その時には
「……その時には、ですか」
リリーを探すヴィルヘルムスを見送りながら、テオドールが呟く。
「本人達次第ですから、まだわかりませんが。未来のブルート国王に恩を売っておくのも、悪くないでしょう?」
「そうですね」
本当は応援しているくせに、心にもないことを言う。
男同士とはこういうものなのか、それとも王族だからなのか。
「難しい話は、俺にはわかりませんね」
「一応、ヴィルは友人ですからね。幸せになれるものなら、なってほしいでしょう? ……君のことも、友人だと思っていますよ。テオドール」
にこりと微笑むグラナートに、テオドールは肩をすくめた。
「俺はしがない田舎貴族ですよ?」
「そうですね。だからこそ、その時には、僕が応援してあげますよ」
グラナートの柘榴石の瞳が細められる。
何を言っているのか、エルナにも何となくわかった。
「……では、もしもその時が来ることがあれば。殿下の厚意にありがたく甘えますよ」
テオドールはそう言って、困ったように笑った。
「グラナート殿下、私と踊ってください」
豪華なドレスに身を包んだアンジェラが、グラナートに手を差し出す。
グラナートの隣のエルナが存在しないかのように、自然に、当たり前に、その手が伸ばされる。
強気な態度だが、手が微かに震えているのがエルナにもわかった。
「……アンジェラ王女。例の申し入れを撤回しない以上は、あなたの手は取れません」
「私は、ディート王国の王女なのよ?」
「そうですね。そして、ここはヘルツ王国です。今のあなたは他国での正しい振舞いをしているとは思えませんが」
グラナートの冷たい声に、アンジェラが言葉に詰まる。
「私は――」
アンジェラが何か言いかけた背後から、突然見知らぬ男が剣を振りかぶった。
その一瞬に、グラナートはエルナの前に腕を出してかばい、テオドールが抜剣する。
エルナが声を出すよりも早く、アンジェラの横に控えていたルカが男の腕を払いあげ、剣を落とす。
剣が石の床に転がる音で異変に気付いた周囲から、悲鳴が上がった。
ルカが剣を拾い上げる間に、男は踵を返して走り出す。
慌てて逃げる貴族達の方へ向かう男を、ルカもすぐに追いかけていく。
「――陛下を、安全なところへ。エルナさんも、下がっていてください。――テオ」
警備兵に指示を出すと、グラナートもテオを連れて追いかける。
逃げる貴族たちの手前で男に追いついたルカと、暴れる男に視線が集まる。
すぐにグラナートとテオドールも加わり、男は床に押さえつけられた。
あっという間の出来事に、エルナもアンジェラも声が出ない。
あれは、何なのか。
誰を狙ったのだろう。
もう、グラナートを狙っていた側妃は幽閉されていると聞いたのだが。
考えながらも、視界の隅で揺れた髪飾りが気になって、ちらりと視線を動かした。
そこには、取り押さえられた男に釘付けのアンジェラ。
その奥に、短剣を持った男。
きらりと光る剣に、エルナの背筋が凍った。
「――駄目!」
咄嗟にアンジェラを押すと、短剣はエルナの腕を切りつけた。
痛みというよりも、剣がぶつかる衝撃と焼けるような熱さがエルナを襲う。
舌打ちをした男が再度短剣を振るおうとする前に、男の手の上から短剣を握りしめた。
「――離せ! ポルソの恨み、晴らしてやる!」
憎悪の眼差しはまっすぐアンジェラに向いている。
男は短剣を激しく動かしてエルナの手を振り払おうとするが、抱えるように体重をかけて必死に抑え込む。
よくわからないが、狙いはアンジェラだ。
今、エルナが手を離せば、この男は短剣で攻撃をしてくる。
そうなれば、到底太刀打ちできないだろう。
声すら出せずに蒼白になっているアンジェラが、どうにかできるとも思えない。
この腕を、離すわけにはいかない。
応援を呼びたいが、歯を食いしばって全力で抑えなければすぐに弾き飛ばされてしまう。
切りつけられた腕から血が滴り、エルナのドレスを染めていく。
さっきまでは燃えるように熱かった傷が、段々と冷えてきたのは気のせいだろうか。
「――この!」
業を煮やした男はエルナの体に体当たりし、よろめいた体を蹴り飛ばす。
エルナが床に倒れこむと同時に、堰を切ったようにアンジェラの悲鳴があたりに響いた。
「――エルナさん!」
遠くでグラナートの声が聞こえる。
短剣を持った男は一瞬アンジェラを見たが、そのまま走り出す。
グラナートが気付いたなら、あの男も取り押さえられるだろう。
テオドールもいる。
きっと、大丈夫だ。
でも、怪我をしてしまったから、グラナートは怒るだろうか。
心配をかけるなと言われたばかりなのに。
なんて上手くいかないのだろう。
床に倒れたエルナは、腕の傷が冷えていく感覚と共に意識を失った。










