62話:洞窟湖
「わー! おっきーぞー!」
「プルップルー!」
広大な空間の下面一帯、果てなく埋める途方もない規模の湖を前に、レイドとプルルンの感嘆声が響き渡る。
流れる小川の支流を辿り、その始まりを目指すこと1時間余り。延々と続く水流を遡りきった先で、遂に僕達は水源へと到達した。
洞窟の基本構造そのものは変化がないも、足元を流れる小川は刻々と数を増し、次々に合わさり太さを拡げ、最終的に巨大な水域へと合流している。
岩床は緩やかな傾斜から始まって徐々に深さを大きくさせ、築かれた窪地に多量の水が溜まっていた。光球を掲げて覗くと透明で、美しく澄んだ水だと分かる。しかし水場を湛えた傾きは奥へ向かう毎に深さが作られ、幾許か岸部側から離れるともう照明魔法を以ってしても底までは見通せない。
洞窟の奥面は光も届かぬ闇の中。そうなると巨大な水の領域は暗黒の虚へ佇むばかりで、視力による看破が不可能となっていた。
広々とした空間を満たす洞窟湖は、静寂に包まれている。無風状態の為に水面は凪ぎ、今は波紋も立っていない。歩んできた道と同様に、其処彼処から岩柱が天井まで伸びているぐらいだ。
「プルル~、プル!」
プルルンは物怖じせず湖の淵に粘体を浸し、湛えられた水を吸い上げ消化した。
その後で『美味い!』との感想をくれたが。
「う~ん、プルルンは何を食べても美味しいしか言わないからなぁ。そもそも岩でもなんでも溶かしてしまうから、毒物だろうと関係ないし。プルルンが平気だからといって僕達が大丈夫という保証にはならないよ」
そう、ウーズ族はあらゆるものを消化捕食出来るが故に、毒見役には適さない。
仮に危険物を取り込んだとしても、全てを分解吸収して自身の養分としてしまう。どんな環境でもエネルギー確保には困らない反面、同じ基準で他種族を量ることに意味がない。
「プルル~」
「少し持って帰って、アルデに調べてもらおう」
残念そうに平たく潰れて広がるプルルン。緑の全身を使って落胆を表現するのが独特だ。
そんなプルルンに苦笑を向けて、僕は懐から小瓶を取り出し、湖の水を掬う。
この場で飲んで危険の有無を調べるのはリスクが高い。今の瞬間は問題なくとも、後から体調異常を訴えることになるかもしれない。体内に入れるものは慎重に精査していかなければ。
「くんくん、くんくん。ねぇリーダー」
湖の前で鼻をひくつかせていたレイドが、僕のローブの袖を引っ張ってきた。
何事かそちらへ顔を向けると、狼少年の黒い瞳が不思議と疑問の双光を瞬かせている。
「水以外の臭いがするよ。ボク達とも違う、なんだか粘っこいような、変な臭い。ちょっとだけプル先輩に近いかなー」
「プル!?」
レイドの言葉に、プルルンは球形へ戻って一度跳ねた。
何者かの存在を示唆する報告よりも、変な臭いと言われたことに衝撃を受けている様子。
いや、注目すべきはそっちじゃないから。
「レイド、何処からか分かるかい?」
「くんくん、くんくん。えっとね、ここから真っ直ぐ行ったあの辺り」
数度鼻を鳴らした後、レイドが正面方向を指差した。
彼の示す場所を見てみるが、光球を翳しても何か特別なものは見付からない。彼方まで続く湖があるだけだ。
「僕等に視認できないほど遠く?」
「ううん、違うよ。すぐソコから臭ってくるもん」
「だとしたら水の中か?」
「水の上からの臭いだよ」
改めてレイドの指先を目で追ってみる。
だが、さっきと何も違いはなかった。湖面にも変化は起きていない。
かと言ってレイドが悪ふざけをしているふうでもなし。考えられるとしたら彼の勘違いか。それとも僕の目が対象を認識できていないのか。
もう一度注意深く、レイドの教える箇所を見詰める。
呼吸を止め、集中して目を凝らした。何者も見逃すまいと決意を固め、更に強く深く見据え続ける。
その時、一瞬ではあるものの、無変の景色にズレが過ぎった。
洞窟の下部を満たす湖と、連なる上方空間。照明魔法が浮き彫りにする光景の中で、水面の照り返しが歪み、真上の虚空がブレを描く。
はたと気付くともう異変はない。僕の見間違い?
「ほら、ほらほら、リーダー! 今の見た!? 見たでしょ、ねぇ! ボク嘘なんてついてないからね!」
「プルプル、プルルル!」
レイドは問題の一点を両手で何度も指し示し、声高に主張した。
隣ではプルルンが上下へのバウンド運動を繰り返し、激しく同意を訴えてくる。
どうやら僕の見間違いではなかったようだ。三人が同じ変化を目にしたのならば。
「ああ、確かに見たよ。あのポイントに何かが潜んでいる」
「だよね、だよね! ボクの鼻は誤魔化せないぞ!」
「プルルルー!」
僕が応えるとレイドは誇らしげに胸を張り、プルルンも揃って膨らみ粘体の前面を張ってみせた。
レイドは自分の成果に満足感を覗かせ、プルルンは後輩の働きを賞賛している。
「お手柄だよ、レイド。よくやってくれたね」
「えへへへ~」
僕もプルルンの姿勢に倣い、レイドの頭に手を置いて撫でてやる。
するとくすぐったそうにしながらも、喜色満面のはにかみが浮かべられた。




