番外編 アデリナ・ミーゼス 2
「いや、俺そんなに踊ることもないから、手本にはならないと思いますよ」
アデリナはその言葉に、少しほっとした。
テオと踊るなんて恥ずかしくて、考えただけでも顔が赤くなってくる。
もちろん、一緒に踊れたら素敵だとは思うけれど。
今はエルナのダンスレッスンだ。
余計なことを考えるのはやめよう。
ため息をつくと、アデリナはグラナートに手を差し伸べた。
「では、殿下。わたくしが相手で申し訳ありませんが」
「こちらこそ」
「……気になりますか?」
「え? な、何がですの?」
「テオとエルナさんを見ていたようなので」
「そ、そんなことは」
――ある。
大いにあった。
こんな質問をされるのだから、きっとアデリナの集中力不足が伝わっているのだろう。
だが、エルナとテオが手を取って踊っているのが、気になって仕方ない。
アデリナとは踊らなかったくせに、エルナとは踊るのか。
しかも、表情も動きも自然で、何だか仲睦まじい。
エルナもエルナだ。
グラナートがいるというのに、護衛のテオとそんなに親密で良いのか。
風紀が乱れている、風紀が。
大体、グラナートも何故黙って見ているのだ。
ダンスの講師にはあれだけ嫉妬と独占欲を見せたというのに、テオのことは信頼しているということだろうか。
モヤモヤとした心を抱えながらも、やはり気になって二人を見てしまう。
しばらくステップを踏んでいた二人だが、おもむろにエルナがテオの胸に顔をうずめた。
一瞬、グラナートの動きが止まる。
――これは、一体どういうことなのだ。
「ええ! これもですか!」
エルナの叫びに行ってみると、講師による嫌がらせが発覚したという。
テオの胸に顔をうずめていたのは、講師の密着具合を説明したらしい。
あれは、密着というよりも、もはや抱擁と言った方が良い気がする。
あの講師は、丈の短い体に沿ったワンピースをエルナに着せて、太腿を露にしながらダンスレッスンをしただけでは飽き足らず、そんなことまでしていたのか。
アデリナに怒りが湧く。
隣のグラナートの周囲に冷気が生じたのは、気のせいではないだろう。
「解雇だけでは手ぬるいですわ、殿下」
「そうですね。しかるべき対応を取りましょう」
「俺からもお願いします」
……何故、テオまで怒っているのだ。
いや、主君の妻となるべき女性に対してのあまりな対応に、怒りを覚えるのは正しい。
だがしかし、何かそういうものとは違う気がするのだ。
テオは確かに、『グラナートの妻になる女性』ではなくて、『エルナ』を案じて怒っている。
何だかモヤモヤとしながら、アデリナはレッスンを続けた。
********
「エルナ、目が覚めたのか!」
「テオ兄様」
扉を開けて入って来たテオの姿を見て、エルナはほっと息をつく。
テオはエルナの枕元まで来ると、そっと頭を撫でた。
その親密な様子も気にはなったが、その前に。
――テオ兄様?
……どういうことだろう。
ただの言い間違いにしては、あまりにも慣れた言い方だった。
エルナ・ノイマンとテオ・ベルクマンは、親戚か何かなのだろうか。
そう言われれば、どことなく雰囲気は似ている気がする。
じっと見ていると、アデリナの視線に気付いたらしいテオと目が合った。
『あ・と・で』
唇の動きだけでそう語りかけられ、アデリナは口を閉ざすしかなかった。
グラナートと入れ替わるようにして、リリーとアデリナは退室する。
リリーは疲労困憊なので、横になれる部屋に案内された。
「こっちに来てくれるか」
いつの間にかアデリナの横に立っていたテオはそう言うと、歩き出してしまった。
中庭のベンチに腰掛けたテオを見て、アデリナもその隣に座った。
「……エルナさんと、どういう関係ですの?」
「さっき聞いた通りだよ。俺は、エルナの兄だ」
「でも、名前が」
「本名は、テオドール・ノイマン。髪も、本当は黒髪。殿下の護衛任務の関係で、偽名を使って変装していたんだ」
突然のことに、アデリナは困惑する。
でも、これでエルナに親身なのに、グラナートとは何か違う理由がようやくわかった。
妹だから、家族だから、エルナが大切なのだ。
ならば、昔あったノイマン邸からテオが出て来たという噂は本当だったのだろう。
『昨夜、我が家に出入りした男性と言えば、執事見習いと兄くらいです』
エルナは確か、そう言っていた。
彼はただ、自宅に戻っただけだったのだ。
「もうすぐ、任務が一段落して『テオ』の必要性がなくなる。その時に説明しようと思ったんだが」
では、もうすぐ学園からいなくなるのだ。
エルナの兄ならば、学園に通う年齢でもないだろう。
もう、簡単には会えなくなる。
ならば、今しかない。
気持ちを伝えるのなら、今しか。
アデリナは震える拳を握りしめた。
地獄のレッスンを思い出せ。
あれに比べれば、何てことはないだろう。
勇気を振り絞って口を開きかける。
「……だから、今度はテオドールとして、会ってくれるか?」
「え?」
アデリナは何を言われたか理解できず、呆然とする。
「偽名と変装は終わるけれど、護衛は続行する。というか、正式に殿下の近衛騎士になるんだ。だから、学園にはこのまま殿下と一緒に通うよ。……急に名前と髪の色が変わるから、色々言われそうだけどな」
「それは、……おめでとうございます」
貧乏男爵家の四男と思われていた人物が、子爵家の令息で近衛騎士とわかるのだから、どちらかと言えば女生徒は喜ぶのではないだろうか。
そうか。
今度は『テオ』ではなく、『テオドール』という名前になるよ、ということか。
てっきり、学園を離れても会いたいということなのか、と勘違いしてしまった。
人間は都合の良いように言葉が聞こえるものだ。
何だか自分が恥ずかしくなる。
だが、これでしばらくはテオに会える。
アデリナはほっと胸を撫でおろした。
すると、ベンチの上にあったアデリナの手に、テオの手が重なった。
「――なあ。ひとめぼれって、まだ有効?」
突然の事態と言葉に、アデリナが固まる。
ひとめぼれ。
それはつまり、あれだろうか。
『――あの、ひとめぼれって、信じてくださる?』
テオとの初対面で、アデリナが口走った言葉。
未だに何故あんなことを口走ったのかわからないが、思い出すだけでも顔から火が出そうになる。
「……もし有効なら、嬉しいんだけど」
「え?」
また、アデリナの耳に都合の良いように聞こえているだけなのだろうか。
でも、テオの顔も心なしか、赤い。
もしかして。
もしかして。
いや、もしそうでなくても、伝えようと決めたのだ。
アデリナは黒曜石の瞳をまっすぐ見つめると、深呼吸をした。
「あの日からずっと、テオ様をお慕いしております」










