距離感がわかりません
「では、気を取り直して、始めますわよ」
アデリナに促され、グラナートの前に立つ。
熱血ダンスさんの密着は嫌がらせだったらしいので、グラナートはそんなことはしない。
そう頭ではわかっていても、やはり何となく構えてしまう。
「よ、よろしくお願いします。殿下」
「こちらこそ」
緊張しているのが伝わったのか、グラナートはエルナの手を取ると微笑んだ。
「練習ですから、楽にしてくださいね」
そう言ってエルナを引き寄せると、流れるように踊り始める。
熱血さんのように無駄に密着はせず、けれど離れすぎない丁度良い距離感。
エルナの動きを妨げず、次のステップを誘導するような踊り方。
グラナートは踊りも上手だからリードしてくれる、とアデリナが言っていたが、まさにその通りだった。
「すごい! とっても踊りやすいです」
「それは良かった」
エルナ自身の技術が上達した、と勘違いさえしてしまいそうだ。
相手が違うと、こうも違うものなのか。
「先生と全然違います。テオさんも言っていたけれど、くっつきすぎると踊りにくいんですね」
距離感がつかめれば足を踏む心配も減り、離れようと体が強張ることもない。
以前は、強張る体を腹筋や背筋でどうにか保っていたので、筋肉痛が酷いものだった。
そういう意味では、嫌がらせとして熱血さんの選択は間違っていなかったのだろう。
「……くっつきすぎ、ですか」
グラナートはそう言うと、エルナを自分の胸に引き寄せた。
「――これくらい、ですか?」
頬に触れる衣服と頭上から聞こえる美しい響きの声に、エルナの思考が停止する。
「いっ!」
「ああ! すみません!」
エルナが思い切り足を踏んでしまったので、ダンスの足が止まった。
「いちゃつくなら、二人だけでお願いしますよー」
腕組みをしたテオドールがからかうように言うのを聞いて、エルナに何かのスイッチが入った。
「……アデリナ様。距離感がわかりません」
「あら、今の感じで良いと思いますわよ」
「いえ。殿下の足を踏んでしまいましたし、まだ駄目です。お手本が見たいです」
そう言ってアデリナとテオドールを交互に見つめる。
「お願いします」
「ええ?」
「はあ?」
「お願いします」
じっと見ていると、エルナの無言の圧力に負けた二人がしぶしぶ手を取る。
「……こ、こんな感じですわ。もうよろしいでしょう?」
「実際の動きを見ないとわかりません。ちょっと何曲か踊っていてください」
「おまえ……」
「アデリナさんの助手なのですから、ちゃんと仕事をしてくださいね、テオ」
「……はい」
駄目押しされて諦めたらしい二人が、ゆっくりと踊り始める。
グラナートが踊っている時のような優雅な気品はないが、テオドールは意外にも無難に踊れている。
何より、アデリナの表情がまったく違う。
美しい人形のように硬質だったものが、恋する乙女全開の柔らかいものに変化している。
「アデリナ様って、綺麗な上に可愛いですねえ」
「僕はアデリナさんを昔から知っていますが、この一年でだいぶ柔らかい人柄になりましたよ」
一年前と言えば、テオドールがグラナートの護衛に就いた頃だ。
アデリナがテオドールに出会ったのがいつかは知らないが、きっとその頃なのだろう。
「アデリナさんに、僕も変わったと言われました」
「そうなんですか?」
名前を呼んでくれ攻撃をしていた時は怖かったが、グラナートはその頃から麗しく律儀な王子様だった気がするので、ピンとこない。
「そうみたいです」
笑みを湛えるグラナートを正面から見てしまい、慌てて視線を逸らす。
危なかった。
麗しの微笑み攻撃を受けるところだった。
グラナートには、もう少し自分の容姿の影響を考慮してほしいものだ。
「ちょっと、エルナさん! お手本だなんて、あなた見ていないじゃありませんか」
「ばっちり見てますよ。もっと見たいので、まだまだ踊っていてください」
「そんな!」
顔の赤いアデリナに手を振って応えていると、グラナートがその手を取る。
「それでは、エルナさんのレッスンも再開です」
「はい。よろしくお願いします」
「……わ、わたくし、先に失礼しますわ。ごきげんよう」
誰よりも踊り慣れているはずのアデリナだが、ため息をついてよろよろと退出していく。
どうやら、テオドールによる疲労が激しかったようだ。
やりすぎただろうか、とエルナは少し心配になる。
一緒に帰ろうと椅子から立ち上がると、テオドールに手で制止された。
「……何で止めるんですか?」
「殿下から話がある。俺も、聞きたいことがある」
アデリナとはにかみながら踊っていたのに、別人のように硬い表情だ。
仕方ないので、再び椅子に腰かけると用意されていた飲み物に口をつけた。
「今、ディート王国の王族がこの国に来ています。それは知っていますか?」
「はい。リリーさんに聞きました」
「公式には、魔力の育成機関の見学が目的です。そのため、学園に通うことになります」
以前、ヴィルヘルムスは『ヘルツ王国は国を挙げて魔力を使える者を育成している』と言っていた。
ということは、他の国では珍しい取り組みなのだろう。
妃教育でエルナが習った範囲では、魔力持ちは平民もすべて学園に通うという制度は他になかった。
「学園に通うということは、若い方なんですか?」
さすがに壮年の王族が生徒に交じって勉強するとは思えない。
「僕たちと同じ年頃の女性です」
「そうなんですね」
他国で学ぼうとは、何とも素晴らしい心意気の王女である。
「そのアンジェラ・ディート第三王女が、妙なことを言いまして」
「妙なこと、ですか?」
「突然、ヘルツ王国の王太子妃になってあげても良いと、言い出しました」
ヘルツ王国の王太子妃とは即ち、グラナートの妃だ。
ディート王国は、近年その軍事力で小国を吸収合併して領土を広げていると習った。
国としては悪くない話だろう。
――それは、つまり。
「……私は、いなかったことにすれば良いですか?」
絞り出した声は、自分が思った以上に弱々しかった。










