美貌とのギャップは、負担が大きいです
「あら、ごめんなさい? 手が滑りましたの」
エルナは慌ててしゃがみこむが、シャルロッテは足をどかすことなく、そのまま左右に擦りつける様に動かす。
砂の上を歩くような音からして、すでに粉々になっているのだろう。
「足をどけてください。それは、食べ物です」
そう言って細い足首を押しのけると、紙袋を抱えて立ち上がる。
まったく悪びれる様子のないシャルロッテは、エルナの持つ紙袋を見て笑っている。
嘲笑という言葉がぴったりの笑い方だ。
「食べ物? ……まさか、殿下に差し上げるつもりじゃありませんわよね?」
「誰が食べるにしても、食べ物を粗末にして良い理由はありません」
「まあ。わたくしに意見しないでくださる? 気分が悪いわ。それに、恐れ多くも王女殿下の名を軽々しく呼ぶなど。失礼にもほどがあります」
「――わたくしが、何ですか?」
凛とした美しい声に、エルナとシャルロッテが同時に振り返る。
濃い金髪に真珠の瞳の高貴な女性がそこに立っていた。
「王女殿下! いえ、この方が王女をお名前で呼びましたので、注意を」
「エルナさんは、わたくしの妹になる方。わたくしが許可しているので問題ありません。それに、今のわたくしは、ザクレス公爵です。ご存知ないのかしら?」
柔らかい口調で、それでも非難されているとわかったらしいシャルロッテが、慌てる。
「いえ、そういうわけではございません」
「それで、あなたはここで何を? この先は王族の区域です。わたくしは王太子殿下に呼ばれておりますし、エルナさんも同じく。……あなたは?」
「し、失礼いたしました」
シャルロッテは短く謝罪すると、踵を返す。
「……今に見ていなさい」
すれ違いざまにささやかれた言葉に、エルナは感銘を受けた。
これはまた、なかなか古典的なセリフだ。
今までの態度といい、クッキーのことといい、どうやらシャルロッテはエルナが気に入らないらしい。
そういえば、これはいわゆる普通の嫌がらせではないのだろうか。
聖なる魔力の余力で悪意が中和されていないのだとしたら、またエルナが抑制しているのかもしれない。
グラナートと約束したのだから、ちゃんと自分のために使うのだと意識しなければ。
何をどうしたら良いのかわからないので、とりあえず気合を入れて拳を握ってみる。
「……確か、グラナートの妃候補の一人でしたわね」
ピンクのドレスが遠ざかる様を見ながら、ペルレが呟く。
「アデリナさんの一強だったので、実質名ばかりの候補ですけれど」
「そうなんですね」
昔からアデリナはグラナートの妃候補として数えられていたらしいが、彼女が相手では普通の御令嬢は太刀打ちできないだろう。
エルナが候補に加わった頃には、既にアデリナの名前しか残っていなかったので知らなかった。
「エルナさんが気にすることではありませんわ。さあ、参りましょうか」
「あの、私は殿下に呼ばれているわけでは」
行くつもりではあったが、呼ばれてはいない。
よく考えてみると、勝手に押し掛けるという形だ。
グラナートは迫る条約調印のために忙しいはずだ。
やはり、やめておいた方が良いのかもしれない。
及び腰になるエルナに構わず、ペルレは華やかな笑顔を向けてくる。
「せっかくだから、よろしいではありませんか。アデリナさんもこちらに呼べばよろしいわ。きっと、喜ぶでしょう?」
確かに、グラナートの護衛であるテオドールもまた忙しく過ごしているはず。
アデリナだって、テオドールにそれほど会えていないのではないか。
それにしても、ペルレもアデリナの想いを知っているのか。
テオドールの事にだけピュアなアデリナは大変に分かりやすいから、長年の付き合いがあるペルレにはすぐにばれたのだろう。
「……はい」
エルナ一人のわがままで訪問するのは気が引けたが、アデリナのためでもあると思えば勇気が出る。
人間は、勝手なものだ。
ふと、手にしていた紙袋をどうしようかと悩む。
クッキーは粉々だろうから、当然渡すことはできない。
とはいえ、捨て置くわけにもいかない。
とりあえず上着のポケットに押し込むが、中身が粉々のおかげで何とか収まった。
ポケットはパンパンになったが、手に持ったままよりは良いだろう。
「それ、何ですの?」
「いえ、大したものではありませんので、気にしないでください」
不思議そうに覗きこむペルレに笑顔を返すと、歩き出す。
今日はこのまま持ち帰って、後日またクッキーを焼こう。
やはり、条約の調印が終わって落ち着いてからの方が良い。
「なら、行きましょうか」
ペルレが歩き出すが、その速度がかなり速い。
ドレスを着てヒールを履いた上品なお姫様なのに、エルナが小走りしないと追い付かないのだからおかしい。
目に映る美しい女性と体感するスピードの差が酷くて、心に負担だ。
ペルレのパートナーになる人は、この美貌とのギャップをものともしない人でないと、精神的疲労が重そうである。
「グラナート、入りますわよ」
ペルレが執務室の扉を軽々と開ける。
この扉だって、よく考えればそれなりに重い。
もしかすると、ペルレは走り込みだけではなく筋力トレーニングもしているのだろうか。
……あっさり肯定されそうで、怖くて確認できない。
「姉上、ちょうど良かったです。舞踏会のことで確認を――」
グラナートは机の前で書類を片手にこちらを見ると、その柘榴石の瞳が大きく見開かれた。
そう言えば、グラナートに会うのはダンスレッスン以来八日ぶりだ。
意識してしまえば、何だか少し緊張してしまう。
「……エルナさん」
淡い金髪の美少年は、名前を呼ぶと同時に柔らかく微笑んだ。










