紙袋は誰のもの
「ところで、そのポケットはどうしたんですか?」
グラナートの目は、エルナの上着のポケットに向かっている。
パンパンに膨らんで不格好なポケットは、こうしてみると確かに気になる。
そう言えば、紙袋の存在を忘れていた。
「いえ、これは。……ゴミのようなものです」
「ゴミ?」
粉々のクッキーを渡すわけにもいかないのでそう言うと、グラナートが不思議そうに首を傾げた。
王妃教育のために王宮に来ているのに、ポケットにパンパンのごみを入れているなんてちょっと恥ずかしい。
見えないように手のひらで覆うところを、アデリナの手が伸びて紙袋を抜き取られた。
くしゃくしゃな上に、アデリナが振ると砂のような音が響く。
「……これ。もしかして、あれですの?」
「ええ、まあ」
「何でこんなことになりますの?」
非難というよりは驚いた様子で問われる。
「いえ。シャルロッテ様とお話していた時に、手が滑ったそうで。あと、踏まれまして」
「そんなもの、嘘に決まっているじゃありませんか」
「だとしても、もうこんな状態なので。とりあえずなかったことに」
何を言っても、既にクッキーが粉末に職業変更してしまったのだから、どうしようもない。
「捨てるのですか! せっかく作ったものを?」
「いえ、そんなもったいない。しっかり砕いてケーキに振りかけても美味しいですよ?」
あと、チョコに混ぜてもおいしそうだ。
そう考えると、粉末も悪くない。
「そういう意味ではありません!」
すると、グラナートがアデリナの持っていた紙袋を取り上げる。
声をかける間もなく袋を開いて中を覗かれた。
「……これは?」
袋の中身は見えているのだろうが、何なのか判別がつかないのだろう。
「一応、クッキーでした。」
「それは見ればわかります」
「わかるんですか、凄い」
思わず感嘆の声を上げる。
それくらい、中身は綺麗に粉々だったはずだ。
「僕は何かされたのか、聞きましたよね?」
「す、すみません」
「アデリナさんと食べるところだったんですか?」
「いえ、あの。殿下に差し入れというか、その」
「――僕に?」
咄嗟に嘘はつけずにそう言うと、柘榴石の瞳が見開かれた。
「あ、大丈夫です。ちゃんとテオ兄様に毒見をしてもらうつもりだったので」
エルナの説明を聞く間もなく、グラナートは袋に手を突っ込む。
手が汚れるのも構わずボロボロの小さな欠片を取り出すと、自らの口に放り込んだ。
「で、殿下! それはボロボロで、床に落ちて踏まれたので。それに、毒見もまだ――」
「美味しいです」
「え?」
慌てて紙袋を取り返そうとするが、何を言われたのか咄嗟に理解できずに固まる。
そんなエルナを見て、紙袋を抱えたグラナートが微笑んだ。
「美味しいですよ? わざわざ作ってくれて、ありがとうございます」
「い、いえ、そんな。でも、それは」
「また作ってくれますか?」
「え、は、はい。……こんなもので良ければ」
「楽しみにしています」
粉々だし、袋ごととはいえ床に落ちて踏まれたし、とても王太子であるグラナートに食べさせて良い物ではない。
そう思うのだが、何だか嬉しくて胸の奥が温かくなる。
「……それで。床に落として踏まれたというのは、グルーバー侯爵令嬢なんですね?」
「ええ、まあ」
「……わかりました」
先程までの天使のごとき微笑みから一転、何だか不穏な空気を感じるのは気のせいか。
紙袋を持ったままソファーに戻ったグラナートが、小さく息をつく。
「グルーバー侯爵令嬢だけではなく、数人の令嬢が舞踏会で僕と踊るのは自分が相応しいと暗にほのめかしてくるのですが。……どれだけ頭が悪いのでしょうね」
いつになく厳しい物言いなのは、何か怒っているということか。
「エルナさんは陛下も認めた正式な王太子妃候補です。それを軽んじる者がいるのは、気に入らないですね。まして、側妃に名乗りを上げる者の気がしれない」
そう言って、紙袋の口を閉じる。
「次の舞踏会では、ずっとエルナさんとだけ踊っていましょうか。他に目がいかないのだと示せば、少しはわかるでしょう」
「ええ? そんな」
「あら、それは面白いと思いますわ」
狼狽するエルナを気にすることなく、ペルレが賛同している。
「それ、自分がエルナと踊りたいだけじゃないですか」
「そうですよ?」
テオドールの突っ込みにしれっと答えたグラナートは、紙袋を自分の横に置いた。
「……あの。ところで、その紙袋を返していただけますか?」
「嫌です」
即答され、一瞬言葉に詰まる。
「……いや、あの。それ、粉々で。床に落ちて、踏まれていますので」
もう一度丁寧に事情を伝えるが、グラナートの表情は変わらず穏やかだ。
「僕への差し入れでしょう?」
「そうですけれど。そうなる予定だった、と言いますか」
「なら、僕が貰います」
まったく話が通じない上に、どうやら譲る気もないらしい。
困っていると、テオドールがにやにやと笑みを浮かべている。
「諦めろ、エルナ。おまえからの初めてのクッキーだろう? 殿下が手放すわけがない」
そう言われれば、何だか気恥ずかしいし、ちょっと嬉しい。
「じゃあ、テオ兄様はアデリナ様と踊ってくださいね」
「話が飛んでいるぞ。それに、俺は殿下の護衛だ」
話が繋がっていないのは百も承知だ。
それでも、グラナートの行動で心が落ち着かないエルナは、同志を欲していた。
「その殿下が踊っているんですから、護衛も踊っていてください」
「わけがわからん理屈だな」
「テオ兄様は『テオドール・ノイマン』としては、ほとんど知られていないんですから。良いアピールです」
「俺をアピールしてどうする」
呆れたと言わんばかりに肩を竦める兄の態度に、少しむっとする。
「アデリナ様の隣にいるなら、それくらいしてください。どこの馬の骨ともわからない男性に、アデリナさんはあげません」
「いつからおまえの物なんだよ」
「アデリナ様も、踊りたいですよね?」
話の通じないテオドールは放置して、隣に座るアデリナに笑いかける。
「え、わ、わたくしは、そんな」
「テオ兄様とは踊りたくないですか?」
少し悲しそうに目を伏せると、すぐに首を振ってくれた。
「そんなはずありませんわ!」
「なら、良いですね」
テオドールを見れば、不満そうな顔をしつつ、何だか嬉しそうだ。
甘酸っぱい二人の反応に、何だかこちらも嬉しくなってくる。
「……エルナさんは、自分のことでなければ結構いけますのね」
ペルレは何だか妙な感心をして、うなずいている。
「そんな、アデリナ様じゃあるまいし」
「どういう意味ですの?」
頬を染めたアデリナが叫ぶと、皆が一斉に笑った。










