番外編 アンジェラ・ディート 1
芸術の国と呼ばれるアレーヌ共和国の芸術祭に行ったのは、偶然だ。
本当は兄王子が行く予定だったが、体調を崩したため、急遽アンジェラが父に同行した。
そこで、彼に出会ったのだ。
優しい日の光のような、淡い金髪。
印象的な柘榴石の瞳。
整った顔立ちに柔らかい物腰の彼は、物語に出てくる理想の『王子様』そのものだった。
「やっと、ヘルツ王国に来たわ」
王宮に通されたアンジェラは、控えの部屋でため息をついた。
数年前にアレーヌでひとめぼれをしたアンジェラ。
彼はヘルツ王国の第二王子で、グラナート・ヘルツという名前らしい。
以来、ずっとグラナートを慕っていたアンジェラだが、王太子になったと聞いて、いてもたってもいられなくなった。
どうにか父王にお願いして、やっとヘルツ王国にやって来たのだ。
――目的は、グラナートの妃になること。
第二王子に嫁ぐのは渋られていたが、王太子ならば、とようやく許されたのだ。
ただし、あくまで視察での訪問で、国としてアンジェラを後押ししないという。
末の王女として甘やかされている自覚は多少あったので、自立を促すということなのかもしれない。
よくわからなかったが、アンジェラ自身がグラナートに直接申し込めば良いだけの話だ。
農業国オッソを挟んで隣同士のディート王国と縁を深めるのは、ヘルツ王国にとっても良い話だろう。
それに、アンジェラ自身もそれなりに美少女だ。
何の問題もないではないか。
従者のルカと数名の侍女を連れてやって来たアンジェラは、身なりを整えると意気揚々と謁見に向かった。
「……まさか、既に王太子妃候補がいたなんてね」
数年ぶりに会ったグラナートは、まさに麗しの王子という美貌に成長していた。
その姿に、アンジェラは一瞬で惚れ直した。
逸る心を抑えながら王太子妃になってあげても良いと伝えると、彼は眉根を寄せる。
てっきり喜んでくれるものとばかり思っていたアンジェラは、困惑した。
「聞けば、田舎の子爵令嬢だっていうじゃないの。どれだけ美人か知らないけれど、王太子妃には相応しくないわ」
「既に候補がいるから、陛下は正式に後押ししなかったのでしょう。素直に諦めたらいかがですか」
「ルカ、あなたなんて失礼なことを言うのよ。大国ディートの王女で美少女の私が妃になってあげるんだから、感謝してほしいくらいだわ。グラナート様も、その女に騙されているのよ。……きっと、すぐに私が良いってわかってくれるわ」
「大層な自信で結構ですね」
「……本当に、いちいち失礼ね」
アンジェラが睨みつけても、まったく気にする様子はない。
ルカ・ランディは、このヘルツ王国訪問のために国王からつけられた従者であり、護衛だ。
国王が最初にアンジェラにつけたのは、髭がむさくるしい男性だった。
アンジェラは綺麗なものは好きだが、髭の男性は好きではない。
グラナートに印象も悪いだろうし絶対に嫌だと拒否したところ、代わりにきたのがルカだ。
だから、相応に強いのだろうが、今のところは口の悪さしか見て取ることはできない。
黒髪に紅玉髄の瞳の青年は、それなりに整った顔ではあるが、アンジェラの好みではない。
一応アンジェラの命には従うものの、口は悪いし、態度も悪く、いつも不機嫌そうにしている。
髭男に戻されてはかなわないので仕方ないが、グラナートと婚約したらすぐにディートに送り返そう。
「まずは、王太子妃候補に会いに行きましょう。どれだけ美人なのか、楽しみだわ」
自信満々のアンジェラを、ルカが面倒くさそうに見ていた。
********
――これは、かなり厳しい。
アンジェラは目の前の光景に冷や汗をかいた。
王太子妃候補であるエルナ・ノイマン子爵令嬢に会いに来たのだが、目の前の女性に目を奪われた。
不思議な虹色の髪に紅水晶の瞳が美しい、清楚で可憐という言葉がぴったりの美少女。
輝く銅の髪に黄玉の瞳が印象的な、完璧と言って良い肢体を持つ妖艶な美少女。
どちらも、アンジェラが息を呑むほどの美しさだ。
どちらがエルナ・ノイマンなのかはわからなかったが、かなり厳しい戦いになるのは明らかだった。
グラナートは自身もあれだけ麗しいから、妃にも相応の美貌を求めているのかもしれない。
かなりハードルの高い要求だが、この二人は難なくこなしていた。
「うわー。アンジェラ様、完全敗北ですね、これは」
背後からルカが楽しそうに話しかけてくる。
「うるさいわね、まだわからないでしょう」
「陛下にはちゃんと報告して差し上げますから、さっさと帰りましょうか」
「まだだって言ってるでしょう!」
アンジェラの叫びでこちらに気付いたらしい美少女達が、視線を向けてくる。
やはり、正面から見ても美しい。
アンジェラは同世代の少女に敗北感を感じるのも、嫉妬するのも初めてだった。
「エルナ様、あちらに……」
虹色の髪の美少女がそう言ってアンジェラを見る。
よくよく見てみれば、美少女二人はもう一人の少女の髪を結っているところだったようだ。
後ろ姿しか見えないが、濃い目の灰色の髪は艶やかで美しい。
エルナと呼ばれているということは、この灰色の髪の少女がエルナ・ノイマンらしい。
破格の美少女二人を侍らせているのだから、こちらも相当のものだろう。
知らず緊張して待っていると、灰色の髪の少女が振り返った。
――普通だ。
水宝玉の瞳は澄んでいて印象的だが、取り立てて素晴らしい美少女というわけではない。
普通に可愛らしい、普通の少女だ。
隣にいるのがとんでもない美少女二人なので、いっそ空気のように無害な少女と言っても良い。
「あなたが、エルナ・ノイマン?」
「はい、そうです」
「私は、アンジェラ・ディート。ディート王国の第三王女よ」
「そうですか。はじめまして、アンジェラ王女」
エルナが礼をすると、アンジェラは上機嫌でうなずいた。
「……あなたなら、大丈夫ね」
そう言うと、アンジェラはエルナの横をちらりと見る。
この二人が相手なら苦戦を強いられただろうが、これなら問題なさそうだ。
アンジェラはほっと胸をなでおろした。
だが、王太子妃候補を辞退するよう伝えても、エルナはアンジェラの命に従わなかった。
「……私が辞退すると言っても、殿下が許可しなければ同じことです」
「まあ! グラナート様があなたごときにこだわるとでも言うの? 大層な自信ね」
横にいる美少女ならともかく、普通の容姿で、田舎の子爵令嬢だというのに、よくもそんな口がきけたものだ。
これは、別の意味で苦戦するかもしれない。
「これは、自信ではなく、物事の順序の問題だと思っています。殿下とご相談ください、アンジェラ王女」
「――そんなに落ち着いていられるのも、今のうちよ!」
グラナートの妃に相応しいのは、アンジェラだ。
すぐにエルナにも、それがわかるだろう。










