番外編 グラナート・ヘルツ 3
「ヘルツ王国の王太子妃に、なってあげても良いわ」
アンジェラ・ディートは国王との謁見の場で、突然そう言いだした。
青天の霹靂とは、このことだ。
どういう目論見があってのことかは、わからない。
だが、正式な打診でない以上、こちらの意見を優先させても問題ないはず。
ここは先手を打っておこう。
「光栄ですが、わたしには既に王太子妃候補がいますので、その申し出は辞退させていただきます」
驚愕という表情のアンジェラを見る限り、断られるとは思っていなかったらしい。
相手国の事情を調べもせず、正式な打診でもないのに、どこからその自信は来るのだろうか。
何にしても、グラナートの妃はエルナ一人だ。
周囲の貴族を納得させるために、アデリナが名前だけ候補にある状態だったが、それも本人が辞退している。
もともと辞退する予定だったとはいえ、まさか教育係になりたいと言い出すとはグラナートも思わなかった。
だが、名門ミーゼス公爵家の令嬢が自ら教育係をかって出たことで、エルナの評価を見直す動きがあるのも確かだ。
エルナも気安いだろうし、嫌がらせを受ける心配もないので、アデリナには感謝しかない。
……レッスン自体は地獄になるのだろうが、そこはエルナに頑張ってもらおう。
一応候補という形をとっているが、この後に候補が増えることはないし、エルナが脱落することもない。
グラナート唯一の妃は、既に決定していた。
だが、明らかに表情が曇りだしたアンジェラを見て、国王が保留という形をとってしまった。
ディート王国は軍事力で周辺国を脅かす大国だ。
きっと、友好を保ちたいのだろう。
弱気で名高い父の判断に、グラナートも苛立ちを隠せない。
本来の訪問理由である魔力育成機関の視察のために、アンジェラは学園にも通うことになる。
結局目的はハッキリしないが、王太子妃になろうとするのなら、エルナに接触を図る可能性は大きい。
どう出てくるかわからない以上、エルナにも事態を知らせておかなければいけないだろう。
「面倒なことになりましたね」
ため息をつくと、テオドールを伴って王宮を移動する。
今日から、エルナのダンスレッスンの予定だったのに、既にかなり遅れている。
ことごとくエルナとの時間を邪魔するアンジェラに、少なからず嫌悪感を抱くのも仕方がなかった。
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「遅くなってすみませんでした」
少し疲労を感じながら上着を脱ぐと、ソファに置く。
遅れてテオドールも部屋に入るが、こちらも表情は硬い。
テオドールも妹を蔑ろにする申し出に、気分を害しているようだった。
「大丈夫ですか? 忙しいなら、やっぱり講師を探した方がいいのでは」
駆け寄ってきたエルナを見て、グラナートは思わず固まった。
「……あの、殿下?」
エルナに覗き込まれ、グラナートは首を振る。
「いえ、大丈夫です。今日はちょっと、特殊だったので。……それより、そのワンピースは」
先日は講師の嫌がらせで、丈が短い上に体にぴったりと沿った黒のワンピースを着せられていた。
……正直、目のやり場に困る服だった。
動けば太腿が見えてしまうような格好でダンスのレッスンをしていたと思うと、講師に嫉妬と怒りが湧いた。
だが、今日はその真逆と言っても良い姿だ。
袖も丈も長くて上品なデザインで、白い色が清楚な印象。
更に、髪も複雑に結い上げ、白い花まで飾ってある。
グラナートとのレッスンのための装いなのだと思うと、余計に愛らしく見えた。
「これはアデリナ様が用意してくれたんです。可愛いですよね」
「そうですね」
ワンピースの裾をつまんで見せる様子に、グラナートは思わず笑みをこぼす。
「そうだ、この髪型どうですか? リリーさんが編んでくれたんですけど」
「……似合っています。とても」
「――え? いや、そうじゃなくて。リリーさんの腕前が凄いという話で」
「可愛いです」
「――か、かわ!」
何やら動揺した様子のエルナは、アデリナの陰に隠れてしまった。
正直に言っただけなのに、困ったものである。
まずはお手本が見たいというエルナのために、グラナートはアデリナと踊っていた。
地獄のレッスンをこなした結果、自動ダンス人形と化しているアデリナだが、珍しく集中力が散漫だ。
視線をたどってみれば、どうやらエルナとテオドールを見ているようだった。
アデリナがテオドールに好意を持っているのはわかっている。
ただ、アデリナは彼らが兄妹であることを知らない。
二人が近寄って仲睦まじく話している様子は、事情を知らなければ親しい男女に見えるだろう。
実際、グラナートもそう勘違いしたことがあるのだから、間違いない。
何やら話していたと思うと、テオドールがエルナの手を引いて体を引き寄せた。
どうやらダンスの説明をしているようだったが、兄妹ゆえに羞恥心も警戒心も何もないのだろう。
その分だけ自然に寄り添っていて、仲が良さそうだった。
「……気になりますか?」
「え? な、何がですの?」
「テオとエルナさんを見ていたようなので」
「そ、そんなことは」
否定しつつも視線は二人から離れない。
しばらくステップを踏んでいた二人だが、おもむろにエルナがテオドールの胸に顔をうずめた。
突然のことに、グラナートでさえ動きが一瞬止まる。
……兄妹で何をしているのだ、あの二人は。
アデリナは明らかに動きが硬くなり、おかしなステップを踏み始めた。
「ええ! これもですか!」
エルナの叫びに行ってみると、講師による嫌がらせが発覚したという。
テオドールの胸に顔をうずめていたのは、講師の密着具合を説明していたかららしい。
あれは、密着というよりも、抱擁だ。
丈の短い体に沿ったワンピースをエルナに着せて、太腿を露にしながらダンスレッスンをした上で、エルナに抱擁までしていたのか。
グラナートの周囲に冷気が生じた。
「解雇だけでは手ぬるいですわ、殿下」
「そうですね。しかるべき対応を取りましょう」
「俺からもお願いします」
三人の意見が、寸分たがわず一致した瞬間だった。










