覚悟して、大事にして
「仕切り直し、ですか?」
「ディートの王族を招いた舞踏会であの騒ぎでしたからね。国の面子もあります」
「じゃあ、私も……」
「駄目です」
エルナが言い切るよりも先に、グラナートが制する。
「何で参加しちゃ駄目なんですか?」
「まだ、心配です。体を休めた方が良いでしょう」
「そんな。大体、あれ以来ずっとアインス宮にいるのもおかしいと思います」
エルナはあの騒ぎ以来、アインス宮で過ごしていた。
移動は体に負担だというグラナートの命もあり、未だに王宮に居続けている。
だが、いくらなんでも、そろそろ出た方が良いと思う。
王太子妃候補とはいえ、ただの子爵令嬢への対応としてはおかしくないだろうか。
「ゾフィが世話をしてくれますけれど、宮の人達にも迷惑だと思います」
「そんなことはありませんよ、エルナ様」
「どういうことですか?」
普段いない人間が増えているのだから、その分だけ手間がかかるだろう。
少なくとも、楽にはならないはずだ。
だが、ゾフィはにこりと微笑む。
「講師の嫌がらせにも負けず、ミーゼス公爵令嬢の地獄のレッスンにも耐え、王太子のために他国の王女をかばって負傷する気概の持ち主など、他におりません。宮の女官の中にも、エルナ様を慕う者は多いです」
「……え?」
講師の嫌がらせというのは、卑猥なワンピースをはじめとしたアレだろうか。
あれはやっぱり、そうだったのか。
田舎貴族ゆえの無知が祟って、どこまでが嫌がらせで、何が正解なのかよくわからない。
それに、アデリナのレッスンは、あれが貴族令嬢の通常営業ではないのか。
田舎暮らしのツケが回ったのだと思って、必死に食らいついたのだが。
大体、王太子のためにかばうというのは、何のことだろう。
「……ということになっております」
疑問だらけで混乱するエルナに、ゾフィがしれっとそう言った。
「盛った? 盛ったんですか? 話を!」
エルナは詰め寄るが、ゾフィは微笑みを崩さない。
「私は、真実しか話していません。……解釈は、人それぞれですが」
「盛った! 盛りましたね! 王宮で何をしているんですか、ゾフィ!」
「確かに、嘘ではありませんね」
グラナートはそう言って、楽しそうに笑った。
結局は、コルセットなしのゆったりとしたドレスで参加、ということで手打ちになった。
ちょっと貧血でふらつきはするが、傷は治っているのだから、心配しすぎだと思う。
舞踏会が終わったらいい加減にノイマン邸に戻ろうと思うのだが、未だにグラナートが渋っているので何とかしなくてはいけない。
律儀なグラナートの基準に付き合っていたら、いつまでたっても回復していないことになってしまう。
この舞踏会で、すっかり元気だから問題ないということをアピールしなければ。
エルナはグラナートの隣で気合を入れなおした。
周囲の貴族がざわついたので何事かと思えば、アンジェラの姿が見える。
見かけるのは舞踏会以来だが、大きな怪我はなさそうだ。
優雅に歩く姿に、ほっと胸を撫でおろす。
襲撃してきた男達は、ディート王国に吸収されたポルソ国の人間だったらしい。
吸収合併という形ではあったが、実際は経済的に困窮したポルソに軍事的圧力がかかったと言われている。
それを恨んで、国を離れた王女を狙ったらしいとグラナートに聞いた。
エルナはディート王国のせいで負傷したとも言えるし、アンジェラはヘルツ王国の警備のせいで危険に晒されたとも言える。
場合によっては、国際問題にもなりかねない事態。
『王太子のために他国の王女をかばった』というゾフィの話も、事実だけを見れば法螺話とも言い切れないようだった。
だからこそ、周囲の貴族達はアンジェラの動向を固唾をのんで見守っているのがわかった。
グラナートの前まで来ると、アンジェラは優雅な礼をした。
さすがは大国の王女。
一つ一つの仕草が華やかで、周囲の貴族の目を引いている。
「王太子殿下。ディートの王女として、暴漢から身を挺して守ってくださったことに礼を言います。王太子妃候補にも、助けられました」
「こちらこそ、わが国の滞在で王女の身に危険が及んだことをお詫びします」
二人は王族らしい鷹揚な笑みを交わす。
どうやら痛み分けという形で不問になるらしい、と察した貴族達に安堵の表情が広がる。
緊張が解けた会場は賑わいを増して、あの事件などなかったかように優雅な時が流れた。
グラナートは忙しいらしく、ゾフィにエルナを頼むと、そばから離れている。
エルナとしても、少し疲れたのでちょうど良いからと会場の端に移動していた。
「……あなた、もう大丈夫なの?」
突然声をかけられ、見てみればアンジェラとルカの姿があった。
「はい。アンジェラ様は大丈夫ですか?」
「私は……あなたがかばってくれたから、何ともないわ」
「それは、良かったです」
すると、アンジェラは何か言いにくそうにエルナを見上げてくる。
「あなた、怖くなかったの?」
「咄嗟のことだったので、よくわからないです」
「グラナート殿下のために、私をかばったんじゃないの?」
「いや、別に。危ないな、と思って手を伸ばしたら届いただけなので。……そんな難しいこと考えませんでした」
何やら、アンジェラは呆れたようにエルナを見ると、ため息をついた。
「体は、本当に大丈夫なの?」
「はい。治癒魔法の使い手がいるので、すっかり治っています。ただ、出血は戻らないので多少はふらつきますが。……本当はコルセットもできるんですけど、何だか止められまして」
そのあたりはエルナとしても未だに不満だが、参加を認めさせただけでも良しとしよう。
「……またいつか、会いましょう」
アンジェラはそう言うと、ルカを連れて行ってしまった。
アンジェラは国に戻るつもりなのだろうか。
あんなことがあったから、怖くなって当然だ。
だが、グラナートの妃になると言っていたのは、どうするのだろう。
一度国に帰って、仕切りなおしてやってくるのだろうか。
今度は、正式に打診してくるのかもしれない。
何にしても、エルナにはどうしようもないことだ。
結局、なるようにしかならない。
何だか吹っ切れたエルナは、大きく深呼吸をした。
「エルナさん、こちらへ」
舞踏会も終わりに近づいた頃、エルナはグラナートに手を引かれて移動していた。
どうやら、会場の中央に向かっているらしい。
「ダンス、ですか?」
アデリナの特訓でそれなりには踊れるようになったが、公衆の面前というのはさすがに緊張する。
グラナートならば上手にリードしてくれるだろうから、あとは間違っても足を踏まないように気を付けなければ。
「いいえ。まだ体調を考えて踊らない方が良いと思いますよ」
「平気ですけど」
「今は、駄目です」
そう言って、更に奥へと歩く。
どうやらダンスではないらしいが、だったらどこに行くつもりなのか。
歩調がゆっくりなのは、エルナの体を気遣っているのだろう。
ありがたいが、この調子ではまだ王宮に残れと言いかねない。
元気なのだというアピールのために歩みを早めると、ため息が聞こえてきた。
「これからいつでも踊れますから、今日は我慢してくださいね」
「え? いや、そういうわけでは」
別に、踊りたくて勇み足なわけではない。
踊らなくて良いなら、その方が嬉しいくらいだ。
だが、それを説明する前に、グラナートの足が止まった。
「お待たせ致しました、陛下」
「……陛下?」
グラナートの視線の先にいたのは、豪奢な椅子に座った男性。
淡い金髪に青玉の瞳が美しい、グラナートに似た顔立ち。
国王だ。
でも、何故国王の前に立っているのだろう。
「殿下、一体……?」
「国王陛下。私の妃となる女性をお連れしました。エルナ・ノイマン子爵令嬢です」
緊張して身構えるエルナの隣で、グラナートが朗々と声をあげた。
公衆の面前どころか国王の目の前での突然の宣言に、エルナは声を失って固まる。
国王はそれを聞くと、グラナートによく似た笑顔でうなずいた。
「王太子が妃を選んだようだ。……よろしく頼むぞ、エルナ」
国王の言葉に、周囲の貴族が息を呑んだ。
「え、は、はい?」
思わず上擦った声が出る。
急なことに理解が追い付かないエルナの前に、グラナートが跪く。
そんな仕草一つも、やたらと絵になる。
まるで王子様みたいだなと思ったが、まるでも何も、本当に王子様なのだから当然かもしれない。
感心しているエルナの左手をすくい取ると、薬指に指輪をはめて微笑む。
「この石を探すのに、苦労しました」
指輪を見てみれば、淡い水色の中に七色の虹が閉じ込められたような輝きを放つ石があった。
「水の蛋白石……?」
「はい」
「……綺麗ですね」
エルナが聖なる魔力を使った時に瞳に虹色の光が浮かぶと言うが、それはこういうものなのかもしれない。
「あなたの方が、綺麗ですよ」
「そ、その言い方だと誤解が!」
エルナの瞳に浮かぶ虹色の光のことだとわかるが、言い方がおかしい。
それでは、あらぬ誤解を招きかねない。
何より、恥ずかしくて仕方がないではないか。
赤くなって否定する様を見ると、グラナートは微笑み、エルナの左手にそっと口づける。
「王太子として、グラナート・ヘルツ個人として。あなたを生涯大切にすると誓います」
「――は、はい」
条件反射で勢いよく返事をしてしまったが。
今のは、何だ。
あれでは、公開プロポーズではないか。
いや、寧ろ結婚の誓いと言っても過言ではない。
求婚自体は既にされていたが、これは反則だ。
公衆の面前でのまさかの行動に、鼓動が鳴りやまない。
何てことを、何て場所で言うのだろう。
思わず胸を押さえるエルナを見て、グラナートが微笑む。
立ち上がるとそのまま、耳元に口を寄せて囁いた。
「あなたを誰にも渡すつもりはありませんから、覚悟してくださいね」
「な」
あまりのことに、思わず一歩、距離を取る。
何てことを言うのだろう。
少しは自分の容姿の破壊力というものを理解してほしい。
グラナートの言葉は聞こえていないようだが、周囲の女性達が黄色い声を上げている。
ただ耳打ちする姿を見ただけでこれなのだから、恐ろしい。
田舎貴族の普通の娘が麗しの王太子の妃だなんて、嫉妬も批判も多いだろう。
だが、もう気にしても仕方がない。
開き直るかしかないのだ。
この水の蛋白石の指輪は、エルナにとっての戒めでもある。
――聖なる魔力は、グラナートのために。
だからこそ、自分のためにも使う。
そう決めてしまえば、もう迷いはなかった。
グラナートのそばにいると決めたから。
隣に立つと決めたから。
だから。
エルナは大きく息を吐くと、背伸びをしてグラナートの耳元に囁いた。
「誰にも渡されるつもりはありませんから、大事にしてくださいね」









