53話:セキュリティ誤作動
「なるほど、ウーズ族は大喰らいなのですね。しかも何でも消化してしまう。彼等の記憶を元にアルスノーヴァを構成するとどうなるのか、興味深いです」
「また古代の専門用語か。アルスノーヴァはなんだったっけ?」
「マスターが現在いらっしゃるこの空間のことです。極めてリアルな仮想現実空間の総称。各種情報端末に保存されるロケーションデータとアップロードされた人々の記憶、及び行動記録を構造モデルとして構築されています。データさえ揃っていれば、あらゆる時代のいかなる場所や状況も精巧に再現することが可能です」
「そういえば、そんな話だったね。この海辺は先史文明の景色なのか?」
「初期起動時、端末内に保存されていた破損のないデータを用いています。申し訳ありません。記録データに依然ロックが掛かっているため、アクセス出来ません。該当データの精査が行えず、現在のロケーションは特定不可能です」
「そうか。いや、ちょっとどうなのかと思っただけだから、気にしなくてもいいよ。此処じゃ時間は幾らでもあるわけだし。なんだっけか、アルスノーヴァの加速された媒体では主観時間が変化する、だったかな?」
「はい、その通り――マスター、緊急事態です」
クロバコ君と話をしている最中、突然甲高い警告音が鳴り響いた。
音の出所は他でもない、クロバコ君自身。
耳を劈く高音を掻き鳴らしたあと、彼は不穏な状況発生を言葉にする。ただ内容とは対照的に文章を読み上げるような平淡な物言いだった。この辺りはシラユキに通じる。創られたモノの共通項だろうか。
「こんなのは初めてだな。なにが起こったんだい?」
「システムリカバリー中にバグが発生しました」
「バグ?」
「既に構築されている仕組みを不全化させ、機能を著しく阻害する内的要因です。正しい終了プロセスを経ずにシステムダウンされた後、長期間スリープ状態を続行していたため、発生リスクは当初より高まっていました。マスター権限の正しい移譲が行われないまま、新規ユーザーを登録したため、管理ブロックの一部が二重登録であると誤認してしまったようです」
「つまり?」
「マスターを不正な介入者ハッカーと見做し、セキュリティが作動しました。マスターを排除するために動き出しています」
「……いやいやいや、そんな莫迦な話ってあるかい?」
「申し訳ありません。管理ブロックに対し、緊急時のマスター権限廃棄並びに新規登録仕様を通達しているのですが、こちらのアクセスを拒絶する不具合が発生しており受け付けられていません。管理ブロックのバグを処理する作業へ取り掛かっていますが、現時点で解消の見込みは立っていません」
「まいったな。じゃあ僕を外に戻してくれ」
「申し訳ありません。セキュリティによってアルスノーヴァの封鎖が実行されました。マスターの人格子アカウントを基底現実へ戻すことが出来ません。封鎖の解除に当たっていますが、現時点で解消の見込みは立っていません」
「戻れないって、そりゃまずいよね。ちなみに今の僕つまり精神体の方が排除されると、本体の僕はどうなる?」
「人格子アカウントの消失は、基底現実での精神的な死を意味します」
「まぁ、そうだろうね。話は通じず、逃げられもしないか。さていよいよ八方塞がりだけど」
「セキュリティによる排除プログラムが作製され、放出されました。間もなく当該アルスノーヴァへ到達します」
「僕を狙い襲ってくるなら、迎え撃って叩き潰しかない。抵抗は可能だね?」
「はい、可能です」
「なら決まりだ。僕はこんな所で死ぬつもりはない。全力で足掻き、生き抜いてやるさ」
「システムリカバリーによって一部の機能がアンロックされました。マスター、私も微力ながら御手伝い致します。121666667時間ぶりに出会えた新しいマスターです。失いたくはありません」
「今しれっと凄い数を聞いた気がするけど……いや、問題は目の前の事態だな。協力してくれるなら勿論助かる。此処じゃキミの方が勝手を心得てるだろうしね。それで、何が出来るかな」
僕が問い掛けた時、クロバコ君の全身が眩い光に包まれた。
宙に浮く黒い箱は閃光の中へ融け、その輝きが一気に膨らみ、かと思えば急速に収縮する。
外へ広がる光輝が内へ向かい萎んだところで、光量が治まり視界が戻る。するとさっきまでクロバコ君の居た場所に、僕よりやや背の低い女性が一人現れ出ていた。
長い金色の髪を、青いリボンで結び背中へ流す。尖った耳が特徴的で、鼻筋が通り、睫毛の長い端整な美人。
白衣と緋袴の合わさる巫女装束を着ているが、両肩は大胆に露出され、艶やかな肌が明らかになっていた。
どこか眠そうにも見える青い瞳が、僕をぼんやり捉えながらも放さない。
「メモリーに残存していた前マスターのデータフラグメントをトレース、サルベージして出力しました。アルスノーヴァ限定ですが、これで戦闘行動も行えます」
鈴の転がるへ似た可憐な声が、僕の耳朶を擽る。
甘やかな響きには引き込まれるような魅力が伴い、思わず目が離せなくなった。
しかし状況は進行中だ。命の危機が僕を我に返らせ、切り替えのために軽く頭を振る。
「クロバコ君、なのか?」
「疑似人格のベースは私です」
「急に魔性チックな声になったね」
「出力アバターの全情報は前マスターを再現しています。前マスターは『天与の歌姫』と称された素晴らしい歌い手でした。その声には他に比類なき魔力が宿っています。それが聞く者の自我へ作用し、強烈に惹き付けるのです」
衣装の影響か、それとも澄んだ声なのか。神秘的な雰囲気を感じさせる美女の姿で、クロバコ君が朗々と語るのを、僕は耳をそばだて聞き入っていた。
気を引き締めていないと、本当に呆けてしまいそうになる。あの声は危険だ。
前マスターということは、僕の先輩にあたる『黒い箱』の継承者。そしておそらくは、これこそが古代先史文明人の姿なのかもしれない。
集中して考えるべきことを頭に描き、とにかく己を見失わないように努めなければ。




