番外編 グラナート・ヘルツ 2
『グラナート・ヘルツ殿下。――あなたが、好きです』
グラナートの目が、これ以上ないというくらい見開かれた。
目に映るのは、虹色の光。
美しいその光景を最後に、グラナートの意識は途切れた。
「殿下、目が覚めましたか」
辺りを見回すと、自室のベッドの中。
軽い混乱状態のグラナートに、テオドールは水の入ったコップを渡した。
「エルナの聖なる魔力を全力で浴びて倒れました。覚えていますか?」
「……ああ、そうでした」
聖なる魔力に浮かされないようにという話の後に、エルナがグラナートの名前を呼んだ。
――しかも、「好きです」と付け加えて。
突然の暴力的な魔力の波と、破壊的な言葉の威力に抗おうとして、意識を失ったのだ。
エルナの言葉を思い出しただけで、顔が赤らんだ。
何という、恐ろしい威力だろう。
グラナートが今まで受けた攻撃の中でも、段違いの力だ。
相手を害する目的の攻撃よりも、余程ダメージを受けている。
いや、ダメージと言うか、恋慕の情なのだが。
少しでも火照りを冷まそうと、グラナートは水を口にする。
「どのくらい経ちましたか」
「大体、半日ですね。今日はもう、このまま休んだ方が良いと思いますよ」
「……エルナさんは?」
エルナが休んでいる部屋で、グラナートは倒れたはずだ。
情けないところを見られてしまった。
自分のせいだと、気に病んでいないといいのだが。
「あー、エルナは……」
「何か、あったのですか?」
「何と言いますか。……めそめそしてます」
「めそめそ?」
「聖なる魔力で浮かされて気分が高揚するというのは、知っていますよね? たぶん、あれの逆だと思います」
「逆、ですか?」
「高揚するような力を放出しすぎたせいで、大変に元気がなく悲観的で、めそめそと泣きます」
「……泣かせたんですか」
グラナートの声に非難の響きを感じたテオドールが、慌てる。
「え、いや、そういう意味じゃなくてですね。殿下の名前を呼ぶのに聖なる魔力を使うのはどうかという話で」
「泣いていないんですか?」
「……泣きました」
頭を垂れるテオドールを見て、グラナートはため息をつく。
「エルナさんの所に行きます」
「え、でも、まだ……あれですよね?」
窺うように問われた内容は、わかっている。
「はい。絶賛高揚中だと思いますよ。だから、テオも来てください」
********
「もう殿下の名前は呼びません。殿下には近付きません。しばらく領地で休みます。だから、帰ります」
うなだれるエルナを見て、グラナートはため息をついた。
「……聞いていた以上なんですが。テオ、どれだけエルナさんを責めたんですか」
グラナートがじろりと睨む。
「いや、そんなに酷くはないと」
「テオ兄様は悪くありません。私が全部悪いんです。これ以上ここにいても、ご迷惑をかけるだけです。私、帰ります」
「いや、待て待て。頼むから」
ソファから立ち上がろうとするエルナを、テオドールが押しとどめる。
エルナの目に、涙が浮かんでくるのがわかった。
これは、相当に重症らしい。
「だから、泣くなって。いや、殿下? 違いますよ、違いますからね? さっき説明したでしょう。聖なる魔力の反動が」
「……もうわかりました。テオは少し下がってください」
「僕が倒れてしまったせいで、エルナさんにも迷惑をかけてしまいましたね」
「いえ。悪いのは私です。もう殿下の名前は呼びません。すみませんでした」
エルナは深々と頭を下げる。
さっきからずっと、エルナは頭を下げているか謝罪している。
そんな顔を見たくて、ここにいるわけではないのに。
「それは困りますね」
「はい?」
ようやく、顔を上げてくれた。
グラナートは苦笑する。
「僕の名前を呼ばなくて、近付かなくて、領地に帰るのでしょう? それは、困ります」
「でも」
「毎回、聖なる魔力込みだと、ちょっと大変ですが……名前は呼んでほしいです。そばにいてほしい。領地に行ってしまったら簡単には会えない。寂しいから嫌です」
グラナートの正直な言葉に、エルナは口をぽかんと開けている。
普通なら少し恥ずかしいことでも、高揚中の今ならすんなり口にできる。
こうしてみると、高揚するというのは悪い事ではないのかもしれない。
「……本当はすぐに返事をしたかったんですけど」
「返事?」
「僕も、エルナさんが好きですよ」
エルナは暫し固まると、頬を押さえる。
顔が赤らんでいるのは、グラナートの気のせいではないだろう。
「もう一度、聞きたいのですが。僕の名前を呼んでくれますか?」
「でも」
「お願いします」
「……グラナート、殿下」
聖なる魔力を込めることのないように、細心の注意を払っているのだろう。
慎重に言葉を紡いでいるのがわかる。
それだけで、グラナートの中に愛しい気持ちが湧いてくる。
今は気分が高揚している。
だが、この気持ち自体は、変わらない。
グラナートは噛みしめるようにエルナの言葉を聞くと、微笑んだ。
「うん。――やっぱり、僕はあなたが好きです」










