表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/182

僕の願い

「エルナ様! 気が付いたんですね」


 重い瞼を開くと、リリーとアデリナの顔が見えた。

 目覚めの光景としては、記憶の中でも一二を争う美しさだ。

 ここが天国だと言われても納得するだろうな、とぼんやり考える。


 ゆっくりと視界が広がり、ベッドに横になっている自分に気付く。

 たぶん、ここはアインス宮――グラナートの宮だ。

 調度の類に見覚えがあるし、間違いないだろう。

 何だか、定期的に倒れてはここにきている気がする。

 頑丈が取り柄の田舎育ちだというのに、情けない話だ。


 見れば、二人共疲れた表情をしている。

 特にリリーはやつれていて、華やかな美貌がくすんでしまうほどだ。

 何故だろうと考えて、そう言えばエルナは切りつけられたのだと思い出す。

 切られたはずの腕を触ってみると、違和感こそあるが傷はなくなっていた。



「リリーさんが治癒の魔法を使ってくれたんですね。ありがとうございます」

 リリーのやつれ方は、魔力の消耗のせいだろうか。

 だとしたら、エルナが思っている以上に深い傷だったのかもしれない。


 エルナが礼を言うと、リリーの紅水晶(ローズクオーツ)の瞳に涙が溢れる。

「良かった。目が覚めて良かったです、エルナ様……」

 リリーは泣き出すと、エルナに縋りつく。

「エルナさんの代わりはいないと言いましたのに。何故、無茶をしたのですか……!」

 言葉の響きこそ責めるようだが、アデリナもまだ涙ぐんでいた。


「傷は治しましたが、深かった分だけ出血が多いです。それに、刃に毒が塗られていたみたいで。……体温も低いですし、顔色も悪くて。目が覚めなかったら、どうしようかと……」

 そう言って涙を拭うと、リリーは険しい表情に変わる。


「私の魔法はあくまでも治癒だけです。解毒はできません。今、王宮の医師達が調べているそうなので、それを待つしかありません」

「だから、無理をしてはいけませんわ」


 確かに、手足は冷えているし、体はだるい。

 ぼうっとして、考えがまとまらない。

 出血が多かったというのなら、そのせいもあるのだろう。



「エルナ、目が覚めたのか!」

「テオ兄様」

 扉を開けて入って来た兄の姿を見て、エルナはほっと息をつく。


 テオドールはエルナの枕元まで来ると、そっと頭を撫でた。

「意識が戻ったなら、殿下を呼んでくるから、待っていろ」

「忙しいのでしょう? すぐに来なくても、私は大丈夫ですよ」


 襲撃者が少なくとも二人いたのだから、その対応だけでも大変だろう。

 グラナートの負担にはなりたくない。


 だが、テオドールはため息をついて首を振った。

「……殿下が壊れる前に、会って安心させてやれ」




 グラナートと交代するように、リリーとアデリナが退室する。

 特にリリーは疲労が強いので、少し休める部屋に移動するらしい。


 姿を見せたグラナートは顔色が悪く、魔力が落ち着いていないのがエルナにすらわかった。

 以前、エルナがならず者に襲われた時に、恐怖すら感じたグラナートの魔力。

 あれが彼の中で渦巻いていて、それを無理矢理抑え込んでいるように見えた。


『壊れる前に』の意味が、わかった気がする。

 こんなに不安定なグラナートを見たことがなかった。



 グラナートはゆっくりとエルナのそばに来ると、そっと手を握る。

 エルナの手も血の気が引いて冷たいのだが、グラナートも同じくらい冷たい手だ。

 どうにか温めようと両手で包み込むと、その手を更に重ねられた。


「痛みや、つらいところはありませんか?」

「はい。リリーさんのおかげで、大丈夫です」

 エルナの答えを聞いても、まだグラナートの表情は硬い。


「殿下こそ、大丈夫ですか?」

「……たぶん、駄目です」

 微かに笑うと、エルナの頭を抱えるように、そっと抱きしめる。


「――あなたを、失うかと思った」


 呟くグラナートの手は、震えている。

 心配をかけたのだ。

 それが痛いほどわかって、心から申し訳なくなる。


「……すみませんでした」

 グラナートは暫しエルナを抱きしめたまま、頭を撫でる。


「許しません」

 そう言って離れた時には、笑う顔色はだいぶ良くなっていた。

 何よりも、不安定だった魔力がだいぶ落ち着いたようだった。




「……エルナさんに使われた毒が何なのか、まだわかっていません。ただ体温の低下が著しいので、それで命を奪うものかもしれないそうです。――のんびりと解毒薬を待っている時間はありません」

 じっと話を聞くエルナの前で、グラナートは懐から小さなナイフを取り出した。


「この刃先には、先ほどの短剣の毒が付着しています」

 そう言いながら腕まくりをすると、そのまま自身の腕を切りつけた。

「――で、殿下!」


 エルナは慌てて起きようとするが、酷い眩暈に襲われて起き上がれず、ベッドに倒れこむ。

 なんて情けないのだろうと悔しさがこみ上げる。

 必死に目を開けると、グラナートがエルナの頬に触れた。

 心配そうなその表情に、エルナの方が泣きそうになってしまう。



 腕の傷は決して深くはなさそうだが、血が滲んできている。

 毒が付着していたのなら、体に取り込まれてしまう。


 さっき、グラナートは『命を奪う』と言った。

『何の毒かわからない』とも。

 エルナは血の気が引いていくのを感じた。


 このままでは、グラナートは毒で命を落とす。



 それは、駄目だ。

 そんなのは、駄目だ。


 毒なんて、いらない。


 ――そんなもの、なくなればいい。



 心の底からそう願った瞬間、ふわりと真綿に包まれたような気がした。

 優しい何かに、体が温かくなっていくのがわかる。


「――こんなに近くで虹色の光が浮かぶのを見たのは初めてですが。……綺麗ですね」

「……殿下?」

 エルナの頬に触れたまま、グラナートは優しく微笑む。


「このナイフに、毒はありません」

「え?」



「エルナさんに解毒薬が間に合いそうにない以上、聖なる魔力で浄化するのが一番早い。ですが、エルナさんは力を抑制しているので使えないでしょう。使えるのなら、今現在、毒に侵されたままでいるはずがない」

 グラナートはハンカチを取り出すと、自身の傷の止血をする。

 やはりそれほど深くないらしく、すぐに血は止まった。


「考えたのですが、抑制のきっかけになったのは僕ではないかと。聖なる魔力を使って、僕が倒れてしまったから。……だったら、僕を助けるためになら抑制を解除するかもしれない」


 それで、毒を受けたふりをしたのか。

 わざわざ腕を傷つけてまで。

 呆然としているエルナの頬を、グラナートがそっと撫でる。


「顔色が、良くなりましたね」

 そう言われてみれば、確かに体が温かくなって、だるさが軽減している。

 本当に聖なる魔力で浄化したということか。



「――な、なんてことをするんですか」


「あなたは、自分のためには聖なる魔力を使わなかった。でも、うぬぼれていると言われるかもしれませんが、僕のためになら使ってくれるかと思いまして。……これしか、解毒する方法を思いつかなかったんです」


「そんな。聖なる魔力を使えなかったらどうするつもりだったんですか。ただの傷だって、炎症でも起こせば大変なのに」

「あなたを毒に奪われるくらいなら、こんな傷はどうでも良いです。……ああ、でもテオには内緒にしてくださいね」

 エルナが必死に訴えるが、グラナートはまったく意に介していないようだった。


「エルナさん。あなたの力は、何よりもあなた自身を守るために使ってください。それが僕の願いであり、僕の身を守ることにもなります」



 聖なる魔力で、グラナートは倒れた。

 だが、その力でエルナが助かることを、彼は望んだのだ。

 迷惑をかけるだけではないというのなら……グラナートがそれを望むのなら。

 聖なる魔力を使うことは、悪い事ではないのかもしれない。


「……わかりました。殿下を守るために、この力を自分にも使うよう、努力します」


「僕も、あなたが二度とこんな目に遭わぬよう、努力します。だから、どうか。……あまり心配させないでください」

 そう言って微笑むと、エルナの頭を優しく撫でた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ