49話:ちょっと小休止
「どうぞ、召し上がってください」
「ありがとう。それじゃ頂くよ」
クラニィが魔力を使い、僕の前にカップを置いてくれた。
淹れたてで湯気の立つそれを手に取り持ち上げると、穏やかな気分にさせてくれる良い香りが鼻を抜けていく。
正直、紅茶のことはよく分からないけど、この芳香は嫌いじゃない。
掴んだカップを口元まで運び、一口含む。温かさと共に控え目な甘さが口内へ広がって、それだけで全身の疲れが溶けていくかのようだ。
「うん、美味しい」
「よかったです」
僕がカップに口を付けるまでずっと見ていたクラニィは、送った感想に華やかな笑みを返してくれる。
嬉しそうに両手を握り合わせた後、自分にも注いでいた妖精用のミニカップを持ち上げた。それを上品な仕草で一口飲み、ほぅっと吐息を零す。
仄かに頬が上気している顔は、幸福を絵に描いたかのよう。彼女が紅茶好きだというのが、よく分かる姿だった。
「和むねぇ」
「はい、とっても」
僕達は二人してカップを手に、椅子の背凭れへ体重を預けている。
紅茶を一口飲む度に同じような息を吐き、全身が弛緩するような気分へ沈んでいった。
肩肘張って生きていても仕方ない。時々はこうやって息抜きし、英気を養うのも大切だ。
「そういえば、行商人の方とは上手く話しを進められましたか?」
「ああ、キミが用意してくれた必要物のリストをそのまま頼めたよ。魔力結晶体を代価にしたらすぐにまとまった」
「お力になれたのなら幸いです。一番最初にこちらへ財があることを示しておけば、熱心な商売人なら気に入られようと一生懸命働いてくれるでしょうから」
「確かに目の色を変えていたな。アルデ達は魔力結晶体を惜しんで、行商人には一切渡してなかったらしいけど」
「太っ腹なところを見せておいて損はないと思います。支払い能力が低いと判断され侮られてら、足元ばかりみられることになってしまいますよ」
「まぁ、商人なんてのは腹黒さと舌先三寸の生き物だからね。でもかなり変わった感じの相手だけど、意外に律儀だったな。支払額が超過しているからって、情報も売ってくれた」
「どのような情報か、聞いてもいいですか?」
「構わないよ。でもクラニィは生まれも育ちも無法境界線だよね」
「はい、そうです」
「だったらピンとこないかもしれない。貰った情報は極北大陸の現状についてだから」
行商人ミシガンが僕に渡してきた情報は、極北大陸の現勢力図に関わるものだった。
魔王様が勇者に討たれた後、魔族軍は壊滅的被害を被り、組織的抵抗能力を失っていたが、魔王親衛隊の残存戦力は依然として戦う姿勢を貫き続けた。そして魔王城での決戦時、魔王様との戦いで大きく消耗していた勇者は、残存親衛隊との戦闘で負傷する。
勇者は傷を癒す為に南方大陸へと戻り、前線から姿を消した。混乱の中、残存親衛隊は大打撃を受けながらも全滅はしておらず、散開して極北大陸の各地へと姿を消す。
諸王国連合軍にとって魔王討滅を果たした勇者の存在は大きく、勇者撤退の報は連合軍全体に少なからざる動揺を与えた。加えてかねてより魔王様の出兵要請に難色を示し、あれこれと理由をつけては遅延工作へ及び自陣兵力を温存してきた魔貴族達が、この機に相次いで挙兵し始める。彼等は諸王国連合軍の側背を痛烈に叩き、連合軍の大陸北上と広域展開を阻んだ。
魔貴族の狙いは、魔王様の喪失で寄る辺を無くした魔族達へ向け、戦勝を稼ぎ、支持を得て、自らが魔王位を名乗ることにある。其れが為に今まで沈黙を守ってきた。彼等は魔王様が討たれ、極北大陸が窮地へ追いやられる時を待っていたわけだ。
魔王様不在時に英雄的活躍をしてみせれば、民心を掴むことが出来る。魔王位の継承を大陸民に認めさせる最短の方法と言える。
過程の正否はともかくとして、我欲へ駆られるが故に魔貴族勢力は強猛に攻め立てていた。同じように条件が整うを待っていた魔貴族達は連動しているが、その中でも勝ち星の奪い合いが熾烈となっている。誰よりも多く戦功を上げる必要があるからだ。
一方の諸王国連合軍は勇者の撤退により士気が下がった状態で、尚且つ一度魔族軍を挫いているため緊張の糸が切れていた。そこへ予期せぬ反撃を受けたので大きな損害が出た様子。
両陣営の戦いはここで拮抗し、かつての人魔戦役同様に一進一退の攻防を繰り返す形となった。
「魔王様が倒れた時、極北大陸は人類勢力の手に落ちるものと思ったけど、意外にも連合軍の侵攻は食い止められている。欲に目の眩んだ魔族は執念深く陰惨で手強い、しかも共同しながら競争相手でもあるから、尚一層に敵を討つ勢いは壮絶だろう。この状況は長引くね」
「勇者が前線に戻ってくるまで、ですか?」
「おそらく。魔王親衛隊の残党もまだ活動しているようだし、ひょっとすると敗走し散逸した魔族軍が再編されるかもしれない。その場合、戦闘の激化は確実か」
「……あの、ユレ様」
話しながらカップ内の紅茶を飲み干した時、クラニィが僕を呼んだ。
カップをソーサーに戻しつ目を向けると、彼女は神妙な面持ちで自分の小カップを両手に包んでいた。




