番外編 リリー・キール 4
グラナートに抱えられたエルナは、青白い顔で意識を失っていた。
ドレスは血に塗れていて、無残な有様だ。
出血の原因であろう腕には布を当てて、グラナートが圧迫止血をしている。
腕を切られただけにしては、出血が多すぎる。
たぶん、大きな血管を損傷している。
出血しすぎれば、傷を治しても無事でいられるとは限らない。
リリーは震えそうになりながら、エルナの傍らに座る。
「腕を切られたようですが、出血が多い。何とかなりますか」
「やってみます。その布を外してください。殿下は、そのままエルナさんを支えていてください」
止血用の布はグラナートの上着のようだったが、既に赤く染まっている。
それを外すグラナートも、血塗れだ。
やはり傷は深い。
既にこれだけの出血なのだから、一刻を争う。
リリーは深く息を吸うと、ありったけの魔力を集中させた。
何とか傷を塞いだ時には、リリーは汗だくになっていた。
「傷は、塞ぎました。でも、応急処置です。それに、既に失われた血は、どうしようもありません」
目に入りそうな汗を拭うと、鉄の臭いが鼻をついた。
いつの間にか、リリーの手にも血がついていた。
「情けないですが、魔力が底を尽きかけています。このままでは、ろくに魔法を使えません。少しだけ休ませてください。回復したら、また魔法を使います」
「……わかりました。部屋を用意させますから、待っていてください」
そう言うと、エルナを抱えたグラナートは王宮の奥へと消えていく。
「……グラナート殿下も、まずいな」
ヴィルヘルムスはリリーにハンカチを差し出すと、険しい顔で王宮の奥を見る。
グラナートの顔色は悪く、魔力が不安定になっているのがリリーにもわかった。
早く、エルナを助けなければ、グラナートも危ない。
ハンカチで汗を拭うと、石の床が不自然に変色して歪んでいるのが目に入る。
随分とおかしな床だなと凝視していると、アデリナがリリーのそばにやって来た。
「……言いましたでしょう? 殿下の魔力は半端ではない、と。あれでも相当抑え込んだのだと思いますわ」
「あれ、魔法なんですか?」
リリーは驚愕する。
辺り一帯、石でできた床がお湯をかけた氷のように溶けて変色している。
これで抑え込んでいるとは、どういう火力なのだ。
律儀で穏やかなグラナートの思わぬ力に、恐怖さえ感じてしまう。
「エルナさんに何かあれば、あんなものではすまないでしょうね。……部屋に案内しますわ。早く休んで、早く回復してくださいませ。今は、リリーさんだけが頼りなのです」
悲痛な表情のアデリナに、リリーはうなずいた。
********
アデリナに案内され、王宮の一室で横になる。
ヴィルヘルムスはお忍びの一貴族ということになっているので、王宮の奥には入れなかった。
どちらにしても女性の休む部屋には入れません、とアデリナは苦笑する。
「エルナさんのドレスを着替えさせたら連絡が来ますから、それまでは横になってくださいませ」
アデリナはそう言うと、ベッドの横に水を置いた。
「まだ、出血を止めて、どうにか傷を塞いだだけです。早く治癒力を高めて、回復を手伝わないといけません」
失血は取り戻せない以上、それ以外に全力を尽くすしかない。
焦っても仕方ないと分かっていても、焦燥感はなくならない。
「わたくしはいない方が休めるかしら」
「いえ。眠いわけではありませんから。何か、お話をしてくれますか?」
一人でベッドに横になっても、とても眠れるとは思えなかった。
気持ちばかり逸って、かえって休めないだろう。
リリーの言いたいことがわかったのか、アデリナは椅子に腰かけた。
「昔はペルレ様とよく遊んだものですわ。王宮にも、よく来ていました」
「そうなんですね」
「その頃は、まだローゼ王妃も生きていて。殿下は活発な男の子でした。でも、王妃が亡くなって、命を狙われ始めて。……殿下は変わっていきました」
アデリナは小さく息を吐いた。
「優秀過ぎず、愚か過ぎず、目立ち過ぎないよう。傍目には麗しく控えめな王子として振舞っていましたが、人と距離を取って接するようになりました。それが、エルナさんのおかげで、昔のように笑えるようになってきました。……エルナさんでなければ、駄目なのですわ」
********
グラナートと入れ替わるように部屋を出ると、ゾフィと名乗る女性に休める部屋に案内してもらう。
魔力を限界まで使い切ったリリーは、疲労困憊だった。
倒れこむようにベッドに横になると、体が鉛のように重く感じた。
「リリー様、エルナ様を助けていただき、ありがとうございました」
ゾフィが深い礼と共に、リリーに感謝を伝える。
ただの女官にしては、感情がこもりすぎていた。
「ゾフィさんは、王宮の女官じゃないんですか?」
「私は、ノイマン家でエルナ様に仕える侍女でございます。リリー様のお話も、何度もうかがっておりました。本当に、本当に、ありがとうございます」
頭を下げるゾフィが涙ぐんでいるのは、リリーの気のせいではないだろう。
「私もエルナ様が好きなので、何とか間に合って良かったです」
疲労の色が隠せない顔で、それでもリリーは微笑んだ。
厄介な虹色の髪と、大して役に立つことのない治癒の魔力だったけれど。
これのおかげでエルナに会えたし、エルナを救えた。
きっと、このために虹色の髪と治癒の魔力はあったのだろう。
そして、それが誇らしい。
ようやく自分を肯定できた気がして、体は重いが気分は晴れていた。










