61話:水と共にある洞
「ですがユレ様、危険ではないでしょうか?」
「まぁ絶対に安全とは言えないよ。でもいい機会だ。レイドにとっても貴重な経験になる。なにより本人がやる気満々だしね」
心配そうなクラニィへ答え、二人で狼少年へ視線をやった。
レイドはプルルンの前で握り拳を作り、上へ下へと落ち着きなく揺すっている。相対するプルルンも緑の粘体を球状に変えて、その場で軽快に飛び跳ねていた。
あれはあの二人なりの気合の入れ方らしい。
「だからこそ、勢いづいて無茶をしないか心配なんです」
「ははは、すっかりお姉さんだな。仮に失敗したとしても、それがまたレイドを育てる栄養となるさ。本人が望むことをやらせてあげる、それがまず必要なことだよ」
警戒心や身構えとは無縁の真っ直ぐな熱量のみを湛えるレイド。その姿を見ながら、クラニィは片頬に手を沿えて、小さな溜息を吐いた。
手のかかる弟を案じる姉の面差しに、思わず僕は微笑んでしまう。
「ユレ様はレイド君に甘いのか厳しいのか分かりません」
「別にどちらへ寄ろうとは考えてないんだけど。ともかく彼の嗅覚は異変の早期発見に有用だ。安全確保のためにも連れて行くのが望ましい。この理屈は分かるよね」
「……はい」
僕の言葉に、クラニィは難しい顔をしながらも頷いた。
感情と実利の境界で揺れる心情は分からないでもない。それでも作業工程を的確化する手段は、こういう状況に於いて必須懸案でもある。そのことは彼女自身も理解しているのだろう。強く反発はしない。
「よし。それじゃ改めてチームを編成するよ。僕とプルルン、そしてレイドで新洞窟の調査を行う。クラニィは指令所に戻って通常業務を続けてくれ」
「プル!」
「分かった!」
「一緒に行かなくて、よろしいのですか?」
「僕が居ない間、こっちのことを全て任せられるのはキミだけだからね。よろしく頼むよ」
「かしこまりました」
僕が信頼の言葉で告げると、クラニィは表情を引き締めて強く頷いてくれた。
責任感が強く真面目な性分で、ダンジョンの全容を把握している彼女に預けられるからこそ、憂いなく留守にできるというもの。
新しく見付けた洞窟には何が潜んでいるか分からない。状況毎に判断が必要となるならば、やはり僕が直に臨んで対処を決めることが重要だ。それが僕自身の向かう理由。
「障害物が道を阻んでいたら、プルルンが排除の担当だ。レイドは別の魔族や奇妙な何かの匂いを感じたら、すぐに知らせるように。分かったら出発しよう」
「プルプルー!」
「おー! 出発しんこうー!」
「気を付けて行ってください。くれぐれも無茶はしないように」
クラニィに見送られながら、僕達はプルルンの開けた穴を潜っていく。
入り込んだ先の広大な空間は、一歩踏み出した段階で空気感の違いを肌に覚えた。
僕達の拠点よりも気温が低く、全体的に冷感を帯びている。肌寒いという程ではないけれど、重く張ったような冷え込みが漂っていた。
「とりあえず、足元の小さな流れを遡ってみよう。そっちに水源がある筈だ」
「プルルー」
「くんくん、くんくん。この辺は水の匂いしかしないや」
僕達の歩みに合わせ、頭上に位置付き追従する照明魔法の光球が、周囲一帯を照らし出す。
独特な石の柱が連なる以外、特におかしなところは見られない。
足場にある小川めいた水流は細々としながらも長く続いており、これを追うのは現段階で容易だった。
天井が高く左右も奥行きもあるからか、僕とレイドの足音と、プルルンの跳ねる音が低く木霊のように響いて聞こえる。
他に聞こえる音と言えば、水が岩床を流れる小さな動音のみ。上から滴り落ちてくる音は聞こえない。けれど小川を辿って進めば進むだけ、小さな流れの単音が重なりを増していく。歩くほどに似通った支流が多くなり、一本、また一本と新しい小川が見え始めた。
洞窟の方々へ広範囲に渡って流れ行く水の道が、集束していく方向へ目指しているからだ。
「くんくん、くんくん。うわぁ、水の匂いがすごーく濃くなってきてる!」
「小さな枝川も数が多くなってるからね。幾つかは途中で合流して、より太くなっていく。かなりの水量があるのは間違いないな」
「プルプルー」
広々とした洞窟の構造自体は変わりなく、僕達の道程に問題はない。
歩を進める度に足元の水流は数を増やしているが、けして深くはなく、踏んだとしても足を取られるなんてこともない。横幅にしたところでささやかなもの、跨ぐことが簡単にできる。
そのためかなり速いペースで先へと行けた。
依然として他の魔族が活動している気配はなく、それ以外の生物も見かけないまま。あちこちに多少の苔は目にするけれど、はっきりと植物が根差していることもない。
ただ水の流れる音だけは数に比例して大きさも上がり、複数の対流が被さり合って並以上の河川級に聞こえていた。
心なし気温も下がっているように感じる。僅かな差で気の所為程度のものだけれど、入り口付近よりも冷たさが増している気がした。




