OverRoad
『調査記録』
『吸血鬼、ソフィア・G・クリスと名乗る者と遭遇。』
『逃亡したので、討伐の為追跡。咄嗟の事であり連絡を忘れる』
『ロンドンビル街の屋上にて異界の言葉で『ゲール』と呼ばれる穴の存在を確認』
『吸い込まれて以降、しばらくの間───』
「あー! こんな調査記録出せるかよ!」
紙を前に両手で頭を掻きむしる修道服の少年。
緋色の髪は朝日に照らされ揺らめく炎のようにも見え、
幼さの残る顔つきのはずが、何処か精悍な大人にも見受けられる。
「『吸血鬼を追いかけてたら異世界行って調査してました』なんて、
そんなレポート出したらついに俺も頭のおかしい奴の仲間入りだろ!」
自分で書いた記録を見て頭おかしいと自覚しながらペンをベッドへ放り投げる。
ポスン、という気の抜けるような音と共に白いベッドの上でペンが軽く跳ねて転がっていく。
下手な創作と言われた方がよほどそれらしいと思えてしまうような内容だ。
一応、吸血鬼を筆頭に超常的な存在が段々と姿を見せつつある現代において、
『異世界へ行った』なんてことを完全に否定することはできないとも言える。
一方で、証明が容易ではないこともあって、溜息をつきながら少年は部屋を出た。
「……レポートはやめて、仕事するか。」
ピクニックに絶好な快晴の空を一瞥し、少年は走り出す。
この快晴な空には似つかわしくない、吸血鬼の存在を目的として。
彼、クルスは主に吸血鬼を退治するヴァンパイアキラーだ。
表社会では教会の孤児院を、裏では秘密裏に活動する専門の殺し屋。
幼くして両親が吸血鬼によって殺され、教会に拾われてその仕事をこなしている。
しかし、仇以外にも吸血鬼と言う存在はいるにはいる。十五歳と言う若さだが、
怪物限定とは言え殺しの世界に身を置いて、日々妖魔の類を退治していた。
(吸血鬼と誤認して退治される妖魔の存在もいたりするがこれについては割愛)
しかし、ある吸血鬼を追いかけた際に、突如空間に空いた穴へと吸い込まれた。
辿り着いた先は全くの別世界で、現在は吸血鬼退治の為鍛えた身体を使って、
異世界の人間を保護する組織『ホロック』で雑用として活動している。
(本当に吸血鬼かどうかはともかく、調べるしかないよな。)
クルスがこの町へ来た目的の事件。
この町の近くで妙な死体が見つかったからだ。
変死体、と言う程極めておかしいものではない。
単に、首から肩にかけて肉が噛み千切られた跡がある遺体があるだけ。
だがそのやり口には、彼は酷く見覚えがあるものだ。
(間違ってなければ同じだ。)
クリスマスの夜のことだ。
パーティに誘われて家へ戻るのが遅れた彼を待っていたのは、
首から肩にかけて肉が噛み千切られていた父と、血を吸われた母の亡骸。
息子の帰りを楽しみにしていたのだろう。母が突っ伏していたものは、
自宅で作られたクリスマスプディングであることを忘れることはない。
あの時の父と近しい傷のつけ方。異世界にやってきたのか、元々異世界の住人か。
考える余地はあるが、もしかしたらと思って彼はこの事件に関わることを選ぶ。
そうでなくとも、人為的な事件である可能性が高いので捕まえるのは当然の事。
模倣犯の類であれば、仮に今後仇がこの世界に来ても判断がつかないのでは困る。
だから早めに解決したいと自分から進んでホロックへと進言して、
自分が吸血鬼退治に有用と言うことで快諾され赴いているわけだ。
(けど大丈夫か?)
ホロックに自分のことは説明した。
必要であれば吸血鬼等を殺す仕事でもあると。
しかし、此方の世界ではそれで素通りはできないこと。
現代以上に明確に混在する種族の一つと言う扱いであり、
吸血鬼を完全な悪とはされていない。話し合いも敵対しない者もいる。
その為、特殊な例を除けば個人の判断で吸血鬼を殺すことが認められていない。
一応個人の判断で殺すことが許されるライセンスみたいなのはあったが、
此方は受けたところボロクソな評価の為、次の機会までお預けになってる。
どういうことかと言うと、吸血鬼相手に殺さないよう加減する必要があるのだ。
そういう意味で不安でもあったが、その為の戦力については一応問題はない。
「失礼ですが、ホロックのクルスさんでしょうか?」
西洋の街並みを歩いていると、一人の女性から声を掛けられる。
ホロックは治安維持と言った自警団を務めてるので基本的には支持されるものの、
一方で恨みも少なからず買うようなこともあり、警戒して振り返りながらバックステップ。
そのまま拳を構えながら距離を取ると、そこに立っていたのは銀髪を束ねた妙齢の女性。
青を基調とした軍服に細身の剣を携える凛々しさを持ちつつ、
妙齢の女性らしい可憐さも合わさった彼女に少し見とれてしまう。
こんな仕事をしてるが、元々は齢十五歳の子供だ。
年ごろの子供にはありふれたものだろう。
「今回の任務において同伴する一人となった、
アンスリア=リードです。以後お見知りおきください。」
「……クルスです。」
懇切丁寧な挨拶に、同じようにクルスは返す。
同行者がいると言う旨は既に上から伝えられている。
吸血鬼は敵なら此方でも相応に厄介な存在であると言う認識はあり、
本来は腕の立つ人物がこれらの任務に当たって然るべきことだった。
(名前だけならどこかで聞いた気がする。)
噂だが、周りで腕の立つ人物が来ているとは耳にした。
本来ならば、今回の仕事は相応の実力を示した人物である必要がある。
猟奇的な事件。凶悪犯の可能性は拭うことはできないので当然だ。
クルスも特殊な力を持たない人間なりに努力して討伐の経験はあるものの、
この世界では下から数えた方がいい程度に低い実績の、ビギナーと言った扱い。
あくまで彼が参加しているのは対吸血鬼のエキスパートであるから、と言うだけのこと。
「あれ? もう一人同伴者がいるとのことですが……まだ来ていませんか?」
「あー……多分、それ私です。」
アンスリアの傍の路地から声と共にもう一人女性が姿を見せる。
出てきた相手は黒と灰色を基調とした服装で、フードの付いたベストを羽織っている。
関節回りにある銀色の防具が軽装の都合よく目立ち、目の隈が酷く目つきが悪く、
腰にも二本の短剣を携えた姿は賊と言われても否定できない。
フードを取れば、紫色のショートヘアーが太陽の光に照らされる。
(さっきまで気配がなかった……何故?)
アンスリアは人の相手も多くこなしている。
なので殺気や気配にも結構敏感ではあるのだが、
彼女の場合気配自体は隠せてすらいない素人だったのに、
さっきまで存在してなかったかのような気配の消し方をしていた。
「研修で来てる舞です……よろしくお願いします。」
「アリアさんの所で名のあるディレント人(異世界人)でしたね。お会いできて光栄です。」
研修と言うと、大体クルス同様に余り実績がない新人のようなもの。
実力不足から普通に参加できるものではないので少し疑問ではあったが
アンスリアの対応からそれなりに有名人であることをクルスは察する。
「え、あ、ど、どうも……」
アリアからの握手に戸惑う舞。
手を出す前にポケットからハンカチで自分の手を拭いてから握手を交わす。
「ディレント人で研修なのに、有名なんですか?」
同じ世界からやってきた人で、年頃も(見た目通りなら)近いはず。
でも自分はまだ大した活躍はしてないし、と言うより基本雑用だ。
他の場所どころか世話になってる地域ですら名前が届いてるか怪しい。
「一人で強力な魔物を倒したディレント人として、少しずつ話題になってますね。
キングル(大型の鷲。中~上位の危険度)を一人で倒したディレント人って珍しいんですよ。」
図鑑でしか存在を見たことはないが、
キングルは人を容易に握り潰せる握力を持ち、
羽を弾丸のように飛ばすこともできると絵に描いたような強さを持つ鳥。
空を飛んでる相手ではまともな対抗策がクルスには乏しいもので、
勝てるヴィジョンと言うものが浮かばないような相手を一人で倒す。
それだけでも、中々の実力者であると言うことが十分にわかる。
「いえ、あれはリョウって人も同行してて───」
「他にも数々の武勲があるそうでして、初陣の時は……」
声が小さかったのもあってか、
アンスリアの耳には届いておらず彼女の経歴を語りだす。
何とかこの世界の言葉は二人とも覚えてはいると言えども、
好きなものを饒舌に語る相手の言葉は正直余り聞き取れない。
楽し気に語る横で、気まずそうに顔を逸らす舞。
「それにしても、私そんなことになってたの……?」
「嫌なのか?」
ディレント人の大半は元の世界へ戻る為、
『ゲール』と言う次元の穴をホロックに探してもらうのが必要だ。
それがあれば簡単に戻れるらしいが、調査に必要な額は一億ギルが必要になる。
(ギルはこの世界の通貨。貨幣価値は基本的な部分に限れば日本とさほど変わらない)
自然発生する希少さと、ゲールを調べたいからと言うことでつけられた額が高額で、
当然容易に稼ぐのは難しい。なのでとっとと稼いで帰ればいいものだと思っていた。
「別に……元の世界に帰りたいわけじゃないから。」
「そっか、聞いて悪かった。」
元居た世界に帰る場所があるとは限らない。
自分は教会に拾われてたから帰る場所がある。
彼らが第二の家族でなかったら、家族のいない世界に戻る理由もなかった。
ゲームや漫画はないが、ないならないでこっちならではの楽しみもある。
舞は拾われることのなかった自分とも言えるものだと察して、
彼女が戻りたがらないことには追及をすることはしなかった。
「後、チートみたいな道具使って功績上げてるんだから、
私個人の実力でもなんでもないのに、評価されてるのは複雑なだけ。」
「あー、そういう。」
「あんなの使えば、誰だって活躍できる。
自分でその武器を買うために稼いだなら別だけど
アリアさん……私を拾ったホロックの管理人がプレゼントしてくれたの。」
自分の実力で成り上がってるわけではない。
だから過大評価だと言う謙虚、ないし自虐と言ったところだ。
全部道具を用意してくれた人のお陰であって、自分の功績ではない。
眼を輝かせて語るアンスリアの武勇伝のような、輝かしい経歴と呼ぶべきものではないと。
「うーん、結局強い武器使っても使えなきゃ意味ないんじゃないのか?」
どれだけ強い人物がいたとしても。
そこにいなければ決して活躍することはない。
舞が口にしたアリアと言う人物から貰ったものありきでも、
彼女が戦ったことで助けられた人たちはきっといるはずだ。
「借り物の力とかでも助けたのはマイ自身なら、マイ自身のものだと俺は思う。」
「……割り切れたらいいわね。」
前向きな考えで羨ましくはある。
そういう環境にいなかった舞にとって彼の言い分は眩いものだ。
目をくらませる、太陽のように照らしてくる。
「失礼、話し込んでる場合ではありませんでしたね。
資料には目を通してるかもしれませんが、マイさんは多分まだなのでどうぞ。」
話をほとんど聞いてないことには気づかないまま、
アンスリアは資料を渡して二人で一緒に(クルスも念の為)読む。
出る時間帯や被害者の共通項などが纏められており、
被害者は基本的に一人でいるところを襲われている。
時間帯は十七時から朝の六時までの間で、十代中ごろの子供のみ。
被害者七名の遺体はいずれも同じような傷痕の死体があると言うこと。
場所は主に街中だが、人通りの少ない路地に連れ込まれた可能性もあって定かではない。
「イギリスだかロンドンでそういう死体あったわね。」
写真と言う概念はこの世界にはないものの、
クルスたちの世界からは人以外も来る。
その為カメラも時折使われており、資料には写真もある。
だから中々に猟奇的な光景で、舞は顔をしかめながら呟く。
「知ってるのか。暴食吸血鬼事件。」
「ネットでちょっとだけども。」
クルスの家族の死は肉が抉り取られることにちなんで、
犯人は『暴食吸血鬼』と名をつけられてニュースになっていた。
観光客が減って、割と深刻な問題にもなりつつある事件だ。
現代のジャック・ザ・リッパーなどとすら揶揄されている程だ。
「犯人、こっちに来てるの?」
「多分な。」
人間業では不可能ではない傷でもある。
事実暴食吸血鬼に見せかけた模倣犯もいたことだ。
模倣犯の方が来てるかもしれないし、関係ないことだってありうる。
(……)
資料によれば、件の吸血鬼は紺色の髪であると言うこと。
紺色の髪の色をした吸血鬼。彼にはこれもまた覚えのある特徴だった。
(ソフィア。)
この世界へ来る直前まで追っていた吸血鬼。
吸血鬼なのに何処か臆病で、どこか威厳を感じない立ち居振る舞い。
なんとも吸血鬼らしからぬあの奇妙な吸血鬼は今どこにいるのか。
あれから調査はしてるものの、翼が生えた紺色の髪の人物など、
こっちの世界では遠慮なく存在していて探しようがない。
名前だけで判断することしかできず、結局探せていなかった。
その名前も本名かどうかは分からないのもある。
(唯一殺すことが許されたあいつだけは、殺してやるしかない。)
人も動物を殺して生きながらえる。
吸血鬼はそれが人に置き換わっただけの存在だ。
だから人のことは言えないものの、彼らは邪悪でもある。
喰らう相手への敬意はなく、食われて当然と言う扱い。
だから騙そうと謀ろうとも、彼らは感謝も悼みもしない。
そういう意味でお互い様、と呼ぶにはあまり思いたくないことだ。
それと吸血鬼の眷属は、どちらかと言えば救済の意味合いが強かった。
最終的には殺さずにはいられなくなる、生きた爆弾のような存在だ。
人としての尊厳を踏み躙られた彼らにできる、死と言う名の救済。
所詮エゴだ。しかし誰かがやらねば誰かの命が、自分のように奪われる。
自分のような人を一人でも減らしたいがために、彼はその罪を背負う。
「で、資料を見てもいまいち私達が何をやればいいかピンとこないのだけど。」
「此方の世界でも吸血鬼は夜間の活動が主となってます。
昼の間はかなり力が劣るようなので、その隙を突きます。
ただ、その前に資料にはまとめてありますがあくまでこちら側。
もしかしたらクルスさんの世界の吸血鬼かもしれませんので、
そちらの世界における吸血鬼の情報を提供していただきたく……」
吸血鬼と呼ばれる存在が必ず同一とは限らない。
情報の齟齬はなるべく避けておきたいことだ。
「……えーっと約束してほしいことが二つ。
吸血鬼を討伐する以外の目的で口外しないこと、
それとあくまで俺がいた世界における吸血鬼の情報なので、
こっちの吸血鬼だったらそれが通じるかも不明の二点を理解してください。」
「? 後者は理解しますが、前者の理由は何でしょう?」
「一応、教会の仕事って裏社会なんで……後、
伝える場合は『この世界における吸血鬼対策』ってことにしておいてください。
いや、通じるかも不明って言っておいて『この世界における』とかいうのも変なんですが。」
教会が得た吸血鬼の情報は厳重な管理がされており、
おいそれと他人に言いふらしていいような内容ではない。
異世界だとしても遠慮なく話すつもりはないものの、状況が状況だ。
最低限の人数に留める形での情報共有なら多分許されると思うことにする。
教会の裏の顔は余り広めるわけにはいかないものの、
幸い舞は戻る気のないディレント人でもあることだ。
さほど問題ではないと判断した。
「分かりました。マイさんも大丈夫ですね?」
「私はそもそも口数少ないから、問題ないわ。話すような相手もいないし。」
「この間エミレーツさんに言ったばかりなのに、
もう別の人に話すことになるなんてなぁ……んで、
最初に吸血鬼ですが───昼間はほぼ見つかりませんので諦めてください。」
「えっ。」
身も蓋もない無慈悲な宣告。
つまり相手にとって有利な夜以外に出会う方法がないと。
吸血鬼は夜が厄介だから昼に何とかしたいと言う考えを即座に否定され、
石のようにアンスリアが固まってしまう。
「アンスリアさんは、一般的に吸血鬼は何処にいると思いますか?」
「そうですね……人に見つからない場所、
廃墟とか人里離れた場所とかでしょうか。」
昼に自分の弱い状態を見せるとは思わない。
であれば、姿を見せないように人目から離れるのは定石だ。
イメージするのは古城とかにふんぞり返ってる姿ではあるので、
郊外を調べていけばそのうち見つかるだろうと言う判断をしている。
「逆なんです、大抵の吸血鬼って町の中います。」
「……どういうことなの?」
人がいないところの方が静かに過ごせる。
人目につかないことを考えるならそれがいいのではないか。
過去の経験から、舞は疑問に思わざるを得なかった。
もっとも、ゲームで言えばボスは拠点で構えるもの、
なんていう思考が少なからず存在しているが故でもあるが。
「吸血鬼は人を魅了する、所謂カリスマがあるからなんだよ。」
廃墟と言った薄汚れた場所に逃げ隠れすると言うことは、
プライドが高い吸血鬼にとっては寧ろ逆だ。好ましくない。
吸血鬼はその立ち居振る舞いとかも気に掛ける潔癖な連中が多く、
廃墟は寧ろ好まない。何方かと言えば招かれた客人を装い人の家に潜り込む。
吸血鬼は安住の場所を手に入れると同時に、人の上に立つ充足感を得る。
両方を得られるのであれば、しない手はないだろう。
「ただ、催眠術とか魅了と言った異能がある場合の話だ。
元の世界だと吸血鬼は能力によって個体に呼称があるんだが、
そういう能力ができないのは『ノインテーター』と呼ばれる奴がある。
これは攻撃性に極振りで、異能や超能力の類は使えないフィジカル特化だな。」
「と言うことは、今回のケースでノインテーターはあり得ないってこと?」
「ああ。」
吸血で肉を抉ると言うところはいかにも攻撃性があると思われるが、
極振りであればもっと酷い状態か、死体すら残らない筈。
五人もの犠牲者全員に同じ器用な傷痕だけを残すとは思えない。
「確かに、それでは昼に見つけるのはほぼ無理ですね……」
ノインテーターの可能性もない。
吸血鬼は確実に街中にいるともなれば、
家を一軒一軒回って確認しなければならないので、
とてもじゃないが短時間で探せるような相手ではなかった。
他にも分かってる限りの情報をクルスは提出しておく。
「だから基本的に後手後手になるんですよ。
こっちの世界における吸血鬼の習性とは、どの程度一致しますか?」
「大分近しいものだとは思いますが、
やはりこちら側の情報が乏しいせいで、
少々照らし合わせにくいものになってますね。
この地域では吸血鬼と戦うと言う案件がないことが災いして、
情報不足は目立つのは良くないですね……今度北に向かうことも考えないと。」
「北って、確か黒山羊の領域ですか。」
この地における北は人外魔境の巣窟と呼ばれている場所がある。
人の治安自体は良いが、少なくとも半数以上の住人が悪魔と言った、
太古の時代この世界において人類と敵対した経験が多い種族が多数。
それらが原因か不明だが、その地域のみ桁違いに強い魔物ばかりが跋扈する。
力自慢や逃亡目的等、限られた理由がなければいかない場所の住人。
吸血鬼が其処にいたとしても、何らおかしいものではなく納得できる。
「黒山羊は確か、街が一つの代わりに小国レベルの広さって聞くけど、
ホロックの管理人もその街に確実にいるなら気軽に聞けないんですか?」
管理人と言う立場ならそういう情報を持っていてもおかしくない。
管理人はその一つの街に居座っていると言う確実な状況ができてるなら、
聞くこと自体については容易なのではないのかと舞は思っていた。
「カリコ様(北の管理人)に聞いた方もいますが、当人から聞くようにと。
『仲間の弱点を知るのは信頼の証。容易に教えるものではない』と。」
「ま、自分の弱い所を見ず知らずの奴に教えたくないよな。」
「相手の好物に毒を混ぜるって昔からの手段だし、当然ね。」
人だってそういうものがある。
一方的に弱点を教えろなどと言われて、
快く受け入れる方が珍しいと言うものだ。
特にこの弱点は下手をすれば命に、最悪種族の存続に関わる。
言って絶滅した種族もこの世界にはいないわけではないらしい。
「話を戻しますが、夜まで待つしかないと言うと、
無難に装備を揃えておくのが基本なのでしょうか。
吸血鬼は並外れた膂力を持つので、ホロックへ向かえば支給されてるかと。」
「と言っても極端な変更ができる程じゃないからなぁ。」
付け焼刃の戦術などたかが知れている。
特に相手が吸血鬼ともなればなおさらだ。
慣れ親しんだものから逸脱しない程度に留める方がいい。
「まあそうはいうけど、
ジーニアスさんの趣味で作った武器にいいのあったから使うつもりはあるけど。」
「で、どうするの? 昼は暇を持て余すことになるけど。」
「とりあえず教会の定番中の定番使うとするか。
マイかアンスリアさんいるし、なんとかなるよな。」
視線を上下させて二人を見てからの発言。
どういう意味かと首を傾げながら、クルスの方針を聞くことに。
聞いた瞬間、二人はもう一度首を傾げたが……
◆ ◆ ◆
陽が沈みきって、事件も相まって人気が殆ど減った路上。
遠くでは馬車を引いてたりする音がするが、徒歩で歩く姿は全くと言っていい程ない。
あるとするなら、広々とした道を一人静かな足音を響かせる彼女ぐらいだろうか。
道を照らす街灯が、さながら舞台を照らすスポットライトようにも見えてくる。
紺色のドレスを纏って歩く十代中ごろの少女の姿は、演劇の舞台の役者のようだ。
金色のウェーブヘアーを揺らす姿は、彼女の気品さをより強調する。
コツ、と足音が一つだけ周囲へと響き渡る。
少女のものではない。無から出現したように一つだけ。
歩いてきた、と言うよりは降りてきたとも言うべき。
至る過程の足音がないまま、そこに彼は立つ。
「ご機嫌よう。麗しい御嬢さん。」
背後から声を掛けられて少女は振り返る。
少女が振り返った先にいるのは、紺色の髪の少年だ。
身なりのいい格好はさながら貴族のようにも見受けられるが、
童顔は女性を引き付けるかのような愛くるしさが感じると同時に、
少年とは思えないような妖しい色気を醸し出している。
瞳を逸らすことを許さない、まるで魔眼のようだ。
「お嬢さん、何をしてるの? 最近噂になってるんだよ?
この辺には人を嚙み殺す、怖い獣がいるんだから危ないよ?」
少年が歩を進めると、少女も後退っていく。
表情からは一目見れば不安と理解できる顔色。
ただの少年でないことは状況から察せられる。
「逃げないでもらえるかな?
別に君の血が良ければ殺しはしないよ。」
一瞬の出来事だ。
数メートルはあった距離は、
瞬きの間に手が頬に触れる距離にまで近づかれる。
耳元で囁くように、甘い声色で言葉を紡がれれば、
命の危機だと脳では警鐘が鳴り響いて逃げろ言っていたが、
逃げるべきであるはずなのに、抵抗する意思を奪われていく。
強張らせた身体は骨抜きにされたように膝を石畳へとつく。
「さあ、膝をついたまま僕にその首を───」
少女の顎に手を当てようとした瞬間、
前方、即ち少女の背後から一気に距離を詰めるアンスリア。
腰に携えた剣を間合いに入ると同時に抜刀する姿は居合の如く。
僅かばかりの焦りと共に、咄嗟に少年は飛びのいて攻撃を凌ぐ。
少女の頭上を掠めた刃は髪の毛を数本程度だが宙を舞う。
「速い……ッ!」
「マイ、無事か!?」
後方からアンスリアの後を追うように、
クルスも駆けつけて彼女の前に立ち、少年の前に立ちはだかる。
「ええ……舌を嚙んでれば大丈夫。確かに合ってたけど怖かったわ、これ。」
頬を紅潮させて軽く息を荒げながら、ウィッグを捨てて舞がゆっくりと立つ。
魅了されそうになったとき、段々と自分の感覚がおかしくなってきていた。
自分が自分でなくなるかのような、気持ち悪いが全身を伝うあの感覚。
だから必死に、噛み千切らない程度に舌を噛み続けて自我を保とうとした。
こんなの得体の知れないものを相手に戦うクルスを尊敬したくなる。
「なんだ、どうりで香水の香りが強かったわけだ。餌につられたと。」
───それで、クルスが何をしたのかと言うと、だ。
「あの、これ意味ある?」
時は少し遡る。とある洋服屋へと三人は向かってみれば、
クルスの指導の下アンスリアによる手伝いで、舞の恰好は盗賊っぽさから早変わり。
紺色のドレスを身に纏う姿は、さながらパーティ帰りの貴族と言ったところだろうか。
当人は何とも言えない表情で鏡でまじまじと自分を見つめている。
「吸血鬼は総じて清廉潔白な処……ゴホン、
男性との付き合いもなさそうなタイプが好みなんだ。」
一瞬言いかけた言葉が何かは察してはいたが、
彼の反応から特に言及はしないことにする。
クルスが提案したのは、至って単純な囮作戦だ。
被害者を出してからでは手遅れだと言う考えの下、
教会は定期的に無力な一般人に紛れた囮捜査やっていた。
現代の恰好では流石に浮くので、服装は此方流と言ったところだ。
「顔を見られてるかもだから、一応ウィッグもつけて完成だ。」
「でもいいの? これ高そうなんだけど……」
彼女の質問は『着ていいのか』と言う部分もあるがそこではない。
この服、戦闘時に必要であれば破いてしまってもいいとされている。
破けば中の恰好は普段の恰好そのままなので、露出は元より少なければ、
足元はロングスカートで殆ど見えないので下に装備しても気取られることはない。
ただ、それをしてしまうには勿体ないようにも思えてしまう服だ。
「あくまでサンプル用と店主も言ってましたから、
本当はもっと高い物なのでご安心ください。高ければ私が払うので。」
「……なんだか、アニメに見た戦闘できる御嬢様みたい。」
ナイフを隠し持って戦うとか、
アニメとか創作物での話のような印象。
命懸けの仕事ではあるので仕事中はしっかりするが、
今だけは少しばかり浮かれた気分になってしまう。
「と言うか、マイって目の隈取れれば結構可愛いな。」
メイクによって酷かった隈が誤魔化されており、
不健康さがなくなったことで雰囲気が変わっている。
自分でも別人みたいと思ってると、突然の誉め言葉に頬を紅潮させて戸惑ってしまう。
「しょ、所詮メイクの効果でしょ。さっきも見たはずよ。
人殺してそうな根暗な顔の女が、本来の私なんだから。
アンスリアさんのメイクが上手かっただけで、私なんて別に全然……」
「私から見ても、マイさんは素体は良いと思いますよ?
メイクの仕方が分からないのであれば、よければ付き合いますし。」
「ゴメン、待って。あんまり褒めないで。」
文字通り、褒められた人生ではない彼女にとって賞賛は苦手だ。
気恥ずかしくなって、思わず顔を隠してやめるように手を伸ばす。
「本当は俺がやるべきなんだけど、武装的にな。」
彼の修道服は少々特殊な仕様をしており、
諸々の事情で服を着替えたり上に重ねることが難しい。
特に多少童顔ではあると言えども、彼は十分に男性だ。
女装して更に動きに支障が出ないようにするのは手間がかかってしまう。
「武装的に適任と思ったけど大丈夫か?」
アンスリアは長剣であるため服の中に隠しづらい。
なのでこのメンバーだと、消去法で舞になってしまうわけだ。
ただいきなり自分と違い慣れない囮役にするのは色々不安がある。
「そういう仕事だって知ってるから。
最悪、私だったら死んでも……なんでもない。」
死んでもそんな困らないでしょ、
なんて悲観的なことを口にしそうになった。
二人は本心で言ってるし、死んだら泣いてくれるいい人だ。
だからそういうことは言わないように言葉を選ぶ。
「よし、囮作戦実行だ!」
……と言うのが今に至る顛末である。
誘導自体は成功だが、相手の実力はそれ以上だ。
クルスよりも遥かに速い身体能力を以って迫ったが、
咄嗟に避けれるだけの俊敏さを見せつけてきた。
そこから導き出される彼の強さとは。
「マイの様子から魅了ができて今の動き……強めのタイプ。
一方で強すぎるわけでもないところを見るに、多分種類はロードか。」
ノインテーターが下位種とするなら、
ロードは中位種と言ったところになる存在だ。
並の吸血鬼より突出した性能になることはないものの、
一方で一通りが優秀な固体で、弱点らしい弱点がないのが特徴的か。
「おいロード、こっちの言葉なら分かるよな?」
これだけ殺しを続けている以上、
こちら側の言語など理解してるわけもないし、
先ほどの彼は此方の言語では喋っていなかった。
なので元の世界における彼の言語、英語で言葉を交わす。
「ああ、やっと伝わったよ。
此処の皆は逆再生のような歪さで、
どうにも気持ち悪い言葉だと思ってたから助かったよ。
人と話すのも七日ぶりかな。此処は面白いところだね。
人間以外が無防備に一杯いて、血の飲み比べもできていいとこだよ。」
「……クルス君、あれの脅威度は?」
饒舌に吸血鬼が語っているも、
二人はラスト語(こちら側で一番使われる言語)ではなく英語で言葉を交わしており、
舞もアンスリアも、彼等が何を言ってるのかがさっぱり分からなかった。
一応舞もディレント人で僅かに単語を聞き取れていると言えども五十歩百歩だ。
「ロードは捕まえるって考えができる程甘くないです。」
下位種なら自分も多く経験があるので、
殺さずになんとかすると言うのは出来なくはなかった。
捕獲して人間に戻すための研究、とは名ばかりの人体実験の繰り返し。
だがロードを殺さずにいた経験は少なくとも彼自身にはない。
教会が捕獲できたのも、それなりの人数が犠牲を強いられていた。
手を抜いて戦える相手ではないし、恐らくこちらでも同じことだ。
「そうですか。仮称として件の相手を『ロード』と呼称、
これより『人』ではなく『魔物』として『討伐』の命を、
アンスリア・リードが特例として許可します! 状況開始ッ!!」
魔物として扱うと言うこと、
即ち殺しても咎められることはなくなる。
アンスリアはその権限が一応は存在しており、
気兼ねすることなく臨むことが許されたことを意味する。
「フラッシュ!」
舞は服を(やはり破きたくないので)脱ぐついで手を掲げる。
身に着けてた指輪が輝くと同時に空へと煙を飛ばしながら空で光が爆ぜた。
合図として支給されたインスロル(簡易的に魔法が使える道具)だが、
意図せずしてそれが合図となってクルスが走り出す。
アンスリアの動きからすれば大分見劣りはするが、
常人とは思えない程に俊足とも言える脚力を持つ。
「生身で挑みに来るなんて、随分と莫迦な真似をするね。」
左手を構えながら迫るクルスを、
憐れんだ目で見ながら片手を構える。
人間の拳はどれだけ鍛えたところで吸血鬼を殺すは出来ない。
なので容易に拳が受け止められ、最初の一撃は容易く止められた。
「ッ!?」
しかし、受け止めた瞬間に袖の中から飛び出す銀のカギ爪。
勢いよく飛び出したことで手の甲を貫いて、銀を朱く染め上げていく。
クルスのスタイルは不意打ちからの短期決戦が基本となっている。
彼は自分の弱さを知っている。人間と言う物は成長してもあくまで人。
異端(元ん世界で生きた超能力者、人外、または両方)のように空は飛べないし、
異端のようにタフじゃない、異端のように強くもない。
だから工夫をした結果、先手必勝からの初見殺しを一番の強みとしている。
慢心して攻撃を受ける。その慢心で受けた攻撃を必殺へ持ち込む。
退魔の効果がある銀による攻撃は吸血鬼の再生能力が落ちる。
とどめを刺すことは無理でも相応のダメージには繋がっていく。
驚嘆して判断が鈍っているその一瞬に右手を振りかぶる。
(まさか、こいつ右腕も───)
しかし相手は吸血鬼でも相応の強さ。
攻撃を受けながらもそこからの判断は早かった。
カギ爪を強引に引き抜いて、翼を背中から生やし空を舞う。
引き抜くと言うより負傷覚悟で肉を裂くことを前提としており、
飛ぶ頃には左手はぼろぼろで使い物にならなくなってるが、
再生能力が落ちると言えども、逆に言えば時期に再生はする。
なので手痛いダメージは否定できないが、長い目で見れば軽傷な方でもあった。
(やはりロードの判断は早いか!)
これで容易に仕留められたのは下位種のみ。
中位には通用こそすれども、倒せた回数はほぼない。
時間がかかればかかる程体力のない彼には劣勢になり、舌打ちしたくなる。
しかも空を飛ぶと言う、出来ることが限られる手段を相手は用いてきた。
「此処からは私が行きます!」
行くとは言うが、既にアンスリアは空中のロードへと追いついていた。
飛ぶと判断した瞬間、には彼女は跳躍しており互いに目線が合う。
「付術強化───焔!」
腰に携えた長剣を再び抜刀と同時に、
抜いた端から剣に炎を宿らせた状態で切りかかる。
付術と言う対象に能力の強化を施す魔術、クルス達風に言えばエンチャントだ。
闇夜の空に炎の揺らめき、二人の姿を炎が照らし鮮やかな姿を描く。
もっとも、二人が行うのは凄惨な命の奪い合いなのだが。
抜刀された一撃はボロボロの右腕を容易く切り落とす。
焼けるような痛みばかりには眉を潜ませるロードではあるが、
切り落とされた腕から赤黒い刃が突き出してそれを振るう。
炎の宿った剣でそれを受け止め、先端が濡れてるからか蒸気を発する。
空中で文字通り火花を散らせた剣戟を、地上の二人は傍観するしかない。
「すっげ……」
傍観してたクルスからすれば、感嘆の声しかなかった。
教会にも異端の存在はいるにはいた。人間にも限度がある為、
迫害されて周囲に居場所のないを異端を引き込むこともある。
あれはそういう連中が相手するべきもので、アンスリアは引けを取ることはない。
細身とは言え刀よりも太いであろう西洋剣を片手で、しかも高速で振り回す膂力。
人間では成し得ない、限界の果てはどこか羨ましくもあった。
あれだけの力があれば、自分も多くの吸血鬼を倒せるのだから。
「人間が、やるじゃないか!」
「ドイツかニホンの言葉で言ってもらいたいですね! 私には分かりません!」
言葉が通じない以上、会話が噛み合うことは決してない。
五十か六十か、滞空したまま続いていた高速の剣戟は終わりを迎える。
突如アンスリアが剣を両手で握り相手を大きく怯ませてから、
「殺意の流水───ディスネクト!」
空中でサマーソルトキックの如く、弧を描くように空中で蹴り上げる。
防具で覆われた足から水が噴き出し、弧を描いた際に水が飛んでいく。
高速で迫る水はロードの左腕を容易く切り落とし、さらに続いて翼も切り落とす。
所謂ウォーターカッターのような威力で水を飛ばした、と他の三人は判断する。
「よし!」
対吸血鬼用の攻撃ではないため、
自分が与えた傷以上に再生は早いものの、
一時的な飛行能力を削れるだけでも大きいものだ。
地上にさえ落としてしまえば、それで三対一が成立する。
「だが隙だらけだ、人間!!」
もっとも、その三人は成立しないのだが。
いくら滞空時間の限界や空中から引きずり下ろす為と言えど、
相手の目の前で多大な隙を晒してしまっては格好の的だ、
その背中へと回し蹴りが叩き込まれる。
「ガ、ッグゥゥゥゥ!!!」
咄嗟に水を展開することで多少威力を和らげたが、
あくまで多少。致命傷を重症に抑えたようなもの。
勢いよく吹き飛ばされ、此方も水を噴射させて勢いを減らしながら地面へと激突する。
「アンスリアさんッ!?」
舞が咄嗟に後方へと落ちた彼女の方へと駆け寄るが、
クルスは逆に駆け寄らず、全力で吸血鬼の着地を狙って動く。
戦場を元居た世界から理解してた彼にとって、その場その場の判断力は優れる。
一介の学生……と呼ぶには無理があるが、日常の範疇にいた彼女との差だ。
他人の心配は後。失敗したら何のために彼女はあれほど身を粉にして戦ったのか。
敵を倒して戦果を挙げることこそが、傷ついた人達に送るべきものだと。
無論、これは持論であり舞を非難することはしない。
(ロードの再生時間ってどれぐらいだったっけか!?
駄目だ、長らく吸血鬼と戦ってないせいで一部頭から飛んでる!)
こっちへ来てから向こう基準で言えば既に十か月以上の月日。
その間ほぼ吸血鬼と戦うことはないし、ましてや覚えることが多すぎた。
異世界の一般常識に言葉にホロックでの活動内容……探せば無限に出てくる。
吸血鬼と戦うことなく過ごした結果、基本はともかく細かいデータは朧気にもなるものだ。
だから此処からは愚直に行く。身体が覚えてることだけを頼りに戦う。
元より頭がいいとは言えない彼にとってはそっちの方が気楽だ。
着地した瞬間迫る銀のカギ爪。
両腕を喪った状態である為、蹴り上げた足で受け止める。
「硬……ッ!」
先ほどまで肉を裂くのと同じぐらいに簡単に切り裂いていたが、
その子供らしい柔肌は一瞬にして硬質化して刃を通そうとしない。
「先程から不意打ちで後れを取って防げなかったが、
君達教会の人間の刃を防ぐ手段は、君達の言うロードなら持ってるものさ。
もっとも、今まで君達にやられた程度の相手が本当にロードか怪しいけどね!」
硬質化した足を以てクルスへと突くような無数の蹴り。
片足だけで姿勢を保ちながら前へと跳躍しながら迫るそれは、
当たれば首が吹き飛ぶどころでは済まない小規模の嵐とも言うべき一撃。
防ぐようなことはせず、横へ転がって攻撃の範囲外へと逃げる。
「ほらほら! 子供相手に防戦なんてしないでかかっておいでよ!」
ホッピングの要領で跳躍からの急降下でくる踏みつけを、
なんとか転がって避け続けるが態勢を整えられない。
吸血鬼の膂力と重力、当たれば致命傷になりうるものだ。
現に彼が踏んだ石畳は、小さいクレーターを作っている。
当たれば確実に命に係わるだろう。
(マイは……いや、頼るのは難しいか。)
正直なことを言うと、本当に彼女が武勲のある相手とは思えてならない。
戦いにおいて場数がある動きはなく、上位に位置する魔物の相手すら倒せるなら、
今のロード相手でもそれなりに戦えるはずなのに、此処まで特に何もしていない。
話に尾ひれがついた内容なのだろう。アンスリアも初対面だったようなので、
彼女がどのようにして戦果を挙げていたのかも知らないようだ。
それを悪いとは思わない。彼女も自分の評価は不適切だと言った。
責めることはせず、自分が何とかしなければとチャンスを伺う。
「無様だねぇ! 人間はそうやって地べたを───」
「pillar(柱)!!」
そこから言葉を紡ぐことはない。
突如路地裏から飛来したものが直撃し、吹き飛ばされたから。
起き上がってそれが何かを見やれば、一瞬目をぱちくりと何度も瞬きをしてしまう。
「は、柱?」
人の腕程に太い柱が、何故か路地裏から伸びるように出てきていた。
先ほどまであんな柱はなく、と言うよりこんなものがあったら普通に迷惑だ。
証明するかのように柱は今の衝撃で簡単に砕けて粒子となって消滅していく。
崩れ落ちる柱の中、足音を響かせながら柱が出た路地から人物が姿を現す。
「遅れました! 第十班、一人ですが合流を……」
出てきたのは、戦場には余り似つかわしくない少年だ。
セミロングの銀髪を揺らしながら姿を見せた少年は、
アンスリアと似た青い軍服に近しい規律を重んじた格好をしており、
少年ではあるのだが同時にどこか大人びて見えていた。
「え、クルスさん?」
「……お前、ひょっとしてユウキか。」
どこか面影のある少年に反応が遅れたが、
銀髪の大人びた彼にはいつぞやかに会った記憶がある。
もう日数で言えば何か月以上も前の話であるので、
久々に会ってみればなんだか目線が近くなった印象だ。
どうやら、近頃の子供は成長が早いらしい。
「いやなんつーか……背、伸びたな。」
「あ、はい……お久しぶりです。」
「再会を祝したいが、まだ油断はできないな。
ところでなんで一人だけなんだ? 他はどうした?」
いくら一分か二分程度の攻防とは言え、
此処に来るまでにやってきた救援が僅か一組、
しかも残りのメンバーがいないと言う体たらく。
流石にこれについて物申したくなるものだ。
「どうやら模倣犯が何人かいたようで、
一部の方が模倣犯の対応に追われていまして、
ついでに騒ぎに乗じて賊の一味が行動してるようで、
それらの対処に当たってる為結果的に自分だけになってます。」
少年、雄輝は物質に近い何かを短時間の間だが作ることができる。
今の柱も右腕から生えるように生成させたことで攻撃にしたものだ。
なのでこうして戦場にいること自体はおかしいことではなかった。
年端も行くか怪しい子供に任せるには無茶な仕事ではあるが、
ホロックに属する場合は年齢は無視されるので当然だ。
「特に自分の力は大雑把なので、
人が密集した場所だと危ないので……」
「ああ、納得した。確かにそれもそうか。
しかし火事場泥棒ねぇ……民間人優先とは、
流石ホロック様だ。従業員は勘定に入れないってか!」
軽く埃を払いながらロードが飛んでいった方へ走り出す。
討伐してる間に住民は虐殺とか被害にあってては面目丸つぶれだし、
ホロックと言う組織の基本は自警団と言ったところが主でもあり、
従業員の命よりもまずは一般市民を優先するのは決しておかしくない。
クルスも吸血鬼と戦うときがあれば、なるべく市民を優先する方だ。
自分のように吸血鬼によって家族を喪ってほしくないがゆえに。
自分はなりたくてなったが、同じような道を歩んでほしくない。
ただ、救援がないのは都合がいいとも思った
あれがもし親の仇であれば他人に討たれたくない。
ついでに聞ける情報もあれば聞きたくもある。
彼が模倣犯だった場合もそこから仇の情報に繋げられる。
雄輝は見知った相手だ。ある程度理解もあるはずだ。
「見事にグロいなおい。」
辿り着いた先は馬車を使うであろう広い路地。
近くの建物に衝突して地面に突っ伏せた相手は雄輝の攻撃により、
上半身と下半身がちぎれかけた状態で、しかも肉体も潰れかけてる。
此処までボロボロにされた吸血鬼も、そうはいない程にグロテスクだ。
勿論油断はしない。灰にしない限り吸血鬼は絶対に死なない。
再生しきる前に、心臓に杭を刺すべく全力疾走で迫る。
「ッ!」
人であれば動く以前に死んでるであろう傷を、
再生させながら即座に起き上がり、再生した腕を硬質化させ振るう。
豪速で迫る一撃もまた、当たれば致命傷は避けられない。
「強すぎるってのも問題だな!」
しかし攻撃手段が雑だ。
ろくな経験が積まれてない素人の攻撃。
知識はともかく、クルスは戦いの研鑽はずっと続けている。
いくら強い攻撃でも、わかりやすい軌道では回避は容易い。
特に相手は子供の姿だ。腕は細く、避けることは更に容易だ。
前屈みになるだけで攻撃をかわして、心臓めがけてカギ爪を突きさす。
「ッ、ふざけやがって……!」
が、できない。
氷のような結晶が服越しに展開されて刃が通らない。
心臓には全く届かない。
(ロードで此処まで死なない能力に特化してるのは初めてだぞ!?)
吸血鬼が持つ異能は多種多様だが、
出会ってきたのはいずれも攻撃性が高い。
と言うより、普通は死なないから防御等いらないからだ。
これほどまでに防御に極振りした能力は初めて見る。
「こういう戦い方をする敵には慣れないようだね。
生憎と僕は他の下等吸血鬼とは違う。防御をおろそかにする奴とは違うのさ。」
「ハッ、最初に人間の拳と慢心した奴が言うことじゃねえだろうがッ!!」
このまま押し込んだところで勝ち目はない。
素直に引いて距離を取るも、すぐさま間合いを詰められ顔面に拳を叩き込まれる。
「Arm(腕)!」
後方から雄輝がマジックアームのような、
洗濯ばさみに似たものを先に飛ばしてクルスの身体を挟んで引っぱる。
そのおかげで拳が顔の表皮をかすめ、眉間に赤い筋が浮かぶだけで済む。
「助かる!」
「Hammer(槌)!」
すぐにクルスを解放させながら、
武器として十分に機能する程度に大きめの槌を作る。
斬撃や刺突がだめならば衝撃で行くのは定石だ。
拳が空振りになったことで隙だらけのロードへそれを投げつける。
飛来したそれを腕で防ぐがれるも、砕くことは成功した。
(浅いか。)
削れたのはほんの一欠片か二欠片程度。
人間で言えば表皮よりちょっと肉が削がれただけだ。
「ふむ、確かに削れるが……粗悪品だね。
これを百や二百やれば砕けるかもしれないが、
途中から息を切らし始めてるのを見るに、疲れてるんだね?」
言われて雄輝の様子を見るが、
少し息を荒げており、肩が上下している。
短距離走っただけにしては、明らかな疲労だ。
「お前、疲れてるのか?」
「だ、大丈夫です。まだ、いけます!」
賊の制圧に少し加担した際にも能力を使っており、
クルスの救援までの移動にも、そして今の戦いにも使っている。
かなり酷使しており、はっきり言って無理はしてるがそれを言うことはない。
「君等の言葉は分からないが、なんとなくわかるよ。
所詮それが人の、吸血鬼ではない異端の限界と言うものだ!!」
ロードの背後から赤黒い槍が形成され放たれる。
無数の弾幕は石畳へ突き刺さりながら二人へと迫り、
二人はすぐに散開して的を集中させないようにしていく。
「Hammer(槌)!」
ロードの右側からハンマーを作りながら、
左側はクルスが回り込みながら接近して蹴りを叩き込む。
靴は純銀ブーツなので重くとも、カギ爪よりはましだと願う。
これに対してロードは迫る蹴りを硬質化させたで左腕で対処しつつ、
雄輝のハンマーは蹴り上げるだけで、簡単に破壊された。
「能力の応用性は優れてるが……弱いな。」
成長すれば対等であってもおかしくない力だが、
所詮は子供。未熟だから戦いにおいて死ぬ哀れな弱者。
どこか侮蔑の眼差しと共に蹴り上げた足を引っ込める。
(やばい!)
雄輝は異端ではあるようだが、
自分よりも戦闘の経験や鍛錬は浅い。
このまま攻撃を受ければ自分のような回避は厳しいし、
庇うにしても自分のいる場所は反対側。とても間に合わない。
蹴り上げた足が槍の如く、鋭い突きとなって雄輝の内臓を破壊する。
その光景を想像して間に合わずとも動こうとするが、
「くそっ、動かねえ!」
ロードの硬質化が自分にも侵食しており、
触れたカギ爪が離れることができなくなってる。
単純な硬質化と言うよりは触れた相手を石化できる、
そういう能力の類だと理解することになるがもう遅い。
二人に出来ることなど、もう何もないのだから。
死ぬときはあっさり死ぬなんてものは元の世界でもありふれたものだ。
此方の世界ではより目の前で人の死を見ることになっている。
だから、受け入れざるを得ない。
(嫌だ。)
───んなわけがあるか。
死にたくない。ありふれた生存欲。
この世界へ来て早々、雄輝は死にかけた。
見知らぬ場所へと飛ばされて、見知らぬ魔物に襲われて。
文字通り死ぬ思いで生きのびて、そこから更に頑張って生きている。
嫌なことの方が多かった。幼くして社会人、あるいはそれ以上に厳しい立場。
自分の能力を疎ましく思ったこともある。会いたくない人だって出てきた。
それでも、そんな艱難辛苦をなんとか乗り越えて今日まで生きてきている。
だから諦めたくない。意地汚くても生き延びたい。
(なのに、どうして自分は弱いんだろう。)
咄嗟に盾は作っておくが、
彼は物の構造を大体を理解していて、
作るものを宣言することで形を認識した状態で物質を作る。
だから工程を何もかも省いた鉄の板を咄嗟に作ったところで、
それは紙切れに等しい。『鉄の見た目をした何か』でしかない。
刹那のような時間の中、ひっこめられた足が動き出す。
弾丸のような蹴りが時期に来る。それに反応できる早さはない。
肉を裂くような音が周囲へと響き、全員が凍り付いたかのような空気に襲われる。
雄輝も。
クルスも。
───そして、ロードですらその対象だ。
足はまだひっこめたままだ。雄輝に怪我はない。
では、今の音は何なのか。誰が何をしたと言うのか。
「やっと『影』が繋がった、待ってたわ……!」
ロードの足元───否、
影の中で舞が水面から浮かび上がるように、
毒々しい色の短剣によって彼の白い足へと突き刺した音だ。
「マイ!?」
此処にいることに驚きが隠せない。
ついてきた足音はないし、あの時アンスリアを見てたはず。
いつの間に、と思うがそれは無理からぬことではある。
彼女もまった特異な力を持った異端の一人であり、
見ての通り彼女は影を水のように潜れるだけの能力。
雄輝が姿を見せた際に、舞はひっそりとクルスの影へと潜り込んだ。
余り討伐する使命感はないが、自分だけ此処までろくに働いてないのは、
悪いと言う認識はあって一番近づけるクルスの影へ潜り、タイミングを伺っていた。
とは言え目まぐるしい戦い。一般的な社会の中で生きてきた人間。
クルスのような戦い慣れしたわけではなく、雄輝ほどの苦境もなく。
なので適切なタイミングは何度かあったが、うまくできなかった。
そしてクルスの攻撃、基影がロードと重なった上に硬質化で固定されたお陰で、
クルスの影からロードの影へと移動することができて、今に至っている。
「君も異端か。随分と貧弱な能力だ。」
多少は驚かされたものの、
見れば何ともお粗末なものだとロードは憐れむ。
逃げには確かに強いかもしれないが、所詮それだけ。
攻撃を強化するわけでも、身体能力も上がるわけもなく。
たかがナイフを刺されたところで、なんら恐れることはない。
そう、普通のナイフならば。
「ガ、グッアアアアアアアアアアっ!?」
突然の絶叫と共に端正な顔が、ひどく歪みだす。
血を吐き出し、白目を剥くと言う悍ましい光景だ。
硬質化が解除されたことでクルスは一度距離を取る。
明らかに様子がおかしく、下手に手を出すわけにはいかない。
と言うより、明らかに毒物を受けたときのような反応だ。
下手に近づけば、自分が毒にやられる可能性があっては当然である。
「ソーリー。アイアム、ノット、イングリッシュ。
で、伝わるわけないか。英語の勉強、してくればよかった。」
ナイフをしまいながら、水面から飛び出したイルカのように、
勢いよく影から飛び出してクルスの隣へと着地する舞。
「吸血鬼でも毒は通じてくれるんだ。」
「いや、毒にしては威力強すぎるだろこれ……」
毒物と言うのも吸血鬼退治に使うと言う考案はあって、
事実使われてその反応を見たことは一応あるにはある。
とは言え、今まで見てきたどの毒よりも吸血鬼に通用してる。
彼女が握る紫色の短剣は、一体どんな毒を仕込んであるのか。
(ああ、そういうことか。)
昼間に言ってた出鱈目に強い武器があるとはこのことか。
一刺しして、後は逃げてしまえば安全に成果を挙げれる。
同時に影に忍び込めば容易に逃げ切ることだってできてしまう。
これなら傷を負うことはないので必然的に話に尾ひれがつく。
実績とは裏腹に経験が浅いのは当たり前だ。これでは身につくわけがない。
そりゃ、彼女だって正当な評価じゃないと言いたくなるのは分かる。
(けど、俺は敬意を表するぞ。)
確かに強い武器を持ってはいる。
しかし、そうであっても戦場に立てるかは別だ。
あれだけの暴威を前に恐れずに攻撃できるのであれば、
決して彼女が評価以下の人物であるとは思わない。
「ところで、とどめ。」
「近づいて大丈夫だよな?」
どうみても劇毒の類。
皮膚の接触でもアウトかと微妙に怖くなる。
足だから左程触れることはないにしても、だ。
「とりあえず触れるだけなら大丈夫。」
「了解。」
返事をすると同時に再び距離を詰める。
首にかけていたロザリオを外してそれを構える。
何故ロザリオを、とは二人とも思うことだがすぐに気づく。
ロザリオではあるものの、その先端が鋭利な杭であることに。
吸血鬼を殺す為に必要な心臓へ杭を刺すために使うステークロザリオだ。
聖職者としてロザリオは持ちつつも、暗器として持ち運べるように。
「人間、風情があ!!」
悶えていた中、ロードが毒の根本の足を切り落として飛ぶように距離を取る。
三人から離れながら足を形だけ作って立ち上がったが、表情は先ほどまでとは違う。
吸血鬼だけあって鬼と言わんばかりの憎悪と怒りの形相に満ちており、
愛くるしさがあった少年とは一切無縁な姿へとなり果てている。
視線だけで舞が錯覚で胸に痛みを感じて抑える。
「嘘、あの毒を受けてまだあんなに動けるの……?」
舞が知る限りでは最強の毒だという認識でこの動きよう。
何回も魔物に刺し続けて、時間がたってもなお動けるものなのか。
本物の化け物との戦いをしていると言うことを、改めて自覚して及び腰になる。
「ロードって高確率で教会と戦ってるからか、
どうしても毒を受けて耐性が上がってる状態になるんだ。
つっても、こっちの毒と同一なわけがないし耐性も限度がある。
かなり弱体化してるはずだ。能力も不安定な今一気に攻めるぞ!」
クルスの考察に苦虫を噛み潰したような表情になり、
三人(なお舞はクルスの影に潜り込む形で)が一斉に動き出す。
時折顔に硬質化が出たり消えたりしており、不安定なのは事実だ。
右側へ回り込みながら雄輝が両手に多量のナイフを精製してからの投擲。
ナイフ投げは下手なようで真っすぐ飛んでる方が少ないぐらいの雑さ加減だが、
飛んできたそれをいなすとロードもその意図を理解する。
(この子供、見た目だけ取り繕ってやがる!)
ナイフは切れ味はすこぶる悪く、刺さってもかすり傷程度。
あくまで雄輝自身の魔力で錬成したものは、元の物質に近い何か。
決して純銀ではないので、とてもこれがダメージソースにはなりえない。
だが、それでいい。
(貰った!)
ナイフは所詮見掛け倒しの囮でいい。
囮だと分かって反対側へ視線を向ければ、
そこには左側へ回り込むクルスの右ストレート。
ナイフに注目してたせいで注意がそれてしまい、
既に右ストレートが迫った状態にまで距離が縮んでいる。
(この男のことだ、右手にもカギ爪が仕込まれているはずだ!)
此処でこの拳を受ければ脳天にカギ爪が突き刺さる。
心臓さえ無事なら死なないにしても、頭部のダメージは致命的だ。
だから絶対に攻撃を受けてはならないと形だけ保った左手でその手を掴む。
毒のダメージが強烈すぎて握り潰すことは出来ずとも、
骨にひびを入れるぐらいの膂力は十分に残ってる。
ミシリと嫌な音と共にクルスの顔はしかめるも、
「そう来たところで、問題ねえんだよ!」
目を見開きながら、右腕の袖から出るのはカギ爪ではない。
銀色に輝く棒───否、杭だ。
「な!?」
(やっぱこれ便利だったな!)
元々クルスはカギ爪を両腕につけてのリーチ差も考えていたところ、
この地域一帯のホロックを束ねる管理人の一人であるジーニアスが、
いくつか趣味で作った武器の試作品のテストを務めることになった。
その中で特に使えそうだと思ったのは、この杭である。
クルスの不意打ちと言うスタンスを崩すことをせず、
吸血鬼相手に一撃を与えることができる、飛び出す杭。
ただの射出ではない。魔力で加速させた杭は最早弾丸だ。
例えるならば、見た目が凄く地味になったパイルバンカーだろうか。
常人が使えば理論上腕が折れるだろうと言われるそれではあるものを、
威力をある程度常識的なもの(この世界でだが)に抑えた結果、彼も扱うことが可能だ。
当然ながら杭は純銀。当たれば吸血鬼でも致命傷に足りうるものだ。
「ガッ……この、ガキがああッ!!」
喉を杭が貫通し、焼けるような痛みに叫びながら、
腕に力を込めればバキリと共にクルスもまた激痛が襲う。
腕が折れた、と言うより砕けかけてはまともでいられない。
「そのガキに、てめえはぶっ殺されるんだろうがぁ!!」
だからと言って攻撃の手を緩めることはない。
この手の傷は嫌と言うほど受けてきたが、
何より痛いと思ったのは自分が動けず教会の同僚が、
自分と同じく家族を吸血鬼によって喪う瞬間を見た時だ。
そんな痛みと比べれば、腕の二本や三本くれてやる。
空いてる左手による銀のカギ爪が迫る。
そちらも再生した右腕で掴まれて動きが止まるが力が弱まってるのか、
掴む手は震えておりガタガタとカギ爪の音が小うるさく響く。
相手も相当な限界を迎えていることが伺えて、
押し切らんと全力で押し込まんとする。
(獲った!)
疲労してるからか、舞は飛び出す。
さながら水中から跳ねるイルカのように影から跳躍。
毒の短剣を構えながら重力に沿って落下する。
脳天に毒をぶつければ、致命傷になるだろうとの判断で。
「てめえらがこの僕を倒せるわけがねえだろうがぁ!!」
掴まれていたクルスを上へと投げ飛ばす。
来るのが人であり、咄嗟にナイフを捨てることを選ぶ。
謝って傷をつけてしまえば、ロードですらあれだけの絶叫だ。
生身の人間相手にやればどうなるかなど、想像したくもない。
だから捨てざるを得ず、そのまま投げ飛ばされたクルスの蹴りを受けて吹き飛ぶ。
(此処しかない!)
その隙を埋めるように槍を以て突っ込む。
即席で作った銀メッキの紛い物の槍だが、
多少の警戒でもと言う願いが込められたものだ。
「雑魚が!」
腕を振るうだけで簡単に圧し折れ、そのまま顔面に回し蹴りが炸裂。
毒で弱体化してなければ即死していた一撃は脳震盪で済まされるが、
当然そんな状態では地面に転がった後もまともに動くことは出来ない。
そのまま背中を強く踏みつけられ、肺にたまっていた空気を吐き出す。
「どいつもこいつも腹立たしい。
お前達が支配者を呼ぶ理由を理解しろ。
教会の連中が束になって戦って漸く勝てる奴を、
教会でもない雑魚数人で勝てるわけがねえだろうが。」
ジタバタともがく雄輝をさらに強く踏みつける。
少年から出るとは思えないような呻き声が漏れ出す。
「まあいい。こんだけ騒いで時間もやばいだろうしな。
てめえらだけも血を吸って、このふざけた毒を癒すとするか。」
まともな声が出せない三人のうめき声を余所に、
抵抗する力もない三人を見渡して悦に浸る。
「死んだ人間の血液は味が落ちるが、まあいいだ───」
言葉を紡ぎ終える瞬間、
ロードの視界が急に下へと落ちていく。
地面に穴が空くようなことは起きてない。
ではこの落ちる感覚は何なのかと。
視線を下に向ければ漸く理解する。
自分の上半身と下半身が、分離していたことに。
何が、と誰もが思ったその時だ。
「クルス君、武器を!」
アンスリアが脇腹を抱えながら。
路地からアンスリアが姿を見せる。
軽傷ではないが平時のクルスよりも動きは良い。
勿論ダメージは決して浅くないものの、気を失ってる舞や朦朧とした雄輝。
現状一番軽傷なのは彼女であり、すぐにクルスはステークロザリオを投げ渡す。
理解が追いついてないロードへと躊躇することなく、その杭を突き刺した。
「Earth to earth(土は土に)、
dust to dust(塵は塵に)
ashes to ashes(灰は灰に)……」
とどめの言葉を、代わりにクルスが呟く。
本来ならば自分でするべきことではあったが、
状況が状況だ。彼女に任せる以外の選択肢はなかった。
「僕が、負け、た……だと?」
分離された下半身から灰へと変わっていく。
自分が負けて死ぬことが受け射られない様子だが、
はっきり言ってクルスにとってそんなことはどうでもいい。
「死ぬ前に聞きたいが、ロンドンを賑わせた暴食吸血鬼はお前か?」
「冗談を言うな。あの方はそっちで言う上位種。
あんなところで人の血を吸うなんて下位種ぐらいだよ。
僕は模倣しただけさ。なんだ? あの方に家族でも殺され───」
「違うならとっとと死んでくれ。」
憧憬の言葉も、挑発の言葉も。
それらについてはどうでもいいことだ。
仇でないならクルスは躊躇なくステークロザリオを脳天に突き刺す。
眷属のように人間から変わってしまっているのであれば救済の意味合いがある。
しかしロードは殆どが吸血鬼で、仮に元人間であったとしても今の話を聞く気はない。
突き刺せばすぐに喋らなくなり、遠からず灰へと姿を変えていく。
「Road(支配者)なんて、お前には荷が重いな。」
ロンドンでも上にいるとされる、文字通りの支配者。
上位の吸血鬼が仇である可能性はなんとなく察することができた。
それが分かっただけでも大きいが、元の世界へ帰るまでは意味を成さない。
生きて帰らないと、灰になっていくロードを眺めながら心に誓う。
「あー、任務完了。つっかれ、た……」
全身が灰になったのを確認した瞬間、どっと力が抜けてクルス倒れた。
その音に反応し、他の二人を見ていたアンスリアが駆け寄る。
無理矢理体動かしてただけに近い状態なので、落ち着けばこうなるのは当然の帰結だ。
「クルス君!? 大丈夫ですか!?」
「あの、すいませんあいつの灰、これに詰めれるだけお願い、しま……」
落ち着きを取り戻せば、すぐに意識を手放して地面に突っ伏せる。
薄れゆく意識の中で思ったのは、とりあえず『休みたい』の一つだけだった。
◆ ◆ ◆
───数日後。
クルスと舞は入院して同じ病室のベッドに横たわってた。
舞は彼が投げられた際に飛ばされた蹴りで首が捻挫しており、
彼ほど重症ではなかったものの入院することになった。
雄輝は単純な打撲や脳震盪だけなので入院の必要はなく、
包帯を巻いただけで二人のお見舞いに来てるのだが……
「君、なんでそんな遠いわけ?」
舞とクルスが互いに向かい合う形の病室。
お見舞いの品となるフルーツの入ったバスケットを持ってきたが、
能力で棒をゆっくりと伸ばしながら台に置こうとする雄輝の行動に舞衣が訝る。
さながら西遊記に出てくる如意棒かのようにも見えてくる。
腫物か何かのような扱われ方については特に問題はない。
そういうことについては彼女は慣れていると言う意味合いで。
「すみません。ちょっと女性が苦手で。これでも大分改善されたんですが……」
「お前、前はそんなんじゃなかったよな? なんかあったのか?」
クルスが所属するホロックの管理人はエミレーツは女性だ。
彼が研修できていたことがある以上彼女と接してたところも見たことある。
その時は特に問題なかったはずだったが、以前とはまるで違う状態だった。
「……言いたくないです。ただ、マイさんは悪くないので。」
バスケットを置いた後、
申し訳なさそうに頭を下げてくる。
自分でもわかっている。人に不快感を与えてるぐらい。
それでもまだ完治はできない。それだけの理由が彼にもある。
「邪推した私もだから、お互い様ってことにして。」
少なくとも礼儀正しく、寧ろ苦手なのに歩み寄ろうとしてる。
健気な子供相手にあんまり考えるものではなかった。
「ゲームとかだと回復魔法とかあるけど、
この世界にはそういうのってないのか?
なんていうかパッと乗せる方が皆楽な気がするんだよな。」
教会はお堅いイメージはあるが存外フランクだ。
ゲームをする人もいれば、聖書すら読まない奴だっている。
だからクルスも過去は相当だが世俗に疎いとかそういうのはない。
回復魔法があれば医者は病を除けば殆どが必要でなくなるはずだし、
普及させてもいいのではないかとも思えていた。
「クルスが言うのは魔術じゃなくて魔法の領域だから、覚えてるのは希少らしいわ。」
魔術は人並みに使えるものにしたもの、
魔法は奇跡に近しい物で厳密には別物だ。
正直クルス達ディレント人には違いがほぼ分かってない。
そもそも元の世界で魔術と魔法を区別する部分なんてあった記憶がないのだから。
「あー、魔術と魔法違うんだっけか……回復魔術だとどういうのなんだ?」
「回復魔術は主に人の治癒力や薬の効果を加速させることで、
早期治療を可能としたものであるため骨折や捻挫なら治せますよ。
ただし人体が持つ治癒力を加速させる都合は負担も出てくるものです。
体力がある方や種族が特殊なら別ですが、そうでない為自然治癒と医者に進言してます。
クルスさんに巻いてある包帯は治癒力を加速させる効力があるので直りは早いですよ……」
雄輝と一緒に来て離席していたアンスリアが戻ってくる。
丁寧に説明はしてくれるものの、戻ってきた彼女の表情はげっそりとしており、
何かがあったと言わざるを得なかった。
「……どうしたんですか?」
「えー、こってり怒られました。」
『討伐命令の権限があるといえども、判断が余りにも早すぎる』
『クルスは対吸血鬼の心得があってもホロックでは見習いなので戦いは不適切』
『雄輝は討伐命令の許可を聞いてないまま戦闘に参加させている行為は十分問題』
などなど、他にもいくつか報告に対しての小言を言われてきたのが理由だ。
彼女が請け負ったので基本的に責任に関しては彼女に集約する。
「いやいや、危険を承知って俺参加したのに何で怒られてるんです?」
「自分も、集団戦の邪魔になるからと同じ班から言われたのでそう言われても……」
「あくまでそれはジーニアス様個人の判断です。
この辺りだと別で、真面目な人もいるんですよ。」
ホロックは確かに幅広く活動はしているが、
広いと当然全てが同一の考えかと言われれば別だ。
この地域の中心となるポルトルのやり方が、末端にまで行き届いてるわけではない。
一枚岩が悪いことばかりではないので、余り異議を唱えるつもりはないのだが。
「まあかなりの難敵でしたから、
特別手当も貰えるそうなのでいいんですけどね。
後少し甘く見てた吸血鬼に関する対策も強めると、
結構な功績になるかと……あ、クルス君。頼まれた灰です。」
「おお、ありがとうございます。」
手に収まる程度の小瓶に入るだけ詰められた灰。
あの時ロードの灰を入れるよう言われて詰めたものだ。
吸血鬼は有名ではあるが、より多くの弱点や人間に戻す方法。
そういうのを調べるためにもなるべくこういうのを集めてている。
当然だがクルスにはそれらを研究できる頭脳も技能も施設もないので、
持ち帰るまではただのかさばる荷物でしかないのだが。
「……っていうかアンスリアさん、
割とダメージ受けてましたよね? 傷は?」
ガードしたと言ってもロードに蹴られてたはずだが、
それにしたって普通に動き回りすぎではと思い軽く訝る。
「これでもホロックでも経験者ですから。
あれぐらいの絆ら私は大したことは───イダッ!」
笑顔で振るまっていた彼女の脇腹に、雄輝が棒で軽く押せば上がる悲鳴。
小声で痛みに悶える姿を見れば、やせ我慢していたのは誰が見ても明らかだ。
「報告や手続きで忙しいのは分かりますが、
身体が資本の仕事で怪我が残ったらどうするんですか。」
「子供に説教されるのって結構心に来る……」
雄輝がその様子に溜息をつく。
子供に呆れられては歴戦の猛者でも形無しと言ったところだ。
「でも模倣犯に火事場泥棒とてんやわんやだったから仕方ないってことで。」
「早急に診てもらってください。師匠には遅れると手紙出しますから。」
「……はい。」
言い訳無用とでも言わんばかりの返答に、
アンスリアはトボトボとしょげた顔で病室を出ていく。
凛としていて、嫋やかで、強い女性というイメージがあったが、
どうも今のやり取りを見ると、完璧超人ではないらしい。
「今更だが治安悪くねえか?」
模倣犯と賊が同時多発が起きるとか、
どんなことをしたらそんな治安になるのか。
ホロックの面子にもかかわるとは戦いの中思ったが、
治安の悪さを露呈してる時点で意味がないだろうと。
「南のホロックが今盛況らしいからじゃない?
管理人が変わって勢いがいいから、こっちに流れたとか。」
「そういうパターンか……ありうるな。」
治安が良くなれば今までと同じではいられない。
新天地を求めた結果とみるなら分からなくはなかった。
此方にとってはいい迷惑でしかない。
「それはそれとして、だ。二人は紺色の髪のソフィアって吸血鬼見なかったか?」
追っていた吸血鬼、
別の地域へ行った勇気や別の地域の舞なら、
彼女の事を知ってるのではないかと尋ねる。
「残念だけど、私は知らないわ。」
「前にも聞かれましたが、ソフィアって名前の人には心当たりはないです。」
同じ大陸にいるのかさえ分からない中、
たった一人の、それだけの手掛かりで探すなど簡単ではない。
「ま、だよな。まあ気をつけてくれ。吸血鬼だから。」
進展はしないのは何とも歯がゆいものだが、
一人でなんとかせざるを得ない状況であることを考えれば、
すぐに終わるようなものだとは思ってないので余り気にしない。
段々と範囲を広げていけば、いつかは見つかってくれることを信じておく。
「あ、自分も医者に診るよう言われてるのでこれで。」
「おう、またなー。」
雄輝も病室を出た後、
クルスは報告書に書くものを軽く纏めておく。
と言っても右腕はまともに動かせそうにないし、
利き腕でもない左腕なので簡単なものしか書けなかったが。
『調査記録』
『異世界に漂流(転移?)して約五か月の月日が経過』
『戻るまでの間の中、吸血鬼に関する殺人事件(?)に関与。』
『現地の人の協力の下、ロード種に相当する吸血鬼と遭遇。』
『別世界であるのと連絡は不可能の為個人の判断として、
マイ、ユウキ、アンスリアの三名に教会の持つ情報を提供。
これらの情報を口外しないように、口頭での警告に留める。』
(……これ書けないわ。)
情報量が余りに多い。
利き腕でもないのにこれらを一体どうすれば纏められるのか。
どうにもならないと思って『ロード』『きょうりょくしゃマイ、ユウキ、アンスリア』等、
忘れたらまずいところだけでもいいので書き足しておく。
「やっべ、これラスト語だ。」
雑に書きなぐったものではあるものの、
英語ではないことに気付いて結局書くのをやめる。
やることがなく、クルスはベッドに身を投げ出し空を眺めた。
今日の空もまた、吸血鬼が嫌いそうな燦然とした太陽が照らす快晴だ。