先ず奇妙な光景に対してはそれで納得することにした。
「依頼の方ですか?」
前の職場とは全く違う様子に戸惑っていると、声をかける女性の声。
綺麗な声をしてて少し期待を込めて振り返るも、やはり相手は普通ではない。
蝙蝠の如き黒い翼や、銀髪に紛れた禍々しくねじれた二本の長い角。
どちらも珍しくないのだが、肌色が灰色だと流石に見かけることはない。
スタイルの良さに加えて露出の高い恰好に、少し目を逸らす。
「あー、相談と掲示板の張り紙を見て此処へ来たんですけど。」
「え? わかる人この街にいたの……?」
予想されてなかったのか、連の発言に彼女は少し戸惑う。
「此処ではそんなに珍しいんですか? ディレント(異世界)人って。」
この世界は案外連と同じ世界から来る人間は多いと聞く。
彼自身も何人かは同じ立場の人間を見かけたこともある。
城壁の中は広かったので、一人ぐらいはいるものだと思っていた。
「珍しいと言いますか、この辺りだとほぼ確実に死にますからね。」
「え?」
此方へ来て間もなく死ぬ、と言う可能性は決してありえなくはない。
確かに連も早々魔物に襲われ、運よく自分は生き延びた側の一人だ。
チュートリアルなんてない。ぶっつけ本番で生死の瀬戸際を強制される。
この時点で十分振るい落としになるが、あくまでそれは魔物と出会う場合。
何かしらの幸運によって、生き延びた同じ世界の人間は結構多いのだ。
にもかかわらず、彼女の発言はその幸運すらない無慈悲さ満点の物。
さらりと語られたせいで血の気が引く。
「失礼。管理人であるカリコ様は現在外壁で魔物討伐の為不在です。
相談は内容次第ですがこのシャーンが対応します。どうぞこちらへ。」
「あ、はい。」
丁寧な対応にやはり戸惑いが隠せない。
見た目で判断してるのも多少はあると言えばある。
だが、そういう問題ではないのだ。
異世界で生きてる以上、ホロックの保護下は一度は経験があってほぼ当然。
ホロックのことは理解しているものの、致命的なレベルの違いがある。
彼の最初のホロックだけは一番の異質な場所。
そのせいで、こうして違和感が拭えなかった。
チェック模様の床のシックな色合いとした部屋は、
元いた世界での見慣れた応接室の雰囲気がある。
髑髏のランプらしきものが机に鎮座してることを除けばだが。
「あれが分かると言うことは、ディレント人ですか?」
「あ、はい。長いことこっちにいますが日本人です。
……ところで、何故ここにはディレント人が少ないんですか?」
当てにしてなかった貼り紙を筆頭に、
日本語ができる人はいないことが伺える。
死ぬと言う不気味なワードが後ろ髪を引っ張っていた。
「この街、アルゲディが黒山羊の領域と呼ばれているのはご存じでしょう。」
「一応は。」
此処に来る寸前に知ったこともあって内心は苦笑。
それほど有名らしいので、自分の無知が恐ろしい。
もっとも、無知の原因は『最悪のホロック』にいたからだが。
「死亡率が高いのは、やっぱそこなんですか?」
「此方も十分苦戦する程の生物で蔓延するこの地域では、
外に行きついたディレント人の生存はほぼ絶望的でしょう。
魔物の強さから助けに入った人も死亡してた例がありますね。
判別できてるだけでも最近二人ほど壁外で亡くなられています。」
「ああ、やっぱり。」
遭遇しない可能性は無に等しく、
助けがあっても助からない可能性もある。
どれだけ此処はデンジャーなところなのか。
そりゃ黒山羊の領域なんて恐れられるわけだ。
「本題に戻りましょう。
先日運よく助かった子供がいたのですが
この通りアルゲディはディレント人の対応は難しくて、
カリコ様もイングリッド以外は殆ど理解されていません。」
「イングリッシュ?」
「それです。」
「だったら、外から連れてくるとかは?」
「こんな危険地帯に、すぐに呼ぼうにも呼べません。」
ごもっともである。
ディレント人にも異端(特殊な力を持つ人、または人の姿で人以外の存在)なんて、
ファンタジーめいた存在がいると言えばそうだが、彼らとて強くとも弱い存在だ。
結局のところ人と変わらない。死ぬときは死んでしまう脆さを持つのが殆ど。
加えて此処は激戦区とも言うべき場所。誰かを連れてくるのも一苦労はするし、
来ること自体を断るって人が出てきても不思議ではなかった。
最上位とも戦える、なんて武人は早々はいないだろう。
「ダメ元であの張り紙だったのですが、
まさか物好きで来る人がいるとは思いませんでした。」
全く知らないから来ただけなんだが。
とは言いたくなるがどうやら常識レベルらしい。
十代半ばならまだしも、連の年齢はもう十分な中年。
言って恥を晒す気にはなれず適当に笑って返す。
「貴方にしてほしいのは、その子の通訳と保護者をお願いしたいのです。
言い方が悪いですが彼のおかげで……ニュホン語? が学べるいい機会なので。」
英語とかならまだしも、日本語なら基本的には問題ない。
現代では覚えられない言語ワーストにすら入る日本語ではあり、
実際のところ不安はなくもないが、ある程度ぐらいは教えるのは容易だ。
「いいんですけど、その前に俺に問題がありまして……」
「はい、なんでしょう。」
問題は、彼がここへ来た別件のことだ。
これを解決、或いは決着の為にきている。
もっとも、ちゃんと地図があれば此処までは来ないのだが。
「誤解を招くような言い方になるんですが、俺って逃亡中の身なんですよ。」
言葉を紡ぐと、背筋が凍るような寒気が襲う。
空気が変わったとでも言うべき張り詰めた空間。
先程まで穏やかな黒紫色の瞳も、今や突き刺すような視線。
「……罪状は?」
静かな一言の問い。
余計なことを言えば殺される。
口にはしてないが瞳がそう告げていた。
元々こういう対応はされるだろうとは覚悟してたし、
「逃亡幇助になるかと。」
なんでこんな言えちゃうのか。
短くない時を過ごしたからか。
すんなり答える冷静さを持つ自分に驚かされる。
刑事をやってたと言っても、怖いものは怖いし死にたくもない。
高尚な心はなく、あるのは一般的なレベルな心だけだから。
「誰を逃がした?」
「ホロックにいた子供です。」
「子供……まさかだけど貴方がいたホロックって、十番店?」
「十番? えっとイズさんとこの店ですけど。」
その一言の瞬間に、またも空気が変わる。
先ほどまでの悪寒がした空気は何処へ行ったのか。
突き刺す視線も、今や頭を抱えたくなるような表情だ。
「もしかしなくても、猥褻行為絡みですよね。」
深いため息と呆れた表情と頭に手を当てる。
すべてを察した状態だ。
「え、わかるんですか。」
遡ること約一月程前。
連はホロックの十番店、イズと言う人物が管轄するホロックの保護下の人。
だったのだが、イズが少年に対して不貞を働こうとしてたのを助けたのが始まりになる。
「まず、よくイズさんから逃げられましたね。」
ホロックを統括する立場にある人は規格外の強さを持つ。
イズもその例外ではなく、でたらめな活躍をしてるのは連も知ってる。
シャーンからしたらできるような姿には見えない。
「それなんですが……何か触っていい物ってないですか?」
「これでよければ。」
そう言って渡されるのはテーブルの髑髏のランプらしきもの。
「不気味なのでやめてください。」
危険な地帯にある街での髑髏。間違いなく本物の髑髏であり、
刑そういうのは好きではないので、手を全力で振って断る。
仕方がないのでシャーンは赤黒い首飾りを外して、それをテーブルに置く。
「じゃあ、これで。」
「少し拝借しますね。」
そうは言うものの、連は席を立って距離を取る。
拝借するのではないかと疑問に思っていると、
五・六メートル程離れると共に振り向いて、
「ホッ!」
手をかざすと透けた手のようなものが伸びる。
伸びた手が首飾りに触れると同時に、引き寄せられるように首飾りが飛ぶ。
飛んでいく先はもちろん連の方向であり、難なくそれを掴む。
「俺も異端って言う奴でしてね。
魔術とか抜きでこんな力があるんですよ。」
簡単に言えば物を引き寄せると言う力。
壁とかはすり抜けられないし、対象が見える必要がある。
超能力と言ったものにしてはかなり地味な代物だが、
別に元いた世界は戦いに明け暮れるような世界でもなければ、
コミックのように能力バトルが盛んな世界と言うわけでもない。
寧ろ、実害を問わず異端であれば迫害されてしまうのが現状である以上、
能力が地味なお陰で、暴発による露呈もせずに人として過ごせている。
「ヘレシーって奴ですね。」
「ヘレシー?」
「アメリカ出身のディレント人が、
人の姿をした化け物と言ってましたよ。」
別に連自身は種族的には人間の異端だが、
異端に分類されるものを持っていれば揶揄されてしまう。
凄く否定したいものの、否定するのも面倒なので話を流す。
余談だがヘレシーとは異端の英訳。フリークスなど呼び方は多いが、
どの道ろくでもない呼ばれ方でしかない。
「で、この力でその子を引き寄せたわけです。
イズさんは……あんなことしてりゃすぐに外へ出られませんし、
アンタレス(イズのいた街)の行商人に強引ですが乗せてもらって、
適当なところで別れて今に至ったわけです。」
「いやそれでもよく……ああ、彼女一人なら何とかなるか。」
かなり運が絡んでる気もしてたが、
そもそもイズの行動は端から見れば大問題だ。
他のホロックでもこれは問題行動であることは変わらず。
普通に考えれば彼女一人で追跡して穏便に済ますもの。
規格外であろうとも、一人である以上は限界がある。
いくつかの点から意外となんとかなる範疇だ。
「事情は分かりました。事実確認を取るため、
数日の間はホロックから出ないようお願いします。」
「この街から出られませんし、
意味ない気もしますけどね。肩の荷は下ろせんなぁ。」
はいそうですかと釈放がないのは現代と同じ。
色々遠回りして、安全とわかるまでは自由はない。
「ところで、あの人なんでホロックの管理人やってるんですか?」
正直疑問なのはそこだ。
言葉を学ぶのに金を要求し(当然この世界の金での支払い)借金からのスタート。
雑務と言うよりは最早召使いのような身の回りの世話をやらされたり、
多分連が思っている以上に、他のホロックとあの場所は違うのが伺える。
不貞まで働こうとしてたりして、およそ人の上に立つ人物とは思えない。
「性格の割には有能なんですよ彼女。
いくつもの毒を理解し、薬師としては超がつく程の一流です。
何より、仕事自体は最低限とは言えちゃんとしてますしね。」
思い返せばシャーンの言う通りでもある。
病にかかれば皆イズを頼り、数十人の賊は一人で制圧。
荒くれ物ばかりが集っているアンタレスの住人からも、
多くの声が上がる程慕われるに相応しい人望と十分な実績を持つ。
連も容赦なく借金の請求をされた時は怒りもあったが、
イズの料理もさせられてたが三食付きの寝床あり、返済期限も決まりはなし。
労働環境はともかく、現代のブラック企業と比べれば遥かに好待遇だ。
「いや、犯罪許したらだめだろ。」
どれほど優秀な人物でも、
少年との不貞は普通にアウトでしかなかった。
犯罪が正当化されるのはあってはならない。
「ホロックの皆は世間からすれば問題を抱えてます。
放任主義、自己利益優先、二重人格等全員曲者かと。」
「癖が強すぎる。」
こんなのばかりかよと言う印象があるが、
奇抜な人物が揃い踏みだからこそ、そんな立場ともいえる。
現代だって奇才と言う名の天才が道を拓いてきたのだから。
「イズ様の件は此方で対応しますので、少年の所に案内しますね。
言葉が通じない人たちに囲まれて、色々不安かもしれませんし。」
「お願いします。」
時間を要するので今は例の少年の件だ。
案内された先の部屋にて二人は対面する。
少年は小学生ぐらいか。青いシャツに灰の半ズボンと子供らしくラフな格好をしており、
一瞬『イズさんが好みそうだなぁ』とふしだらなことを考えてしまう。
なんせ、同い年ぐらいの子供に手を出していたのだから。
「あー、言葉分かるか?」
すぐに煩悩を吹き飛ばしてから久しぶりの日本語で尋ねる。
相手に言ってるはずが、自分にも訪ねてるかのような感じだ。
少年は普通に頷いたので話を続ける。
「何から言えばいいんだろな。どこまで状況を理解してる?」
尋ねられると、近くの台の羽ペンとメモ帳を手に何かを書き始める。
張り紙や頷いただけで言葉を出さない。流石に連もそれに気づく。
(声が出せないのか。)
失語症、失声症。
詳しくはないがその辺は聞いたことはある。
何らかの原因で声を出すことができない状態の障害。
会話への参加も難しいし、意思の疎通にも時間がかかる。
「声って治せないんですか?」
この年で声が出ないと言うのも憐れみ、
治せるかどうかの有無を尋ねる。
「体力面があるかもわからないので、
下手に手を出すわけにはいかないんですよ。」
「いやそうじゃなくてですね。魔術だか魔法とかで……」
医療は不明にしても、魔法と言う便利なものがある世界だ。
喉を治すことぐらいできてもおかしくはない。
「レンさんは仮に医者だとしましょう。
目を閉じたままの状態で人の身体を治せますか?」
「名医でも無理ですね。」
「そういうことです。どうなってるかわからないものを治すのは、
奇跡に等しい『魔法』なんです。『魔術』程度では治せません。
魔法に関しても、外傷はともかく神経などの内部は話が別ですし、
おそらく、治癒に関して最も優れてるアリア様ぐらいでしょうね。
何より、今のままではアルゲディから出れないので試すのもできません。」
魔術とは一般的に普及してるものではあるが、
魔法は常人には扱うことができない代物と言うのが普通の見解だ。
返済生活の為、閉鎖的な生活を過ごしてた彼にも魔法の強さは理解しており、
簡単な話ではないのは理解できる。
『ぜんぜん 何言ってるか分からないし
つれて行かれたとき ちょっとこわかった』
話してる間に、書き終えたメモ帳を見せられる。
すぐ会話がしたい為に殴り書きでひらがなが多く、
少々読むのに手間がかかる。
「あの、連れて行かれたって言ってますけど、何したんです?」
少年を連れてと言う内容にまともなイメージがない。
イズのせいもあっていかがわしさを感じずにはいられなかった。
少々露出度の高い恰好もしてる偏見が拭えないのもあるが。
「食事とかその辺の為ですよ。誤解なきように。」
「ああ、そういうことね。」
確かに言葉は通じてなくても用を足したり食事は必須。
その把握だけでもさせるために連れてたならば合点が行く。
『ただ、ここの人やさしい』
続けて書かれた言葉に加え少年も嫌そうな表情ではない。
特に問題はないと見てよく話を続けた。
「そっか。おじさんは連。名前は書けるか?」
『薙音』
「薙音か……いきなりで悪いけど、
いくつか話すことがあるんだが大丈夫か?」
問いに少年、薙音が頷く。
色々話すが、思いのほか理解が早かった。
子供だからゲームみたいな軽い考えなのか。
そう思うと不安ではあるものの、続けて薙音に仕事の話だ。
仕事とは言うが普段通りに生活しつつ英語の勉強のようなもの。
英語の部分がラスト語に代わっただけの、単純なものになる。
薙音自身もラスト語を学ばなければ、この先面倒なのは間違いない。
勉強は苦手だと年ごろの子供らしい反応をしていたが、
外へ出られたり人と話せるようになるとわかると、
目を輝かせながら快諾してくれた。
それから暫くは連の付き添いでの生活。
独身である以上子供の扱いは余り慣れてない。
うまくやれてるのかどうかと食事中に尋ねるも、
『たぶん下手』
容赦ない返しに軽くへこまされる。
これでも大人として頑張ってるのになと涙を軽く流す。
『でも、レンおじさんやさしい』
屈託のない笑みと共に見せた言葉は、
短くない逃亡生活を続けた彼にとって、
ようやく落ち着ける場所へたどり着いた。
そんな気がしてならない。
───それからしばらくして。
『じょうへき上ったの初めて』
「だろうな……つくづくファンタジーの世界って感じだよ。」
街を覆う高い城壁。
その上をシャーンを含む三人で歩いていた。
ようやく無実が晴れたために外出が許されたことで
薙音が行きたがっていた城壁の上から外の景色を眺める。
景色は自然こそ恵まれてはいるが、やはり絶景とは言えない。
シャーンから魔術で視力が向上させてもらって試しに見ているが、
血痕や死骸は勿論、元捜査一課(殺人・強盗等)でも見ないような惨い光景もあり、
視力が上がって鮮明になっているのが寧ろ嫌になってくるというものだ。
数十メートル先の死体ですら、事細やかに見えてしまう。
『どんなかんじ?』
そこを危惧してまだ薙音は人並みの視力だ。
子供に悪影響があるかもしれないと先に確認したが、
正直これ子供に見せられるものではない。
「やめとけやめとけ。年齢制限……って今思ったけど、薙音いくつだ?」
『12』
「ダメだダメだ。子供が死体なんて見るもんじゃあないんだよ。」
彼が思ってるような風景はなく制止する。
散々死体を見た連でさえ気分が悪くなるものだ。
せがまれたものの、飯が食べられなくなると伝えれば渋々理解する。
「そういえば、此処のホロックの管理人の……カリコさんでしたっけ。
まだ一度も顔を合わせてないんですけど、あの人何処にいるんですか?」
「ああ、カリコ様ならあの───」
声を遮るような爆発音が轟く。
どこから聞こえたのかはわかる。
視力を上げてない薙音でさえその光は見える。
寧ろ、上げた連は光を余分に浴びて悶絶してしまう。
「今日も元気ですねカリコ様。」
戸惑ってる連をよそに、
シャーンは全く気にせず遠巻きに眺める。
『おじさんほっといていいんですか?』
流石に連の状態が心配で、
薙音は彼女に尋ねるようにメモ帳を見せる。
不慣れなラスト語に殴り書きなのもあって、かなり拙いが読める。
「死にはしないので大丈夫かと。
落ちそうにもないですし、ほっといてもいいでしょう。」
壁は分厚いので、余程前のめりにならない限り落ちることはない。
蹲ってるから落ちることもないと思って、彼も放置することにした。
薄情ではあるが、ある意味子供らしく興味の方が強いのだ。
「カリコ様の戦い、見てみますか?」
見ない方がいいと言われたものの、やはり年ごろの子供。
怖いもの見たさに目を輝かせながら何度も頷く。
「何勝手に決めちゃってんですか!?」
視界は全く定まってなく、
声だけで判断しながら顔だけ挙げて抗議はする。
人の話聞いてたんですかこの人と言いたげな表情だが、
顔を覆っているため全く判断できない。
「人の生き死には普通です。
貴方の世界はどうかは知りませんが、
現実をちゃんと教えないと身につかないかと。
ただ、余計なものはなるべく避けますからご安心を。」
ゲーム感覚の部分が見受けられた以上、
彼女の言うように理解させるべきだと思うと黙り込む。
過保護が過ぎるかと、動かないよう座り込んで視界が戻るまで考え込む。
沈黙を肯定と受け取り、赤黒い瞳が埋め込まれたティアラのようなものを渡す。
『これなに?』
「カリコ様の趣味の特殊な魔導具ですよ。
これをお互いが付ければ私の目に映る物が見れます。
目は閉じないと、脳が処理できなくなって吐きますのでお気をつけて。」
素直に従って座り込んで目を閉じる。
まるで音楽に耳を傾けるときの子供のような姿だ。
シャーンの視点に切り替わり、その戦いを見届ける。
まだ自然の面影が残る緑の草原。
広々とした舞台に相対するのは二つの存在。
片方は翼と牛の顔を持った人型であり異形の生物。
相対するローブの老人が小さく感じるほどの巨躯。
しかし、この老人の方がカリコと言う人物だ。
異形の震脚めいた足踏みが、戦いの合図。
否───合図自体が既に攻撃のようなものだ。
震脚と同時に大地が槍のように隆起して襲い掛かる。
難なく無駄のない動きで回避をしつつ、すぐさま懐へと潜り込む。
震脚の足踏みをそのまま利用し、異形は後方へと距離を取る。
「逃がさん!」
だが怒声と同時にその距離は戻った。
戻ったと言うよりは異形以上にカリコが素早く肉薄している。
弾丸のような勢いから放つのは、普通のミドルキック。
鳩尾に直撃と同時に爆発でもしたかのような轟音と衝撃が起きる。
強烈な一撃なのはどうみてもわかるもの、怯むことなく翼の骨が突出し、
カリコを覆うように狙う。
素早く足を引っ込めながら距離を取ってすかさず間合いを取るも、
先の意趣返しか、地面を突けば黄金の槍が地面から突き出す。
身体を貫く前に跳躍して地面から離れるも着地と同時にそれが続く。
着地した場所は同じことの繰り返しで休む暇がない。
幾度かそれを繰り返した末に異形がとった行動は、
カリコの跳躍と同時に金の槍を二本手にして、同じく跳躍。
一本を投擲して、残る一本は死角へ回り込みつつの刺突。
投擲自体はストレートな攻撃であるため回避は余裕だったが、
回避すれば死角からの一撃の対応は難しい。
「すまんが、二手では足りぬのだよ。後三手は欲しい。」
と言うのは 視力が復活したので観戦する連の見解に過ぎない。
現実は別の意味でそうはいかず、見えてるとでも言いたげに身を翻し、
回避からの右ストレートが顔面に叩き込まれた瞬間に異形が地面に墜落。
巨大なクレーターを作り、衝撃で三人の足元でさえ覚束ない。
「あれが一個人が持つ力かよ!?」
見たところでわけがわからないの一言に尽きた。
シャーンと同じく悪魔の類ではあるとは聞いているものの、
よもやここまで人間離れしている力を発揮するとは思っていなかった。
現代にもそういう人間離れ、と言うより人間ではない異端も見ていても、
此処よりも厳格な法によって余り表立って出てくる存在はいない。
「サスガ、ダ……ガ……!」
驚かされるのは何もカリコだけではない。
あの一撃を受けながらもまだ生きてる敵もだ。
異形はノイズが走ったような声を上げながら、
賞賛の言葉をかけると共に再び黄金の槍が隆起。
今度はクレーターの円を描くように大量の槍が、同時に射出。
瞬時に数えられる数ではないような槍の回避は今度こそ至難。
五手あればいけると言うならこの手数ならどうかの意趣返し。
「それは『一手』だ、賢者───否、賢者に非ずか。」
憐れみの言葉と共に両手を広げながら前に伸ばす。
淡い光を放てば、無数の衝撃波が槍を吹き飛ばしていく。
容易く攻撃をねじ伏せつつ、暇を与えることなく急降下からの飛び蹴り。
二重にクレーターを作り、戦いは派手ながらもあっさりと決着がついた。
◇ ◇ ◇
「アルゲンティ討伐……どうやらあれは弱めの個体でしたね。」
ティアラを外した彼女は少し残念そうだ。
一方二人はと言うと───唖然としている。
正直戦いがどうなってたのかが殆ど理解できていない。
薙音の方はシャーンの視界だったので動きは理解できたが、
カリコの動きが滅茶苦茶なので脳が追いついていない。
「えっと、あれも最上級なんとか?」
「はい、アルゲンティは錬金術に優れてる魔物です。
錬金術の師匠としてみれば優秀な方らしいですよ。」
『でもたおしてなかった?』
師匠に出来ると言うことなら、
十分に仲良くなれるのではないか。
なんて疑問もあってか薙音が尋ねる。
怪物と一緒は不安だが、異形の姿はこの街でも多い。
ならば、彼とも仲良くなれるなら楽しそうだ。
「主従関係が築けていればですね。できなければただの害悪ですよ。」
「雑魚敵に見えるぐらい楽に倒してなかった?」
視力がまだ上がっていたので、
全部とまではいかないが顛末は把握している。
本当に賢者だったのかと疑いたくなるものだ。
「何をおかしなことを言ってるんですか。
カリコ様がそこらの敵なら、まず避けませんよ。
命に係わる傷を負うから、戦いで攻撃を避けるもんじゃあないんですか?」
現代社会では効かないから受けるケースは中々ない。
鉄バットを受ければ人の骨は簡単にひびが入る。
包丁だって刺さらない程の身体は普通手に入らない。
異端も迫害される割に犯罪件数が少なかったのもそれだ。
優れていても、避けるべき部分は避けるということ。
『よけた方が回ふくアイテムつかわなくてすむってことだね』
「ゲームで例えられると分かりやすくて困る。」
いやゲームで例えるのはどうよ……とは思うものの、
薙音の例え方がしっくりくるので余計に複雑だ。
「それに、相性差や個体差も大きいかと。
カリコ様は近接戦強いですし、今回のアルゲンティは弱めの個体です。
とは言え、カリコ様の左腕たる私ではあのように楽には勝てませんが。」
「ホロックの管理人って二人以外も、あんな感じにやばいんですか?」
「何をおかしなことを……ああ、そういえばイズ様のところでしたね。」
異世界で住むとなれば、なるべくストレスを軽減させておく必要がある。
その為特に理由がなければ研修目的で他のホロックに行かせるのが普通。
ではあるが、イズは逆に外界との関係を断絶して人材を手放さない。
彼はその閉鎖的なアンタレスの街で年単位の日数を過ごしているので、
生活できるだけの知識はあれど、一方で世間知らずの状態だ。
「元々ホロックの管理人の多くは出身国で優れていたようですよ。
かくいう私も、その一人であるレオ様の生ける伝説は耳にしたことがありました。」
「で、なんでこんなところで生活してるわけ?」
現代だと慣れ親しんだ国を捨てられない人間は多い。
日本に散々不満を言う癖に、結局日本から出ようとはしない人がそれだ。
結局は英語を覚えるのが面倒だったりと何かと理由を並べ立てては実行しない。
なので、優秀ならその場所で活躍した方がいいように思えてならなかった。
人材の引き抜きは深刻だ。特に日本の劣悪な環境にいた社員を引き抜いていく、
と言うのもまた同時に多い。
「優れていたから追われた人もいるってことです。」
出る杭は打たれるとはこういうことか。
優秀すぎて、国を脅かしたのかもしれない。
イズも優れた薬師らしいが同時に毒物も取り扱う人物。
普通だったら医療の為で済むが、彼女の場合は度が過ぎた。
国でも度が過ぎた研究をやっていたのなら、追われて当然だ。
ある意味、異端と管理人は似ているのかもしれない。
何か違うだけで追われてしまう扱いは。
『どういうはなし?』
「優秀だけじゃ生きてくのは難しいって話だ。」
薙音にとってまだラスト語は覚えたて。
ゆっくりと喋る場合ならある程度理解はしてるが、
普通に話すと聞き取れても理解できないだろうことを、
言語の壁で余計に理解できなくなってしまっている。
彼にとっても難しい話だろうし、それっぽいことを言って流す。
「……ナギト君。少し二人で話をしたいので、
下にいる兄さんと遊んで待ってもらえますか?」
二人のやり取りを見た後、
シャーンは屈んで薙音に話しかける。
『だいじなおはなし?』
「そうなりますね。大丈夫ですか?」
素直に頷き、頭を軽く撫でられた後シャーンによって下へと降ろされる。
階段も一応あるが、数十メートルはあるのではっきり言って長すぎた。
下まで降ろした後、シャーンはビデオの巻き戻しのように戻って隣の連を見やる。
「彼に一体どんな感情をお持ちで?」
穏やかさとは無縁の、冷ややかな視線で。
「何の話で?」
「隠すの無理ですよ。私はこれでも魔族の類。
人の欲望程度、そういうのに長けてなくてもわかるんですよ。」
人に限らずみんな欲望はあるものだ。
何も欲しくない者はいない。何かは欲して生きる。
だから欲望なんて気にするほどでもないのだが、
どうも連が薙音を相手する時の欲望が非常に強く感じる。
イズから逃走し、その上少年を逃がした経歴は事実。
なので、イズみたいな性犯罪目的ではないとは思われるが、
日に日に欲望のオーラが増してるようにも見えている。
悪党とは言い難い姿でもあり、こうして話し合いを試みたわけだ。
「答える前にいくつか聞きますが、異端の扱いは分かってますよね。」
「ええ……実に愚かしいですね人間って。
昨日まで話してた隣人ですら拒絶するとは。
もっとも、私達魔族も人との共存を選んだから、
こうして同族に追われてはこの地に集まるんですが。」
「後、身辺調査で把握してますよね。
俺が最初は一人じゃなかったことも。」
「一応ですけど。」
空を見上げながら座り込んで連は語る。
彼は一人でこの世界へ来たわけではなく、同僚と一緒だった。
経緯は単純だ。非番の日に二人で適当に昼飯を食いに行く。
そんな何気ない日常の中で路地裏を進んでいった先で、
落とし穴のように二人はその穴へと落ちてこちら側へと辿り着いた。
「イズ様の報告曰く、ご友人が死亡されたと聞きますが。」
「俺のせいで、ですけどね……」
異世界へ来ても意外と二人は冷静だった。
刑事は異端が起こした事件とも関わりがないわけではない。
その為、一般人以上に不可思議な現象は理解している。
だから今回の件も異端の起こしたものだと警戒していた。
無論そんな常識は通用するはずがなく、魔物との遭遇。
荒事に慣れてると言えども、所詮は人間相手の話だ。
非番なので銃は携帯してないし素手で対抗できるはずがなく、
二人とも逃げることが関の山だ。
「同僚が危なかったんで使ったんですよ、この能力。」
引き寄せるだけの単純な能力。
この危機的状況下で使わない選択肢はない。
人の命がかかってる中、社会的地位など気にする余裕はなかったのだから。
「で、同僚なんて言ったと思います?」
「助かった?」
「はずれ。『俺をずっと騙してたのか化け物』ですよ。」
「は?」
助けて貰った相手に言う言葉とは思えないような罵倒。
この状況で異端と人の溝を気にはしないだろうと思って、
控えめな答えを出してみたが、よもやそんな言葉とは予想しない。
呆れてものも言えない。シャーンの表情は言葉はなくとも理解できるほどだ。
何を言ってるんだそいつはと、不快感を通り越して憐れみすら感じる。
「状況に動揺してた中で異端の事実は、錯乱状態に追い込んだんですよ。
同僚は異端のせいで両親が病院で寝たきりなのもあって、異端を嫌ってましたし。
罵詈雑言の嵐の上で、自分を囮にして逃げ出すしで、見事な手のひら返しをされましたよ。」
肩をすくめながら自嘲するが、
下手をすれば命を落としかねない状況での行為。
最悪と言っても過言ではないものだ。
「囮にした後は?」
「イズさんが偶然近くにいたおかげで、俺は助かりました。
逆に同僚は別のところであっさり……全く、本当に笑えませんね。」
もう少し粘れば二人揃って助かる可能性があった。
でも間に合わなかった。彼自らがその可能性を捨ててしまったという。
「彼の自業自得では?」
この状況を理解せずに動いた。
言ってしまえばそれだけの話だ。
その上で連を見捨てるような行動を取っている。
とても彼が悔やむ理由として余りに薄いし、
同僚に同情できる余地はほとんどなかった。
「そう思いたいんですけどね。
同僚は昔からの馴染みだから割り切れなくて。」
別に初対面なら問題はなかった。
しかし、相手は昔からの親友ともいえる間柄。
何十年も過ごしてきたのに関係は一瞬で崩れた。
聞きたくなかった言葉や行動が脳裏に浮かび、影を落とす。
死んだ相手をざまあみろなんて返す気力もなく。
「だから怖いんですよ。薙音に異端ってばれると思うと。」
異端は嫌われて当然。
この世界ならこの程度魔術の延長線だとしても、
同じディレント人であれば結局は侮蔑の眼差しはされる筈。
赤の他人一人や二人ならば、正直どうと言うことはない。
警察と言う立場は一般人からよく非難されることも多い仕事。
意味の分からない理不尽なクレームや罵詈雑言は当たり前。
税金泥棒とか言われる始末なので、その辺のメンタルは鍛えられた。
だが、今共にいる相手はこの短い間で他人とは呼べない間柄だ。
いくら魔術があってばれにくくとも、隠す身としては気が気じゃない。
「嘗ての関係のやり直しが御所望と。」
つまり、自分の為に彼を助けている。
二度と同僚のときのようなことはしない。
今度はうまくばれないようにやっていく。
自分の欲求を満たす為だけの保護者としての立場。
「イズさんを糾弾できないクソ野郎っぷりでしょ?」
やってることはイズとは変わらない。
偽善者。この一言で彼の人物像は語れる。
彼自身理解している。褒められたものではないと。
「ええ、とても軽蔑します。」
全く以ってその通り。笑顔でストレートな物言い。
かなり心を抉られるもので、胸に痛みが走る。
過ちを二度と繰り返さないなんて高尚なものではなく。
自己満足と自己泥酔と言う闇の塊だ。
一応彼なりに彼を助けたいのはあるが。
「あ、これ言わないでもらえますか?」
「いいですよ。」
絶対に告げるだろうなぁとは思いながら言うと、
予想外な答えに開いた口が塞がらない。
「え、いいんですか。」
「実害はないでしょうからね。
ただ、いつかは言った方がいいかと。
彼は貴方の元同僚ではないのですから。」
「……いつか、そう言えたらいいですね。」
◇ ◇ ◇
(どうしたもんかね。)
シャーンは魔物の出した槍を回収するため外へ。
下にいるであろう薙音のところへと向かうため、
只管に長い階段を降りながら連は思った。
これはある意味呪いだ。過去と言う呪縛に囚われ続けたままの。
(言えねえよなぁ~~~。)
深いため息とともに、アルゲディの街中へと戻る。
彼にとって異端のカミングアウトのハードルは極めて高い。
同僚との件は本当にトラウマだ。長年共にしてきた相手が、
ああも簡単に裏切って見捨てられた事実がどうしても忘れられず。
彼が異端嫌いだったのは知ってたし、自分も理解した上で隠してた以上、
いつかと覚悟していたが、あんな結末を迎えるとは思わなかった。
一生忘れることはないであろう傷として。
『おかえり』
悩める彼の内側を知らない薙音は、
どこにでもいる十歳の子供らしい純真さで接する。
駆け寄る姿は、頭の癖毛のおかげで子犬にすら見えてしまう。
「……サン兄ちゃんとは何して遊んでたんだ?」
気まずく感じて適当に話を逸らす。
『空をとんでた』
目を輝かせながらメモ帳を見せており、
心底楽しそうだと言うことが伺える。
「思ったが、怖くはなかったのか?」
『なにを?』
「ほら、悪魔とかってさ。
異端みたいでいやだったとかは…なかったのか?」
自分が異端という示唆をしないで、
それっぽい理由を考えて尋ねてみる。
もしかしたらハードルが下がる気がして。
『このせかいだと当たりまえだとおもうと、気にならなくなった』
慣れればそれが常識。単純にしてそれが最適解だ。
同僚は慣れる前だったからそうなっただけなのかもしれない。
一方で、その発言は連が告げるのには躊躇わせる一言でもあった。
気にならなくなった、と言うことは本来は気にしてると言うこと。
異端相手に快くは思ってないように伺える発言であり、
下がるはずが寧ろ上がったようなイメージが浮かぶ。
「……そうか。」
三十年近く付き合った親友との死別の結果、
あの時の記憶はイズの下で働いたころのころからずっと引きずっていた。
助けなければ、負傷はあれど死ぬ前にイズが間に合ったかもしれない。
たらればなのは分かっている。だが、人間とはそれを思ってしまうもの。
もう、人助けなんて進んでするべきじゃない。機械的に生きた方がまし。
そう思いながら日数で言えば三年以上を過ごして、完全に荒んだ状態だった。
人としての心が死んだ状態ともいえる。
だと言うのに、イズから銀髪の少年を助けてしまったあの日。
警察だからとか正義感に基づいてたからとか、そういう理由はなく。
なんとなく……その考えで少年を力で引き寄せた。本当にそれだけだった。
今でも理由が分かってはいない。分からないまま、今に至ってる。
あの少年は、今何をしているのだろうか。
余裕があったらその様子を伺いたかった。
その先で出会った、薙音の存在。
自分が人だと思いながら接してくれる姿が、
荒んでいた彼を救ってくれたような気がしている。
何が言いたいのかと言うと、連が思っている以上に彼に依存しているのだ。
今の親子みたいな関係を崩すような、確信を持つのが怖かった。
救ってくれた人から拒絶されて、もう一度再起できる自信はない。
(子供相手にホント、何考えてるんだろうな。)
子供に依存とはかなりの末期。
同年代の知り合いが弄り倒してきそうだ。
『レンおじさん。おしごとってぼくにできる?』
此処で言う仕事、と言うのは恐らくホロックでの仕事だ。
ホロックは戦闘以外にも掃除や給仕など様々なので、
異端でもない薙音にもできる仕事はないわけではない。
「どうした? 急に。」
『ぼくと同じぐらいの子もホロックではたらいてるってきいた』
余り年の変わらない子がホロックの管理人を務めると聞く。
なので働けない、と言うのはないとは思われる。
『社会のべんきょうがしたい』
「社会、好きなのか。」
その一言に強く頷く。
メモ帳に学校での成績をまとめると、
社会や算数と言った方面には強いらしい。
『でも声が出せないと、おしごとのじゃまになりそう』
このメモを見せたときの彼の顔は暗い表情だ。
言われると、確かに大変なのが伺える。
此処の皆はそれを理解してるものの、あくまで身内。
街に出れば買い物の際に手間取ったり人の迷惑になる。
そういうこともあってか、少し自信なさげなのは納得だ。
「んー、ホロックはいろんな仕事があるしなぁ。
恐らく声がなくてもいい場所は、きっとあるはずだ。
と言うより、お前さんのお陰でアルゲディのホロックは、
色んな人が日本語について読み書きを簡単ながら覚え始めてる。
とっくに功績は出ているし、その時の給金も一応預かっているぞ。」
『え そうなの?』
「おじさんが無駄遣いしない主義で助かったな。
俺の懐の方が寒くなると思える程度にたまってるぞ?」
俺が異端と言ってもいい結末も、きっとあるはずだ。
なんとなく、脳裏でそんなことを考えながら薙音の頭をに手を置く。
ないのは分かり切ってるが、それでも縋ってしまう。
「さて、昼だし今日はおじさんが飯作るとするかな。」
『へんなもの入れないでね』
「いや、ゼリーム美味いだろ。」
『それがへんなんだって!』
ゼリームとは所謂ミミズの類の虫の魔物だ。
見た目の割に歯ごたえがある珍味の類だが、
つまるところこれは昆虫食に該当する寄食の類。
子供でもあるため、そういうのには抵抗が強い傾向があって当然だ。
と言うより、昆虫食は此方でも余り馴染みがないらしく、
遠慮なく食ってる自分は物珍し気にみられることもあった。
「あ、薙音って何が好きだ?」
『シチュー』
「お、意外と作れそうだな。
試しにこの世界でシチュー再現と行ってみるか!」
『へんなもの入れないでね』
「分かってるよ、入れない入れない。」
どこにでもあるような何気ない日常。
日常の裏に潜む、たった一つの呪い。
それ以外はすべてが言えるはずなのに。
何の会話をしようとも問題はないけれど。
その一言だけは、彼と同じく出ることはなかった。