ヒロインが、らしからぬことを言い出しました
「これ、昨日お話したハンカチです。どうぞ」
何となく人目を避けて中庭のベンチに移動すると、エルナは小さな包みを手渡す。
それを見たリリーは、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。開けてみてもいいですか?」
うなずくと、さっそく包みを開いている。
中身は、昨夜刺繍したハンカチである。
もともと刺繍してある物もあったのだが、モヤモヤとした気分転換のため新たに作ったのだ。
「まあ、素敵!」
白いハンカチの隅に、小花と葉をあしらってある。
ちょっとこだわったところは、花弁の色を七色のグラデーションにしたところだ。
勿論、昨日買った『グラナートの赤』こと三十九番の赤も使っている。
「やっぱり……いえ、とても綺麗です。ありがとうございます」
美しい虹色の髪に触発されて刺繍したものの、髪の色にちなんだ物を送られるのが嫌だったらと心配したが、杞憂だったようだ。
美少女に喜ばれるというのは、なかなかに気分がいい。
ヒロインに貢ぐ男性の気持ちもわかるというものだ。
「……あの、エルナ様、今日は大丈夫でしたか?」
「何がですか?」
リリーの上目遣いからの質問に、男性なら一発でノックアウトだなと思いつつ返答する。
「殿下とテオ様と親しげにお話しされて、何人かの令嬢に囲まれたと聞きました」
朝のアレか。
その場にいなかったリリーがこう言うということは、噂にでもなっているのかもしれない。
「親しいなんて、とんだ誤解です。テオさんが挨拶してくださったので返事をしただけで、それに時間をとらせてしまったので、殿下にお詫びをしただけです」
「そうなんですか?」
ヒロインの恋路を邪魔するつもりなんて毛頭ないので、どうぞ穏便に幸せになっていただきたい。
「はい。まったくの社交辞令の挨拶で」
「テオ様は笑顔を向けられて、とても親しげだったと聞いたもので。殿下も何か熱心にお話しされていたとか」
……誰だ、リリーに余計な法螺話を吹き込んだのは。
ヒロインの恋にちょっとしたスパイス効かせないでほしい。
リリーの恋路の邪魔とは、即ち悪役。
行く末に待つのは、恐らく破滅ではないか。絶対に御免こうむる役回りだ。
「テオさんの顔は、きっとあれが普通です。殿下もお詫びを真剣に聞いてくださっただけです」
だから、恋敵ではありません。
どうぞ敵認定しないでいただきたい。
すがるような気持ちで説明するエルナに、リリーは少しばかり表情を曇らせた。
「でしたら、やはり、気を付けた方がいいと思います」
『私の殿下と関わるな』という意味かと思ったが、どうもそういう雰囲気ではない。
「エルナ様は殿下のことを、ほとんどご存知ないですよね?」
「え、ええと。第二王子、ですよね」
リリーは大きなため息と共に、首を振った。
「簡単に言うと優良物件なのです」
「はい?」
リリーの口からヒロインらしからぬ言葉が出てきた。
「第一王子のスマラクト殿下の妻は次期王妃となるわけですから、色々と条件も厳しくて簡単には狙えません」
ヒロインが、狙うとか言いだした。
「その点、第二王子のグラナート殿下なら、多少の融通が利きそうですからね。名乗りを上げたい令嬢がたくさんいるんですよ」
「はあ」
「その上、殿下が器量よしで優秀となれば、令嬢の目も輝くというわけです」
「はあ」
いや、その令嬢を蹴落として王子を獲得するのはヒロインのリリーなのだが。
美貌に才能にヒロイン補正まで持っているリリーに、勝てる人はいない。
「つまり、殿下に近付く者は敵認定されます」
近付きたくないし、認定されても困る。
何より、リリーに恋敵認定されるのが一番困る。
「嫌です。近付きたくないです。テオさんに挨拶されたのも、とばっちりです」
「そのテオ様も問題です。わかっていますか?」
「といいますと……」
「簡単に言えば、青田買いなのです」
更にヒロインらしからぬ言葉が出てきた。
……あれ、この世界に田んぼはあるのだろうか。
「男爵家の四男というのはちょっと弱いですが、殿下が自ら抜擢する優秀さは将来を期待できます。テオ様の器量もいいので、まさにお得です」
「はあ」
「つまり、テオ様に近付く者も敵認定されます」
「はあ」
ヘルツ王国の田んぼ事情に思いを馳せていたエルナの肩を、リリーは強く掴んだ。
「はあ、じゃありません。エルナ様がそうだってことですよ!」
敵。
……つまり、恋敵ということか。
「……ええ⁉」
「ええ、じゃないです。まだ入学して一日目ですが、お二人が自分から話しかけたのはエルナ様一人です。今はまだちょっと目をつけられたくらいですけど、このままだと令嬢の目の敵です」
「もう既に、ちょっと目をつけられているんですか⁉」
「自覚がないんですか?」
「だって、ちゃんと義理の挨拶とお詫びだって説明したのに」
「だから、まだ『ちょっと』で済んでいるんですよ。気を付けた方がいいと言ったのは、それです」
あまりのことに、エルナはショックを隠せない。
「向こうから話しかけたとしても、エルナ様が悪いことになります。近づかない方が身のためです。……エルナ様が殿下やテオ様と恋仲になりたいというのなら、話は別ですが」
「嫌!」
何だ、その理不尽。
ちょっと泣きそうだ。
平穏で空気な学園生活を送る予定なのに、幸先が悪すぎる。
すると、落ち込むエルナを見てリリーが慈愛の笑みを浮かべた。
「大丈夫です。これからは、私ができるだけそばにいて、守って差し上げます」
「ま、守るって」
「私は平民ですから、貴族のご令嬢の評価は最悪です。問題ありません」
いや、それは平民というより、美貌のヒロインへの嫉妬ではなかろうか。
しかも、何ひとつ大丈夫ではない気がするのだが。
「何かあれば、貴族の慣習など無視して、私が他の場所に連れ出しますから、安心してくださいね」
いや、ヒロインとずっと一緒だと、かえって王子と接することになると思うのだが。
だが、何故かリリーは燃え上がり、とてもお断りできる雰囲気ではなかった。
本当に、予想以上に女の世界は面倒くさかった。