55話:立ち上がる巨人
次に現れた手勢も焼き払い、僕達は勝利を得た。
クロバコ君の拘束と僕の魔法で、順調に撃退は進む。あとはこのまま時間を稼いでいけば、発生したバグが解消されて襲撃も止まる筈だけど。
「マスターの抵抗に対して、排除プログラムのレベルが引き上げられました。より上位のプログラムが起動します」
「おいおい」
耳に心地よい美女クロバコ君の声が、穏当とは真逆の不吉な情報を伝えてきた。
既に十分なトラブルが起こっているところへ、迷惑極まりない上乗せがくるという。ただえさえゲンナリしている状況で、この追い打ちは辛すぎる。
気疲れから肩が重くなるのを感じる最中、前方へ広がる海原が大きく盛り上がり始めた。巨大な質量が其処に生まれ、大量の水が内側から押し出されると、盛大に飛沫を散らす。
大きく空へと噴き立つ水質の流膜は、巨大な山を作りながら滑り落ちていった。次の瞬間には傾斜へ伴い止め処なく海面へ沈み果たし、波紋と呼ぶには激しい揺らぎを走らせる。
膨大な海水の動きは、平淡だった海原に猛烈な巨波を作った。うねり、押し寄せる大波は轟音を響かせて躍り、砂浜へ驚異的な速度と力で押し寄せてくる。舞い上がった水飛沫も土砂降りかとも思える量へ上り、広い範囲へ細やかな粒群を降り注がせた。
しかしクロバコ君が細くしなやかな手を正面へ翳すと、こちらに流れ奔る波の壁が左右へ割れ、僕達を避けて両横へ流れていく。すぐ隣は勢いを持つ大水に洗われるが、僕とクロバコ君のいる空間だけは被害を受けていない。
本来ありえぬ動きを見せた海面の一角、上空への挑戦的な膨張を遂げた其処から、目を瞠る巨大物体が姿を現してきた。滝のように勢い良く降下して海へ合流する豪水の柱を破り、それは空中へ規格外の巨躯を捻り出した。
全長にして8、9メートルを超えようかという文字通りの巨人。鋼巌の石質をする大鎧に包まれ、身の丈へ迫る大鉈を握り持つ。煤けた鎖帷子状の頭兜に包まれた顔は、暗黒の洞同然で何も見えない。
「なんだ、これは」
「より上位の排除プログラムです。今まで倒してきた対象より遥かに強力です」
こちらを数倍する巨体を見上げつつ、僕は眩暈を覚えそうになる。
さっきまで相手をしていた触手球体とは丸っきりに別物だ。正面からまともに仕掛けて、戦いになるのかさえ怪しい。手に持っている大鉈の一撃を受けようものなら、それだけで叩き潰されるだろう。それどころか巨人の拳や、足を使っての踏み付けという基本動作すら必殺の威力と成り得る。
「それでも、やるしかないのか」
「魔なる縛鎖よ我が声に従い此処へ」
僕の不安を余所に、美女クロバコ君の行動は早い。
真っ先に魔力のこもる歌声を放ち、6束の黄金鎖を出現させた。高速で巨人へと向かった鎖群は正確に対象へと迫り、何も持っていない左腕へと巻き付いていく。
外から回り込んで内側へ入り、更に巡って外へと走る。六つの鎖が黄金の瞬きを発しながら、巨人の左腕を厳重に縛り上げた。こちらから見るに緩みもない、完全な封鎖措置。
「よし、動きを止めることは出来そうだね。これなら――」
僕が魔法の詠唱へ入ろうとした時だ。巨人が徐に動き始め、左腕を引き上げていく。
最初の動きに応じて巻き付く黄金鎖が撓みなく張られ、強固に引き絞られて軋みを鳴らした。時間にして一秒余り、6束の拘束は巨腕に自由を許さず抑える。が、次の瞬間には腕の動きが再び開始され、巻き付く鎖を相次いで引き千切っていく。
触手球体ならば一束でも完全に封じられた黄金の鎖だったが、六つの塊が何重にも絡まっているというのに、巨人の左腕は軽々と振り上げられてしまった。繋いでいた鎖は次々に断裂させられ、鈍い破砕音を残して壊れて落ちる。
込められた魔力が破られたことで実体化が解け、黄金の鎖達は霞のように薄れ消えていった。既に巨人は自由を取り戻し、僕達へ向かい一歩を踏み出す。
「申し訳ありません、マスター。今の私では上位排除プログラムを止められないようです」
僅かに俯き、謝罪するクロバコ君。
悄然とした表情へ合わせ、長い耳も先端が下がっている。
「白き凍気の嘶きよ、地を這い空駆け、立つ者芯身を束縛せよ」
クロバコ君が失敗したなら今度は僕だ。
詠唱と共に放つ魔力が冷気を宿し、僕の足元から氷晶を発生させながら巨人へと向かい走る。浜辺から海へ入ると海面を凍り付かせ、軌跡に氷晶を残して直進し続けた。
そのまま巨人の右脚へ到達すると、一気に冷気を噴いて白霧燻らす。周辺温度を急激に下げつつ氷晶は巨脚を覆い、浸かっていた海諸共強固に氷結した。拘束用の魔氷が野太い大脚を取り囲み、白い結晶として抑え付ける。
「これでどうだ?」
右脚を完全に凍らされた巨人は、その場で動きを止めた。
クロバコ君では無理だったが、僕の魔法でなら可能ということか。
だが油断など出来ない。対格差がありすぎて、及ばす力の比率を考えると長くは保たない可能性が高いからだ。
「あ、くそ」
などと考えている傍から、巨人の体が再動を求めていく。
凍り付いている右脚へ力が込められたと思った矢先、氷晶全体に罅が走り、間を空けず放射状の亀裂を刻むと、粉々に砕け散らされた。
海側の氷も一挙に弾け、まるで何事もなかったかのように、巨人は悠然と二歩目を踏んだ。
僕の放った魔法も容易く突破されてしまい、大した足留めにはならずじまい。




