63話:擬態する影
対象の姿が見えないのは周囲と同化して、上手くカモフラージュしているためだろう。魔法にしろ身体へ拠る能力にしろ、他者の目を欺くことへ秀でた効用と言える。現にレイドの指摘がなければ、僕達は相手の存在をまったく感知できなかった。
視覚を騙す力は申し分ない。しかし自身の臭いまで消せなかったのが敗因だ。ローンウルフ族の優れた嗅覚が、隠れているものの所在を看破した。
「さて、まずは正体を暴く必要がある。プルルン、あのポイントにアタックを仕掛けてくれ」
「プル!」
威勢よく答えると共に、プルルンは弾みをつけて湖方面へと跳び出した。
最初は球形で動き出し、水上を舞う最中に粘体は広がって、風呂敷状となってズレの覗いた箇所へと至る。
するとプルルンの体は浮力を失い落ちるのではなく、何もない空中で不可視の塊にぶつかり停止した。四方へ広げられた緑の粘体が、虚空で見えない物体へ貼り付いている。
更にその状態から、プルルンは得意の消化を開始した。粘体との接触面を溶かし始めると、途端に強烈な絶叫が迸る。
「ギギャアアァァ!」
苦し気な大音響を経て、プルルンの直下空間が激しく揺れた。
周囲の景色と重なる部分が上下左右へ震えながらブレ続け、次第に実体を表していく。色彩を帯びた形が空間の中に染み出すと、巨大な魔物の姿が明らかとなった。
湖の中から全像を立ち昇らせるのは、大型ナメクジと言うべき形状。水気を多分に含んだブヨブヨの表皮は水色で、頭部の先端には肉質の短い触覚と、小さな球状の濁った複眼が配されている。
地盤を這いずる面となる内側には数多くの触手が並び、それぞれが規則性なく蠢いていた。
水棲適応型の大型粘体獣だ。種別としてはウーズ族の派生下位亜種。大型化することで知性と消化能力は低下したが、耐久性と繁殖力が大きく成長した別系進化体となる。
レイドがプルルンに似た臭いとして感じたのは、その繋がりからか。
「うひゃ、ブヨンブヨンしたのが出てきたよ、リーダー!」
「擬態能力を持つ大型粘体獣だ。周辺に同化して獲物の隙を窺い、好機を見て襲っていくタイプだな。レイドが臭いから存在に気付かなければ、僕達は何も知らないまま奇襲を受けていたろうね」
「危ないところだ!」
「ああ、本当にそうだよ。――プルルン、相手の正体は知れた、無理はしなくていいよ」
大ナメクジに貼り付いたプルルンは尚も消化作業へ勤しむが、ウーズ族の派生亜種である粘体獣は耐性がある。他の生物なら既に溶かされていただろうが、大ナメクジには殆ど効力が出ていなかった。
それがために動きも阻害しきれておらず、体前の触手が素早く伸ばされていく。触手が十分な長さへ至ったところで鞭の如く撓り、プルルンとの接触面へ鋭敏な一打が走らされた。
大ナメクジの表皮とプルルンの合間が風切り音と共に裂かれ、緑の粘体は強制的に引き剥がされてしまう。支えを失い空中へ放り出されてしまったプルルンへと、更なる追い打ちで大ナメクジの触手が飛んだ。触手は真上からプルルンを打ち据えると、威力と衝撃で湖の中へと叩き込む。
「プ~ル~!」
長々とした悲鳴を放ちつつ、緑の粘体は水柱を上げて湖面へ沈められた。
大きな波紋が落下点から広がって、激しく散った飛沫が後追いで水面を揺らす。
「ああ、プル先輩が!」
「ウーズ族は伸縮自在の粘性体が持つ特色として、物理的な衝撃に強い。落ち方は派手だったけどダメージとしては通らないから大丈夫。心配いらないよ」
切迫した表情で叫ぶレイド。その肩に手を置いて、まずは落ち着かせる。
僕が言い含めている間にも、湖面へ丸まったプルルンが浮いてきた。
体を弾ませるための硬い足場がない所為で、プルルンは水の中だと殆ど動けない。プカプカと浮いているばかりでこちら側まで戻っては来れないが、その場で上へ膨らんだり伸びたりして、無事をアピールしてくれる。
そんな姿を見て、ようやくレイドも安心したようだ。肩の力を抜いて、安堵の息を吐いていた。
しかし大ナメクジは違う。元々が水場に適応した種体であるからこそ、音もなく水の中を進み始めた。既に僕達へ姿を見られているため隠密性は捨てているが、もし擬態したままだったなら、音は勿論のこと水面へ移動跡の水揺れさえ起こさないことが可能なのだろう。
そして今は最も近くにいる外敵として、プルルンとの距離を詰めていた。どちらも相手種族への配慮はなく、攻撃対象として容赦なく攻め手を打っている。
双方ウーズ族系譜だが、話し合いなど一切ない。お互いに敵としてしか認識し合っていないようだ。
「プル先輩が狙われてる! 逃げてー!」
「プルルプル~」
レイドの叫びも虚しく、プルルンは殆ど動けていない。
代わりに大ナメクジの進行はスムーズで、刻々と両者の距離は縮まっていく。




