51話:黒い箱
「いったいぜんたい、なんだっていうんだか」
「少しは気が解れたかな」
「なに?」
「貴君の緊張を緩和してやろうと思ってのことだ。別段、会話の内容に深い意味はない」
高い音と低い音、二つの音が重なる声で、シラユキは事も無げに言ってのける。
こちらとしては真意が測れず、目を瞬かせるばかり。
「デーモン族の優先順位が知れたのは興味深い話だったが」
本気とも冗談ともつかない言葉を最後に加え、灰銀の腕が上から下へ、縦に振られた。
それと同時に僕達の正面へ新しい裂け目が開く。
「僕はからかわれてたのか」
「曲解だよ、それは。善意での行いなのだから」
兜そのもので構成されているゴーレムの顔は、表情というものがない。
異形種頭のアルデ以上に考えや腹の内が読めなかった。
ただ言動からは他意を感じないため、本当に言葉通りの意味なのかもしれない。というか、そう思う他ないんだけど。
「まぁ、確かに肩の力は抜けたか」
「ならば結構。しかし女人よりダンジョンの方に興奮するというのは、男として少々心配になるを禁じ得ないぞ」
「おい、まだそれを引っ張るつもり?」
「冗談だ」
だからシラユキの文言は冗談に聞こえないんだよ。
殆どが同じトーンによって語られる所為で、大真面目に言っているとしか思えないから困る。
「本当のところ、最近の貴君は重きを抱えて余裕がなく見えたのでね。多少なりとも息も拍子を抜かせる必要があると判断してのこと」
「そいつは……かもしれない。深読みしすぎだと否定はできないな」
「重責の要因は貴君が継承した『力』だろう」
「僕に押し付けたのがキミだから、少しは責任を感じてるのかな?」
「恙なく管理してもらわねばならないのでね。継承者に不調をきたされてはまいってしまう。『力』の安定的な維持を見守り、調整を加えるのも守護者の務めだ」
さも当然といった口振りで、シラユキは問いに答えた。
高低の重なる声に、罪悪感へ類する成分は微塵もない。
僕の身心ではなく、継承者としての機能が心配だったという話だ。
いや、分かってる。一つの目的の下に創られているゴーレムは、それのみが行動の基準として固定化された存在。『力』の守護者として生み出されたシラユキは、『力』に関わることでしか働かないと。だから僕も納得するよりない。
「どうした。私が貴君個人を心配していないのが残念か?」
「寧ろ安心したよ。結局のところキミがいつも通りであることにね」
「では気分も改まったところで、継承者としての仕事へ励んでもらおう」
シラユキは一歩下がり、自身が新たに開いた裂け目を片手で示した。
慇懃に腰を折り、先へ進むように求めてくる。
今更拒むでもない。僕は溜息だけを一つ落として、外へ繋がる転移の亀裂へ踏み込んだ。
古代魔法によって設けられた空間同士の境界を抜け、辿り着いたのは洞窟内最下層最深部。他の者が来れないよう通じる道を全て封じて隔絶させた、魔力結晶体の一大貯蔵庫。1年ほど前、シラユキに導かれて至った古の『力』が眠る場所。
其処には濃い紫色の輝きを湛えた魔力結晶体の塊が、今も山の如く聳えていた。
魔導炉の稼働に使うため幾許かを削り出しているけれど、そんなものは総量からすれば知れている。途方もない巨山から砂粒一つを持ち出した程度の消費でしかない。
でも今日僕が目指すのは、結晶体と違うものだ。
目標物は、見上げれば嫌でも目に入る。以前は結晶体の中に埋もれて外からは確認出来なかったが、僕が初めて触れた時、強固に結び付いていた結晶群が罅割れ、砕け、その姿を露出させた。
今も僕の視界を堂々と占有している、黒い長方体。なんの意匠もなく、夜の闇より尚昏い深暗を溶かし込んだような、漆黒の巨塊。縦に長く、奥に幅を持ち、魔力結晶体の内から迫り出し貫き建つ。
シラユキが言うには、此処にある魔力結晶体は全てあの黒い長方物体から漏れだした魔力が凝り固まったものらしい。つまりアレこそが力の本領、始まりの大元。
古代先史文明の遺産とされ、僕が継承した『力』の正体であり、守護者が『黒い箱』と呼ぶ存在。
「継承者よ、ここから先は貴君にしか出来ない役目だ。御頼み申します」
僕の後ろで床に降り立ったシラユキは、ある程度の距離を取ると、それ以上は近付いてこない。
異空間への裂け目を閉じ、両腕を組むと押し黙り、待ちの体勢へ入り静止した。
それは特別奇異な対応ではなく、既に何度の見てきた守護者の姿だ。あの『黒い箱』が現れてからというもの、僕は一日一度必ずシラユキに連れられ此処へ来ている。その度に灰銀鎧のゴーレムは定位置で動きを止め、僕の仕事が終わるのをただ待ってきた。
僕の新たな責務で日課となったのは、毎日欠かさず『黒い箱』に触れ、僕自身を接続させること。これを続けることで、長い間眠り続けてきた遺産が起動状態へ少しずつ移行していくのだという。
もし継承者として『黒い箱』に認められた後、接続を怠ったらどうなるのか。シラユキにそれを聞くと、内在する膨大な魔力が制御を失って荒れ狂い、おぞましい大災厄を引き起こすのだと脅された。
本当かどうかは、試していないので分からない。しかし魔力結晶体の大山が在るのは事実。その元となった『黒い箱』が暴走すれば、恐ろしいことが起こる可能性は否定できない。迂闊なことをするのはリスクが高すぎる。だから僕はこの務めを日々果たしてきた。
もっとも、触れてからこの話を聞かされた時は詐欺だと叫んだし、今もろくでもない呪いを掛けられたと思っている。




