心は宝石のように
異世界にやってきた、若い社会人の話
主要人物
リョウ
異世界に来た人。元の世界では社会人
祖先が龍の末裔で、身体が鉱石に変化できる力を持つ
イルゴ
異世界の人。女性と見まがうレベルだが所謂オネエ
面倒見がよく、愛を以って接することを信条としてる
リン
異世界の人。性別が分かりにくい
本好きの魔術師で、リョウの先輩にあたる
空と言う白いキャンバスに、
水色の絵の具を塗りたくったと言うべきか。
雲一つない絶好の晴れ日和。
ピクニックには最適な天候の中、
「ぜぇ……ぜぇ……!!」
今にも死にそうな顔をした男が、山を駆けずり回っていた。
クリーム色のスーツを着たことで整った格好だが、
童顔のせいでどこか背伸びをした子供に見えなくもない姿。
どちらにせよ山を駆けずり回るのであれば、非常に不適切な格好だ。
不適切ではあるものの、彼は山を侮ったとかそういうことではない。
此処にいるのは自分の意志ではなく、事故の産物である。
会社に勤めてますと言わんばかりのスーツ姿の人間が、
事故で山奥を一人彷徨うなんてことがあり得るのか。
普通ならばあり得ない。そう、普通であれば。
(どうしてこうなったんだろう。)
この青年の名前はリョウ=ロイヴル。
顔は少し子供っぽいものの、れっきとした社会人だ。
そんな彼が此処にいる理由は唐突極まりないものになる。
彼は仕事の休憩がてら、飲み物を片手に屋上へと向かった。
向かった先は喧噪な音で賑わいながらも、晴れやかな空の筈。
だというのに屋上の扉の先は、空間が歪んでいるとでもいうべきか、
渦のようなものが宙を漂っており、少なくとも普通ではない現象。
勿論悪寒がして逃げだしたが、抵抗虚しくその穴へと吸い込まれた。
穴から出た先がこの何処ともわからない山である。
(どこかの異端の仕業?)
正直なところ心当たりはある。
彼の住む世界は『異端』と言う存在がおり、
定義は色々あるが、吸血鬼や人魚と言った伝承の存在を指しており、
それら人外の血縁故に、人ならざる力……所謂超能力を得ることもある。
多種多様で何があるかは誰にもわからない。ないものを探すのが困難だ。
だからこれも異端が何かしてきた、そう思いながら必死に山を下っていた。
所詮は推測だ。誰にもわからないし、わかっても状況の改善はされるわけもなく。
今は目先の、フランスなのかもわからない今の状況の方が彼にとって大事である。
このままだと会社へ帰るどうこうではなく、生命の危機すらありうる状態なのだから。
「山での遭難は頂上へ行く方がいい、って言うけど……」
突然転移して山奥にいる場合どうしたらいいですか。
そんなもの遭難の際の対策に書いてあるわけがないでしょ。
一人虚しく脳内で突っ込みを入れながら一先ず下山を目指す。
野宿することもできず、そも彼は遭難の際の行動を把握できてもない。
無暗にそれっぽいことをやるよりも堅実に下山する方がましである。
「!」
草木をかき分ける音が背後から迫る。
山にいる以上生物との遭遇はありうることだ。
熊だった場合に備えて、背中を見せないように正面を向く。
あれだけは有名なのでなんとなくだが記憶しており、
うまくいくかどうかはわからないがやるだけやっていく。
できることなら人であると願いながら振り返ると。
「……sanglier(猪)?」
四本足に立派な二本の角に見えるかのような牙。
所謂猪ではあるが、彼の言葉は『熊じゃなくて猪か』の意味ではない。
『これ猪だよね?』と言う、一つの疑問でもあったからだ。
牙と表現したものの語弊がある。牙は牙でも一般的な猪が持つのは、
所謂曲線を描いた角みたいなのがイメージされやすいだろう。
しかし目の前にいるのは、その牙がどうみても剣のような形状である。
異端が存在する世界であっても、こういうのは見たことも聞いたこともない。
「いや、冗談ですよね?」
こんな猪いてたまるか。
苦言を漏らしたくなるがその暇はない。
言葉を紡いだ瞬間には既に猪が突進しており、
刃のような牙を彼へと突き立てたのだから。
避ける間などない。動こうと思った時点で遅い。
衝突した衝撃で吹き飛ばされて山を転がっていく。
猪の突進を受ければ軽傷では済まされない。
車に轢かれたようなものであり、運が『よくて』重傷だ。
そのまま下り坂をボールのように跳ねながら転がっていき、
急斜面により追走ができないので、猪は諦めて何処かへと行く。
珍しい話ではない。野生の動物に出会って襲われて命を落とす。
状況に至るまでの間が特殊すぎるが、結末はありふれたものだ。
「イッツ……! イダダダダ!」
彼が普通であればの話だが。
リョウは右腕を抑えながら起き上がる。
牙を突かれた割には軽傷で、腹部も出血は全くしておらず、
スーツに穴が開いただけ。そこから先は刺し傷はなかった。
これは意外と単純な話であり、それは彼が人ならざる『異端』であるだけ。
彼は人間ではなく、生まれであるフランスで少しは名の知れた龍の末裔である。
お陰で彼は自身の肉体を鉱物ぐらいの硬さにできるので、刃物は通じない。
と言うより猪が追走を諦めたのは剣のような牙が折れたことも理由の一つだ。
牙が折れるような奴を相手にしていては、消耗するだけなので当然であるも、
そんなことは今の彼に知る由もない。
「涙出てきた……痛い。」
とは言え硬くなれるイコール無敵にあらず。
確かに突進のダメージは硬化したことでほぼないが、
最初の衝撃で飛ばされた際、右腕を石にぶつけてしまった。
お陰で腕には軽くひびが入り、一部分は山の何処かに散っている。
正直このときの痛みは普通にぶつけて骨折した時の方がまだましだ。
例えるならば硬化状態の彼はゴムを使ってない自転車のホイールと言うべきか。
車輪だけだと段差などの衝撃は酷いが、空気入りのゴムタイヤが和らげる役割を持つ。
硬化してなければ骨折で済んだが、砕けた部分は皮膚どころか本来肉も混ざってる。
表面なので致命傷ではないが、肉そのものが削れたようなものなので当然激痛だ。
一応人外なので再生力は高くいずれは戻るだろうし、硬化すればひとまず止血も可能。
だが、異端と言うのは世間では人を迫害するのが一般的な扱いであるため、
リョウも人前では使わないようにしていたので、当然余り使い慣れてない。
なので痛みの余り時折能力が解除されてしまい、血が流れだす腕に青ざめる。
痛みにより手は震え、表情も恐怖に引きつった顔と言っても通じそうなほどだ。
「とにかくえっと……」
一先ずやるべきことである止血に見せかけたカモフラージュをしておく。
上着を脱いで、腕に巻いて止血をした風に見せかけた状態で下山する。
実際は覆った上着の中で腕を硬化させてるため止血の必要はないが、
人に鉱物のような腕を見られれば、異端とばれてどうなるかわかったものではない。
怪我人を装うように軽く出血させて、血をにじませたのを確認してから硬化をしておく。
「意志を強くもて、リョウ……」
弱音を吐きたくて仕方がなかった。
尋常じゃない痛みに気を失いかねない。
右手の親指にはめてある指輪を見ては震えた声つぶやく。
若者で特別裕福でもない彼が持つにしては、宝石がついてて高そうな指輪。
これは彼が親から受け継いだお守りのようなものだ。
邪魔になるとき以外は肌身離さず付けるぐらいに大切にしている。
龍の末裔たるリョウの家系が受け継いできた宝石、ダイヤモンド。
光が差し込めばその輝きは宝石の代名詞ともあって派手に輝く。
目に見える形で映る受け継いだものを見ながら、必死に下山を目指し───
「おいあんた大丈夫か!?」
陽が落ちる前に下山したうえに、
麓に見えた村まで自力でたどり着いた。
人間ではないお陰で常人よりも痛みには強い部類、
と言うのを抜きにしても彼自身もここまでこれたのは驚いたことだ。
農村のようなのどかで広々とした場所で恰幅のいい中年男性に心配されるも、
「言葉が、違う……?」
相手が何を言ってるのかわからない。
表情から心配してくれるのは分かるが、
言葉が通じないのでは意思の疎通ができない。
「すみません、手当をしたいのですが医者か病院の場所を知りませんか?」
英語ならどうだろうか。
多くの国で全く使われないことが稀であろう言葉。
英語は話せなくても、医者とかの断片的な単語ぐらいは分かるはず。
「え、ディ、ディレント人なのかあんた?」
だが相手は言葉に応じることはなく、
頭を抱えてどうするべきか思考を巡らせる。
英語が伝わらないと言う事実に、血の気が引く。
信じたくない。英語すら伝わらない場所があるのか。
一体どこへ来たら、こんなことになるんだと。
「お願いです、早く医者を呼んできてくださいッ!!」
余りの焦りに人を頼むような態度ではない怒号を日本語で飛ばす。
母方が日本人であるため、日本語に関してもそれなりに喋れる方だ。
この負傷で下山できたと言えどもはっきり言って体力は限界にある。
痛みも合わさり意識も朦朧としつつあるので本当に余裕がない。
「大丈夫なのか? 誰か呼べばいいのか?」
話が通じず心配そうだが何を言ってるのか分からない。
これら以外の言語は余り喋れないので、事実上の打ち止め。
何処か分からない場所に放り出されてると言う事実。
今まで逃避していたものが現実であると言うトドメを刺され、
糸が切れたかのようにその場で倒れる。
痛み、疲労、出血とこれでもかと言うぐらい身体は悲鳴を上げていたのに、
その結果は望んだものから遥か遠い現実についに限界を迎えた。
霞む視界と思考を放棄したくなるようなもやがかかった状態。
どこかも分からないような場所で終わるなんて考えたくもない。
だが抗う術は何もないまま、意識を落とすことになる。
「助かった……?」
意識が戻った時に思ったのはその一言。
腕には清潔な包帯。服も病衣のような身軽な恰好。
これで助けてもらった以外の感想は中々出せない。
あたりを見渡すとホテルの一室のような洒落た一室。
電話がないと言った違いはあるが、どちらにせよ病院とは思えない場所。
不思議に思いながら近くに置かれてた靴を履いて部屋の外へと出る。
レッドカーペットを敷かれた物静かな廊下は足音の音がよく響く静けさだ。
厳密には音は聞こえる。外の雑多な声や何かしらの生活音はある。
窓から外を見やれば人の往来する姿がよく見下ろせるのだが、
(え、何これ。)
世間一般の昼。人が往来するのは当たり前なことだ。
だが往来する人の恰好は、彼の描く世間一般とはかけ離れている。
かけ離れてると言うより時代を数百年戻したかのような光景。
鎧を着こんだり、武装してる姿は職質待ったなしだろう。
(いやいや、そんなまさか。)
異端はいるが異世界、
あるいは過去に飛ぶなんてあるわけがない、
もしそうでも、信じることは絶望への第一歩になる。
当然だ。そんな場所からどうやって帰れると言うのか。
簡単に行き来できるのであれば、世間でもそれらは認識されるはず。
勿論、リョウの周りではそんな認識はなければ噂も聞いたことはない。
加えて、倒れる前に会話した人も言葉が通じなかったことが、
その可能性に拍車をかけている。
(お願いだからそういう類ではありませんように。)
最悪の事態に軽く祈っていると、
食欲をかき立ててくる匂いに強く反応する。
おなかは空いてる。助けてもらったうえで図々しいが、
できれば食事にありつけないかと匂いの場所へ向かう。
確かに食欲が理由だが、料理の匂いがあれば人もいると言うこと。
今の状況を知るには人の存在は必要不可欠なので匂いの方へと向かう。
匂いを追っていると、扉のない一室から来ているものだと分かり顔を覗かせる。
料理中に相手を驚かせる動作をするのは場合によっては危ないが故の行動だ。
(綺麗な人だ。)
鍋を煮込んでいる相手の横顔は実に端麗だ。
淡黄色のウェーブはよく手入れがされたのが素人目でもわかり、
細身な身体はどこか儚さを感じさせ、人形のような美麗さだ。
ノースリーブどころか脇腹も見えてしまいそうなほどに開いた服は、
端麗さとは裏腹に色香を醸し出していてギャップと言うアクセントを生む。
媚びていると言われかねないものだが美しさと色っぽさ、
双方を兼ね備えた雰囲気に見とれていると、
「あら御目覚め?」
視線に気づき微笑ながら灰色の瞳を向けられる。
芸術的な美しさが感じられるものであるため、
忘れることはないであろう姿ではあるのだが、
記憶に残るのはそう言う意味だけではなく。
「男の声だ───!?」
余りにも地声が低いのだ。
鈴のような声かと思っていたら、
洋画とかで男性の声を担当してそうなダンディな声色。
流石に此処で気づいた。相手は女性ではなく、男性だと。
「いつも通りの反応ありがとね。」
リョウ自身にそれらに対する偏見はない。
フランス人は勢いのある人物が多いと言われることもあるが、
ある意味リョウもそれに似て同性愛は大いに結構だと思っている。
故に驚くだけで、それ以上の感想は何もなかった。
「怪我の方はもういいのかしら?
あ、私はイルゴ=ガーデンよ。貴方は?」
見た目と声のギャップはすさまじく、
そのせいで気づくべきことに遅れた。
彼(彼女?)の言葉が英語であることに。
「え、あ、一応は大丈夫かと。
って、英語を話せるんですか?」
「ええ。貴方達ディレント人はこのエイゴ?
をよく使うってのは伝わってるから学んだのよ。
私も十分に話せるようにしておいて正解だったわ。」
胸を撫で下ろしながらの微笑も実に美しい。
そう言う嗜好を持っていない筈のリョウでさえ見とれてしまう程に。
ただ、重要なのはそこではなく謎の単語の方が気掛かりで我に返る。
「ディレント人?」
質問をすると、イルゴは色々と説明をする。
予想したくなかったものは現実へと変わった。
此処はリョウのいる世界とは異なる世界であり、
ラスト語と言ったこの世界でよく使われる言葉は、
いずれも彼の知らない言語であることもあって否応なく理解する。
「あの、戻る方法は……」
「同じことを……ゲール(二つの世界を繋げる次元の穴のこと)に入るしかないわ。
でも、私達はゲールが研究対象。それを譲るってことは、非常に高額になってしまうの。」
どれだけの値段を要求されるかは語られない。
此処での物価の相場をリョウは知らないのだから、
値段だけ言われてもわかるはずがないのでその辺の配慮か。
だが高額であると言う言葉で十分に察することができる。
「異世界のお金もない僕には、無理と。」
現在この世界の金銭、この世界においてはギルと呼ばれるものはゼロ。
衣食住すべてにおいて不足している状態でありながら仕事もない。
此処から生活基盤を整えて、その上で元の世界へ戻るなんて途方もない話。
何年かかるかわかったものではない。
「酷な話だけどそうなるの。勿論自分で見つければいいけど。
高額な理由には希少性からも来ている……諦めることも大事よ。」
希少なものは値上がりする。
彼もよく知ることであり、どうしようもない事実。
ゲールは空間が歪むことで偶然発生するものであり、
保存することも簡単ではないとされる代物だ。
となれば元より高いものは更に高騰するのは予想できる。
「確かに、そうかもしれないですね。
ですが戻ることを諦めるのは出来ません。」
はいそうですか。
で納得できる程諦めやすい性格でもないし、
元居た世界への未練はいくらでもあるというものだ。
全部クソみたいな人生であれば投げ捨てたかもしれないが、
リョウの場合はエリートと言う程の順風満帆ではないものの、
安定した生活が望めていたわけだ。余り捨てたくないし、
やはり家族に行方不明のままと言うのもよくない。
「いい目ね。子供と侮っていたわ。」
「僕これでも成人済みです。」
スーツがあっても子供の背伸びに見えると童顔なのに、
今の恰好では学生でも通じるだろうことは自分でも分かってる。
これについては少しばかりコンプレックスでもあったが。
「それは失礼……こうなったのも私達の責任、
私達が経営してる『ホロック』で働いてみる気はない?」
「ホロック?」
街の警備や魔物退治、単純な手伝いなどなど。
様々な職を斡旋する、所謂ギルドのような存在だ。
或いは何でも屋と言う方が話が通りやすい。
ディレント人は現代でしていた仕事はばらけており、
それもあいまって多種多様な仕事はある程度用意されてる。
「けどその前に。貴方には最低限の生活を覚えてもらうわ。」
英語を話せるのはイルゴ以外はほんの一握り。
今後多くの人と意思疎通を図るのであれば、
ある程度の言語を把握しなければならない。
言語だけに非ず。物の価値観とかの文化の違いも必要だ。
「が、がんばります。」
割と色々必死に勉強して社会に出たが、
学生に逆戻りしたかのような感覚にため息を吐く。
勉学は嫌いでないにしても、好きかと言われると別になる。
イルゴの付き添いなしでは意思疎通は出来ないため、
しばらくの間はイルゴと共に料理当番をメインに雑務に徹することにする。
(その間の宿代や食費にはたりえないので出世払い、基後で返すことになっている。)
曲がりなりにもホロックを纏めてる管理人と言うポジションではあるが、
雑務なら信頼のおける人物がいるし、そもそもイルゴが動くこと自体が稀だ。
そのおかげでリョウも街を観たりとこの世界についてよく理解していく。
(結構田舎だ……)
前に見下ろしただけでは余り判断がつかなかったが、
人の往来は多いのは分かってはいたものの、外は割と田舎だ。
最初にたどり着いた村よりは十分発展してはいるようだが、
のどかな雰囲気は変わっておらず、のんびり過ごせそうな場所。
長らく都会にいた彼にとっては、この村の空気をすぐに好きになれた。
幼い頃は家族と共に田舎でひっそりと暮らしてた時期が懐かしく思える。
(帰ったら休みでも取って帰省しようかな。)
元の世界へ戻ったらやりたいことが増えた。
忘れないようにメモをしておく姿は、子供に見えてしまう。
───それから一週間後。
「アリガトウゴザイマス?」
「違う違う、ありがとうございます。ガのところが高い。」
イルゴの授業はかなり丁寧なものだ。
分かりやすく教えてくれるので飲み込みやすい。
一方で、発音の練習に時間を費やすことも多いため、
どうしてもテンポは悪くなりがちで中々進まない。
このペースで行くとかなりの時間は要求される。
しかも一時間かそこいらでも中々進まないのだが、
授業は休憩を挟んでると言えども七時間とかなりの長時間。
(他の授業は言葉を覚えてからでないと二度手間なので最低限の知識のみ学んだ)
会社は同僚や目新しいこともあるにはあるが此処ではなにもない。
同じ立場である人もいるにはいたが既に授業は必要はないらしく、
個人授業を只管すると言うのは中々に苦痛だ。
生きるためのものではあるし、割り切るほかないが。
「今日から別の授業も取り入れるから、
部屋に置いてある服に着替えてらっしゃい。」
「え、別の授業!?」
不安よりも歓喜の勝る驚嘆。
学校でいうなら一科目だけの授業に新しい要素。
三日程度でも全く同じものが続いて中々に辛かった中、
新しい刺激があるのでは何も思わないほうが無理と言うもの。
リョウは足早に着替えた後、街のすぐ近くにある森へと案内される。
森には剣を振るう人や的当てに勤しむ人など、
鍛錬してると言うことが目に見えてわかる。
(角とか耳とか、普通にいるんだなぁ。)
人らしい姿をしているが、
細部に行くと人から大分外れた人も実に多い。
所謂亜人であり、異世界だと言うことがより理解できる。
異端と分かりやすい身体的特徴は外ではなるべく隠すことが多く、
堂々と、それでいて注目されているわけではない姿は新鮮だ。
「イルゴ様! お疲れ様です!」
「張り切ってるわね。でも無理しちゃだめよ?」
「イルゴ様!? し、視察か何かでしょうか!?」
「新人教育の途中よ。ディレント人とは一人一人真摯に向き合う。私の流儀だからね。」
「はぁ~~~ディレント人がうらやましく思えてしまいます。」
「余りそういうこと言っちゃだめよ。彼だって困ってるんだから。」
ひとたび外に顔を出せばイルゴは色んな人から声を掛けられる。
ラスト語なのでリョウからは大半の会話内容は把握できないものの、
人々の反応と、断片的に覚えた言葉から敬愛されてることは理解できた。
「すごい評判、ですね?」
完璧に理解できてるわけではないので、
少々疑問形になりながらリョウが尋ねる。
「ホロックの管理人ともなっちゃうとすごいからね。」
管理人と言うのは、ホロックを纏める統率者のことを指す。
一部の地域を丸ごと任されるほどの大役でもあるからか、
生半可な人物には選ばれることのない人材だ。
「そんなにすごいんですか?」
「管理人全員いれば国一つぐらいならいけるんじゃあないかしら。」
笑顔で答える彼女に『いやいや御冗談を』と少し苦笑気味に返す。
この世界の国の定義はよくわからないにしても、街とかではなく国との表現。
管理人は合計で十三人だけとは聞いた。流石にその人数で国を相手は無理がある。
リョウはその他の十二人の実力も知らないし、彼女の実力もよくは分からない。
この状態では流石に笑い話にしていると判断するのは当然だ。
「でも、もし国を相手にできるとしてもしたくないわ。」
「平和が一番ですよ。」
「自分自身と手の届く範囲だけ守れれば、それだけでいいもの。」
彼女の考えにリョウも頷く。
龍の末裔とは言うが、人と敵対とかはしたわけではない。
仲良く過ごせればそれでいい、そんな風に思っている。
先祖たる龍はどう思っていたかは分からないが。
「それにしても、中世の貴族っぽい恰好ですね……」
渡された服を改めて見やる。
軍服のような整然とされつつも、
貴族としての立ち居振る舞いを損なわない服装。
青色を基調としてるためどこかクールさが感じられる。
人によってはこれを『宮廷服』と呼ぶかもしれない。
「私が作った特注品よ? 戦える装備でありながら気品も残す。
刃物も通りにくくて、刺突であろうとも強い耐久力を誇るの。」
「これ自作だったんですね……」
凄く着心地がいいので、
どこのブランドか尋ねるつもりだったが、
製作者当人がすぐそこにいたことで驚かされる。
全体的にイルゴは家事について非常に優れており、
女性顔負けの腕前と言っても過言ではなかった。
ある意味これだけできのいい服を作れるのも納得だ。
「ところで、これを着て何を?」
此処が鍛錬場ということは、
何か運動絡みの鍛錬をするのは分かっていた。
軽い運動でランニングと言った走り込みを思っていると、
「ああこれ持って。」
そう言いながらそれを地面に突き刺す。
「剣。」
想像していた物からかけ離れた凶器。
包丁の比ではない長い鉄の塊を前に間抜けな声が出てしまう。
剣の素振り、確かにこれも運動ではあるなと思っていると、
「そ。私に思いっきり振りなさい。」
「は!?」
もっと斜め上の言葉に全身が固まる。
剣を握るなんてこと自体初めてで大分ついていけないが、
その上で恩人であるイルゴに対して振るうという展開。
「一応言うけど避けるから気にせずやって頂戴。」
「いやいやいやいや! 何故これをする必要が!?」
当然理解できるはずがない。
何の説明もなしに避けるからの一言で納得して剣を振るう。
元の世界でやったら明らかにいかれてる行為だ。
「魔物の存在があるのは、最初に説明したわね?」
「はい、一応は。」
人に害をなす存在を魔物と指す。
最低限の知識としてそれは認識している。
魔物も実際にちゃんと目にしたことはないものの、
最初に出会った猪も恐らくその類であることはわかる。
あれはリョウが異端であったから生き延びれただけで、
普通の人が遭遇してればまず命はないだろう。
思い出しただけで痛みを思い出し、右腕を押さえはじめる。
「ディレント人……と言うよりは、
この手のお仕事でありがちだけど、相手を前に攻撃を躊躇する、
と言う行動のせいで命を落とす人が多いの。気持ちはわかるけど、
殆どの状況で他人の命も預かってるであろう時に、それは危険なことよ。」
人と戦うことも時にはあるだろう。
盗賊だったり、ゾンビ映画のようなものだったり。
そうでなくとも肝心なところでできませんと言われて、
全滅なんてしたら悲惨で済む問題ではないだろう。
なのでイルゴの言いたいことは十分に分かるのだが、
「確かにそうですけど、まずなんで戦う前提なんですか?」
そもそも戦いだけが仕事ではないだろう。
働いて稼げるならやりようはいくらでもある。
命懸けの仕事をする理由が今一つ分からない。
「戻る気がある人の為の、手っ取り早い手段がこれなの。」
ディレント人とこの世界の住人での何より問題なのは。状勢や価値観。
この世界の物価や経済と言った、その部門に合った技術を一から叩き込む必要がある。
元々言語を覚えるだけでも時間をかけるのに、そこにさらに時間を要求されてしまう。
時間をかければかけるほど、元の世界へ戻りたいと言う考えは薄れていく。
何せ此処で何年も過ごすと言うことは、向こうでは何年も行方不明になる。
戻れたところで元の仕事は既に解雇だろうし、年も重ねれば再就職も不利。
「ウッ、そう言われると戻りたくなくなります……」
「で、一番早く稼げる方法は何か……身体が資本となる肉体労働よ。
確かに技術を覚える必要はあるけど、ある程度は個人で練習が可能。
その上で多くの場合は稼ぎがいい。だからこうして教えてるってわけ。
ついでに言うとディレント人はホロックで働くとおまけされやすかったり。」
「肉体労働なら土木関係でもいいのでは?」
「単純にディレント人向けの自衛手段の確立の為でもあるわ。
ちょっと街から離れたら、魔物に襲われて何もできずに死ぬ。
少しでもそれを避けるために戦う技術を教えるのも、私達ホロックの責務。
と言うより、リョウちゃん運がいいわよ。魔物と出会って死ぬディレント人結構多いし。」
ごもっともな意見でもあった。
リョウは自身が異端だから生き延びただけ。
硬化は無敵ではないし、攻撃へ転じるのは砕ける危険もあるのだ。
覚えることに越したことはなければ、自衛手段がそのまま稼ぎの手段へとつながる。
一石二鳥なら時間を短縮できることを鑑みて、イルゴが勧めるのも納得だった。
「人を相手にするのは気が引けますけど、
相手は生きてる以上避ける前提で学ぶべき、ってことですか。」
「人相手にいきなりはきついかもだけど、概ねそういうこと。
で、どうする? 早く戻りたいならこの方針で行くけど。」
「……やります。」
抵抗がないなんてことはない。
できるなら戦わず穏便に過ごしたいものだ。
しかし、いつまでも帰れないのでは困ることだし、
同時にあの時の痛みを思い出すともう経験したくない。
そんなトラウマもあわさり、剣術の指南を受けることにする。
「これをまずは───」
地面に刺さったそれを両手で握りしめて引き抜く。
別に選ばれたものにしか抜けないとかそんなことは全くなく。
すんなりと引き抜けて、剣先が陽の光を浴びて輝いている姿に見とれるのもつかの間。
「お、重い……!」
思うようにバランスが取れずかなりふらつく。
このまま振り上げようとすれば確実に自分の頭に直撃してしまう。
不安に感じてすぐに剣先を地面に当ててバランスを整える。
(あ、だからこの恰好なのか。)
万が一自分の方へ刃が向いたときの為の防御。
だから刃物を通しにくい恰好をさせたことに気付く。
今のは頭に直撃しそうだったので、意味は全くないが。
「剣を振る以前の問題ね、これは。」
「すみません……」
「謝ることはないわよ。寧ろ───」
リョウから剣を渡してもらい、それを振るう。
空振りの一閃をするだけで周囲の木々が揺れる風圧を飛ばす。
片手の予備動作なし。中には訓練用に置かれてたものも吹き飛んでいく。
「こんなことできる方がおかしいのよ。」
無数に舞い散る葉をバックに、
どこか寂しげな表情でイルゴは振り向く。
異端の多くが思うように、普通を望んだ人なのか。
或いはそんな力を持ったばかりに何かがあったのか。
真意は不明だが、
「おかしいとは思いませんが、すごいってのは分かります。」
どちらにせよおかしいとは思わない。
異端だからおかしいとか人だからおかしいとか、
そんな風に思わずに生きてきた彼にとっては。
「……ありがと。さ、まず身体作りから始めるわよ!
剣が振れないならまずは走り込みから! 剣は脚力が大事なんだから!」
「はい!」
「あ、でもその前に飛んだもの片づけないと。」
この一週間も大分楽ではなかった。
欠片も知らない言葉を覚えるのが楽なはずもなく。
その上で運動が得意と言えるほどではないリョウにとって、
基本となる身体作りも苦行で、しばらくの間は授業がまともに受けられない程だ。
「もうちょっと力を抜く! 強く握ればいいってものじゃあないわ!」
「えっと、こう───あ、やば……」
「それは抜きすぎ!」
二、三か月過ぎてようやく剣をある程度振り回せるだけの筋力は得た。
後は武器の扱い方を慣らしていくが、当然これも難所である。
ただ振るうだけならいいが、本来振るう場合に必要なのは腕力ではない。
そういった基礎から教えることになるし、あくまで振り回せるだけ。
仕事に向けたものではないのでここからさらに仕上げる必要が出てくる。
そして───
「一先ず四流にはなれたってところね。
他は……短剣の投擲も悪くない成績かしら。」
「褒めて、いるのですかそれは。」
「勿論褒めているつもりよ。やればできるじゃない。」
「あれからもう一年ぐらい日数過ぎましたけどね……」
イルゴの教え方は丁寧ではあるが時間はかかる。
それも相まって気づけば一年近く日が経過していた。
剣は嘗てと比べて少なくとも見違えるほどに変わったものだ。
勿論あくまで仕事ができる程度であり、上には上がいる。
素人と言われればその程度のもの。
故の四流である
「何言っちゃってるの。諦めてない時点で既に快挙よ。
辛くて逃げ出す人も出てくるぐらいに過酷なんだから。」
「逃げ出した人は?」
「連れ戻してこの世界に居座る方針に変えるか、
外で魔物に襲われて死ぬか。大体この二択かしら?」
社会人と言ってもたかが数年程度の経験だ。
何度か逃げ出そうと考えていた彼にとって、
逃げ出さなくて心底良かったと安堵する。
「じゃあ早速簡単なお仕事でもするから……リンちゃーん!」
イルゴが辺りを見渡していると、
切り株に腰掛けて本を読む人へと声をかける。
赤黒い禍々しい本を手に黙読していたのは、
赤く、長い髪を持った中性的な人物だ。
白いシャツに赤いケープを羽織った相手は、
本を閉じてイルゴの下へと向かう。
「イルゴさん、どうかされましたか?」
「新人の教育なんだけど、任せて大丈夫?」
「はい、丁度暇でしたので大丈夫ですよ。」
(やばい、あの人の性別が分からない。)
顔だけではどちらなのだろうか。
少しわからないので声を確認するも、
これまた見た目に違わぬ中性的な声。
ただでさえ判断つかなかったイルゴと言う例がすぐそこにある。
なので中性的な相手にはつい性別を疑ってしまう癖がついていた。
「初めまして、リョウ=ロイヴルと言います!
ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」
分からないなら分からないなりに接するほかなし。
新入社員の時のような気持ちに戻って対応する。
「丁寧にありがとうございます。
私はリンといいます、以後お見知りおきを。」
「じゃ、挨拶も済んだし私次の新人教育に行くから頑張ってね~~~~!」
手を振りをながら、軽い身のこなしでイルゴはその場から去る。
他に人がいないようで、イルゴがいなくなるだけで静まり返ってしまう。
「ではリョウさん、仕事の流れを説明しますのでこちらへ。」
「はい!」
穏やかながらも、先輩らしい貫禄のある後ろ姿。
こういう何処か大人びた立ち居振る舞いというものは、
子供っぽく見えるリョウにとっては少し憧れている。
そんな背中を追いかけながら、目的の場所へ向かう。
「これ流石に安すぎるよな?」
「つっても他は難易度高めだしな……」
「ぶらりとやってきたカイトが簡単に稼げる奴持ってったのがなぁ。」
あれやこれやと雑多な会話を耳にしつつ、
ホロックの整然とされた受付へと案内される。
この一年でも何度か見に来てはいたものの、
熟練の戦士とも言うべき人たちの雰囲気は未だに気圧されてしまう。
「あ、リョウさん! 先日はありがとうございました!」
「いえいえ、大したことはしてないので。」
だからこそ受付嬢の笑顔は癒しだ。
プラチナブロンドの髪を持った彼女とは面識が多く、
この猛者揃いの重苦しい中では心が穏やかにさせられる。
「えっと、仕事の説明して大丈夫でしょうか。」
「あ、はいお願いします。」
「流れ自体は此処で雑務をされてたようなので、
既に存じてることでしょうけど改めて説明します。
とは言え、説明するほど難しいものでもありませんけどね。
何かしらの理由で報酬が上乗せ、更新などされたものは窓口右手の掲示板で、
それ以外は此方に内容の危険度によって分けられたものが纏められています。
ただ、掲示板の多くはやりたがらないか割に合わない依頼なので勧められません。」
丁寧な説明であると同時に、リンの言うとおり概ねは知っていることだ。
受付の簡単な手伝いをしたこともあって、その時に覚えたことと相違はない。
改めて自分の思ってる通りかどうかの確認は必要だったので無駄でもなく安心する。
「リョウさんの場合は新米向けである緑の表紙であるこちらが……あれ?」
近くの台に置かれた本を手にしたリン。
しかし驚くほど軽いそれに違和感を感じて視線を向ける。
リン曰く新米向けの仕事がまとめられてるはずのそれは、
他の本よりも圧倒的なまでに薄く、十ページあるかどうか程度だ。
「薄!?」
「しかもこれ、他も現在受注済みで実質ないですね……すみません、
此方の新米向けのものが異様に薄いのですが、何かありましたか?」
流石にこの薄さは異常だ。
何があったのかリンは受付嬢に確認する。
「あー、先日来られた旅人の方がこなしてしまいまして。
と言うよりリンさん、ご存じなかったのですか?」
「いえ。先日遠方から戻ってきたばかりなので。」
「すごい旅人がいるもんですねー。」
旅人と言うとバイクや車に乗って転々とする人がイメージだ。
(この世界にバイクや車があるのかどうかということは別として)
そういったイメージから戦いとは縁遠い存在のようにも感じているので、
新米向けでも魔物退治も含むであろう仕事をこなす……どんな人なのか少し気になる。
ひげを蓄えた渋い叔父様、なんてイメージが浮かぶ。
元軍人で現在は隠居生活を楽しむ、そんな感じの。
「私達としては平和でいいんですが、
新米の方には少し大変なことになってますね。
新米の方を連れていく場合の特典考えた方がいいかな……」
「今更ですけど旅人でもホロックで働けるんですかね。」
「さあ……私も初めて聞いたのでなんとも。
とりあえず、ないものは仕方ありませんね。
新米向けはなくとも難しくないのはあります。此方で行きましょう。」
気を取り直して、本を戻して青の表紙の本を手にとる。
適当にページをめくっていき、目についたものを彼へと渡す。
「えっと、これは───ニンフって読むんでしたっけ。」
依頼の内容は魔物調査の類だ。
基本的に自然の守護霊と呼ばれることのあるニンフだが、
中には人を襲う悪性のあるニンフも存在している。
森の中に居座っており、悪性のニンフを危惧して近寄れない状態だ。
温厚なニンフであるのならそのまま放置、違うのであれば討伐する。
それが依頼内容だ。
「ええ。名前が固有のものではないので太刀打ちできるかと。」
この世界においては種族だけが記載されてる場合は大抵は弱い。
経験を積んで成長している場合に固有の名称がつけられることで、
ある程度危険度を分かりやすく示すようにしている。
「人型、なんですよね……」
依頼に挿絵として美しい女性の姿が描かれている。
もし危険な存在であれば、自分の手で倒す必要がある。
イメージするだけでも余り気分はよくない。
「仕事と割り切りましょう。
人の安寧とは常に何かの犠牲に成り立ちます。
なるべく多くの犠牲を避ける、と言う前提ですが。」
悩むリョウを尻目に、
本を手にとり受注の判子を押して、受付へと渡す。
同い年ぐらいの年齢に見えるが、何処か達観している。
「なんとなく思ってましたけど、頼れる先輩って感じです。」
「まだまだ未熟ですよ。遠くない日に成人式を迎えた若輩者なので。」
「え、年下だった。」
「あれ、年上でしたか。」
意外なすれ違いに互いに軽く笑いながら、以来の為目的地へと向かう。
余り街の外へは出られなかったので、ついに始まったと感じられる。
稼いで、元の世界へ帰ると言う意思は未だに潰えてはいない。
だが稼ぐと言えども危険な仕事、気を引き締めて臨み───
「戦う以前に無理ですねこれ!!」
対象のいる場所へ向かってみれば、
理不尽な洗礼に彼は出迎えられていた。
ニンフと思しき相手は植物と融合しており、
少なくとも絵とは全く違う姿で襲い掛かる。
ツタが槍か、或いは鞭のように二人の命を容赦なく狙う。
「ファイア!」
すぐさま全力で引き返すように走りつつ、
リンの手から放たれる炎の魔術で退ける。
「やはり紙媒体、情報は古くなるようですね。
植物と融合してるところから察するに、あれはドリフでしょうか。」
「ドリフとニンフの違いって!?」
「植物を操作するのに長けているニンフで、
本来温厚なニンフよりもはるかに凶暴ですね。」
「はい、大体見ての通りでした!
ところで、炎の魔法使えるなら倒せませんか!?」
植物と融合しているなら、
普通に考えて炎に弱いのではないか。
先ほどから炎によって攻撃を退けていることから、
弱点であることに変わりはないようだ。
「いえ、魔法と魔術は……いや今話すことではないか。
一応火力を上げることはできますが、場所が悪すぎます。
これ以上の火力は森が炎上して、悲惨になるのでできません。
もっとに、たとえそれができるとしてもそんな暇ないでしょうけども。」
被害が出ると困る森である以上強い火力は望めず、
弱い火力では怯ませることはできても、倒すに至るまでの火力にはならない。
「消火に向いたものとかは!?」
「小火ならできますが火災レベルのものは、
残念ながら本日覚えようとしてたりします。」
「えっと、それはごめんなさい!!」
つまり付き添わなければ覚えてたことではないか。
微妙に遠因になってると言うことに気付いて全力の謝罪。
同時に二人の間を槍のように伸びるツタが地面を抉る。
そこからさらにツタが地面のなかでUターンして襲い掛かるも、
「この!」
間一髪でリョウが剣で切り払い、事なきを得る。
意外と冷静にできるんだな、なんて思いつつそのままチェイスは続く。
なんだかんだ致命傷は負ってないので拮抗してると思われるが、
逃げてるから成立しているだけであり、戦う場合は別だ。
(このまま逃げ続けるのも限界を考えると……)
リンはリョウを軽く一瞥してその表情を窺う。
焦りもあるが、死に対する恐怖が強く感じられる。
此処で反撃するにしても、彼に前衛を任せざるをえない。
今の状態で任せられる精神状態かと言われると怪しく、
あくまでニンフの場合。ドリフだと少々厳しいものだ。
気付かれないように溜め息をつきながら提案する。
「リョウさん。一先ず時間稼ぎしますので全力疾走お願いできますか。」
「何言っちゃってるんですか!? 」
こうなったのは依頼を受けた自分の責任と言う意味もあるが、
どこか甘く見ていたと言うことが否定できないのもあった。
リンはそれなりに経験者であり、戦いの経験もリョウより豊富だ。
だから簡単なものだから新米のサポートに徹すればいい。
なんて考えをしていなかった、とは言い切れなかった。
故に自分の責任だ。彼の生存は優先させるべきことであるが、
その真意を知らない以上リョウはそれを否定する。
「いやいや、状況的に無理ですよ!?
前衛がいないと先輩を守る盾が───」
「状況的に考えての末です!
気づいてないかもしれませんが、
私の方が段々息切れし始めてるんですよ。」
無我夢中で逃げていたので、
リンに言われたことでようやく気付く。
先ほどまで二人で一緒に並走していたはずだが、
今はリョウの方が数歩分先を走ってる状態だ。
段々と走るペースが落ちてきていることは明らかである。
「この状況では全滅は必至、救援を呼んでください。
正直な話、私は体力は自信があるとは言えませんので、
何方が救援を呼ぶのが最適かを考えればリョウさんなんです。
作戦上の最適解、と理解して向かってはいただけませんか。」
「ですけど……」
リンは自分の行動でリョウを危険に晒した責任を持つ。
だがそれはリョウも同じ。自分の行動で他人を巻き込んでしまった。
最初から自分が硬化をして戦えばこんなことにはならなかったはず。
相手の攻撃方法から、硬化さえしてれば大した傷は負わないのもすぐに分かった。
できなかったのは能力を躊躇ってしまう癖もあるが、トラウマを抱えているからでもある。
腕の傷は一年ほどの日数が流れても忘れることはできない、人生で最も感じた痛み。
此処は平地だが、何かしら不慮の事故で似たようなことが起きるのではないか。
恐怖にすくんで余計に迷惑になるのでは、なんて不安ばかりが舞い込んでくる。
(分かってはいたのに、怖い。)
これがそういう世界だ。
命を預かる仕事でもあり、命を奪う仕事でもある。
生半可な気持ちではこれないことは分かっていた。
それでも、彼は戻りたかった。決して裕福でなくとも、
人に迫害される異端であっても。彼はあの世界が好きだから。
うまく素性を隠せてるから、と言うのもあるだろうが。
責任、不安、目的。様々なものがこの短い時間で脳内を駆け巡る。
頭の中で渦巻いてぐちゃぐちゃで、どうするべきか分からなくなっていく。
限界の末、彼がとった行動は───
「ああもうやけくそだああ!!」
踵を返すと、全力で迫るドリフへと逆に肉薄するリョウ。
「リョウさん!? 何を考えて───」
ドリフの攻撃をかいくぐるだけの能力が、
新米にはあると思えない余りに無謀な突撃。
端から見ればそうだがリョウにはちゃんと理由はある。
槍のように正面から迫る攻撃を、硬化しつついなす。
人前で能力を使うことに躊躇はあった。しかし、だ。
「ファイア!」
リンも周囲に迫るツタを燃やして、
自衛を優先するので手一杯の状況下。
この状況では自分を他人が見る余裕はない。
加えて硬化で防ぎながら攻撃をいなせば、
ある程度は避けてるように見えなくもないはず。
これについては希望的観測は否定できないが、
そういった考えが彼を動かすきっかけとなる。
人は見ていない。硬化があれば十分に立ち向かえるはず。
「あ、剣───」
勿論全部がうまくはいかない。
ダメージが通らないことに気付いたのか、
鞭のように振り下ろされたツタの衝撃で剣を手放してしまう。
拾わなければならないと一瞬思考するも、
『武器が他にある場合は、あえて拾わないのも一つの手よ。
知能が高い相手はその武器を取らせまいと逆に注視しちゃうからね。』
イルゴに言われたあえて武器を拾わないスタイル。
今ドリフが狙うのは剣か、自分か。相手の知能との相談だ。
どれだけの知能があるかは、正直なところまだわからない。
と言うよりも思考する余裕がない。初めての戦場で余裕があるはずもなく。
できることは、せめてマニュアルを参考に自分の最善策を選ぶこと。
「これでどうだぁ!!」
武器はあえて拾わない。
拾わずに袖の中に隠し持ったナイフを投擲する。
読みは当たり、ツタは武器を弾き飛ばす方に集中した。
その結果ドリフを守ろうとするツタはないまま一直線に向かう。
剣を学ぶ以外にも、いくつかの武器を試してみたことがある。
イルゴと最初に学んだ思い出があるため最終的に剣を選んだが、
何本か携帯することができる投げナイフを使うことも視野に入れた。
では成績が良かったのかと言うと───
(───外した?)
命中率は五割程度。付け焼刃としては評価は高い。
だが結局は付け焼刃。実戦で使える程のものでもなかった。
ドリフの頬をかすめたが、脳天へと突き刺さるのを想定したのと全く違う。
自信があったわけではない。実践通りにうまくいかないのはこの短時間で何度もあった。
だからあり得ない話でもないが、このタイミングで外すなんてことになればどうなるか。
思考が止まる。命懸けの状況でそんなことをすれば、文字通り命取りだ。
「しま───」
ツタは足に巻き付き、逆さ宙づりの状態で高く吊り上げられる。
(まずい!)
何をするか予想はつき、硬化を解除せざるを得ない。
判断は正しく、そのまま地面に叩きつけられる。
声すら出せない程に強烈な痛みが全身を打つ。
硬化した奴に自分の攻撃が通じないならば、
他の手段で攻撃してくることへの判断は早かった。
石などはないので砕かれることはないだろうが、
やはりトラウマや万が一を考えると硬化はできない。
意識が朦朧としてる彼を、そのまま宙づりのまま顔を寄せるドリフ。
髪なのか植物なのか、どちらとも受け取れるようなもので顔は伺えない。
(こんな状況で、気にすることじゃあないのになぁ……)
肌の色は緑色とは言え、
殆ど服を着てない女性と似たようなものだ。
目のやり場に困り、瞳を伏せる。
意識だけは手放さないように強く保つ。
意識がない間は硬化ができない。落ちた瞬間即座に殺される。
だからそれだけは手放してはならなかった。
(どうすすればよかったんだろう。)
反省点はどこにあったか。
剣を取らなかったから? ナイフを投げるなんて賭けに出たから?
どちらでもない。何方を選んだところでこの結末なのは当然だ。
剣を取ろうとしたら剣を弾かれていた以上そこで終わり、
投げナイフをしなかったとしたら打つ手なしで結局終わる。
ある意味どうしようもなかった。寧ろ最善を選んだ部類だ。
(あれ、そういえば何か……)
意識が朦朧しているのか、
脳内にもやがかかって思い出せないこと。
それが何だったのか思い出せないでいると、事態は急変する。
「イデッ。」
宙づりにされていたツタが急に緩み、落下。
何が起きたのかと顔を上げると、目を張る。
ドリフの胸には、炎のような槍が背後から貫かれていた。
そこから中心にツタや体が燃え広がっていき、悲鳴を上げる。
まるで人のような叫びに、咄嗟に耳を塞ぎ目を閉じてしまう。
目まぐるしく変わる状況に何が起きてるのかも分からないまますぎる。
やがて声が聞こえなくなり、ゆっくりと目を開くとドリフの姿はなく、
「リン、先輩?」
いつの間にかドリフのいた位置の背後にリンがおり、
小火を簡単な水の魔術で消火活動に当たり始めていた。
「討伐に消火完了……任務完遂ですね。」
「え、え?」
自分の後方にいたはずなのに、
なぜかドリフの背後を取っている。
何が起きてるのか、よくは分からない。
だが、なんにせよまずは礼を言うべきだ。
「あの、ありがとうござい……」
「先の行動、私は褒めたいとは思いません。」
棘のある言葉とともに鋭い視線……怒ってるのは目に見えてわかる。
勝算の為に自身を囮にする。そこまではリンの考えと同じだ。
だが経験があるからこその行動。今回が初めてである彼が囮をするのは、
明らかに無謀なことだし勝算すらはっきり言って危ういものだ。
確実に勝てる場面を捨てた彼の行動は、全滅の可能性もありえた。
これを称賛できるわけがない。こんな無謀な行為を褒めるべきではない。
彼もきっとわかってるとは言え、これだけははっきり言わなければならなかった。
こんな行動が今後も通用するわけがないのだから。
「しかし、予想外の行動にドリフも動揺して、
私の存在がスルーされたと言うのは勝因です。
知能がある敵程、予期せぬ事態に弱いと言うのは良い着眼点でしょう。」
「いや、多分そこまで考えてなかったと思います。」
思いますではなく、本当に欠片もない。
だが能力あるんで無事でしたと言うのもまだ躊躇いがある。
なのでがむしゃらに行動をしてた風を装っておく。
「それと、ありがとうございました。」
「え?」
「行動を褒めないと言いましたが、お礼は別です。
私の怪我が最小限なのは、貴方のお陰なのですから。」
微笑を浮かべながらのお礼。
性別がどちらでも看取れてしまう姿に、
少しばかり頬が紅潮して、言葉が出なくなる。
「今日は一先ずこれぐらいにして帰りましょう。
他の仕事を受けられるほどの体力はないですし、
素直に帰っておいしいご飯でも食べて英気を養うのが一番です。」
仕事を終えて飯が食える。
当たり前のことではあるのだが、
死ぬかもしれなかったことを考えると、
当たり前でも何でもないと言うことを改めて実感する。
この世界へ来たばかりの時も似たようなことを考えてたが、
生きた心地がしなかった今回の方が遥かに重く感じて涙が溢れ出す。
「え、あの、大丈夫ですか。」
「すみません、ただの嬉し泣きなんでお気になさらず。」
「そ、そうですか?」
心配そうに伺われながら、
涙を流しつつも依頼の村へと戻る。
仕事を終えてイルゴのいるところへと戻り、
報告、手当、休憩をすればあっという間に夜だ。
「リョウちゃんの初仕事に乾杯!」
≪カンパーイ!≫
初仕事、それも所謂下級レベルの依頼。
たったそれだけではあるが、それしては少しばかり派手に酒場で宴が始まる。
イルゴはディレント人の初仕事が成功すれば、こうして親睦を深めるために行う恒例行事だ。
この空気についてはついていけず、主役は呆然とした表情で宴を眺めてしまう。
「初仕事でドリフ討伐たぁ、やるじゃねえか新人!」
「ドリフって新米には結構きつい奴なのによくやったな~。
ま、俺のベヘモット討伐の偉大さにはかなわないだろうけどな!」
「いやあんたのそれアンスリアさんありきだったじゃない。
それに、新米ですらない奴が最上位倒したって話の方が上だし。」
「いやあれはほら話だって。ありえねーもん。」
呆然としていると、何人かが声をかけてくる。
かけてきたのは何度かホロックで雑務をしてた頃に知り合った、
このホロックにおけるベテランの人達だ。
「いや、リンさんのお陰で僕は……」
自分は何かできたか。
問われれば首を横に振る結果だ。
もし功績があるならリンを守れたことぐらいか。
自分だけが受けるべき讃辞ではない。
「行動は褒められませんが、活躍したのは事実です。素直に受けましょう。」
そうは言うが主役の一人は飲み物片手に、隅の方へと移動していく。
引き留めようとするも喧噪な声にかき消されて届くことはない。
隅の方でサラダと飲み物を口にしながら、
宴の中心である場所をリンは静かに眺める。
「お疲れ。なんだか大変だったみたいね。」
静かに過ごしていると、
イルゴが声をかけてくる。
「イルゴさん、いい加減やめませんか。」
「何が?」
「わざと新米には身の丈に合わない仕事を与えて現実を教えることです。
同時に熟練者に討伐を任せることで生存も図る……元の世界へ返す気をなくすかのように。」
リンには似たような展開に覚えがあった。
新米向けの依頼の少なさ、熟練者との同伴、新米にはてこずる魔物。
どれも今まで何度か見てきたことのある光景だ。
偶然の一言で片づけられるものではない。
「なくさせるつもりはないわよ。
一種の荒療治だと思っているから。
……まあ、ドリフになってたのは想定外だけど。」
リョウが来る以前にも、ディレント人は何人も来ていた。
だが元の世界へ帰るために無茶をする人が後を絶たない。
無茶をして命を落としてしまった人たちが何人もいる。
だからイルゴの授業や教え方は丁寧だ。生き残る術をちゃんと教え、
更に安全の為に熟練者との編成を汲ませるようにしていく。
一種の矯正プログラムと言うべきか。
「気を配りすぎですよ。誰でも一から教える、悪い癖かと。」
「リン先輩!」
人込みから抜け出し、
クタクタの姿で二人の前へと現れるリョウ。
「やはり先輩も一緒に祝われるべきです!」
「私は褒められたことはしてませんよ。」
一応、それなりに経験のあるリンにとっては、
ドリフを倒せたところで余り褒められることではない。
新米を抱えてやらかしそうになったところを考えると、
寧ろいろいろ言われるかもしれないからだ。
「命を救うことを非難する人と、
リン先輩でしたら僕は迷わず先輩を選びます。」
「ッゲホッゲホッ!」
告白みたいな発言に初めて表情が崩れ、
飲みかけだったこともあってか思いっきりむせてしまう。
「ああもう、やってしまった……ハンカチハンカチ。」
「リンちゃん。口説かれてるわね。」
「いや、これ口説きなんですか?」
テーブルに飛び散ったものをふき取りながら苦笑気味に言葉を交わす。
今の発言に恋愛感情も何もないであろうことは流石にわかる。
「行っちゃいなさいよ。主役が来てくださいって言ってるんだし。」
「……仕方ありませんね。」
このまま突っぱねるのも空気が悪くなるし、
折れる形で承諾すると、リンの手を引いて元の場所へと戻る。
(時間、かかったなぁ。)
宴の最中、リョウは思う。
一年もの月日を過ごしてしまった。
決して短くない時間を使ったことは事実だが、
これを大きなロスとは欠片も思ってなどいない。
技術がなければあっさりやられていたのは事実だから。
焦ることはなく、ちゃんと一歩一歩を踏み出す。
長年額の宝石を守り抜いた、祖先の龍のように。