ゾフィ・シュトラウス 3
どのくらいの時間が経っただろう。
ごくわずかのような気もするし、ひどく長い時間にも感じる。
筋力と体格では男性に劣るとはいえ、ゾフィは騎士の中でも上位の腕前だと自負している。
それが、使用人であるフランツ相手に、まったく勝負がつかずにいた。
長引けば体力的に男性が有利だとでも思っているのだろうか。
鍛えぬいている騎士にそれは当てはまらないと言いたいところだが、ここまでゾフィの剣を防いでいることを鑑みれば、あながち間違った戦法ではないのかもしれない。
こうなれば、早く決着をつけた方が良いだろう。
振りかぶる振りをして素早く横に薙ぐが、それもあっさりと受け流される。
このままでは埒が明かない。
どうにかしなければ。
「……フランツがてこずるのなら、俺が相手しようか?」
じっと見ていたレオンハルトがそう呟いた瞬間、フランツの表情が変わった。
気が付いた時には、剣はゾフィの手から弾かれ、地面に転がっていた。
――完敗だ。
何が悔しいかと言えば、フランツはろくに息を切らせてもいない。
いつでもゾフィを負かせるだけの余裕があった、ということだ。
それにしても、これだけの剣の腕を持っていながら、何故貴族の使用人などをしているのだろう。
騎士を目指せば、すぐにでも上位に食い込むだけの実力を持っているというのに。
何にしてもフランツに完敗した以上、ユリアに取り次いでもらえる可能性は限りなく低くなった。
だが、それでも諦めきれない。
せめてもう一度、お願いしてみよう。
だがゾフィよりも先に、レオンハルトが口を開いた。
「フランツ相手に随分頑張ったし、良いんじゃないかな?」
「また、そのようなことを」
「母さんにこのことを伝えたら、面白いから呼べと言うだろう?」
「……だから、連れて行かない方が良いのです」
フランツは眉根を寄せてため息をついているが、その主人である少年は気にする様子もない。
「夏休みには帰省する予定だし、その時で良いなら、一緒に連れて行ってあげるよ」
「……え。わ、私ですか?」
思わぬ言葉に、上手く返事を返せない。
「そう。ユリア・ノイマンに会わせてあげよう」
「シュトラウスさん、お待ちください」
夢見心地で屋敷を出ようとすると、背後から呼び止められる。
フランツがわざわざここまで来たのだから、「レオンハルトの提案を断れ」とでも言うのだろうか。
「……ゾフィ、で結構です」
「では、ゾフィさん。明日は剣術大会ですが、あなたは参加しますか?」
全く予想外の質問に、返事が暫し遅れる。
「え? いえ。伝説の剣士を追うと決めたので、辞退しています」
「それは、幸運ですね」
「はい?」
「観客席を取ってあります。明日、一緒に観覧しましょう」
「……はあ」
意図のわからぬ誘いに、ゾフィはうなずくことしかできなかった。
翌日、剣術大会の会場で待ち合わせると、ゾフィとフランツは席に着いた。
こうして観客席から試合を見るのも、久しぶりだ。
剣士として参加したい気持ちはもちろんあったが、少しばかりわくわくしているのも事実だ。
「この大会には、レオンハルト様が初参加します」
そう言えば、そんな感じのことを言っていた気がする。
「騎士見習いだったんですね」
見習いになったからといって、誰でも推挙されるわけではない。
試合に出るというのだから、レオンハルトはそれなりに優秀な部類なのだろう。
「いえ、違います」
「……では、勝ち抜き枠ですか? それは凄い」
一般に埋もれる才能を逃さぬためという目的で設定されている勝ち抜き枠だが、その倍率からすると下手な騎士よりもよほど厳しい競争を勝ち抜かなくてはならない。
「勝てると良いですね」
勝ち抜き枠に少年が残ることからしてかなり珍しいが、もし一勝すればちょっとした事件だ。
きっと騎士団からも声がかかるだろうし、フランツも鼻が高いだろう。
だが、当の本人はゾフィの言葉を聞いて鼻で笑っている。
「別に、レオンハルト様を応援するために一緒に来たのではありません。……ノイマン家の一端を見てもらった方が早い、と思いまして」
よくわからずに首を傾げていると、会場の中央にレオンハルトの姿が見えた。
どうやら、初戦の相手は近衛騎士のようだった。
何と運が悪いのか。
せめて騎士見習いが相手ならば、望みがあったものを。
「ゾフィさんは、どう思いますか?」
「何度か切り結ぶことができれば、騎士見習いの中でも優秀だと言えます」
すると、また鼻で笑っている。
どうもこのフランツという男性は、ゾフィを馬鹿にするような態度が多い。
確かに一度負けはしたが、それでも気分の良いものではない。
「試合が始まります。目を離さないように。――一瞬です」
一瞬で負けるのか。
そうかもしれないが、それはそれで酷い見立てだと思いつつ、視線をレオンハルトに集中させる。
試合開始の合図である旗が振られる。
それと同時に素早く抜剣したレオンハルトは、そのまま近衛騎士の体に一撃を入れる。
あまりの速さに、ゾフィの目には一筋の光のように見えた。
ゆっくりと近衛騎士の体は傾ぎ、最後には地面に倒れ込んだ。
鎧を着けているとはいえ、あの速度で剣を受けては無事でいられない。
まして、鳩尾の辺りに当たっていたようだから、呼吸すらできなかったかもしれない。
剣を収めるレオンハルトを見て、会場からは歓声が沸いている。
だが、ゾフィは呑気に拍手する気にはなれなかった。
「……彼は、何者ですか。騎士見習いどころか、近衛騎士にだってあれ程の速度で剣を扱う者はいません」
剣を使うからこそ、レオンハルトの技量が尋常ではないとわかる。
驚きと恐怖に似た感情と共に、背を汗がつたうのを感じた。
「この大会、どうなると思いますか?」
「……レオンハルト様の圧勝です。たぶん、剣を当てるどころか、切り結ぶことさえ難しいでしょう」
すると、フランツは満足そうに微笑んだ。
彼の笑顔を見たのは初めてかもしれない。
「一目でそれがわかるのなら、あなたは優秀ですよ。合格です。……では、帰りましょう」
席を立ちあがるフランツにつられて、ゾフィも思わず立ち上がる。
「見ないのですか?」
「必要ありません。あなたの言う通り、レオンハルト様が出る以上、優勝します。阻める者がいるとすれば、それはユリア様くらいのものです」
伝説の剣士の名に、ゾフィが反応する。
「ユリア様は、レオンハルト様よりも強いのですね?」
「普通の剣士からすれば、レオンハルト様は雲の上の存在です。決して手の届かぬ領域です。そして、ユリア様はそういう段階を超えています。あの方は、異次元の生物です。比較のしようがありません」
フランツの言葉に、得体のしれない恐怖を感じる。
だが、同時にそれは真実なのだろうと納得できた。
「レオンハルト様は優勝します。同時に、学園はぶっちぎりで落第するとダンナー先生より通達が来ました。色々面倒ですし、大会が終わったら、そのままノイマン領に帰ります」
ダンナーは落第するだろうとは言っていたが、ぶっちぎりで落第とはどれだけ魔力がないのだ。
「そうなんですか」
あまりにもバランスの悪いレオンハルトの能力にため息をついていると、同じようにフランツにため息をつかれる。
「何を他人事のように。あなたも一緒に行きますよ」
「え?」
「ユリア様に会いたいのでしょう?」
「――はい!」
ようやく伝説の剣士に会える。
ゾフィの胸は期待に高鳴った。
まさかそこから貴族令嬢の侍女になるとは、この時は考えもしなかった。










