Spotlight
一つのものを求めた少女の、終わりと始まりの物語
主要人物
舞
異世界に来た人。現代では引きこもり
所謂陰キャ。人となれ合うのがすごく苦手
リョウ
異世界に来た人。現代では社会人
フランス人と日本人のハーフ。紳士的な人物
アリア
異世界の人。おっとり系のお姉さん
母性の塊で慕われてるのだが…
愛する…それは、心から大切に思うを意味するらしい。
いつか乱雑に辞書でなぞって得ただけの、薄っぺらな知識。
調べた理由は至極単純な話だ。私は…
いつからかは、もう忘れた。
いや、いつからなんか正直どうでもいい。
覚えていたって、憎悪以外にない嫌な記憶。
朝日が昇り始めた明朝の時間。
波打つ音が心地よく響く、とある海沿いの街の海岸。
水面から下が把握できるほど透き通ったアズールブルーの海。
水平線の邪魔する島々はなく果てなき空と水平線だけが続いている。
快晴な空も合わせ絶好の海日和ではあるが、時間故か泳ぐ人は誰もいない。
いるのは、砂浜から水平線を静かに眺めている一人の女性だけだ。
年は十代後半で、この絶景を前にしても気だるげな表情をしている。
景色を楽しんでいるのか、と疑問を持たれてしまうかのような。
加えて目の下の隈は酷ければ、ちゃんと手入れされてないと分かってしまう、
大して艶もなければ酷く乱れきっていてただ伸びてるだけな紫色のロングヘアー。
パーカーを筆頭に黒がメインの服装も相まって、所謂根暗な印象が伺えてしまう。
「此方にいらしたんですね、探しましたよ。」
砂浜に足跡を残しながら、
彼女へと声をかける、済んだ男性の声。
気だるげな表情に反して反応は機敏で、素早く振り向く。
戦場で背後を警戒した兵士のような、見た目とは対照的な動きだ。
もっとも、戦士と比べるとあまり機敏ともいえないが。
断崖の上に築かれた石造りの街をバックに立つのは、
何とも言えぬ不思議な雰囲気を持っている、一人の青年だ。
砂浜には余り似合わない、宮廷服のような恰好をしているがそこではない。
右は蒼く、左は紅く染まった二色の瞳…所謂オッドアイはさながら宝玉のようで、
端正かつ童顔である彼の魅力を引き立たせ、舞も彼の顔は良い部類だと思える。
「…誰?」
「リョウです。あなたと同じ現代社会を生きてた人ですよ、舞さん。」
胸に手を当てながら丁寧な自己紹介をする青年、リョウ。
誠実で、それでいて胡散臭さを感じさせないその清廉潔白さ。
その立ち居振る舞いは黄色い声を上げる人がいるだろうが彼女、舞はならない。
余り色恋沙汰に興味を持てない、と言う単純な理由からだ。
顔のいい男子生徒を遠巻きに見て叫ぶ、女子生徒が理解できない程度に。
審美眼がない…と言うわけではないのだが。
この世界は二人が本来いた世界とは別の世界だ。
異次元の穴が現代社会と繋がってしまい、事故によって此方へと招かれた。
言葉の通じない世界ではあったが、幸い同じ立場の人は少なくないらしく、
そういった人たちを支援しつつ、自警団や組合などを兼ねるギルド『ホロック』と言う組織がある。
言葉を理解してるし、同時にこちら側の言葉を学ぶこともできて、運良く二人は保護されて生き残れた。
本来なら言葉が誰にも通じず、孤立して死んでいた可能性もあると言うのだから、不幸中の幸いだ。
二人は別々の場所えはるが、そのホロックの保護下としてこの世界で生きている。
元の世界に戻るかどうかはまた別として。
「…ゴメン、あんまり人を覚えるの得意じゃないの。」
いたなぁ、こういう眩しい人。
記憶の片隅で輝いていたのを思い出す。
眩しくて顔が認識できなかった気さえしてくる。
「いえ、お気になさらず。」
無関心とも言うべき、そっけない態度。
気だるげな態度で謝ってるようにはあまり感じないが、
いやな顔一つせず、リョウは微笑を浮かべつつ言葉を返す。
誠実な態度は胡散臭いと言うよりはよく分かってない…所謂鈍感、或いは天然。
そんな風に受け取れる表情をしていた。
「で、何の仕事?」
彼女は自己評価が低い。
自分に魅力は特別ないだろうから、
私情で話しかけてくることはないだろう。
仕事以外での話なんてあるはずがなく、
彼が来た理由も、そういうことだと察した。
「魔物討伐のお仕事が依頼としてきています。
アリアさんや他の方が多忙なので、同伴者を僕に頼まれました。
弱い魔物だそうなので、二人での討伐になるようですね。」
舞はこちらの世界に来てからは戦いに身を投じている。
と言っても、基本は魔物と言う凶暴化した生物を相手にするもの。
やってることは狩りであり、狩りならばいつの時代も続いてるもの。
現代でも許諾の概念はあれど、猟師と言う仕事は続いているのだから。
思ってるほど抵抗はなかったがゲームと違ってこれは命懸けの戦い。
相手も生きるために必死で足掻く姿は、余り思い出したくないことだ。
因みにアリアとは、舞が所属するホロックを統括する管理人の一人である。
「余り時間がないそうなので、行くのであればお急ぎを。
足…と言うより馬車はアリアさんが用意してるとのことで。」
捕縛や討伐は当然ながら、依頼主の生活の危機に瀕しているのが殆ど。
此処で悠長に会話をしてるこの一刻ですら、非常に惜しいものになりかねない。
リョウの言うことはもっともであり、舞もそれに従って足早に走り出す。
向かえば馬車が待機しており、すぐに二人は乗り込んで目的地へ向かう。
「これから向かうのはしつらむこ、でしたっけ。」
「多分シトゥラ湖。でかい湖よ。」
「おお、アヌシー湖みたいなとこでしょうか?」
「…どこ? それ。」
地理に別段優れているわけではない彼女にとって、
湖なんて琵琶湖や諏訪湖など、その程度の認識しかない。
これは日本だけの話。どこかの外国の湖なんて分かるはずがなく。
「フランスのオート=サヴォワにある湖です。
驚くほど透明に近くてとても綺麗で広いんですよ。」
「へー…詳しいんだ。」
「フランス在住でしたから。」
なるほど。内心で軽く納得すると同時に、
こういう時ラスト語(異世界の言語の一つ。普段舞たちはこの言語を用いる)は便利だと思えた。
リョウはフランス人、舞は日本人。普通なら全く異なる言語によって会話すらままならない。
しかし、こうして一つの言語を共有できたおかげで言葉が通じているのは貴重な経験だ。
普段ならば、話し合うことはなかったであろうだけに。
「それで仕事内容ですが…確か、イーグル? でしょうか。」
「…キングル?」
「あ、多分それですね。」
相手が何か分かった瞬間、静寂。
静寂のせいで不安を煽られてリョウの表情に焦りが見える。
舞は不愛想な表情をしているせいで、今何を考えてるかが分からない。
「あの、もしかして…まずいです?」
「…別に。倒せるんじゃない?」
命懸けの戦いを前に、
なんとも投げ遣りな態度で返す。
「あの、もう少し具体的な話を…」
言葉こそ学んではいるものの、
生物などの知識は特別豊富ではない。
知ってる彼女に尋ねなければ、不安が募る。
「舌噛むから、あとでいい?」
その一言と同時に、段差につまずいたのか。
大きく馬車が跳ねて僅かながらに二人とも浮く。
確かに、この状態で長々と話を聞けば噛みそうなのは分かる。
「あ、はい。」
誠実な態度を崩すことはないものの、
ずっとそっけない態度で返し続ける彼女に、
流石に何も思わないリョウではなかった。
とは言え、ちゃんと語ってくれると言ってくれたので、
幾分か不安は取り除けたが。
───シトゥラ湖。
「あの…舞さん。」
「何?」
澄んだ水色の湖が木々に囲まれた中に堂々と鎮座する。
それを見晴らしのいい丘から見下ろしており、景色は絶景の一言に尽きるだろう。
ぜひとも此処でピクニック気分でいたいと思うが、今はそれどころではない。
「前準備、何故ないんですか。」
事前対策が、何もないまま丘の上へと来ていた。
土地勘はさっぱりなので、舞の行く方に何かがあると思えば、
何も語らないまま、出現するだろうと予測された丘に到着してしまう。
弱点とか、有効打になるものを使う。戦いのセオリーであるはずが、
彼女は荷物運びを終えて歩いて、それだけ。それ以外の行動は歩きながら間食ぐらいか。
「必要ないから。」
「弱いんですか? その、キングルと言うのは。」
結局、まともな情報すら聞けていない。
このまま相対してしまえば、自分は足手まといだ。
そうならないように、焦り気味に尋ねる。
「キングルは要は、でかい鳥…鷲だっけ? 鷹?」
「大きければ鷲で、小さければ鷹ですね。」
「身長が五メートルぐらいは?」
「いや、五メートルは論外ですから鷲かと。」
ほぼ自分の三倍ほどの身の丈の鳥。
空を飛んでるがゆえに見上げることが多い鳥でも、
地上にいながら見上げることになるサイズなんてそうはいない。
因みに、有名な大鷲は一メートルほどのものが観測されていて、
ハーピーイーグルと呼ばれるオウギワシであれば、二メートルにも及ぶ。
これらも、あくまで体長…いわゆる翼を広げた横の広さで二メートルと言うだけ。
身長が五メートルなんて怪鳥、彼らの社会で普通にいるわけがない。
「この際、鷲でいいわ。とにかくそれぐらい巨大な鷲を相手にするってわけ。」
「鷲と言えば空の王者、こちらでも相当な手練れなんでしょうか?」
鷲は王者と言う認識は日本に限った話ではない。
フランスでも、ホールマークなどで鷲を用いることは多く存在する。
事前の準備もなしに、そんな怪鳥を相手にできるとはあまり思えなかった。
「とりあえず足で人間を握り潰す握力はあるから、掴まれたら死ぬわ。」
「それ鷲ですよね本当に。」
「後、空だから攻撃も当てられないから。」
「ちょっと待ってください。それ、僕らでどうするんです?」
舞が持ってる武器は腰の左右に携えた短剣が一本ずつ。
リョウは細剣を携えていて、経験も少なくはない。
少なくともそこらの経験者には後れを取らない程度には慣れている。
しかし、彼も別段そこまで強いかと言われるとそういうわけでもなく。
戦いが必要な仕事は、自分でも十分勝てる低級の魔物ばかりの初心者だ。
空を飛ぶ相手に剣先を当てろなんて無茶ぶりの経験はないし、
今されたところで土台無理な話だ。
「降りたところを斬るだけ。カウンターって奴。」
「いや無理でしょう。確か鷲って車ばりに速度出ますよね。」
「計測したことないけど、多分最高速度二百キロは出るでしょ、キングルも。」
「余計無理じゃないですか!?」
こんなの対策なしで挑めは、無理難題である。
魔術と言った技術も存在する世界ではあるものの、
空の敵を経験したことがなかったり受講に値が張ったりなどの理由で、
彼は魔術を学んでいるわけでもなく、遠距離攻撃なんて持ち合わせていない。
では、先程舞の勧めたカウンター…なんて手段はもっと論外である。
二百キロは出るかもしれない相手を前に剣先だけ当てろだなんて、
自殺行為にも等しい、無謀すぎる戦術である。
しかもこれを上空、鳥が相手なのだから余計に。
「今すぐ戻って準備しましょう! 今ならまだ───」
こんな状態で挑めば普通に死ぬ。
彼女に振り回され続けているが、
怒りと言うよりは焦りが表情に出ている。
その辺がリョウと言う人柄の良さを表しているが。
「無理よ。」
「え?」
舞の一言ですぐに焦りは消えた。
意味は理解した。舞が見上げる方角。
遠くに存在する、黒い点のようなもの。
瞬きの間に次第に肥大化していくそれが何か、
この状況ではいやでも理解させられる。
「速度と地形的に逃げるのは無理ですね。
舞さん、とりあえず僕の後ろに───あれ?」
彼女がどのような戦い方をするのか分からず、
せめて知識のある彼女が動けるように指示するも、
いつの間にか舞の姿がどこにもなかった。
「舞さん!? いない!?」
目を離した間に、姿が消えていた。
彼女が逃げるにしろ隠れるにしろ、
姿や隠れられる場所が必ず見えるはずだが、
開けた丘のどこを見渡しても、特徴的な髪型の後ろ姿はない。
さっきまですぐ隣にいたのだから、走ってる姿が見えるはずだ。
彼女が特別早いとか、そんな話も聞いた覚えはない。
わけがわからないが、今はとりあえずキングルの対応に追われる。
(本当に迎撃でなんとかするしか…ない!)
後悔しても遅い。ぶっつけ本番で、言われた通りのカウンターを決める。
ロングソードのような、一般的な細剣を両手で握りしめて静かに構えた。
別段特殊な力が備わっているわけではない。折れれば戻るわけでもない。
特別高価でもない。本当にただの剣でしかなかった。
褒められるべきところがあるなら、頑丈さぐらいか。
安物を使っていてはすぐに使い物にならなくなるので、
そこだけは考えて少しばかり値が張ったものを選んでいる。
比較的目視できる範囲までキングルは迫る。
彼女の言っていた通りその姿は猛禽類だ。
こげ茶色と白の毛並みの、地上にいようと見上げるだろう巨躯。
ゲームにでも出てくるような体格差を現実として目の当たりにする。
右か左か上か。とにかく最大限の警戒をするが、現実は容赦しない。
甲高い、鳥特有の叫び声とともにキングルは翼を強くはためかせる。
強風を前に吹き飛ばされまいと踏み留まるも、それだけではない。
「───羽!?」
風に乗って、羽がダーツのように飛んでくる。
たかが羽と言いたいが真っ先に飛んできた羽は服の袖を容易く切り裂く。
こんなもの急所に受けたり、何度も受ければ命にかかわるのは想像するに難くない。
しかし、数は最早矢の雨が降り注ぐかの如く。余りに多すぎだ。
卓越した剣術を持っているわけではないリョウに、
雨のごとく降り注ぐ矢を防ぐことなど到底不可能。
袖やら服が裂かれながらも剣で弾いていくが、
「───あ…」
一本の羽が吸い込まれるように額へと直撃。
間抜けな声と信じられない…とでもいいだけな、絶望的な表情。
衝撃により思いっきりのけぞり、丘の上で倒れた。
キングルは、ゆっくりと地上へと降り立って餌たる相手を見やる。
相手は生きている。しかし額に羽が突き刺さっている以上致命傷。
はっきり言って虫の息で、武器を握ろうとする手も非常に弱弱しい。
相手を警戒する理由はなく、ゆっくりと羽を羽ばたかせながら近づく。
舞の言うとおり握力は尋常ではなく、掴んだ餌をそのまま握り潰すことが多い。
なので、高速で急降下と同時に餌を捕獲すると、加減ができなくなってしまう。
なまじ強くなりすぎたことで、本来鳥類がする捕食がうまくできなくなっていると言うのは、
キングルと言う生物が進化の形で得てしまった欠点の一つ。
なので、一度敵を仕留めた後改めてそれを持って帰る。
倒れるリョウへゆっくりと近づく様は、クレーンゲームのようなものだ。
標的をつかむための足が近づき、足が触れようとしていたその瞬間。
「!」
リョウが目を突然見開き、細剣を握り締めて振るう。
技術もへったくれもない、ただの一撃。特別な性能もない剣だが、
反撃に出られないと油断したお陰で相手の対応は遅れ、左足を深々と裂いた。
悲鳴を上げながら、キングルは大きく羽ばたいて空へと逃げ出す。
足は咄嗟に身を引いたお陰で切断までには至らなかったが、
深々と切れており、宙ぶらりんで今にも千切れそうだ。
「しまった、浅かった…!!」
千載一遇のチャンスを逃し、苦虫を嚙み潰したような顔をする。
何故生きているのか。額に突き刺されば、無事でいられるはずがない。
その羽が今の反撃で落ちるが、よく見れば額は殆ど抉れておらず出血も軽微。
この程度では負傷にはなっても致命傷に至るには程遠い状態であり、
しかも他の裂傷も服はズタズタなものの、肉体そのものに傷はない。
何故、魔術が別にできるわけではないはずの彼が此処まで無事であるかの理由。
確かに彼に魔術や魔法と言ったものはないものの、別に彼がただの人とは一言も言ってない。
現代社会にも妖怪や幽霊と言った人外という存在は必ず、何処かひっそりと今も生きている。
言ってしまえば彼はその一人であり、そういった存在を、向こうでは『異端』と呼ぶ。
現代社会では肌の色と同等かそれ以上に差別されて、疎まれ侮蔑の眼差しを向けられる。
露呈すれば地獄。向こうで異端を示唆するようなことはできず、リョウも人前では使わなかった。
無論、今いる場所は現代と無縁のファンタジー。異端を知る者は少ないし魔術との区別もつかない。
お陰で此方に来てからというもの、この人外としての使うことに抵抗はすっかりなくなっていた。
その力は『人体を鉱物レベルに硬化できる』。だから降り注いだ羽の矢も服はともかく傷は浅い。
額が抉れたのは咄嗟に思いついた死んだふりの為に、額周辺の防御を僅かながらに薄くしただけ。
もっとも、あくまで裂傷とかを防げるだけであって衝撃にはめっぽう弱く、余り過信はできないが。
(問題は此処からだ。)
鳥の目は目聡く彼の力が何かはともかく、防いだのは気付いたはず。
しかも死んだふりが二度も通用するとは思えない。相手は剣の間合いへ入ることはしないだろう。
今の一撃で仕留めきれなかった時点で、勝負は決しているようなものではある。
硬化能力。響きは良いのかもしれないが所詮防御向け。攻撃面では役に立つ機会は乏しい。
爪を硬化させて刃物のように、なんてこともできると言えばできるものの、それもリーチは絶望的。
結局はこの状況を覆せる能力ではなく、死なないよう立ち回ることをまず考え始める。
「え?」
しかし相手は更に空高く羽ばたいて、どんどん距離を取っていく。
鳥類らしく急降下からの捕食とも思うが、仮にも足への負傷は大きい。
この状況でそれをするとは思わず、何をするのか警戒は解かないでじっと待つが、
キングルは距離を取ると、別方向に転換してどんどん距離を取る。
てっきり一度距離を取ってからの急降下を狙うと踏んでいたものの、
距離はどんどん開いて戻ってくる気配が感じられない。
「え、まさかの逃げ!?」
五分経っても、何もないまま相手は目視できなくなる。
いくら特殊な能力を持っているとしても、決してそれは優位ではない。
このタイミングで逃げるものとは思えないが、心中を理解する術はなく。
念のため駆け足で湖周辺の森林に潜り込んで様子を窺うが、やはりなにも起きなかった。
足の負傷を気にしたのかと思い、
「舞さーん、どこですかー?」
仕方なく丘へと戻って舞の捜索に当たる。
魔術的なもので身を隠せたならばおかしくはないが、
だとしたらいつまでも出てこないと言うのは、明らかにおかしい。
「…もしかして、いつの間にか連れてかれてた?」
集中していて見ていたとはいえ相手は上空で太陽を背にしていた。
だから彼女が捕まっていたのを気付かなかった可能性はある。
それならば、相手が優位な立場でも逃げるのは十分にわかることだ。
とっくにエサは確保した以上、硬化で食えない自分を相手にする理由もない。
そんな最悪の可能性を想定すると、リョウの顔が青ざめていく。
つまり、今のキングルは舞を連れていると言う可能性が非常に高い。
逃げた方角へと顔を向けるが、何分も前だ。
もうどこにいるのかさえ分からない。
「舞さーん! 返事をしてください! 舞さん!!」
もしかしたら先の戦いで吹き飛ばされ、倒れているだけかもしれない。
あれほどの強風。状況次第で丘を転げ落ちていてもおかしくはないはず。
現実を直視できず、リョウは必死に彼女の名前を叫びながら周囲を探索するも、
彼女の手掛かり一つすら見つけられず、土地勘がない中の夜道は危険と判断し、
陽が沈む前には重い足取りで馬車から町へと戻った。
こじゃれな雰囲気の店がある。
オレンジ色の明かりに照らされた数人用の席で、リョウはもそもそと食事を摂っていた。
食べているのは鶏肉のソテーと、店の雰囲気に違わぬ洒落た料理だ。
鳥と言う八つ当たりか、リョウは同じ注文を既に二度続けて既に三皿目である。
表情は本来なら雰囲気を出すための薄暗さが、影を落とす顔を深いものへと変えた。
大した関係はなかっただの、死ぬ可能性があるのは彼女も覚悟して臨んでいただの、
立場的に同僚だから気負うなだの、『仕方ない』で割り切るべきと言う幻聴が聞こえる。
それだけはしてはならないと、首を振って雑念を振り払う。
確かに、仮にも仕事仲間で危険な仕事で連携を意識しない態度等、
この一日の間に目に余る行動は少なくはないので思うところはあるし、
何より同じ現代の人間…つまり、異端である自分を迫害する側の存在でもある。
彼自身に人をそれほど憎んだ経験はないものの、完全にないとも言い切れない。
それでも、自分に過失がないとは思わない。それがリョウと言う青年だ。
一人用の席で食事をしてないのも、彼女が戻ってくることを願っての行動でもある。
宝石のように、他人の安否不明で傷がつかない男ではなかった。
「暗い顔で食っても飯は美味くないぜ、ホロックさん。」
一人やけ食いしていると、
声をかけてくる男性に顔を向ける。
相手は若い男性だ。少し逆立った緋色の髪が特徴的で、
余りリョウとは変わらないであろう年齢の相手だ。
(リョウは童顔だが既に成人済みで普通に社会人である)
「貴方は…えっと、名前をまだ伺ってませんでしたね。」
誰かは知っている。
この町に行く際、荷馬車の運転をしていたのは彼だ。
荷物を運ぶ時にもちゃんと顔を合わせてるので顔は覚えている。
一方で、それだけの関係であって名前についてはまだ聞いていなかった。
「トロイアだよ。今後も贔屓にしてくれよ? あ、彼と同じのお願いします。」
カウンター席に腰掛けて注文を終えつつ、
椅子をぐるりと回転させて、彼の方を見やる。
「鳥退治は思うようにいかなかったって感じかい?」
半分正解で、半分不正解だ。
どちらかと言えば思ったことが無茶というもので、
理想的な展開なんてイメージは、あの戦いでは持てない。
「…現在舞さん───同僚の方が、
追跡をしてるのですが、少し不安なもので。」
ホロックの人がやられた。
なんてことを言って不安にさせるわけにはいかない。
それっぽい発言をしつつ、自分の胸の内を吐露する。
「ああ、あいつならどうせ帰ってくるから心配いらないぞ?」
「舞さんを知ってるんですか?」
自分が彼女を理解しているつもりはないが、
少なくとも自分よりかは理解している発言だ。
薄暗かった表情は、疑念が似合う表情でトロイアを見やる。
「あんまりいい噂はねえけどな。」
「? どういうことでしょうか?」
「あいつ、こういう魔物討伐の時よく消えるらしいんだわ。」
「き、消える?」
消えると言えば、確かに目を離したら彼女の姿は消えた。
彼の言う現象と今回の消失は一致する。
「所謂群れで活動する雑魚相手だとちゃんといるんだが、
中型や大型を少数倒す仕事の時は、決まっていなくなるんだよ。」
「詳しいんですね。」
「商人やってると、そういう噂や事実を目の当たりにするからな。
で、夜になると帰ってきては『討伐終わりました』と言って戻るんだ。ほぼ無傷でな。」
「無傷って、すごくないですか?」
大型と言うと、キングルを筆頭とした巨躯だろう。
彼女の華奢な見た目から無傷で倒せるのは想像がつかない。
「まあ、アンタはあんま知らないからそういう反応なんだろうな。
けど、大して鍛えてないし魔術を使ったと言う話も聞かないやつが、
どうして俺たち一般人が困ってる奴らを、大した傷もなく倒せるんだって。」
今思ったことを、口にされると疑念は強まる。
短剣二本であんな巨躯と立ち回れるものなのだろうか。
彼女がどのような立ち回りをするのかさえ彼は知らない。
疑ってるわけではないが、興味はある。
「と、言いますと?」
「あいつじゃない誰かが処理してるんじゃないかって話だ。
事実、中型や大型をあいつが倒したところを一度も見たことないんだよ。
色々きな臭くていい噂はねえんだよ。仕事はしてくれるから俺らは良いが、
報酬も都合上分け前が多くなってるしで、同業者からも好かれてはないらしい。
と言うか、他人がどうなろうとお構いなしって感じだよ、ありゃ。」
討伐したかどうかの事実は不明ではあるにしても、
逆に彼女でないと言う証明をしようにも、物的証拠はなく。
追求できる魔術もそうやすやすと覚えられるでもないわけで、
結果的に、彼女でないと言う証明はできずじまいだ。
「にわかには、信じがたいですね…いい人そうですし。」
そっけない態度はあるにはあったが、
無茶苦茶とは言えキングルの対策は教えてくれた。
余り人を疑いたくない彼の観点からすると、余り悪くは思えない。
「あの見た目でいい人そうって思えるあんたも中々だな。
まあ、とりあえず心配しなくても明日までには戻って───」
会話を遮るように、客が来たことを知らせる鈴の音。
「あ、いた。」
聞き覚えある声に、リョウが強く反応する。
店の入り口である扉をあけながら紫色の髪の少女が、舞がそこにいた。
「舞さん!?」
本当に無事かどうか、駆け寄って確認する。
五体満足。多少顔をかすめた赤い筋や土汚れはあれど、
キングル相手にしては明らかに傷は浅い軽傷だ。
「無事だったんですね。話は伺ってましたが、
やはり不安ではありましたから本当に良かった…!」
トロイアからすればあまり心配ではなかったが、
何かあった可能性だって完全に捨てきれるわけではない。
こうして無事に帰ってきてくれただけでも喜ばしく、
頬を伝う涙を指で拭う。
「討伐終わったよ。」
一方、感情豊かな彼とは対極的に、
事務的な報告を済ませながら、席へとつく。
気を遣ったのか偶然か、リョウの向かいの席に。
「仕留めそこなった可能性あるから、念の為明日確認する。
一人でも確認できるし、そっちは最悪帰ってもいいけど、残る?」
「勿論、残ります。」
殆ど仕事はできなかったが、
せめて確認のだけでもしておこう。
彼女にだけ負担をかけさせては、受け持った一人としての名折れ。
そう思って、迷うことなくキレのある返事する。
「分かった。」
淡々と話は終わると、リョウは先程とは真逆で嬉々とした表情で席へと戻る。
舞も適当に注文を取って二人は食事を始めるが…
「舞さんって日本のどの辺出身なんですか?」
「聞いてどうするの?」
「他愛のない雑談です。嫌でしたら聞き流してください。」
「…別に、面白みもない東京出身よ。」
「東京ですか。何度か行きましたが、人の多さには驚かされましたね。
ところで何かおいしい料理に心当たりはないですか? 日本食結構好きでして。」
「…聞いても此処で食べられるわけないと思うけど。」
「もし戻れた時、楽しみにしておきたいので。」
リョウが話しかけて、舞が淡々と答える。
そんなやり取りが、客の少ない店に響く。
弾んでるようで彼女自身は事務的に答える内容が、
トロイアには何処か空しく感じながら同じように食事を摂った。
───後日。
トロイアの馬車で移動しつつ、
途中からは木々が密集している森、馬車での移動は難しい。
一人で放置は危険なのでトロイアも同行し、徒歩で三人は目的地へ向かう。
「いた。」
森の中でもひと際空へと伸びる巨大な樹が一つ。
世界樹とまではいかないが、樹の中に小部屋ぐらいは作れそうなほどのサイズを誇る。
その樹のそばに、リョウにも見覚えのある巨躯の躯がそこにあった。
左足には自分が与えた傷があり、同一のキングルなのは間違いないだろう。
「…いったい何をされたんでしょうか?」
別に彼女がやってないとか疑念の質問ではない。
どのような手段を持ったらこんな顔になるのかと言う疑問だ。
空の王者の鷲のような鋭い眼差しを持っていたであろう彼の瞳は、
とても鷲と同じとは思えない、何かに恐怖したかのような表情をしている。
何をされたらこんなことになるのか。恐怖交じりの興味があった。
「企業秘密。」
当然、彼女はそれを答えなかった。
予想はされた答えで、だよねと心の内に思う。
「これの処理、そっち受け持ち?」
「素人が触っていいものでもねえし、ホロックの管轄だろこりゃ。」
「了解。じゃあ撤収するから、このままよろしく。」
「ホロックじゃなかったら本当にお断りなんだがな…」
腐れ縁の友人のような距離感。そんな雰囲気を出しつつ、
二人は元居た街、サダルスウドへと戻ることとする。
やはりと言うべきか、二人は特に言葉を交わすことはなければ、
何かアクシデントがあるわけでもない、穏やかな時間を過ごしていく。
◇ ◇ ◇
「私、武器の手入れで少し店寄るから報告お願いできる?」
「はい、わかりました。」
サダルスウドに到着し、馬車から降りる二人。
即座に別行動へと移ろうとする舞にも短時間でだいぶ慣れた。
慣れてはいけないような気もするが、誰しもすぐに仲良くなれるわけではない。
以前、年の割にはひどく他人行儀な対応をしていた少年と出会った記憶もある。
彼女もきっとそういう類と思えば、あまり気にならないものだ。
…その時の少年と違って、流石に礼儀がなさすぎのようにも見えるが。
(学生ってそういうものなんですかね。)
年頃の学生と言えばいろいろ気難しい。
たまたま、彼女がそのタイミングだっただけなのかも。
ポジティブな思考をしながら、リョウはホロックへ向かう。
街を見下ろせる高所にある白を基調とした大きな豪邸。
坂が中々にきついこの場所に、サダルスウドのホロックがある。
内装も外観の清廉潔白さを体現したような整っており、
此処へ戻るたびにリョウは身だしなみを気にしてしまうほどだ。
いくつかのホロックを歩き回ってるが、こういった雰囲気はまだ見たことがない。
「あら、リョウちゃん? 帰ってきてたのね。」
目的地の執務室へ向かってると、
その目的にいるであろう人物の声が背後から掛けられる。
振り向けば、クリーム色のペプロス(ローマ時代の一枚布の服)を着た妙齢の女性がそこに立つ。
長い水色の髪、人を和ませるかのような穏やかな立ち居振る舞い。女性としては理想的な体型。
何度見ても綺麗な人だとリョウは思い、少し頬が紅潮する。
彼女がサダルスウドを中心とした周辺のホロックの管理人、アリア=パクスになる。
「アリアさん。今しがた戻ってきたところです。」
「お疲れ様。大変だったでしょう?」
母性溢れる微笑とともに、
リョウの頭を白い長手袋越しに撫でる。
彼女は年とか関係なしにこうして接してくる人だ。
距離感に遠慮はなく、それでいて優しい人柄にこの美貌。
澄んだ声に女性特有の香り。安らぐに決まっている。
「い、いえ! 舞さんが殆どやってしまったので僕は何も。」
このまま受け続けてるとやばい。
何か大事なものを失ってしまうような、謎の危機感。
得体のしれない何かを察知すると距離をとって手から離れつつ、
当初の目的であった報告を、二人で歩きながら進めていく。
「あら、また?」
困ったわ、とでもいいだけに頬に手を当てながら悩むアリア。
やはりあのドライな対応は普段通りなのか…少しばかり思ってしまう。
自分が何かやらかしたのであれば改善に励もうと思うのだが、
彼女自身に何かがあるのでは、その改善も空回りだ。
「あの、舞さんって人と慣れ合わない風に見えるんですが、何かあるんでしょうか?」
暫くは滞在する身だ。
同じ同業者として国は違えど同じ異世界人として、
今後もあのままだと肝心な場面で差し支えがあるかもしれない。
今回はたまたま運よく生き延びたが、今後もこれだと命がいくつあっても足りない。
命懸けの仕事もある以上、そういうことはなるべく減らしておきたかった。
「んー…事情は知っているけれど、話してもいい内容でもないのよね。」
どうしたものかと悩むその表情も、
端から見れば何処かかわいらしく思えてしまう。
「込み入った事情でしたら、今は聞かないでおきます。」
具体的なことは分からないが、
恐らくは家庭環境や生い立ちに何かあるのだろう。
であれば、出会って間もない人間が立ち入っていい領分ではない。
若くともそれなりに年はある。専門ではないにしても、
多少の距離感と言うのは何となくで理解はしているつもりだ。
「それで、ちゃんとした報告ですが───」
「よかったら御菓子食べない? さっき焼き菓子が出来上がったのよ。」
話を遮ると同時に用意される、悪魔の囁きの如き誘い。
彼女の料理は、食の国であるフランス人から見ても結構な腕だ。
超が付くほどではないかもしれないが、地元で有名になりそうな程度に美味なもの。
最近彼女の誘いに乗っては食べ過ぎて、体型に少々不安が出てきていて断りたい。
「…分かりました。」
だが、誘いを受けてしまう。
一度断ろうとしたこともあったのだが、
断った時の寂しげな表情が大変居た堪れないのと、
甘美な焼き菓子が食べられるのはありがたくてつい誘われてしまう。
(ある意味、この人の強みかなぁ…)
ホロックの管理人と言うのは、何処もアクと言うか個性が強い人が多い。
以前であったサリウスと言う人物は、放浪癖でそもそも拠点にすらいなかったり、
どの人物も所謂普通とはどこかずれており、突き抜けてるからこそ役割をこなせると言うべきか。
感心と畏敬を思いながら、彼女の執務室へと向かった。
───同時刻。一方その頃舞はと言うと…
言葉通り武器の手入れと言うことで、
ある鍛冶屋で武器を眺めながら修理を待つ。
鍛冶屋なので武器は多数散見されてるが、
包丁と言った日常で用いるものもサンプルとしておかれている。
刃物に関しては素人なので出来の良し悪しは正直分からない。
試しに手に取ったナイフも、刀身から自分の人相の悪い面が反射される。
多分出来はいいんだろうな…そんな程度の認識だ。
「あんな物騒な武器持ったあんたじゃ、
俺の息子達なんて、安物にしか見えねえんじゃあねえのか?」
低い中年男性の声に、刃物を戻しながらゆっくりと振り返りつつ視線を下げる。
相手は彼女よりも頭二つ近くは低いであろう、かなり小柄な髭を蓄えた老人だ。
年を食っているにしても子供と見間違いかねないほどの低身長ではあるが、
何度も顔を合わせたし、この老人ことカリンガはドワーフの生まれと聞いている。
小柄な種族故に、今更大して驚くこともなかった。
「ほいよ。出来上がりだ。代金はアリアさんに請求、だったな。」
武器の修理は終わり、その短剣の鞘を一度抜いて確かめてみる。
二十から三十と比較的長い刃渡りをしており、刃は禍々しい色を放つ。
と言うより水面のように今も動いてる風にすら感じさせる、まるで妖刀とでも言いたげな代物だ。
この短剣は最上級危険生物に分類する、アスタイラと言う龍種の強靭な牙を削って作った短剣になる。
アスタイラは非常に強い毒性を持つ生物で、毒牙にかかれば筆舌しがたい痛みを味わうとされる生物。
毒性抜きにしても凶悪極まりない攻撃能力を併せ持っている、典型的な出遭ってはいけない魔物だ。
そんな生物の毒牙は死してなお進化してるのでは…なんて不気味な伝説まであったりする武器で、
キングルが異常な表情で死んでいたのも、この短剣の毒牙にかかったことが原因になる。
こんなもの持ってれば普通にもっと活躍できるだろう…とはカリンガ自体も思ったことだが、
実際は違っており、彼女は他人と関わるときは右側に携えているどこにでもある短剣で応戦していた。
はっきり言ってアスタイラの牙剣は非常に高価な代物で、彼女自身手を出せる金額ではないのだ。
そんなものを振り回していれば付け狙われるのは明白であり、流石に人にこれを向けたくもない。
後、人前で何かしらが原因でこれで傷つけたらそれこそ一大事ともあって、
必要な場面を見極めて使っているからこそ、あらぬ疑いをかけられているのだ。
多少刀身を見るため抜いたものの彼女は素人。
これも出来具合についてはさっぱりわからない。
何の気なしに抜いただけですぐに鞘に納めて、腰の左側に装備する。
「ありがとうございます…では。」
「なあ、余計なことを言うようで悪いけどよ。
おめさん、もうちっと周りを気にしたほうがいいんじゃあないのか?」
淡々と礼をして、すぐさまに去ろうとする所を引き止める。
「俺はこうして武器の手入れをしてるから今更疑う余地はねえさ。
けどよ、世間とか周りの評判…少しは気にしといた方がいいぞ?
俺はともかく、周りの奴が被害に遭うって可能性だってあるわけだしな。」
舞のよからぬ噂は、彼も聞き及んでいる。
武器の手入れは全てこの店で受け持っているし、
彼女が何かよからぬことをしていると言う疑いは持ってはいなかった。
第一、あれだけ凶悪な武器を持っていれば大抵は倒せるし疑う余地などない。
魔物との戦いからも五体満足で生還できる能力があるのであれば、
多少短剣を狙う輩に追われても対処も難しくない。
彼はそう判断していた。
「その周りが、アリアさんだけなんですよ。」
振り向きながら彼女は答える。
隈のせいで人相の悪さが強い表情は、
嘲笑めいた笑みを浮かべており不気味に見えてしまう。
「この街で彼女を知っていて、傷つける人なんていないでしょう。
ホロックの管理人であり、あの人ほど女神のような存在はないんですから。
だから、その心配はいらないんですよ。」
ホロックの管理人は、戦闘能力もまた次元が違う。
穏やかで、戦闘が不得手そうな彼女も十分に戦える能力を持つ。
彼女を妬む人はいても彼女相手に倒せるとするなら同じ管理人ぐらいだ。
普通の人は、相手にすると言う考えをすること自体が間違っている。
「安心と同時に残念だな。俺はそっち側になれねえってか。」
言ってしまえば、そういうことだ。
恩を着せるつもりはないが、結構彼女に関わってる方でもある。
それでも、彼女にとっての迷惑を受けるのが自分は含まれないと。
余りいい気分のものではないが大して根に持つわけでもない。
「…性格が改善されれば、あるでしょうね。」
ないだろうな、とでも言いたげに適当な方向を見やる。
これが改善されないからこうなっているわけでもあるので、
可能性としてはゼロに等しい。
「いつか改善されることを願っとくよ。」
「なったらなったで、危険な目に遭う対象では?」
「莫迦。このサダルスウドで俺よりいい鍛冶職人はいねえんだぞ。」
「だったら、二番目がカリンガさんを殺せば、その人が一番ですね。」
「…怖いことを言うな。」
いつからかは、もう忘れた。
いや、いつからなんか正直どうでもいい。
覚えていたって憎悪を高める以外に、何の役にも立たない記憶。
始めは、下駄箱から靴がなくなった。
面白みの欠片もないただの虐めである。
私は元々スクールカーストでも下の所謂陰キャだ。
理由は単純。人付き合いが下手なんだ。私は。
だから、上位の奴らに目を付けられるのは予想されてた。
念のため教師には言っておいたが、案の定事なかれ主義だ。
虐めがあったと認識すれば、教師としての面子がないから当然である。
このクラスに虐めなんてないと言う箔以下の存在と言うわけだ、私のような生徒は。
親は元々私への関心が薄いので、当てにした記憶は虐めが起きる以前からなかった。
当然と言えば当然だ。私が『異端』だと言うことを、両親は知っているからだ。
人にはできない『個性』ではなく、人が絶対にできない『異常』なことができてしまう。
自分たちが産んだのが人ではなく、そんな存在であっては愛せる親はほんの一握りだ。
多分、親にとって私は人の形に見えないのかもしれない。人の皮を被った化け物と呼ばれる存在。
そうやって引っ込み思案になってしまった結果が、人付き合いが酷く下手の理由というわけ。
味方がいなければ当然エスカレートだ。引きこもるのは当然の結果である。
『クソ陰キャがよ…うぜー。』
『なんで学校にきてんだろ。マゾ?』
『ま、先生も何も言わないし公認ってことでいいだろ。』
こっちに来てからもう親の声すら忘れかけてきてるのに、
いつも頭の中にこびりついて離れない、あいつらの陰口。
こうして未来が閉ざされるんだなとは思いつつも、
救いの手などあるはずがなく、どうにもならないことはあった。
唯一の救いが、不登校のお決まりのコース…ネットだった。
底辺の私でもまともな扱いを受けられる、そんな場所。
特に、引きこもる前からはまっていたファンタジーもののシリーズ。
あれのオンラインゲームには、どっぷりとはまるようになってしまった。
正統派なファンタジー世界で、笑いあり感動ありの王道さとその中に潜む意外性。
キャラメイクにはまり、仲間と共に素材やアイテムを集め、ゲームの不満を時に愚痴ったり。
私も人として一プレイヤーとして相手してくれる世界は、救いの世界『だった』。
そんな幸せな時間も長く続いてくれる、と言うわけではない。
社会人や、私と違ってちゃんと学校に通う学生もいる。いずれ多忙になる。
没頭していたオンラインゲームで最初に知り合った人は全員、来なくなった。
飽きたのか、別のゲームに移行したのか。ある意味、人はそういうものだろう。
割り切って新しいパーティを見つけて入っても、最終的に同じように消えていく。
それを何度も繰り返してたら、あるプレイヤーにこんなことを言われた。
『すげーレベル高いですね! 俺には何年かかっても届かないですよ!』
当人はただの畏敬の言葉で言ったんだと思う。
悪意はないだろうから、悪いとは思わなかった。
でも、現実に引き戻された。自分だけ立ち止まってるこの状況に。
あれから一度もそのオンラインゲームには顔を出さなくなった。
大好きだった作品なのに、現実に引き戻される辛さを思い出す。
やればやるほど幻想の世界は、現実を想起させる悪魔になり果てたのだ。
学校に居場所がない。家も居場所がない。ネット…ひいては大好き存在にさえない。
私は何処へ行けばいいのか? 辿り着いた答えは───一つしかなかった。
久々に学校へ行った。
時が変わっても虐めは変わらず行われる。
と言うより、暴行を初めて受けた。
人生でも珍しく他人のせいで吐いた気がする。
でも、もうどうでもいい。そんなこと関係なかった。
腹を抱えてよろめく私に気遣う人なんてこの世界のどこにもいない。
職員室から鍵を盗んだ。立ち入り禁止となってる学校の屋上の鍵。
…後は言うまでもないだろう。私は───自殺しようとした人間だ。
どこに行っても居場所を作ることができなかった、哀れで弱い人間の末路。
けど、天国も地獄もそんな甘ったれた考えを認めさせてはくれなかった。
飛び降りて地面に当たる寸前に、こっちへとつながる穴が出てきたのだ。
落ちてるはずなのに、飛び上がる感覚。見たこともない綺麗な海の上の空。
穴から飛び出した感じで飛んだのかもしれない。人生で初めて浮遊感を感じた。
…多分、これが異世界転移。創作物の中にしか存在しなかったものだとなんとなく思った。
じゃあ、此処でセカンドライフを過ごそう。こっちで生きればいい。
前向きに捉える人は、きっとそうして過ごせたはず。
私は違う。
家にいても。
学校にいても。
ネットにいても。
どこにいても歪だ。
相手が問題じゃない。
全ては私が問題なのだ。
だったら、異世界に行っても同じ結果が待つだけでしょ。
同じように自分が歪であることを認識させられてしまう。
だから、もうどうでもよかった。生きることについて。
水面に叩きつけられた後、私は泳がずに沈む。
服のおかげか、思いのほか簡単には浮かばない。
苦しくてもがけど、それでも上がろうとはしなかった。
死のうと思ってる人間は誰かに助けを求めようとしない。
それと同じなんだ。ここまで来てようやくその意味を理解する。
死にたいと思ってる人は、もう助けを求めることにすら疲れてるのだ。
自殺願望者は自分勝手と思われるのは、きっとそこなのかもしれない。
自から進んで誰かに助けを求めようとせず、誰かが差し伸べてくれることを望む。
受け身、餌を待つ雛鳥、そんな風に受け取られるから私達は見捨てられてきたのか。
自分たちが必死で何かを得るために、必死に生き足掻いてるのに対して、
私達は座して待てば、勝手にその求めてるものが来ると思い込んでるから。
酷い認識だと思う。私は歪だからまだしも、普通の人は必死なんだよ。
少しぐらい、被害者に対して優しくしても罰は当たらないのに。
光が遠のく。水面と言う生から離れて水底と言う死へと進む。
不意に、手を伸ばした。水面の光を…生を掴みたいかのように。
私だって生きたかった。そりゃそうだ。生まれて死にたい奴なんて普通はいない。
でも、誰にも理解されることはない。理解されなきゃ生きていけないのか。
そうだよ。私はどこにいても歪で、歪な私でも理解してくれる誰かが欲しかった。
私が歪なんかじゃない。それを言ってくれるだけで、私は満足だ。
そんな時だ。
私の手を、掴んだ人がいた。
意識が戻った時、砂浜の上に転がっていた。
最初に蒸せた。溜まりに溜まった水を適当に吐き出す。
服が張り付いて気持ちが悪い。砂もついて気分は最悪だ。
でも、後頭部だけは砂ではない柔らかい感触。
ビーズクッションってこんな感じなのかな。
なんて思いながら目を開くと、
「あら、御目覚め?」
一人の女性が、私を見下ろすように見ていた。
私と同じずぶぬれで、なんか古いローマとかの人が着てそうな服の、綺麗な女性だ。
長い水色の髪。女性らしさを見事に体現させている身体に、
服が張り付いて身体のラインが出る状態は、男ならすごく喜びそうな光景だ。
私のようなのとは全然違う。これが女性なんだって言わしめる姿をしてた。
そんな女性に、私は膝枕されている状態にある。
「言葉が分からない…」
何かを訪ねてきてるような気はするのだけど、
日本語じゃない。何処の国の言葉だろう。
本当に異世界なら今のは異世界語(自称)か。
「あ、ひょっとしてその言葉は、ジャパップニーズニポン帝国の人かしら?」
「…日本人です。色々混ざりすぎてます多分。」
今度は私にもわかるような言葉で話しかけてくれた。
久しぶりだ。こんな風に生の声で誰かとちゃんと話すなんて。
ただいまと言っても無視されて、おかえりと言っても誰も返さない冷めきった家庭。
声を掛けられれば虐めの合図、声そのものがない会話も途絶えたネット。
諸々を合わせればまともな会話をしたのなんて、年単位かもしれない。
彼女はアリア=パクスと名乗った。
異世界から来た人を支援してくれる団体さんのリーダーとのことだ。
家もない、お金も違う、言葉も通じない、常識すら同じか怪しい。
確かに、こんな世界放り込まれて一人で生きていくしかない状況は
異端でもなければ簡単には成し遂げられないだろうし、異端の私でも無理だ。
人にできないことができる異常者と言っても、所詮そんな程度の存在も多い。
でも迫害される。意味わかんないよ、本当に。肌の色と言い…本当に不毛な争いだよ。
アリアさんは海を眺めてたら私を見つけて助けてくれたらしい。
死にたかった身としては複雑な気分で、私はすごく反応に困った。
キレ散らかす気が全く起きなくなるような母性に溢れた微笑み。
母親に宥められるとは、こういうことなのかもしれない。
本当の母親に宥められたことは殆どなかったのもあってか、
私の顔には、海水以外のものが入り混じったような気がする。
「とりあえず、御洋服乾かさなくっちゃね。」
風邪もひいちゃうし…至極当然の理由と共に、
アリアさんは私を横抱き…分かりやすく言えば『御姫様抱っこ』か。
ろくに鍛えてもなさそうな細腕は、私を軽々と抱えて運び始めた。
初めての経験だ。そんな展開と言う意味と同時に、私を理解された『気がした』のは。
そんな出会いもあってか、死のうと思う気は失せた私はそのまま働いた。
と言っても、言葉を覚えながらのマルチタスクに近い感じだけどね。
英語のように他国の言語を覚えるのは別段得意ではなかったが、
奇天烈な日本語の学び方でもしたのか、アリアさんと日本語で話すのはかなり疲れる。
朝の挨拶が『おやすみございませ』、寝るときは『あの世でくたばりやがれ』と、
何をどうしたらそんな風に間違えるのかが理解できないレベルに言葉を間違えてる。
土鍋らしきものが『フライパン』、背伸びの動作を『あくび』と言ったり頭が痛い。
とにかく壊滅的。でも外国人と違ってすんごい流暢に語るせいで、調子がすごく狂う。
失礼だけど精神異常者と会話するときって、多分こうなのかもしれない。
これと相手する医者には頭が下がるばかりだ。
そんなこともあってか覚えることに必死になった。
仮にも恩人をそんな風に見るのはすごく嫌だし。
覚えれば覚えるほどちゃんとした会話が成立する。
この人に日本語を教えた人、一度でいいから殴りたい。
そんな風に思いながらあの人との生活を楽しんでいた。
アリアさんは優しい。私の十八年の人生で、誰よりも。
しかし彼女の優しいは明らかに度が過ぎていた。
誰彼構わず優しいのはいい。それが美徳だと思う。
でも、根底に潜んでいたものに私は気づいたのだ。
彼女は人を愛するが───他人を理解できていなかった。
気前よく私に何でも与えた。お金に余裕があるときは、本当に何でも。
アスタイラの牙剣についでも、何かの祝い事にかこつけるならまだしも、
私は武器のカタログみたいなものを眺めていたところを彼女が競り落としただけ。
たまにアニメとかにいた、人の気持ちを欠片も理解できないサイコパスっていたけど、
この人も失礼を承知で言うがそれの部類。与えることが愛だと思って、相手を理解しない。
してることが愛だと思って行動してるだけの、所謂ごっこ遊びの類をしているだけだ。
だから私に向けてる愛情も偽りだ。結局私は、理解されてるようで理解されてはいない。
尤も、その母性でそんな認識すらも忘れさせてくる…端から見てすら、その認識が霞む。
これはまるで洗脳だ。しかも理解されないと言うたった一つを除けば、
誰もが望んでしまうような、安寧が約束された世界と言う恐ろしい場所。
結局は、私はアリアさんにも理解されない存在なのだと気付かされたのだ。
では、なぜ今こうして私は生きているのか。私の身の上を知ってれば思うだろう。
誰かの理解を求めた人間が、理解してくれない人の傍に居続ける理由はない。
今も生きてる理由は、単純な話だ。
『偽りでもいい』そんな結論にたどり着いた。
本物でも偽りでももう私にはどうでもいいのだ。
ただ理解してくれる風を装ってくれるだけでもいい。
偽物でもごっこ遊びでも構わなかった。その偽りの寵愛を受けていれば、それで。
これもまた、洗脳なのだろう。自覚はしてるのが余計に性質が悪いな。
いいじゃない、別に。『あんなにいい子だったのに』とか『悪い奴じゃなかった』とか。
手遅れになってから言う奴らは偽りの理解すらない、ゲロ以下の言葉を並べ立てる。
彼女は偽りでも、こんな取るに足らない私の命を救っているのだ。
救おうともせずただ傍観してたクズと比べるだけでも失礼だろう。
「てめえ、待ちやがれ!」
店を出てホロックへ戻る道中、荒々しい男の声が耳に届く。
(珍しいわね、この街でああいうガラの悪い奴。別の地域から流れてきた?)
サダルスウドに限らず、アリアの管轄の地域の治安は良い。
経済も回ってて、貧困とは一番無縁とも言うべき潤沢の二文字が似合う場所。
環境のいい場所では犯罪や問題は起きにくい。現実でも割と立証されている。
東京と言った環境が良くない場所は人数抜きにしても犯罪は多いのは、そういうことだ。
(この辺警備してた人、誰だっけ…まあいいや。)
ホロックは仕事がなければ自警団も兼任。
街の治安維持だって立派な仕事の一つ。
面倒とは思いつつも素直に路地裏へと足を踏み入れる。
薄暗い路地を必死に走る、十代中頃の少女の姿がある。
紺色を基調としたフリフリのワンピースと、ロリータと言う言葉が似合う姿だ。
とは言え、その服の彼女は高校生ぐらいの見た目で少々不格好な気はする。
薄暗い場所には余りに似合わない、黄緑の鮮やかな髪を揺らして路地裏を駆け巡っていた。
その手には貴族のような絢爛な装いの女性の手を引いて、全力で走る。
「えっと、次の路地曲がったら、先に行ってください。私が、囮になりますから!」
人の手を引きながら走るにも限界がある。
追いつかれるのも時間の問題であり、ロリータ服の少女が息を切らしながら提案をする。
「え、ですがそれだと貴方はどうするんですか?」
貴族のような端麗な女性は、この鬼ごっこの発端とも言うべき人物だ。
ガラの悪い連中に絡まれていたところを、少女が咄嗟に助けに入った。
言ってしまえばそれだけの関係。彼女が身を挺してまで助ける謂れはないはず。
正直その後の彼女の事の方が心配になる。
「大丈夫です。私中学生のころは陸上部でしたから、
少し足には自信あります! この間は怪我しちゃったけど…」
「リ、リクジョウブ?」
謎の言葉や不穏な言葉が聞こえた気がしたが、
この状況ではちゃんと聞き取ることはできない。
「では手筈通りに───」
「こっちへ曲がったよな?」
「近くにいるはずだ、探せ!」
ガラの悪い連中は路地裏をくまなく探しつつ走る。
二人よりも速く、しかし隠れられそうな場所は見逃さない。
三下のようなことをしている割には妙にしっかりした動きだ。
そのまま暫く散策を続けた後、奥へと進んで静けさが訪れた瞬間。
「よっと。」
ぬるりと、路地裏の中から三人の女性が現れる。
逃げていた女性二人と、舞の三人だ。
「え、え? 私、今影の中にいた!?」
「そういう『能力』なのよ、これ───え?」
何が起きたのかさっぱり分からない二人。
特に強く困惑するロリータ服の少女に説明するように語るも、
今の少女の言葉がラスト語でないと、説明の途中で気づく。
「え、日本語?」
「しま…」
日本語を口にしたことで、少女が舞を見やる。
相手が日本語で話すとは思わなかったのもあってか、
そのまま日本語で話してしまって口元を抑えるが、もう遅い。
日本語で『能力』なんて言えば、二人にとっては魔術などの類ではなく。
自分から異端と言ってるようなものだ。
「…一先ず、表通りに出ない? 危ないから。」
「そう、ですね。」
誤魔化す、と言うよりは身の安全の確保が必要だ。
特に日本語では一人の女性は置いてけぼりなのもある。
気まずい雰囲気を漂わせながら、
三人は人通りが多い場所へと着く。
賑やかで喧噪な雰囲気があって、栄えてると言うのがよくわかる。
「此処からは一人でも大丈夫です。ありがとうございました。」
先ほどよりも人が多く、人がいないところで行動してたことから、
余り目立つ騒ぎも起こさないだろうこともあって、此処からは問題はないと判断する。
「あの、今度お礼に伺いますのでよろしかったらお名前を…」
「ホロックの仕事をまっとうしただけだから、名乗る程でも…」
「優佳です。貴方は?」
名乗るつもりはなかったが、
ロリータ服の少女、優佳が問いかけるように尋ねてくる。
此処で名乗らないと印象は悪くなるが、
「悪いけど仕事あるから。」
異端と知った相手がいる。
その相手から離れるように、
適当な嘘で逃げるように走り出す。
「あ、ちょ…待ってください!」
彼女を追うように、
女性に一言告げた後優佳も彼女を追うように走る。
人込みと恰好が恰好で、思うように追うことができない。
「待ってくださーい!」
(誰が待つか。)
舞は人込みを抜けて、只管逃げる。
力を使えば案外簡単に振り切れるが、
無暗に使って同じ面倒ごとを引き起こす。
そんな可能性がちらついて余り使いたくなかった。
幸い、人込みで十分に距離はとっていて、彼女も逃げるのはたやすく思う。
(あんな恰好をしているんだ、どうせ追いつきは───)
様子見がてら、ちらりと後ろを見やるが、
人込みを抜けた瞬間、自分よりもずっと早い走りを見せる。
と言うより、完全に走り方が陸上部の経験がある動きだ。
「ってはやっ!?」
魔物との戦いで多少は経験こそあれど
アスタイラの牙剣と能力任せの彼女はどうあがいても弛んでる。
加えて優佳は元陸上部。この差を覆すことは今の彼女にはできない。
人ごみのおかげで取れてたマージンも、あっという間に距離を詰められてしまう。
(影、影…!!)
人が追ってくる状況。
普通の人ならばまだ気にしないが、
相手は散々異端を迫害し続けてきた人間と言う種族。
いい印象なんかなく周りを気にすることも考えずに、
能力の条件となるものを探すが、
「だから待ってくださいって!!」
その瞬間、追いつかれて肩を掴まれる。
「離せッ!!」
状況により感情が混濁してしまって、
周りの状況も考えず突き放すように距離を取りながら怒号を散らす。
人込みの多い場所ではないにしても、人がいないわけでもなく。
騒ぎに怪訝そうな視線を向ける人もいる。
「化け物をおちょくるの楽しいわけ?
人間様は本当に差別主義者ね。反吐が出る。」
はっきり言って舞は人間が嫌いだ。
舞も異端であるものの人間だが、その自分も含めて嫌っている。
何もしてないのに何か力を持てば常に迫害する害悪、それが人間。
少しでも人からずれるだけで差別しようとする害悪、それが人間。
普通を強制して、普通でなくなれば異常と扱う害悪、それが人間。
そんな人間が嫌いだし、そんな人間に生まれた自身も彼女は嫌いだ。
何より嫌なのは、人間で異端と言う中途半端な立場にあった。
こんな能力を持ったばかりに、親から人並みにすら愛されない。
こんな能力を持ったばかりに、内向的になって虐めのルートだ。
こんな能力を持ったばかりに、ネットに逃げ込んで現実に当たった。
『影に入ることができる』なんて異端の能力なんて欲しくない。
ただ一つ、人としては誰もが願うであろうありふれたもの。
自分を理解してくれる相手が欲しい。それだけなのに。
またも異端の力のせいで、またも人間のせいで。
偽りの理解に埋もれる平穏すら許されない。
そう思うと、我慢ならなかった。
「…えっと、その…ごめんなさい。後、ありがとうございます。」
「え?」
周りを逡巡したり、戸惑いの表情。
そこから続くのは謝罪と感謝に、同じように戸惑う舞。
「いや、なんで? 私…異端だけど。」
異端がいいことしたって気味悪がられる。
寧ろ悲鳴を上げて冤罪をかけてくる悪質なのもあると聞く。
経験こそないが、舞からすれば彼女の対応はまずあり得ない。
普通に接してる姿を見てか、
他の人も特に注目することなく、各々の目的のために歩き出す。
雑多な音の中、二人の会話はそれに遮られることなく続く。
「人に助けられたら、お礼を言うものですから。」
顔を上げながら、左手を胸に当てて優佳は言葉を返す。
至極当然な発言ではある。さぞ育て親に恵まれてるのだろう。
自分の親はそんな当たり前なことでさえ教えてくれた記憶がない。
いや、あったのかもしれないがもう声も忘れかけている程度の存在だ。
思い出す気がないのもあるだろう。
「だから、私は異端だって。」
だとしても、やはり納得ができない。
異端は迫害されてしかるべき存在である。
現代社会の絶対不変とも言うべき事実を、真っ向から彼女は否定していた。
「世間一般はそうなんでしょうけど。
何もしてない人を差別すること、それ自体おかしいと思ってるので。
…と言っても、そんなことを向こうじゃとても言えませんでしたけどね。
こういうこと言えば、異端と同列の扱いを受けてしまうこともあるそうですから。」
真剣な眼差しから来る、
世間の共通認識ではなく彼女の本音。
異端に対する同調圧力と言った概念のない、
この異世界だからこそ言えるものだ。
「ですから、此処ではそういうことを気にせず、
正直に言わせていただきます。ありがとうございました。」
再度頭を下げながらの感謝の言葉。
現代の人間からは一生無縁だったであろうその言葉。
「…そう。」
とは言えだ。彼女が理解されなかった人生は、余りにも長すぎた。
素直に受け止めることができないし、受け止めてもどういう顔をすればいいかもわからない。
何よりも、偽りでも得ていたアリアの寵愛と比べてしまうとそれは余りにも小さすぎる。
たった一回の出来事で彼女の根本全てを変えるなんて、都合のいい話はない。
(ああ、そうか…アリアさん、貴女も───)
しかし、だ。何もないわけでもなかった。
今になって気付けた。何故このことに気付かなかったのだろうか。
アリアも同じだ。他人を理解している風を装ってるのではない。
他人を理解したくても分からないのではないか、と言うことに。
彼女も誰かを探しているのではないか。理解してほしい存在を。
理解の仕方が分からないから寵愛をもって強引に理解しようとする。
そしてその寵愛では、彼女を真に理解しないまま上辺だけを受け入れてしまう。
結果、彼女を理解する人は未だにいない。彼女も孤独な存在と言うことだ。
今度、彼女とちゃんと話をしてみよう。
何も進むことがなかった彼女の時が漸く流れだす。
何処かそんな気がしていた。
「ところで、ホロックの人ってことはホロックが何処かわかりますよね?」
「そうだけど、どうして?」
「私もホロックの一人なんですよ。
専ら雑用ですけど、此方に研修できました。」
「そういえば、アリアさんが言ってたような…」
「なんですけど保護者…でいいんでしょうかね、年齢的に。
とりあえず、保護者のアリスさんは食べ歩きで何処かへ行ってしまい、
人を訪ねようと思えば首を突っ込んでみてのとおり、面倒ごとでして…」
つい人を助けてしまう、おせっかい焼きな性格。
なんとなく優佳とはそういう人物なのだろうと察する。
自分には、余り真似できない行動力だ。
「ホロックに戻るついでだし、案内するわ。
と言っても、あの高い所にある豪邸と目立つけどね。」
「ありがとうございます! ところで、お名前は…」
「…舞よ。」
自分が彼女の理解者なんて所詮ちっぽけなものだろうし、
この目的も所詮、自分が真の意味で理解されたい欲求に過ぎない。
酷く身勝手で実に醜い欲望だ。結局は自分の為だと言うことだ。
だが、それでも。あの人に誰かを理解してほしかった。
変えてあげたい。『歪』で意味も絶対違うであろう自分なりの愛を以って。
光ある所に影はある。主に悪い意味でそう比喩することも多い。
しかし、影は光が必要だ。影は、光があってこそ影なのだから。
OMFです。ちょっと今回は趣向が変わってて、
作品に嫌悪感が出てしまう、と言う人もいるかもしれません
此処まで暗くなるつもりはなかったのですが、少々リアルで問題がありまして
リアルに起きた実体験が、少しばかり混ざっている作品になっています
誰もが前向きではない、そんな風に描いたって感じでしょうか
このシリーズこと『異なる世界』ですが、
長続きするとは正直思わず短編扱いでした
ですが世界観の共有、そしてどうせすぐ書かなくなるだろ思ったら、
月一と言うスローペースながら継続ができるとは思わなかったので
作品を一先ず統合する形になりました
※これより前の作品の投稿は今月ですが、本来の投稿は3月~5月です
以前の拙作に評価をしてくださった方には、本当に申し訳ないと思います
なろうに投稿はさっぱりわからない素人で、小説も初心者でまだ達筆とは程遠いでしょうが、
何卒宜しくお願い致します