クッキーを届けましょう
リリーはチョコ入りのクッキーを天にかざした。
「忙しいのでしたら、間食としても良いですよね。エルナ様の手作りなら、きっと殿下も喜びますよ」
「でも、殿下は日頃王宮の職人の作った美味しいものを食べているはずなので、わざわざ私が届けなくても。それに、殿下の口に入るものはきちんと安全確認をするべきと習いましたし」
ちらりと教師であるアデリナを見ると、小さくうなずく。
「その通りです」
「えー。そんな」
不満そうに口を尖らせるリリーは、女のエルナから見ても可愛らしい。
これぞ、清楚で可憐な美少女だ。
エルナにほんの少しでもこの可愛らしさがあったら、『会いたい』なんて言葉も似合うのかもしれない。
「でも、例外はありますわ。エルナさんが作った物を疑いはしません。心配でしたら、毒見をしてもらえば良いでしょう」
「そんな手間をかけても」
「喜びますわよ、きっと」
「そうですよ、エルナ様」
溢れる美貌から放たれる圧力に、エルナも抗いきれない。
美少女は、正義である。
抗うことは、罪である。
「……じゃあ、テオ兄様に毒見してもらいます。テオ兄様はチョコが苦手なので、いれないようにしないといけませんね」
「何で、テオ様の好みのものを作ろうとしているのですか」
「だって、迷惑をかけるわけですし。わざわざ苦手なものを食べさせるというのも可愛そうですし。あと、殿下の好みを知りません」
「殿下は、特に苦手なものはなかったと思いますわ」
そんな情報も持っているとは、さすがは長年グラナートの妃候補筆頭だった御令嬢だ。
「さすが、詳しいですね」
「ペルレ様情報ですわ。あの方、弟が可愛くて仕方ないのです」
確かに、そんな感じはある。
レオンハルトも似たようなものなので、何となくわかった。
「なるほど。では、チョコ抜きで問題はなさそうですね。……テオ兄様はチョコが苦手ですが、食べられないわけではありません。それ以外の甘いものは結構好きです」
「な、何ですの?」
「いえ。今後の参考に」
アデリナは一瞬の間を置いて、頬を赤く染める。
「そんなことよりも、明日は歴史の授業ですわ。少し遅れて構いませんから、必ず殿下の所に寄ってくださいませ」
翌日、学園の講義を終えたエルナは、王妃教育のために王宮に向かっていた。
手には、クッキーの入った小さな紙袋。
友人との約束通り焼いたクッキーは、チョコを抜いた分だけバターの香りが引き立っている。
特別美味しいわけではないが、酷い味で食べられないということもないはずだ。
「レオン兄様もテオ兄様も何度も食べているし、大丈夫ですよね。きっと」
念の為、今回のクッキーもレオンハルトに食べてもらったが、笑顔で美味しいと言ってくれた。
妹割引で優しい判定だとしても、まずいわけではないはず。
「……まあ、美味しくなかったとしても、食べてくれそうではありますが」
穏やかで優しいグラナートのことだ。
仮に死ぬほどまずかったとしても、笑顔で食べる気がする。
それはさすがに申し訳ないので、細心の注意を払って表情を見なくては。
決意と共に紙袋を持ち直すと、王宮の中を進んだ。
「――ちょっと、あなた。よろしいかしら」
声に振り返ると、そこには淡いピンクのドレスに身を包んだ女性の姿があった。
艶のある栗色の髪は緩く巻かれてリボンで留めてあり、華やかだ。
ここは一般区域とはいえ、王宮の中。
普通の御令嬢が歩いているのは珍しいが、どうしたのだろう。
「王太子殿下がいらっしゃるお部屋を、ご存知?」
軟玉の瞳を輝かせ、命じることに慣れた口調でそう言うと、無言で回答を急かしてくる。
グラナートは、この奥の執務室にいると思う。
だが、王太子の所在を軽々しく教えてはいけないだろう。
そもそも彼女が誰だかわからないが、グラナートのいる王族の区域に立ち入りを許されているとも限らない。
「そういうことは、私にはわかりかねます。道を尋ねるのでしたら、女官に聞くのが早いと思います」
当たり障りなくかわしたつもりだったのだが、令嬢の眉が一気に顰められた。
「あら。あなた女官じゃありませんの?」
「違います」
エルナは学園からそのまま来たので、制服のままだ。
誰がどう見ても勤務中の女官ではないが、これはわざと言っているのだろうか。
「あなた、この先は王族の立ち入り区域ですわよ。勝手に入ってはいけません」
自分はこの先に入ろうとしていたのに、エルナを窘めてきた。
ということは、この女性は立ち入りを許されているのだろうか。
「あなたはどなたですか? この先に御用があるのでしょうか」
わからないことは正直に聞いてみようと尋ねてみると、今度こそ決定的に表情が険しくなった。
「わたくしは、シャルロッテ・グルーバー。あなたこそ、この先に行こうとなさっていたわね。その灰色の髪……王太子妃候補の方?」
グルーバー、グルーバー。
確か、侯爵家だったはず。
エルナの脳内でアデリナの授業という名の特訓がよみがえる。
「はい。エルナ・ノイマンです。グルーバー侯爵の御令嬢とは知らず、失礼しました」
「そう」
不機嫌そうに目を細めながら、エルナの頭から足先までジロジロと見回し始めた。
「……殿下の妃候補筆頭だったミーゼス公爵令嬢は、美貌に体型にマナーとすべて完璧で有名でしたが……」
シャルロッテはそこまで言うと、意味ありげにエルナをもう一度じろりと見てきた。
明らかにエルナに対して不満があるその態度に、思わずうなずく。
「本当ですよね! アデリナ様ほどの御令嬢、見たことがありません。完璧なのに色っぽいなんて、反則ですよね。あ、でもペルレ様も素晴らしいです。何と言っても、溢れる気品が違いますよね」
「え、あ。そ、そうですわね」
何故かシャルロッテが少し引いている。
アデリナを愛でる同士なのかと思ったのだが、どうやら違うらしい。
残念に思っていると、シャルロッテの手が伸び、エルナの持っていた紙袋を叩き落とす。
突然のことに驚いて動けずにいると、床に落ちた紙袋をシャルロッテの可愛らしいピンクの靴が踏みつける。
サクサクと小気味よい音を奏でながら、クッキーが割れるのがわかった。









