12話:対価の要求
「簡単な交換条件を提示したいだけさ。無償で見知らぬ相手を助けるほど僕は御人好しじゃない。キミの望みを叶える代わりに、相応の対価を支払ってもらわないと」
「ならばじゃ、妾が無事に此処を出て故郷に戻れた暁には、欲するだけの財貨をくれてやろうぞ。安心せい、氷華族の名誉に懸けて約束は必ず果たす故」
「低俗な魔族には適当に金だけ握らせてけばいいと、そう思ってるようだね。悪いけど金銀財宝には興味がない。僕が要求したいのは、もっと別のものだ」
「なんじゃと?」
「キミ自身だ。キミという存在全てが僕のモノになる。それを受け入れるなら、首輪を壊してあげるよ」
僕の言葉を受けた直後、彼女は数度両目を瞬かせた。
それから少しして恥辱と赫怒の猛熱を溢れさせ、全身を戦慄かせ始める。
僕へ向けられた目は厳しい敵意に染まり、射殺してきそうなまでの忌々しさを湛えていた。
「ふざけるでない……ふざけるでないわ!」
灼け付く怒声が洞窟内に反響する。
叩き付けられた強烈な迫力は、プルルンの全身を痙攣させつつ竦み上がらせてしまった。
僕も思わず一歩引き下がりそうになたけれど、ここで怯み舐められるわけにはいかない。素知らぬ風を装い、何食わぬ顔で彼女へと相対し続けてみせる。
「僕はふざけちゃいないさ。いたって真面目に話をしている。有能な人材を傘下に加えたいと思うのは、至極真っ当な感性だと思うけど?」
「よくもぬけぬけと。貴様も口約束だけで妾の了意を得たとは認めまい。違えることの出来ぬ支配契約で妾を縛るつもりであろう。この戒めによって抵抗力が落ちている隙に、妾を隷属させんと目論んでおるのが透けて見えるぞ」
「だとしてもキミを攫ってきた連中よりはマシさ。少なくとも僕は選択肢を与えている。どうするかを本人に選ばせもせず、無理矢理従えようとは思ってないよ。僕の物になるのが嫌なら断ればいい」
「それで妾の自由意思を尊重したつもりか? 貴様の言を受けねば彼奴等に追いつかれ、再び捕らえられるのみ。そうなりたくなければ貴様の傀儡となるよりない。選択肢などあってないようなものではないか。こんなもので選ばせてやるなどと、よく言えたものよ」
金瞳へ絶望の深みを増させた彼女の嘆き。救いの無さに打ちひしがれる姿は憐れみを誘う。
僕だって、退路のない彼女へ迫る二択が卑怯なのは自覚している。凡そフェアな交渉とはいえない。いや、交渉どころか脅迫の範疇だ。
しかし彼女には、下劣・非道へ走ってでも手に入れる価値がある。
氷華族としての類稀な魔力や才覚もそうだし、なにより『始まりの魔族』を配下に置くという事実と実績を得る意味は大きい。
こんな方法では彼女から信頼されることなどないだろう。反感と不信しか買わないのも分かる。だが、それでもだ。
「彼奴等に捕えられた時、既に妾の命運は尽きておったということか」
それまで噴出させていた憤怒の熱が、彼女の全身から静かに引いていく。
強く睨んでいた双眸からは敵愾心と共に活力が薄れ、自嘲気味な笑みを含んで視線は落とされた。
諦めの表情が麗然たる横顔へ刷かれる。
細い指が洞窟の冷たい底面で握られた時、長々とした吐息が彼女の唇から漏れ出た。
「よかろう、妾の負けじゃ。彼奴等に使われるよりは、貴様の下僕と成り下がるが良し。そうであることに賭けるとする」
「話は決まりだね。それじゃ、首輪を破壊した後に約束を反故とされないよう、主従契約を結んでおこう。僕の名前はユレ・イグナーツ」
「イグナーツじゃと? くく、くふふふ」
僕の名乗りを聞いたところで、彼女は力の抜けた笑い声を零し始める。
薄衣に包まれた両肩が小刻みに震え、固められた拳は石床の上でより強く握り締められた。
「よもやデーモンマスターめの小倅じゃったとは」
「極北大陸から攫われてきたのなら、母を知っていても不思議じゃないか」
「妾の名はルシュメイア。ルシュメイア・アルデ・バド・ネイクリシト。今代魔王ゼイドリッツ・アルデ・バド・ネイクリシトが98番目の孫娘じゃ」
「魔王様の直系……これは驚いたな」
「ふん。まったく驚いている風ではないがの」
いや、驚いている。でもありえない話じゃないとも思っている。
魔王様には御家族が多かった。同族の正室を1名と、他種族からなる側室を11名擁していたし、それぞれとの間に3人から5人の子供を設けていた。更にそれら王子王女が伴侶を娶り、子供を成す。そのため魔王様の血を継ぐ魔族は100名以上存在する。
魔王様が勇者に討たれ、魔王城が陥落した今、極北大陸が人類勢力圏に併呑されたとなれば王血の狩り出しが行われた可能性は高い。魔王様の血筋は、諸王国連合軍から逃れるべく姿を消したか、闘ったか。なんであれ没落は免れないだろう。
長年保たれてきた権威が失墜したことで、魔王様の子孫へ対する風当たりも変わった筈。畏敬と寵愛の対象から、関わり合いたくない厄介者へと。或いはその血に宿る力を狙い、庇護でなく襲撃と支配を受けるように。
彼女を攫ってきた連中や、弱みへ付け込んでいる僕がいい例だな。
人類からのみならず、魔族からも目を付けられたとなれば、どこをどう転がってこの状況へ堕ちていても不思議じゃない。
「かつて大祖父に挑み敗れ配下とされた女の息子が、今度はその孫娘を下に敷くのじゃから、皮肉なものよ」
「妙な因縁だとは思うけどね」
ルシュメイアは、何処か遠くを見るような眼差しで息を吐く。
憂い帯びた彼女の様相を眺めながら、僕は胸の奥に確かな高揚を感じていた。
母とも兄とも違う道を歩んでいる実感が、デーモン族としての本質を、支配する者の性を、僅かばかりに満たしていく。




