Not HERO
異世界にやってきてしまった、少女の一幕
主要人物
優佳
異世界に来た人。現代では高校生
困った人が放っておけず、ヒーローのように人を助けることを願う
アリス
異世界の人。十歳で大人顔負けの才覚を持つ
子供らしく好奇心旺盛でなんにでも興味を持つ
拝啓、徳康さんへ。
麗らかな春真っただ中に、突然消えてしまって申し訳ありません。
こんなことになるなんて正直一月過ぎた今でも、実感があまりないのです。
報せがないのは良い報せ、とも言いますのでできればそう思ってください。
詳しい事情は戻り次第にお話ししますので、とにかく帰りを待っててくださいね。
そんな内容の手紙を封蝋し、郵便屋の人に手渡す一人の少女。
紅茶色のジャケットを羽織り、同じ色のキャスケット帽の姿は、
さながら探偵かルポライターのような恰好とも言うべきか。
女性にしてはボーイッシュで派手さや可愛らしさを求めていない。
年は十代中頃で、朝陽に照らされた黄緑色のセミロングが眩しく見える。
「届くといいんですけど……難しいですよね、」
去っていく郵便屋を眺め、少女は一人ため息交じりにごちる。
住所には一切の間違いはない。日本の東京にある自分が帰るべき自宅だ。
今更忘れることもなければ、住所を間違えるはずがなかった。
けれど、それが届くかどうかは別である。返事が一度も返って来ないのもあるが、
それとは別の、根本的な問題。
彼女が眺めるのは、快晴の空。
空には、先程手紙を渡した郵便屋の人が上空を舞う。
日本人でなくとも、普通はないであろう背中の羽を羽ばたかせながら。
手紙が届かない理由の、極めて単純な話だ。
彼女が今いる場所の地図に、
『日本』という国は存在しないのだから。
彼女の名前は優佳。
人助けやお節介焼きな部分が強いところを除けば、
言うほど人並外れた能力は持ち合わせない一介の女子高生だった。
自分ならではと言えるのも多少カードゲームに精通してるのと、
所謂オタクに分類される程度にサブカルチャーに詳しいぐらい。
これと言って特筆すべきことは全くない日本人だ。
今の彼女は月並みに言えば異世界へと招かれた、異世界転移者といったところだ。
もっとも、彼女は誰かに勇者として選ばれたりといった理由で招かれたわけではない。
曰く魔術師の魔法の影響で空間に空いた穴が、彼女の部屋の床と繋がっただけの事故の産物。
元凶の魔法使いは彼女の存在など知るはずもなく、当然前途多難な日々を優佳は送らされた。
勿論ゲームでもあるまいし、能力やスキルももらえない……多少強くてニューゲームだ。
いや、寧ろ知ってる方が一から覚える以上に、ギャップによる辛さの影響があるだろう。
言語、食、倫理観……色んなものが日本とは違うもので、今は慣れたが全部とは言えない。
そんな彼女が、あれからおよそ一月ほど経過した今でも生きていけるのはとある恩人のお陰だ。
ファンタジーらしい西洋風の洒落た建造物が並ぶ街中を歩いて、今の自分の帰る場所へと向かう。
(何度見ても、圧巻だなぁ……)
帰るべき場所を前に、優佳は何度見てもその光景に呆然としてしまう。
屋敷。言うなればそれが似合っているであろう、白を基調とした建造物だ。
景観とか全てを投げ捨てて、そのままドンと町の中心に置かれたそれは異様な存在感を放つ。
完璧なジオラマに、無理矢理にでも当てはめたかのような強引さが伺える存在。
近寄りがたい雰囲気を漂わせるが此処は『ホロック』。所謂職の斡旋や酒場等兼任しており、
人の出入りはその存在感とは裏腹に、この町では間違いなく一番多いだろう。
もっと単純な言葉で例えるのであれば冒険者ギルドの類だ。
此処の家主こそが嘗て瀕死の彼女を救ってくれた恩人だ。
入れば、客の賑やかな喧騒が途絶えない酒場が彼女を出迎える。
昼間だが大人は皆酒を呷っていき、食いたいものへと食らいつく。
騒がしく、忙しない様は彼女にとっては小学校の給食の時間を思い出させる。
彼らは先日大量発生した魔物の討伐に駆り出され、数時間前に起きたばかりの自警団の人達。
祝杯の前に休んでしまった人達は、溜めていた分を費やすように宴で思いっきり騒ぎ出す。
自分が今こうして平和に過ごせているのも、彼らのような人たちのお陰でもあった。
そんな時、彼女は何をしていたのかと言えば……彼らの為に夜食を作っていたぐらいだ。
(ああ言う人が、ヒーローなのかな。)
夜食を配っていたときも、そんな風に思ったことがある。
コミックやアニメのような誰かを守れるような人を、ヒーローと呼ぶ。
彼女はそれが好きと同時に憧れてはいたが、彼女のいた世界は戦う力を必要としない。
必要だとしても、それは戦争とかによるものであって彼女が思い描くものとは違う。
だからやれることは日々困ってる人を助けたりするぐらいで、至って普通とも言うべきか。
無論、彼女は人を助ける行為に大小の考えは持ち合わせず行動ができる、根っからの善人だ。
勿論異世界へ招かれていざヒーローのような冒険! と、考えたことはないわけではない。
けれども同時に理解していた。武器を握ること、生物や人を殺めることへの恐怖や重さを。
いきなり異世界へ行って武器を手に取れる人間はそう多くはない。彼女もその一人だ。
もっとも、彼女には武装も指導を受けれる程の金銭も今はない。現状維持が精一杯である。
過酷な現実を痛感したことで冒険の道は選ばず、世話になった人の為に此処で働いている身だ。
(命のリスクを承知の上で戦う……やっぱり、テレビの向こう側かな。)
ヒーローは逆境に追い込まれても、どれだけ傷つこうとそれでも立ち上がって敵を打ち倒す。
最後はみんなで笑い合う……傷だらけでもこの場で笑い合ってる人が何よりの証拠である。
彼女からすれば、彼らはテレビの向こう側にいたヒーローと同じようなものだ。
戦えればきっと守れる人も多いだろうが、武器を手にする覚悟なき彼女にはやはり縁遠い。
テレビや本の向こうでなくなったことで、物理的には近いかもしれないが一方で遠い存在だ。
活躍した人達を羨ましそうに一瞥した後、優佳はそのまま真っすぐ歩いて奥の扉へと進む。
扉の先には数メートルほどの廊下が続いており、更に紅茶色の扉が奥に待ち受ける。
赤いレッドカーペットの敷かれた廊下は、扉を閉めると驚くほどに静寂に包まれていた。
壁も天井も白だけで、いきなり空間が変わったかのような錯覚すら感じさせる。
無論、いくらファンタジーな世界と言えどもこの通路にはファンタジーな要素はない。
足音だけが鳴り響く通路を歩いて、奥の扉の前へ立つと三回ほどノックする。
こっちでもノックの回数に違いがあるのかはわからないが、一先ず三回だ。
「開いてるわ。」
幼い少女の声が返ってくると、扉へと手をかける。
木製の扉らしい軋む音と共に開かれると、そこも視覚的に不思議な空間だ。
女の子らしいベッドや人形と言った、子供の部屋であることが伺える場所だが、
壁や天井は白のひし形の模様、所謂錯視の一つ『クレイジーダイヤモンド』で埋め尽くす。
そのままだと、部屋の間取りすら把握できないような眩暈を起こしそうな部屋ではあるが、
難しそうな本がぎっしりと詰まった本棚が幾つか並んでおり、大雑把だが把握させてくれる。
部屋の中央にある、執務机で書類と向き合っている一人の少女。
青と白のチェック柄を基調としたワンピース姿にサイドテールの金髪と、
シックな執務机とは裏腹に、席に座っているのは人形みたいな可愛らしい少女。
表情は心底楽しそうで、頭につけた青いリボンを揺らしながら、執務に没頭している。
優佳が部屋に入っていることすら、返事したはずなのに気づいてないかのようだ。
「アリスさん、ただいま戻りました。」
声を掛けると、アリスと呼ばれた少女は身体が強く反応し顔を起こす。
「あ、ごめんなさい。手配書のことで没頭してたわ……おかえりなさい、ユカ。」
ペンを置いて、言葉を交わす少女はアリス=シー。
見た目通り僅か十歳程度の幼い少女ではあるのだが、
幼くしてこの店全体のリーダーを務めている、凄腕の魔法使い。
形だけや肩書きだけなどとは言わせない、大人顔負けの才覚を持ち合わせている。
彼女は凡人の優佳には届かないような高みにいる存在だ。
「ユウカです。」
「でも、あだ名みたいでいいとは思わないかしら?」
「それは『間違えてる』のであって『あだ名』とは違うかと。」
優佳がアリスと出会ったのは、この世界へ来てから三日目のこと。
言葉が通じず、当然食にも飢えて……しかしそれでも犯罪は決して手を染めず、
餓死寸前で路地裏で倒れていた彼女を、アリスが興味を抱いて連れ帰ったのが始まりになる。
連れ帰ればアリスは優佳でもわかる言語で対応し、此処で初めて意思の疎通がとれた。
別に、この辺りでは異世界から突然招かれる者は決して珍しい存在ではないらしく、
それに伴って一部の人物は、異世界の者に対しての言語はある程度は理解しているらしい。
アリスにとっては彼女は優佳のいた世界で言えば、不慣れな日本語を使う外国人と似たような立場だ。
だが、言葉を完璧にマスターしているわけではないのと、あくまで分かるのは一部の人のみ。
この世界で生きるならば、結局のところこの世界の言葉を学ぶことには変わりはない。
元の世界に戻るまでの間の生活のことも考えて、優佳はアリスから言葉を学ぶに至っている。
アリスの教育は優秀で、ほんの一月程度で生活には困らない程度にまで喋れるほどだ。
優佳にとっては衣食住だけでなく命の恩人であり、言葉を教えてくれた先生でもあり、
感謝してもしきれない人物になる。
「どうもニホンゴって、難しいのよね。」
二人だけの時に限り、アリスは日本語で話してくれる。
日本……というよりは地球の言語に興味があるようで、
優佳が日本語を忘れる可能性も考えて、そうするようにしていた。
彼女としても言葉を全部把握できてるわけではないので、
日本語で話す方が気楽でもある。
「何処の国だったか忘れましたが、アルファベットのHがないとか、
そういうのがこの、らすと語? ですか。でもあるのであれば別ですけども。」
ラテン系の言語、フランスやイタリアなどでは、
Hが発音できない、なんて話を聞いた記憶がある。
アリスもそういうのに当てはまるのであれば別だが、
他の人は問題なく発音できるのでそういうわけではない。
ただの言い間違いの誤魔化しであり、何度も聞いたことだ。
「アルファベットの叡智? ラスト語にアルファベットって人が関わった話はないわね。」
「人名ではなく、アルファベットは……そうですね、日本とは別の文字ことを指します。」
パソコンでいつも見るし、英語の授業でも当たり前のものだが、
思えばアルファベットというものは何なのか、よくは分かっていない。
具体的なことを説明しようとしても、今一つ言葉が出ずに簡潔な説明に留める。
「ところで、何をしに出かけてたの? また手紙?」
「はい。届かないとは思いますけど。」
目を逸らしながら、苦笑を浮かべる。
何度目かは分からないが、似たような内容の手紙を何度も送っていた。
分かってはいる。この世界のどこに行こうとも日本なんて存在しない。
一応、あて先に『異次元の穴へ』とも書き記してはいるので、
偶然元の世界へ戻る穴へが郵便屋の近くに存在し、運よくそこへと投函され、
偶然日本へとたどり着いて、偶然到着して読まれるかもしれない、そんな一抹の願いはある。
万が一届いても返事は絶対に帰ってこない以上、
届いてる確信すら持てない曖昧なものだが。
「どうかしら? 案外届いちゃうかも。」
「いやぁ、現実的主義ってわけではないですが流石に……」
自分が来た異次元の穴は、こちらでも観測されることがある。
しかし、その穴が自分がいた世界へ通じているならばの話だ。
異次元の穴は、いくつもの世界に繋がっている……なんて噂もある。
荒唐無稽、と一蹴しようにも真偽の確かめようがないのもあってか、
彼女はこの噂はありうるものだと信じており届いてほしいとは思う。
一方で余りにも低確率過ぎて、届くとは殆ど思ってはいなかった。
「不安に思うなら、ユ……ウカにタリスしてあげるけど、いる?」
一瞬、言葉が詰まりかけるが、
なんとか彼女の名前で呼ぶことに成功する。
『そんなにこっちではおかしいかな……私の名前』と、
首を傾げたくなることだが、彼女が首を傾げるのは別のことだ。
「タリス?」
「おまじないのことよ。あ、おまじないはわかる?」
「おまじないならわかりますよ。」
「なら話が早いわ。右手を出して?」
言われるがままに、右手をアリスの前へと差し出す。
どちらに向けて差し出せばいいかが分からなかったが、
すぐに『手のひらを見せるように』と指示されて、手の向きを変える。
彼女は引き出しを漁りだし、目当てのものを見つけて優佳の手首を握る。
取り出したものは銀色のリング。元いた世界でも見かけるような、ごく普通の指輪だ。
逆に普通すぎて結婚式の指輪交換の光景を彷彿させるもので、少し気恥ずかしくなってしまう。
もっとも、場所は左手の薬指というわけではなく右手の小指だが。
小指にはめられると、幼い両手で右手を包むように彼女の手を掴む。
「アミクス・ユウカ───プロトコル・アリス=シー。」
アリスが目を閉じながらその言葉を紡ぐと、青白い光が指輪を中心に輝きだす。
魔術らしい不思議な言葉の意味は、魔術を勉強してない以上当然理解できない。
魔術だからか室内に反響する呪文は、どこか子守歌のような穏やかな気分にさせてくれる。
「……はい、これでおしまい。」
「え、もう終わりですか?」
魔術を用いたおまじない、
となれば大掛かりなものなのでは。
なんてことを思ったが、思いのほか短い。
「因果を捻じ曲げる程の効力を持ってたら、
それは『おまじない』じゃなくて、『のろい』の類になってしまわない?」
確かに、ごもっともな話だ。
これはあくまで届いてることを『願うもの』であって、
絶対に届いていると『確約』するようなものではない。
言ってしまえば気休め。おまじないとはそういうもの。
まじないものろいも、どちらも日本語では『呪い』と書く。
この世界でも、二つは密接な関係なのかもしれないと感じた。
「なんだか、貰ってばかりで申し訳ないですね。」
輝く指輪を眺めて申し訳なさそうな顔になる。
部屋に、食事に、衣服に、学に、物に。
此処に来てからずっと自分だけが貰ってばかりだ。
恩はろくに返せず、返せてるのがあるとするなら、
精々宿代の代金ぐらいか。
「友達が物を贈ったら、贈り返さないと友情は続かないのかしら?」
「え、いえ、そういうわけでは!」
そんなわけはない。
友達の定義は確かに曖昧で、説明がしがたいものだが、
少なくとも物がないなら終わる友情など、あるはずがない。
「なら───あ。じゃあ、どうせだから一つお願いしちゃおうかしら?」
「え。」
数分後、店にて。
優佳の主な仕事は給仕職───ウェイトレスで、
軽食程度の調理も担当することがたまにある。
現代でも経験があるお陰で言葉をある程度覚えれば、違いは殆どない。
店員と客の距離感が向こうと違って大分近いことには困惑したが、
どちらかと言えば明るい性格も相まって、常連も男性が多めなので好評だ。
一方で、余り味付けしない軽食は主に女性に好評でもあったりする。
ただし、今回は今までと少しだけ別で……
「お、ユウカちゃん今日はお嬢とお揃いか!」
「半ば強引に着せられました……」
人前に出る際はなるべく現代人らしい恰好をしていた優佳だったが、
今の彼女の服装は、アリスとほぼ一致するチェック柄のワンピース。
アリスが頼んだのはこの服で給仕の仕事についてくれとのこと。
優佳の服は普段のを除くと、店員の服を普段着にして生活している。
服はアリスから渡されたものの、甘えすぎは良くないと示威して使っていなかった。
別の理由として、渡された殆どはフリルのついたりした所謂ロリータファッション。
年齢的に流石にあれを普段着として使うことには抵抗があり、精々寝間着程度の扱いだ。
とは言え、まさか職務の際に着せて仕事をさせてくるとは思わなかったが。
天才と呼ばれていても齢十歳の少女。贈った服を着てくれないことには十分に傷つく。
その辺を理解しきれなかった自分の落ち度ともあって、今回の件は甘んじて受け入れた。
とは言えだ。この格好で接客すると言うのは、中々に恥ずかしく顔に熱が集中する。
先ほどから男女問わず好評なのが余計に複雑な心境にさせてくるのも大きい。
因みに、お嬢とは彼らの間でのアリスの敬称となっている。
「いいじゃないか。よく似合ってるぜ。なぁ?」
酒を呷りながら褒めるのは、銀色の鎧に身を包んだ、蓄えた髭が特徴的な中年の男性。
この店の常連客の一人にして、この街ではそれなりに名の知れたホロックの一人、ハンス。
一般人である優佳にとって、脅威たる魔物に怯まず蹂躙していく様を一度見たが、
その姿はさながら重戦車とも言うべき、安心感と力強さを直に感じた相手だ。
「莫迦、普通中年に言われて嬉しい奴はいねーよ。」
冷ややかな視線と野次を飛ばすのは、彼と相席する対照的に若い男性。
装備も対照的で軽装と短剣の二刀流と、身軽さを重視している彼はジャック。
相席する彼程ではないが、若さの割に名前の知れた一人だ。
「何言ってんだ、女は誉めれば褒めるほど輝くんだよ!
植物だってなぁ、声を掛ければ良くなる奴あるだろうが!」
「女を植物と一緒にするなって。」
「でも、褒めて伸びるって言葉ありますからねぇ。
私としてはそう言っていただければ、照れますね。」
正直、こういうのは似合わないと思っていた。
女性らしいファッションへの関心が余りなく、
この世界へ来る際の恰好がボーイッシュなのも、
ファッションへの関心の薄さと自信のなさから構成された物でもある。
なので、容姿で褒められると素直に嬉しく思い頬を掻く。
こういう格好をするのも、悪くはないなと。
それに、此処では割と普通の恰好であるなら、
年齢を考えろとは余りならないようでもある。
多少はその考え方を改めてもいいのかもしれない。
「だってよ?」
「ユウカちゃん、遠慮なく嫌だと言った方がいいぞ。」
「いやー、そこまで嫌ではないので。」
したり顔で自分をみるハンスに、眉間に皺をよせるジャック。
人を莫迦にした顔を崩してやろうと優佳に詰め寄る。
年はかなり離れてるはずだが、仲の良さに苦笑で返す。
「お、嫉妬か?」
「茶化すな!」
「あのー、注文がないのでしたら……」
彼女の知る接客業と違って客と雑談をしても良く、
もう少し会話していたい間柄ではあったが、あくまで仕事は給仕。
他にも客はいるし、今は大勢いる以上長々と相手するわけにはいかない。
「っと忘れるところだった。ユウカヤキ二つ。」
「ですから、あれは卵焼きですって。」
何日か前の事だ。
なんとなく昼食に卵焼きを作ったところ、
それが何人かの人達の興味を惹くことになった。
別段、特別な味付けをしたわけではない(調味料も余り把握してないので簡易的に)し、
卵焼き用の鍋もなかったので、本来の卵焼きからは随分と離れているいわば似非卵焼き。、
これをその場にいた人へ振る舞ったところ、何故か多くの人がこれを気に入ってしまい、
メニューにもこの世界の言葉でユウカヤキとしっかり追加されていた。
実際のところ『美味い』という評価は多くないし、言ってしまえば庶民的なもの。
公共の店に並ぶものとしては、はっきり言ってかなり劣る。値段も他のに比べて明らかに安い。
貧乏性な人ならまだしも、結構稼ぎがいい人にも好評なことについては少々疑問だ。
自分が作ったと言う、所謂付加価値が意欲を高めているのだろうか。
なんて自意識過剰も思わなくもないが、恐らく違うのだろう。
「別に、私が源流ってわけでもないのでは?」
いろんな場所を渡っている旅人が、
これと似たようなものを食べたことがあるとも言っていた。
なので、どこかにはきっと自分より先にこの世界で卵焼きを作っているはず。
自分が原点かのように、ユウカヤキという名前が付けられることに申し訳なさが残る。
というよりは自分の名前がメニューに入ってることが、凄く恥ずかしく思うからなのだが。
「けどよ、此処でこれを作ってるのは、あんただけなんだろ?」
「まあ、そうですね。」
卵焼きについては、調理の担当は優佳だけの仕事だ。
誰もできないわけではない。人並み程度の腕前の彼女ができるのだから、
当然本職である人達ができない、なんてことはありえない。
実際の理由は『彼女が作った、という付加価値が重要』という、
彼女が思っていたことが、実はその通りだったりするのは内緒だ。
「だったらいいんじゃねえのか?
最初に作った奴がどうとかなんて、
これに限らずいくらでもあんだろ?」
ハンスの言うことも、ごもっともな話だ。
元いた世界でも、最初なんてものはよくわからない。
ずっと見てきて、それを覚えているような存在でもない限り。
後に覆されることなんて、世の中にはいくらでもある話だろう。
日本の歴史のように、後で訂正されたものは既に数えるだけ無駄だ。
「そう思わないか? ちっこいのも。」
そういいながらジャックははす向かいにある、一人用の席で食事をとる少年に尋ねる。
アリスと余り差はないぐらいに幼い、黒を基調とした服装をしている銀髪の少年。
現代にいてもあまり変わらないであろう、黒いジャケットを筆頭とした格好をしており、
ご飯と野菜炒めに卵焼きと、恰好も相まって日本人らしい食事風景がそこにあった。
「……ちっこいという名前ではないので、答えません。」
「わーったわーった、ユウキはどう思うんだ?」
「別に、いいんじゃないんですか?
原点なんていつかは出てきますし。
それよりも注文受けてたんじゃないんですか?」
「あ、そうだった。卵焼き二つでよろしいですね?」
「おう、頼んだぜ!」
会話もほどほどに切り上げ、
すぐさまオーダーを報告しに戻るも……
「え、卵ないんですか?」
「揃いも揃って注文するんだからそりゃ、ね。」
恰幅の良い、大柄な料理人の男がそう告げる。
数十人の人達がいてそのほぼ全員が同じものを頼めば、
あっと言う間に消費していくのは。当然の帰結である。
「じゃあ、私買ってきます。」
ないものを用意するのはできないが、
今回の相手は諦めて帰ったりするわけではない。
ならば買って戻って、すぐに作って出せばいいだけの話だ。
手間がない料理のお陰で、買ってすぐ用意できるのは一つの強みでもある。
「道は大丈夫だよね?」
「ええ、大丈夫ですよハトヴさん。しっかり学びましたから。」
この町の地図はある程度頭に入ってる。
方向音痴でもない彼女なら、特に問題はない。
ハトヴからお金を受け取ると大きめのバスケットを片手に走り出す。
「お、もうでき───」
「卵買ってきますから、卵焼きはしばらくお待ちください!」
他の客にも聞こえるような大声で告げると、
そのまま一直線に外へと出ていってしまう。
台風のように過ぎていった彼女に、一瞬ではあるが酒場が静まり返るも、すぐに賑やかさを取り戻す。
「なあユウキ。ちょっとユウカヤキ譲ってくれ。」
「嫌です。」
『しばらく』がどれほどか分からず、
今すぐにでも食べたい気分で、ハンスは残ってるユウキの方へ視線を向けるも、
即答で切り捨てられ、最後の一切れは中とも遠慮もなく箸で掴まれた。
石畳の街を軽快に走る優佳。
急いで戻って振る舞いたいというのもあるが、
自分の料理や容姿が評価されたりしたのもあって、
何処か舞い上がった気分で嬉しそうな表情をしていた。
自分の容姿や能力に自信が持てる程の能力はなかったので、
こういう形で受け入れられると嬉しくなって当然だ。
服も着替えずに出かける程に舞い上がっているがいい例である。
もっとも、この世界において違和感ある恰好ではないし、
寧ろ、ジャケットを羽織ってた頃の方が目立つものだ。
(こっちが近道で、っと。)
地図は十分に頭に入っており、
人通りの少ない、路地裏を通ることも問題はない。
少し疲れたのもあって息が落ち着いたところで、
「君の信じる正義の果ては此処じゃない♪」
久しぶりに、自分が好きなアニメの主題歌を日本語で口ずさむ。
薄暗い路地には余り合わない、熱いタイプのものを少女の声で歌う。
色々ミスマッチではあるものの、音感は人並みなので悪いものではない。
「ふんふんふーん♪」
聴く機会もない上で、
久しぶりに歌うとどうしても歌詞は中途半端に忘れる。
途中から鼻歌交じりに近道である曲がり角へと進み、足と共に鼻歌は止まった。
曲のテンポを忘れてしまったわけではない。止めたのは道の先に人がいたから。
人がいたから止まる程の事でもないが、あくまで普通であればの話。
ただ談笑していたりしているならば何ら気にも留めなかったが、これは違う。
曲がった先にいたのは、二人の男性。
暗がりではあるが昼間。状況はすぐに理解した。
一人の男が、もう一方の相手の首を掴んで締め上げる光景。
彼女が止まったのは……殺人が成立する寸前の事件現場だから。
意外にも、悲鳴は上げなかった。元々が一介の女子高生ではあるものの、
逆に普通に過ごしたことで今の場面が非現実的に見え、理解が追いつかなかった。
理解するようになったのは、締め上げられてる男が向けた眼差しだ。
声は状況からして出せず、力も入らないのか腕は上がらない。
確かなことは、その目は『助けて』と言ってる懇願の眼差し。
物理的には手を伸ばさなかったが、今の彼ができる精一杯のSOS。
SOSという助けを求めた視線を、彼女は───
───受け取らなかった。
取ろうとはせず、一目散に来た道を逆走する。
至極単純な生存を優先した行動。普通はそう考えるだろうし、そうする。
大の男を片手で持ち上げられる相手を、武力なき自分が止められるはずがない。
だから、今は頼れる人達を呼びに店に戻ることこそが、最良の行動だと。
利口な考えではあるが、彼女にとってその考えは殆ど二の次であり、
(───なんで、逃げてるの!?)
何故、自分が逃げ出しているのか。
彼は助けを求めていた。助けてほしい瞳をしていた。
見えなかったわけではない。暗がりの中でもしっかりと捉えた。
自分にしか届かなかったであろうその手を、取らなかったこと。
取ろうと言う迷いすらないままに逃げ出した自分への嫌悪感。
今までの自分では、およそ取らないであろう行動。
その答えもまた、単純なものだ。
自己犠牲が強いのは今までが命がけではなかったから。
遅刻とか、自分の時間が潰れる程度なら遠慮なく助けられる。
しかし、日常に置いて進んで命の危機に陥る状況など普通はない。
自分の命を賭けられるほどの、自己犠牲の場面を彼女は経験がなかった。
もしかしたらあったのかもしれないが、自分と他人の命の天秤はこれが初めてだ。
いきなり自分の命を危機にさらす選択することができる人間は早々いない。
故に逃げた。もっとも、どれだけ偽善者と言われる行動だとしても、
これが彼女のできる最適な行動……これを責められる謂れはないだろう。
謂れはなくとも、逃げた自分が責めることには違いないが。
「イッ───!!」
右足から伝わる、異常な痛み。
叫ぶほどの痛みだが、痛みによって足がつんのめって石畳へと転倒。
悲鳴はそっちへの対応に追われたことで、そのまま飲み込んでしまう。
転んで腕を擦りむくが、状況を考えると気にせずそのまま立ち上がろうとする。
しかし、右足から伝わる激痛がそれを許さない。
(───え? なに、これ……)
右足を見やれば、青ざめた表情へと変わっていく。
瞳には、ふくらはぎには深々とナイフがスカート越しに突き刺さった光景。
明るさを彩るスカートに、じわりと赤黒い染みが広がっていく。
理解が追いつかないと言うよりは、これは理解したくないことだ。
理解したくないことなのに、痛みが血の如く滲むように広がる。
痛みの余り涙まで流れ始めながら、それでも立ち上がろうとするも、
「よくないなぁ、覗き見なんて。」
例えるならば蛇か。全身に絡みつくような気味の悪い声が、背後から迫った。
声を掛けられたと同時に右足の痛みに、姿勢を崩して尻もちをつく。
先程は暗がりと後ろ向きで相手の姿は余り見えなかったが、今ならよく見える。
紅いグローブと片目が隠れた金髪辺りが特徴的な、軽装の男だ。
ジャックと違って軽鎧と言ったものもない、身軽さがより重視された格好。
先の行動も相まって、魔物退治を専門としている雰囲気は見受けられない。
「なん、で……こんなこと、するん、ですか。」
叫べば殺される。逃げても殺される。抵抗しても殺される。
できることは、隙を伺って何かしらを行うほかないだろう。
痛みと明確な殺意を前に震える声で、動機を訪ねてみる。
「つまらない話だよ。金欠だから、ちょっと人にお願いしただけ。」
笑顔で語るが、やっていることは恐喝と殺人のそれ。
大した理由もない相手に穏やかな優佳でも苛立ちが湧いてきた。
どんな理由であれ、殺人はこの理由において肯定されはしないもの。
それだけで自分を含めて殺されそうになるなど、受け入れられるものか。
「あ、君持ってる? 持ってたら、それでいいんだけど。」
泣きじゃくる子供をあやすかのように、
屈んで語る男の表情は実にいい笑顔と、優しく穏やかな言葉遣い。
この状況でそんなことをされれば、寧ろ恐怖を煽るものにしかならないが。
「そんなに怖がらなくてもいいじゃあないか。ちょっと傷つくなぁ。」
口にはしなかったが顔には出ている。
痛みや視覚で、既にこれが現実だと理解させられた。
先程のような、実感が湧かない……なんてことはない。
人によっては嗜虐心をくすぐられる、小動物のような怯えた表情だ。
人を殺してでも金を欲しがるほどだ。
彼女の持ち合わせは、言うなればお使い程度の小銭。
彼の不興を買わず穏便に済ませられる額ではないだろう。
「───小銭程度しかありませんが……それでも、いいですか?」
躊躇も、思考する間もなく素直に要求を受け入れてしまう。
命惜しさや痛いのは嫌だからという、自分本位もないとは言い切れない。
我が身可愛さに要求を呑むとは……なんて人がいれば嘆かれるだろうが、そうではなかった。
彼女の視線の先は彼ではなく、その脇から僅かに確認できる後ろの方だ。
先ほど殺されかけていたリュックサックを背負った男が、何とか立ち上がって動き始めていた。
壁に手をつきながら、ゆっくりと、気づかれないように離れようとしている。
逃げようとしているのか、助けを求めるために動いてるのか。その判断はつかない。
どちらでも構わない。とにもかくにも、優佳は彼には逃げて欲しかったからだ。
このまま小銭の有無にかかわらず、すぐにでも二人とも殺されてしまうだろう。
どちらも助からない展開を迎えるぐらいなら、せめて彼だけでも助けたかった。
恐怖はある。痛みは続き、震えは止まらず、涙は溢れるばかり……一目瞭然である。
それでもだ。一度は見捨てた彼に対する、自分が今できる贖罪だと思ったから。
「小銭かぁ、貰えないよりはましだけど、いくらぐらい?」
思っているよりは反応はよかった。
小銭の場所は勿論分かってはいるものの、
焦ったふりをしながら、いくつかのポケットを無意味にまさぐる。
なるべく時間を稼ぐための演技ではあるが、恐怖による焦りは本物。
得意、と言い切れるほどではない演技力も、本物の恐怖によって違和感はない。
時間を稼ぐことについては、何も問題はなかった。
何も問題はない……そう、彼女には。
問題は、その彼の方にあった。
転んだ。具体的な説明を要さないほどに、普通に。
表通りの音が余り届かないこの場では、余りにも大きな音。
すぐに気づかれ、優先順位を変えるかの如く其方へと走り出す。
右足に怪我をしてる相手と、死にかけとは言え見失いかねない相手。
どちらを優先するべきなのかは、分かり切ったことだ。
だが、彼も走り出そうとした瞬間に転倒する。
動く寸前に、優佳が咄嗟に左足へとしがみついたからだ。
派手に石畳へと倒れ込む。
「逃げてください!!」
震える声の叫びが、路地裏に響く。
文字通りの足止めをしている間に、
彼も立ち上がると優佳の言葉で振り返る。
本当に逃げていいのか? そんな躊躇いが伺えるが、
涙で視界が滲む彼女に把握することはできない。
「早くッ!!」
必死な呼び掛けに、いたたまれない表情と共に、男はその場から逃げ出す。
道を曲がって姿は見えなくなっても、掴んだ足を必死にしがみついて離さない。
しかし、優佳は今の状況がおかしいことに気づいた。
抵抗がなさすぎる。
こういう時、相手は突き放そうと蹴りを入れたりするものだ。
それなのに、転倒してからというものろくに動いていない。
今ので意識を失うとも思えないが、足の痛みで立てず這って様子を伺う。
もしかしたら当たり所が悪くて、最悪命に関わる可能性だってある。
仰向けにしようと、恐る恐る肩に手をかけ───
瞬間、悲鳴すら上げられないほどの痛みに襲われる。
右足に刺さったナイフを、釘を叩くように押し込まれたからだ。
「いや、驚いた、女の子に此処まで虚仮にされるとは思わなかったよ。」
震えた、嘲笑が含まれた声と共に男は起き上がった。
痛みに悶絶する優佳の首を掴み、そのまま軽々と持ち上げる。
男が持ち上がったのだから、軽い彼女なんて容易だ。
今まで笑顔だった男の表情が、初めて変わった。
紅い宝玉のような瞳が、突き刺すような視線をぶつける。
「そんな君に朗報だ───今から殺して死体も売ってやる。
死体愛好家の捌け口にでもされて、死んでも使わせてやるからな。
優れた変態共だから腐ることはないし、一生愛されるから喜べよ。」
見ただけで足が竦み、ドスの利いた声はより畏怖させていく。
死体愛好の言葉を聞くと、優佳の抵抗がかなり激しくなる。
死ぬだけでも嫌だと言うのに、死んだ後も誰かの玩具としての扱い。
普通に受け入れられるわけがないし、当然彼女も受け入れるはずがないことだ。
しかし、非力な彼女では抵抗虚しく、次第に抵抗する力が弱まっていく。
死ぬ結果自体は、変わらなかっただろう。
だが、あの時何もしなければ恐らくただ普通に死ねたはずだ。
人を助けた代償が、死んだ後も尊厳を奪われるなんて思いもしない。
(ヒーローも、そういう感じ……なのかな。)
突然、漫画やアニメの主人公を思い出す。
ベッドの上で家族に見守られながら死ぬことはできない。
言ってしまえば、これはその表現の亜種なのだと言うことを。
癒えない傷、欠損、精神的外傷、死。得る、或いは喪うものは様々。
人を助けるなら、相応の覚悟はしなければならない。
(やっぱ、私には無理……だよね。)
痛みや苦しさの中に紛れ込む、別の涙。
自分には、そういった覚悟はできなかった。
世界が変わったとしても、簡単に変えたり割り切れるものではない。
特に、元の世界へ戻ることを決意している彼女にとってはなおさら。
現実逃避の如く、嘗ての思い出───所謂、走馬灯が脳裏に流れ始める。
本当に、普通の生活だ。底辺でもなければ輝かしい栄光もない。
唯一普通の人と違うとするならば、事故で両親を亡くしたことだろうか。
他殺ではない。自分だけが運よく生き残ったという車両事故なだけ。
それさえ除けば、本当にありふれた生活を過ごしている人生だ。
テレビのザッピングのように記憶が目まぐるしく脳裏に浮かぶと───
───それは、突如として止まった。
「生成(Create)。」
意識が朦朧としている彼女には分からなかったが、
冷たい声とともに路地裏に軽く呟かれる、彼女にもわかる単語。
優佳の顔を横切り、そのまま男へとナイフが飛来する。
「っと。」
ナイフの速度は早いものではあったが、
首を傾ける程度で簡単に避けられてしまう。
ナイフを投げた相手の姿は、男からは確認はできない。
男のすぐ前へと着地しても、優佳という壁が邪魔している。
「生成(Create)。」
着地と同時に刃渡りの長い得物がいつの間にか握られ、
男の足元を狙うように、横なぎに振るわれる。
優佳は持ち上げられてる都合浮いているお陰で、男の足元だけを狙った一撃だ。
「チッ。」
舌打ちをしながら振るう寸前に優佳を相手に投げ飛ばし、軽く跳躍。
攻撃は回避され、投げ飛ばされた優佳が激突するも抱えることはできた
……相手が、小柄でなければの話で。
割って入ってきた相手は───子供だ。
優佳にとっては、その子供は見覚えがある。
先ほど店で細々と食事をしていたユウキという少年。
アリスと変わらない、中学生になるかならないか程度の体躯である彼に、
一回りは上回ってる彼女を、安全に受け止めることはできない。
「ウグッ……!」
「今度は子供かよ!」
衝撃でナイフが軽く押し込まれ優佳の呻き声が漏れるが、それどころではない。
相手が子供と言う事を少しだけ驚きつつ、懐から素早く二本目のナイフを取り出し投擲。
素早く、正確無比なナイフはユウキの額へを直進していく。
「ッ───生成(Create)!」
少し焦った表情になりつつ、咄嗟に左手を伸ばすと同時に、
かざした手には木板が握られ、ナイフは板に刺さるだけに留まった。
その板を後方へと投げ捨てつつ彼女を横に寝かせる。
「次から次へと……」
「採点不能!」
男が悪態をつく暇もなく、続けて相手がやってくる。
この殺伐した状況には、余りにも似合わない幼い声と共に。
「アリス、さん?」
二人の後ろに立つのは、余りにも見知った顔。
表情は見るからに御立腹といったところなのだが、
幼い少女がそのような顔をしても、可愛らしく見えてしまう。
「一つ、空中から攻撃を仕掛ける必要がない!
二つ、ユカが盾にされる可能性を懸念してない!
三つ、怪我人を保護するときは深手の部分に気を付ける!
採点する以前の問題よ! ちゃんと考えて行動してたの!?」
しかも、怒る対象がナイフの男ではなくユウキ。
早歩きで接近しながら、男をそっちのけで説教が始まる。
「してました、一応。」
「どこが!?」
「被害者が邪魔になる印象が必要と思ってやりましたし、
そもそも、作ったものは全部艶を入れただけで贋作で傷はつきません。
三つめについてですが、言い訳にしかなりませんが体格的に無理です。」
優佳よりも年下であろう二人は、
殺伐とした状況でも動揺はしていない、場数を踏んだ印象。
この世界だとこれが案外当たり前なのかもしれないが、
そういったところについてはまだ彼女は慣れていなかった。
「そう言われると、反論しづらいわね。」
「次から次へと……苛々するんだよなぁ!!」
女子供に此処まで邪魔された経験は彼にはない。
会話に夢中な二人へと更に追加で二本投げるも、
アリスの鋭い視線と共に互いの中間に石畳を突き破り、真っ黒な壁が出現。
ナイフは容易く弾かれ、ナイフを弾けばビデオの巻き戻しのように壁は陥没。
何の痕跡も残さない、石畳へと戻る。
「ユカ、怪我人は貴方だけ?」
「向こうに、瀕死の人が……」
「なら、ユキ。貴方はそっちを頼むわね。」
「ユウキです、師匠。」
見た目からして年上なのだろうが、
アリスに対して従順な態度で従い走り出す。
「だから、次々と出てきては逃げるんじゃねえ!!」
さも当たり前のように通り過ぎるユウキへ、
弾かれたナイフを拾い上げながら肉薄するも、
同じように石畳から壁が隆起して防がれてしまう。
「待ちなさい、フラーネカル。」
「……あぁ、もう指名手配されたのか。」
アリスの妨害と、名前を呼ばれたのもあってか、
ユウキを追うのは諦めて、二人の方へと振り返る。
この男、フラーネカルはこの世界においての指名手配犯だ。
五人家族の非道な強盗殺人を含む、数件の強盗殺人により指名手配されている。
今朝方アリスのところに手配書が届いたばかりでまだ手配書が出回っておらず、
優佳が認識してなかったのはそういうことだ。
「仕事が終わったら貼る予定だったのだけど、必要はないみたいね。」
此処にいるのだから、
そんなことは気にしなくてもいい。
彼女の言葉には、きっとそれが含まれる。
つまり、此処で勝つと言う一種の勝利宣言。
「ちょっとは魔術できるみたいだが、なぁ!!」
何処にその数のナイフをしまってあるのか、
なんて疑いを持ちたくなるぐらい次のナイフを構えて突進。
愚直な攻撃だが、愚直故に洗練された一撃で目にもとまらぬ速度だ。
───というより、優佳の瞳には殆どが映らず一瞬の決着でしかなかった。
なので、どのような攻防や接戦があったのかは一切分からずに、結果だけが残る。
結果は三つ。
一つ目は、周囲の家屋の壁にひびがはいり、破片をまき散らしたこと。
二つ目は、相手は突進したはずなのに、アリスから見て右側からナイフを突き立ててたこと。
三つ目は、フラーネカルの腕が、石畳から隆起した黄金の液体にナイフごと覆われていたこと。
刃はアリスの胸にほんの数センチで届く程にギリギリで留まると言う、三つの結果だけ。
「な、なんだこの金属!?」
彼女の目には映らなかったが、
実際のところはいくつかの展開はあった。
フラーネカルは愚直な突進を仕掛けたが高速で跳躍。
近くの家の壁を勢いよく、それこそひびが入る程の威力で踏み抜き、
それを複数回繰り返し、アリスをかく乱しつつ脇から攻め入り今に至る。
金は液体の如く弾かずにその衝撃を受け入れたが、すぐに固まって貫通はせず、
離れようとするも、腕が金に包まれてるせいで抜け出すことができない。
「知らないの? 金は『豊穣』を意味する。
咎人を『収穫』するにはうってつけだと思わない?」
「てめ、ふざけんじゃ───」
空いた左手は懐のナイフに手を掛けるが、
即座に、腕を固定した金から液状の金が伸びて左手までも固める。
固定された腕は攻撃にも、防御にも用いることはできない状態だ。
「おいおい、なんなんだ!?
こんな子供が、なんで魔法が使えるんだよ!?」
この世界において魔術と魔法は、異なるものだ。
魔術は端的に言えば、常人が使うもので、主に詠唱や触媒などが必要だ。
一方で魔法は端的に言えばそれらを必要とせずとも十全な力を発揮するものだ。
少なくとも、アリスが今用いたこの液体のような金属は魔法になる。
基本的に、魔法が使えるのは研鑽を積み重ねた賢人ばかりであり、
こんな年端もいかぬであろう少女が魔法を使えるなんてありえない。
何処にでもあるような街で、簡単に出会えるものではないからだ。
「『ホロック』管理人、そういうことよ。」
狼狽するフラーネカルに、静かに言葉を返す。
その言葉を聞くと、顔色は青く染まっていく。
「な、ホロックの管理人って───」
「あなたは指名手配犯で、ユカを傷つけた。
話すことはもうないわ。これで終わり……さよなら。」
優佳の方へと振り向くと、金属はそのままフラーネカルの全身を覆う。
叫び声をあげるも、口に金属を流し込まれればそれは直ぐに途絶えた。
「大丈夫? ユカ。」
背後では凄惨な死を、人の手によってもたらされる光景。
それをバックに、何事もないかのように微笑みかけるアリスの姿。
「アリス、さん───」
極限状態の中でそんなものを見て、
彼女が精神が耐えきれるはずがなかった。
何より、助けが来たことで緊張が解けたのもあってか、
そのまま意識を失ってしまう───
◇ ◇ ◇
意識を取り戻すと、
見覚えのある天井と何かの花の匂い。
この感覚には覚えがある。一月ほど前に、
アリスが餓死寸前の自分を連れてきたあの時のように。
彼女が眠るベッドの隣には、椅子に腰かけて本を黙読するアリスの姿。
あの時と同じ……彼女と出会ったときも、こんな状況だったと。
「私……生きて、る。」
「あら。おはよう、ユカ。」
その時と同じような言葉を交わすが、違うところもある。
彼女が、自分の名前を(間違えているが)呼んでいると言う違いが。
時間が巻き戻ったのではなく、ちゃんと生きたと言う事実。
「───アア、アアアッ!!」
フラッシュバックする、先の顛末。
人から明確に向けられた、殺意や恐怖。
フラーネカルの笑みと憎悪の表情が頭から離れない。
まだ近くにいるのではないかとさえ思いたくなるような状態だ。
「怖かったでしょ? もう大丈夫だから。」
戦う術もなく、元々平穏な生活だった彼女にとって、
人によって死を与えられそうになった恐怖は重くのしかかる。
泣き叫ぶ優佳を、アリスは頭を撫でながら慰めるが、
「違う、んです。」
「え?」
ひとしきり泣き叫ぶと、震えた声で否定とともに首を横に振る。
彼女が泣き叫んだのは、フラーネカルへの恐怖からの解放もあるし、
生きていることへの歓喜のものもあるし、アリスが明確に人を殺した事実もある。
この世界ではそれが当たり前なのかもしれないが、思うところがないわけでもなく。
だが、一番の理由は人を見捨てたと言う、ひとえに『後悔』から来るものだ。
「怖かったから、もありますけど……私───」
事件の状況を、事細やかに優佳は語りだす。
生存を優先するとしても、人を助けるつもりであっても、
逃げると言う行動が、アリスにとっても彼女にできる最良の行動だと思えた。
愚直に助けようとすれば相手は人質として利用して、余計に危険な状況になりかねない。
叫んだ場合も逆上して、即座に殺していたかもしれないという可能性も否定できない以上、
二人の生存を優先しつつ助けを求める。これ以上ないぐらいの事だとアリスは称賛する。
しかし、そういう『合理性』の問題ではなかった。
「『助けよう』という考えがなかった、そんな自分が嫌なんです。」
彼女の胸中を締め付けるのは、自己嫌悪。
助けるための行動であれば、何も問題はなかった。
逃げたのは、ただ『自分が標的にされるのが嫌』と言う保身のためのもの。
助けようとは欠片も思わずに逃げ出したことが、嫌で嫌で仕方がない。
「感情の問題、ってわけね。」
自分の気持ちを吐露すると、
冷静になった頭で自分は何を言ってるのだろうかと優佳は思った。
相手は十歳の子供だ。いくら天才でこの店を任されてる身であっても、
子供相手に聞いていいようなものではない。
「すみません、やっぱなしで───」
「なら『それを忘れないこと』よ。」
今の話はなしにしようとする前に、
先にアリスが答えを出してしまい、
今更なしとは言えず、そのまま話を続ける。
「……忘れない、ですか。」
「そもそも、ユカはこの手の類の経験はないんでしょう?
経験もなしに、自分の思い描いた行動ができる人は限られるわ。
貴方は無知だった過去から既知の今に変わった。それを忘れずに、
今後は同じ過ちを繰り返さずに、適切な行動をすればいい。それじゃダメ?」
「それだけで、良いんですか?」
言ってしまえば『何事も経験だ』の延長線上にあること。
人の生死という、取り返しのつかないものに当てはめてもいいものか。
世界自体が違うことから来る、価値観の違いもあるのかと思うと、
「知らない。」
「え、知らない?」
投げやりな返しに唖然としてしまう。
こんな大事な場面で、そんな発言が飛び交うとは。
「だって、これはアリスの持論でしかないもの。
本当に正しいかどうかなんてのはユカが決めること。
アリスの価値観こそがすべて正しい、なんて思わないでしょ?」
「……そう、ですね。すみません。」
全ての基準を、アリス個人に委ねるものではない。
委ねればそれはただの依存、或いは思考放棄になる。
自分が決めなければならない、己の価値観というものは。
諭されて落ち着くと、
「───あの! 私ってどれぐらい寝てましたか!? 傷は!?
それにアリスさんは、何故私が危ないと分かったんですか?
ホロックの管理人ってそんなにすごいんですか? 何より、彼は無事でしたか!?」
脳内を埋め尽くす数々の疑問。
分からないことだらけの状態だと言う事に気づき、
アリスの肩を掴みながら問い質す。
「多い多い。一つ一つ答えてあげるわ。
まずは、ユカが寝てたのは半日ぐらい。」
肩を激しく揺らす優佳を、アリスは冷静に対応する。
どちらが年上なのか、本当に怪しくなるぐらいに。
「半日!? お店は───」
「とっくに閉店になってるわ。今深夜零時よ。」
「深夜零時……」
そんな時間では、注文どうこう以前の問題ではない。
あれだけの状況があっても、客にはそれは関係のないこと。
注文したのに、結局来ないまま店を出たと言うことだ。
迷惑をかけたのもあり、表情に影を落とす。
「そうそれ。皆には言っておいたから、
明日しっかり作ってあげること。分かった?
あ、それと今回の件は他言無用よ。色々面倒だから。」
何人かは見回りしてたとは言え、
皆が店で盛り上がってる中で起きた事件でもある。
勿論疎かにしていたつもりはないが、起きたのは事実。
公にしてしまえば、ホロックの信用に関わってくる案件だ。
無論、今後はこんなことがないように対策は取るつもりだが、
あることないこと噂され、士気や治安にも影響されても困る。
「はい。」
「次に、傷だけど特に後遺症もないわ。私が治したから。」
医療の心得とかはあまり感じず、
恐らく魔術の類なのだと納得する。
単純かつ合理的な手段での解決。
特に語ることもないオチではあるが、
「治療費っていくらほどで?」
それだけで解決できない、
優佳とは、こういう性格だ。
「ないわよ。魔術で治したし。
ただ治癒力の活性化によるものだから、
無理すると傷が開くから無茶な運動は禁止よ。」
魔術ってすげー。
ついそんな間抜けな言葉が出そうになる。
現代医学もそこまで進歩すれば困らないだろうが、
それはそれで医者といった医療に関する職業が死滅するので、
果たしてあっていいものか……なんてことを思考の片隅に思う。
もちろん、医者も人が来ない方が平和で良いと思っているのは、間違いない。
「それで、何故気づけたのかだけど。」
一番の疑問としては、これになる。
ヒーローとは遅れてやってくる……なんてこともあるが、
現実はそうはいかないし、尾行したにしてもタイミングが遅すぎる。
偶然同じ道を来たなんてのも、余り想像できない。
「弟子……ああ、あの時一緒にいた子ね。
彼と地図を使った魔術の勉強をさせてたんだけど、
指輪の効果があるか、確認ついでにユカの現在地を調べたのよ。
そしたら、ユカが急に地図上で逆走した上で止まって、動いただけの話。」
「GPSか何かですか、この指輪。」
おまじないをされただけの指輪に、
位置情報を特定できる機能があるとは思わず唖然とする。
寧ろ、魔術が施されたからこそ何かしらあるのかもしれないが。
「じ、じ……じーぴぃえぇす?」
「何でもないです。それよりも、すみません。せっかく貰った服を……」
「仕方ないじゃない。人間血を流すし、漏らすものよ。」
(失禁してたのね……)
痛みで気づけなかったが、まさか失禁していたとは。
首も絞められたし、あんな状況を前にすれば仕方がないことではあるのだが、
簡単に割り切れるものではなく、知らない方が良かった事実に目を逸らす。
「次に、ホロックの管理人は全体的に強い人間なのよ。
化け物と揶揄されるほど強いから、犯人はまず逃げるのよね。
犯罪者の大体は、無知でなければ私たちを避けて行動するほどに。」
「確かに、強かったですね。」
少なくとも、自分ではフラーネカルに勝つなど万に一つもない。
昨晩見届けた魔物との戦いに参じていたギルドの面々でも、
あれほどの速さに対抗できるかと言われて、素直には頷けなかった。
「引いた?」
「いえ、全然。」
自分を助けるためにその力を振るった。
それを非難したり拒絶するわけがない。
「ただ、やはり殺すところは抵抗が……」
とは言えだ。すべてを受け入れるわけではなく。
先ほどの言葉のとおり、アリスの基準を鵜呑みにしない、
という考えもあるのだが、元いた世界の倫理観に後ろ髪を引かれる。
国が決めた死刑制度でさえ、彼女には十分な抵抗があるのだ。
それが法に則ったものではなく私刑であるのならば、なおさらのこと。
「ああそっか。ユカのところだと、
私刑による殺人は認められないのよね。
その辺の配慮をしてなかったわ、ごめんなさい。」
「気にしないでください。それよりも、彼についてですが……」
正直、そこについては余り言及はしないことにしている。
此処は日本ではない。常識や基本道徳が同じではない以上、
口にしたところで時間をかけず互いが納得し合えるとも思えない。
それに、何より心配なのは、あの時の青年のことだ。
「無事よ。」
説明は殆ど不要だ。アリスは魔術で優佳を治した。
生きてるか死んでるか、それ以外の答えを言う必要はない。
「そうですか、よかった……」
自分のこと以上に、胸をなでおろす。
肩の荷が降りたように心配事は消えた。
ドッと押し寄せる疲労感に、ベッドへと倒れ込む。
「もう夜も遅いし、今は休むと良いわ。」
アリスは席を立ち、明かりを消す。
暗がりの部屋の中、扉を開ける音が聞こえて、
「ところでアリスさん。」
優佳は引き止める。
「何?」
「私の名前は、優佳です。」
「……気を付けるわね、ユ、ウ、カ。おやすみなさい。」
「はい、おやすみなさい。」
完全に忘れていたことを指摘され、
今度こそ治そうと、ぎこちない呼び方と共に、
アリスは部屋を出ていき優佳は眠った。
◇ ◇ ◇
───翌朝。
優佳は、普通に働いていた。
普段と違うとするなら、昨日同様に制服ではなく、
アリスから貰った服を着こなしていることが目立つ。
今回は、薄紫のジャンパースカートが特徴的なやはりロリータファッション。
評判が良かったのと昨日で慣れたこともあってか、抵抗はなくなっていた。
明るく振る舞う彼女の評判は、変わらずにいい方向にある。
看板娘と言われるのもそう遠くないだろう。
実際のところは、少し空元気に近かった。
一晩寝て忘れられるほど彼女の神経は図太くない。
今朝もフラーネカルの死を思い出し、胃液が逆流するほどに。
とは言え、接客業である以上暗い部分は見せない心構えはある。
客を捌きながら、次なる来客を知らせる扉の鈴が鳴り響く。
「いらっしゃいま───あ!」
客を出迎えると、その相手に優佳は軽く声を上げる。
人と見まがうほどに膨張した藍色のリュックサックを背負う、登山服の青年。
暗がりで具体的な姿はうろ覚えだったが、すぐにあの時の青年だと気づく。
「おおいたいた! 昨日はホントありがとな!!」
青年もすぐに優佳に気づき、見つけるとその手を握り締めてぶんぶん振るう。
昨日死の淵にいた人とは思えぬほどに快活で、優佳は軽く気圧される。
「えっと、あの時は、逃げ出してすみません。」
気圧されたのもあるが、
やはり逃げ出したことについて気分はよくなく、
せめてもの謝罪だけはしようと、頭を下げる。
「え、何かあったっけ?」
「実は───」
謝られるようなことは覚えがないのか青年は首をかしげたので、
優佳はあの時の自分の行動の理由を、軽く説明する。
話すべきではないのだろうが罪悪感の方が重くのしかかり、
話さないでおいて一方的に感謝されるのはよくないからと。
喧噪の中、静かに語られる少女の告白を聞くと、
「なーんだそんなことか!」
笑って返す。
殺されてたかもしれない状況だったのに、
笑い飛ばすとは思わず、呆気にとられてしまう。
「どんな理由であれ俺は助けられて、あんたは助けた。
偽善でも偶然でも、この事実に変わりはしないのさ。
俺頭悪いからその辺は気にしないし、そっちも気にしなくて大丈夫だよ。」
「そう、ですか……わかりました。」
分かったとは言うが、どこかもやもやした気分だ。
相手がそういうのだから、それで納得したい。
しかしアリスといい、対応がよすぎて何処か不安になる。
甘やかされてるような、そんな気分がして。
「んー、じゃあ飯奢って?」
「へ?」
それを察したのか、青年は一つ提案する。
「あー。昨日からまともなもの食べてなくて死にそうだわー。
でも、俺お金殆どないんだわー。誰か奢ってくれないかねー。」
凄まじくわざとらしい発言で、
いい加減、優佳もその意味に気づく。
「わ、わかりました! えっと、御一人様でよろしいですか?」
「ああ、御一人様だ!」
これ以上気を遣わせるわけには行かないので、
店員らしく、丁寧な接客に相手も笑顔で対応する。
「というわけなのですが、お給金から引いていただけますか?」
青年を席へ案内すると、近くの席で執務に勤しむアリスに尋ねる。
奢りにすると言っても彼がどれほど食べるかが分からない以上、
自分の所持金だけで賄えるかどうかは分からないからだ。
「真面目ねぇ。」
「師匠ならそれぐらい無償ですよ。
気に入った人には、尽くす人ですから。」
アリスが答える前に、
相席しながら、会話に割って入るユウキ。
「宿代も、どうせ実際は取ってないんでしょう。」
「流石ユキ。よくわかったわね。」
「ユウキです。」
(昨日の、聞き間違えじゃなかったんだ。)
名前を間違えるのは自分だけなので、
自分だけが被害を受けているのかと思ったが、
どうやら他にも同じ被害を受けている者がいて少し親近感が湧く。
余り喜ばしいことではないことについては、置いといて。
「残念。宿代は流石に受け取ってるけど、
宿代はお給金に混ぜてずっと返してるわよ。受講料として。」
「え、混ざってたの!? って言うか、受講料!? 何かありましたっけ?」
「してるじゃない。日本語の先生さん?」
先日よりも日本語の発音が流暢だ。
二人だけの時は、日本語での会話。
確かに、あれをアリスは興味があったのと、
自分の日本語を忘れるのを危惧したもので始めたもの。
まさかあれが、宿代と相殺させてるとは思っていなかった。
「ところで、ユキ。貴方も───」
「話は終わったのなら、客を待たせない方がいいのでは?」
「っと、アリスさん。話は後で!」
このままだと話し込みそうなので、
優佳は厨房へと走っていくも、途中で立ち止まる。
その後ろ姿にユウキが疑問を持つと、ビデオの巻き戻しのように、
彼女は姿勢を維持しながら戻ってくる。
「えっと、ユウキ君だったよね?」
「はい、そうですが……何か?」
態々戻って名前を尋ねる程か。
少し疑問に思っていると、その小さな頭に手が乗せられる。
「まだ言ってなかったよね。あの時はありがとう。」
「……いえ。」
お礼の言葉と共に、銀色の髪を撫でられた。
照れくさいのか、撫で終わるまで目をそらし顔を赤く染める。
終わるとすぐに同じように厨房へと戻っていく。
「じゃあ、師匠からもなでなでしてあげるわ。昨日の努力賞ってことで。」
便乗したいのか悪乗りなのか。
身を乗り出しながら幼い手で頭を撫で始める。
「やめてください、師匠。」
口では嫌がっているが、
彼はその手を払おうとはしなかった。
「お~~~! 久々のまともな飯だ!」
青年の前に出されたのは多めのパンと、
スープやサラダと言った軽めの食事に量を増したものだ。
昨日からろくに食べてないとあっては、重たいものは良くないと思い、
優佳はあえて軽めのものを増量させること選んでいた。
「お、卵焼きじゃあないか! 此処で食えるなんてな!」
「!」
卵焼きを出していたことについて、優佳は強く反応する。
昨日の注文の分を終わらせようと作ってはいたが注文が多い。
いつの間にか全員注文していると錯覚してしまったせいで、
彼の方に出す予定がなく、急いで青年の下へ戻る。
「すみません! 間違え───え?」
咄嗟に戻るが、今の言葉に疑念を抱く。
───今、この人は日本語を使わなかったか。
日本語かどうかは分からなかったが、少なくとも卵焼きの発音は流暢だ。
「あの、もしかして日本人ですか?」
試しに、日本語で対応してみる。
日本語が通じる人物はアリスのような例外を除けば一つ。
元より日本の存在をよく知っている、優佳たちがいた側の人間。
「え、あんたも日本人?」
「やっぱりわかるんですね!」
「ちょ、暇あったら後で話さない!? あ、俺界徒っつーんだけど!」
「休憩取れたらお話しましょう! 私、優佳っていいます!」
優佳の言葉の意味を理解し、
しっかりと日本語で言葉を返す。
アリス以外に日本語が通じると分かると、
目を輝かせながら遠慮なく日本語で会話をする。
楽しそうに話すも、端から見ればラスト語ではない以上、
彼らの会話はさっぱり理解できず、何人かの客が唖然としていた。
「これが嫉妬の言うのかしら。羨ましい。」
騒がしい二人を見て、アリスはジト目でその光景を見やる。
言葉通りか、手に握るペンがわなわなと震えている状態だ。
「あの、今日の受講まだですか、師匠。」
「中止よ中止。ユカが心配で私が身に入らないわ。」
「流石に酷すぎません? その理由。」
本当にここのリーダーか。
短くない時間を此処で過ごしてきたが、
彼女への信用が一気に下がった気がする。
「それはそうと、混ざらなくていいの? 貴方も日本人でしょ?」
優佳には伝え損なったが、
彼こと、雄輝も同じ住人になる。
国籍上は日本人なものの、外人との混血であり、
日本人としては全く見えないのだが。
「混ざっても、話についていけると思えないので。」
彼的には優佳は高校生ぐらい。界徒も二十以上と見ており、
元いた世界においてあまりいい記憶のない彼にとっては、
世代が違いそうな二人と混ざれるほどの、話題は持ち合わせていない。
「大人びてるわね、貴方、」
「師匠程ではないと思います。」
休憩の合間に談笑は続き、
夜になっても話題は続いた。
アリスからの嫉妬交じりの乱入や、
それを宥める雄輝などもあわせて、
昨日と余り変わらない賑やかさが、そこにはあった。
それからしばらくして───
拝啓、徳康さんへ。
(中略)
届いてるかどうかは分かりませんので、
要所だけは今までと同じ内容を書かせていただきました。
此処から先が、新しい内容になります。
最近、こちらで同じ日本の友人ができました。
日本でも旅をして、取材も受けたこともある人らしいので、
徳康さんの記事になっているかもしれませんね。
彼から聞いたこの世界での旅の話を、帰ったらお話したいです。
今までと余り変わらない手紙を封蝋したものを、
ハーピィを彷彿とさせる腕に翼が生えた郵便屋へと渡す。
飛び去る郵便屋をしばらく眺めると、優佳は店へと戻る。
人を守れるような強さは、彼女にはない。
魔物を倒せるようなハングリーさや勇猛さは、当然あるはずがなく。
けど、それで良いとも彼女は思っていた。
この世界でならば重要なのかもしれないものだが、
元の世界へ戻っても、役立てる手段は限られる。
寧ろ、大多数の人には畏怖され、疎まれるものだ。
だから、これでいいのかもしれない。
結論を言えば、元いた世界における倫理観を捨てられないだけの話。
人によってはそれは適応力がないと非難を浴びたり、情けないと嘆かれるもの。
それでもいい。これは簡単に、一線を超えられるようなものではないのだから。
ちゃんと吟味した上で、彼女は人や生物を傷つける手段を取らない道を選んでいた。
菜食主義者程生命に対して忌避するような、極端というわけでもなかったが。
それを責める者がいるとするなら、相手の事を何も考えない自分勝手な者だけだ。
この世界における人ではなく、元いた世界における人らしく彼女はこの世界を生きる。
願わくば、大事な家族のいる日本へ戻るために。
初めまして、OMFと言います
あとがきって、何を書けばいいんでしょうか
改めて考えてみると、難しいものですね…
とりあえずは、拙作の拝読ありがとうございます
一見続きそうなお話ですが、彼女の物語は一先ず幕を閉じます
『幕が閉じても彼らの人生は続く』そんな物語が好きな性分なもので…
遅筆と生活環境から、今後も投稿できるかはわかりませんし、
色々拙い執筆の素人でありますが、よかったら今後もよろしくお願いします
※ここから追記
世界観を共通させたストーリーになっており、
シリーズものにしたほうがいいのかと思い至ったわけで、
一度作品を削除して、シリーズものにして再度投稿にいたしました(今作を含む三作品)
評価をしてくださった人には、本当に申し訳ありません