34話:召喚は突然に
「ユレ様!?」
天井が改めて始まった白い道を、しばらく道なりに進んでいた時だ。
突然クラニィが僕を呼び、その切羽詰まった叫びに、一同の視線が集まる。
何事かと、僕自身も驚きに目を丸くしてしまった。
即座にクラニィを見ると、彼女は両目を見開き、僕を指差している。
「後ろです!」
彼女の指摘を受け、反射的に振り返った。
すると僕の真後ろ、それまで何もなかった筈の空間が、縦に裂けているじゃないか。僕の身長と同程度の裂け目が気付かないうちに生み出され、左右へと口を開いている。
予兆もなく始まった異変で、開放された虚の中に抱かれていたのは蒼黒い煌めき。僕は其処に見覚えがある。
古い魔導書に記述されていた、異空間のもの。局所空間同士を連結させる古代高等魔法の一種という知識。そして、この洞窟でゾン子と出会い魔法によって動きを封じた後、彼女の元へ魔剣が現れた時だ。
魔剣の場合は、それ自体が抜けてくるための小さな亀裂。だが今度のは、一人が余裕で通り抜けられるような大きさを持つ。
「転移魔法だ! 何か来る、皆気を付けろ!」
一同へ注意喚起しながら、僕は空間の裂け目から離れようとした。
しかし次の瞬間、想像を絶する凄まじい力に引き寄せられ、全身の制御を失ってしまう。
踏ん張ろうと足掻く暇さえなく、僕は目の前の転送亀裂へと吸い込まれた。
「プルップルー!?」
「なんじゃと!? 主殿待たぬか!」
「む、我が主」
「だめ、ユレ様が!」
「ヴ……ヴ……」
強烈な力に抗いきれず連れ込まれる折、配下達の焦燥に駆られた声が聞こえる。
だが僕が何か返すより先に、通り抜けた裂け目が閉じてしまう。
吸い込む力が止まったのは、皆と引き離されたあと。放り出されたのは外から見えていた亀裂の中身と同じ、蒼黒い煌めきが占める世界だ。
通ってきた白亜の通廊とも、岩肌剥き出しの洞窟とも違う。そもそも固形物が見られず、上も下も右も左も、物質的な存在は何もない。壁も床も天井もないために、奥行きも何も分からない。
星々が瞬く夜空の只中に捨て置かれたような、奇妙に過ぎる空間だった。足に何かを踏んでいる感触がなく、手も何かに触れている感触もまた同じ。落ちている感覚でもなければ、魔法を使い浮遊している感覚とも違う。触覚が覚束ない所為で、どうにも居心地が悪い。
「なにかのトラップか。はたまた別の魔剣の仕業か?」
敢えて独り言ち、声の響きを確かめる。
閉鎖された空間のように反響はしない。僕の声は遠くまで渡ることもなく、自分の耳へ届いた時には終わっていた。
視覚的には無限の広がりを持って見えるが、実際の空間としてはどうなのか、判然としない。
「突然呼び立ててすまなかったな。貴君と話をしておきたかったのだ」
得体の知れない異空間に、僕のものとは違う声が飛んだ。
高い音と低い音が同時に被さり、声質が読めない異様な声だった。
何処から届いたか、周囲へ視線を走らせると、僕の正面方向で一瞬、眩い閃光が弾ける。
咄嗟に右手を顔の前へ翳し、光量から目を庇った。とはいえそれはすぐに消える。
異空間が元の姿を取り戻すと、僕の前方に未知なる人型が出現していた。
頭頂から足先まで一部の隙もなく、全躯を灰銀に鈍く黒光る鎧めいた外殻で覆っている。
外部へ晒される体表面は、目を凝らして見れば緩やかに流動しているのが分かった。外鎧自体が息遣いでも重ねているかのようだ。
頭部の前面に横一線へ走った亀裂が覗き、その奥へ真紅の明光が灯る。おそらく其処が眼域だろう。
張り出した肩に、鋭利な突起が伸びる具足膝、首周りや両手の指に至るまで全てが灰銀殻に鎧われ、全体に漂う重量感は相当なもの。
剣こそ帯びていない無手ではあるけれど、様相は泰然とした騎士を思わせた。
「キミが、転移魔法の仕掛け人か?」
「そうだ。シラユキ、とでも名乗っておこう。ユレ・イグナーツ殿」
僕の問いに澱みなく答え、おまけに名前まで呼んでくる灰鎧の騎士。
あの出で立ちでシラユキとは、皮肉なのか洒落っ気なのか。素顔も声の調子も掴めないため、本心がまったく読めない。
ただ言葉を交わす意図があることから、無差別攻撃で僕達を抹殺するのが目的ではないのだろう。
油断させてから仕留める腹積もりだったとしても、転移魔法で僕に気付かれず背後を取れるのだから、あの瞬間に攻撃していればそれで済む話。いくらでも不意が撃てるのに、わざわざ姿を現したのは、争う意思がない表明の筈だ。
「色々と聞きたいことはあるけど、まずは一つ。僕の配下達は無事か? 別々に攫って、各個撃破なんて真似はしてないだろうね」
「貴君の輩には一切の手出しをしていない。彼等は今も遺跡の路に留まっている。先に『声』を届け、ユレ殿と話を終えれば帰すため、しばらく待つよう伝えてある。信じるかどうかは彼等次第だが。なんにせよ、こちらから彼等にこれ以上の干渉をするつもりはない」
「この状況じゃ、僕はキミの言葉を信じるしかないな。キミが良識ある魔族、或いは人類であることを祈っておくよ」
威風堂々たる佇まいの灰鎧騎士シラユキは、平然と虚言を弄するタイプなのか。それとも質実剛健な騎士道を地で行く手合いなのか。第一印象からはまだ分からない。
そもそもいきなり異空間へ連れ込み、正体を明かさないという始まりからして、信用を置けという方が無理だろう。ただそこへ悪意はなく、込み入った事情がある場合も想定される。
僕としても、相手の土俵である此処で正面からぶつかり合いたくはない。圧倒的にこちらが不利なのは明らかだ。
となれば取るべきスタンスも限られてくる。完全には信じないけど、無意味に反発はせず、話を合わせて情報を探る。
まずはそこからか。




