これもですか
「エルナ様。ディート王国の王族が、ヘルツ王国を訪問しているらしいですね」
リリーがエルナの髪を梳かしながら、ふとそう言った。
「そうなんですか? リリーさんは詳しいですね」
官吏を目指すだけあって、リリーは勉強家だ。
ヴィルヘルムスと一緒にブルート王国に行ったことで外交にも興味が出てきたらしく、最近はその手の話題が多い。
エルナはあくまで王太子妃候補の一人なので、公の場にグラナートと共に出席したことはない。
学園と家と王宮を行ったり来たりするだけで忙しいので、そういった情報にも疎かった。
「ディート王国って、軍事力が凄い国ですよね。最近小国を吸収合併したとかなんとか」
ちょうどツンデレさんに習ったところだったので、エルナにもわかる。
「はい。ポルソ国はもともと財政も傾いて風前の灯火だったとはいえ、歴史ある国です。吸収合併は本意ではなかったのかもしれませんね」
リリーは再びエルナの髪をいじり始める。
鼻歌まで歌って、実に楽しそうだ。
「リリーさんは髪の毛をいじるのが好きですよね。自分の髪はいじらないんですか?」
「自分の髪じゃつまらないです。エルナ様に似合う髪型を探すのが楽しいんですよ」
「そういうものなんですか?」
「そういうものなんです」
もったいないなと思ったが、破格の美少女が髪型まで可愛らしかったら、もう無敵だ。
リリーは、ただでさえ男性に絡まれるのだから、あまり自由にできないのかもしれない。
美少女というものは、意外と苦労が多そうだ。
「今日は殿下とダンスのレッスンなんですよね。うんと可愛らしく結いましょうね」
「ええ? 邪魔にならなければ何でもいいんですけど」
「駄目です。エルナ様に希望がないなら、私の好きにさせてくださいね」
そう言って、髪をいくつかに分けて器用に編み始める。
何でも、リリーはこうして髪をいじっていると落ち着くらしい。
エルナとしてもレッスンと移動で疲れている中、こうして話すのは憩いのひと時だった。
「あとは、これで仕上げです」
そう言って白い花を取り出すと、エルナの髪に差し込んだ。
「はい。とても可愛らしいです」
にこりと微笑む虹色の髪の美少女が眩しい。
可愛いという言葉は、彼女のために存在するのだろう。
「えー。もう、可愛くて器用で男前とか、どれだけですか。リリーさんに惚れちゃいます」
「ありがとうございます。でも、そういう言葉は、殿下にかけて差し上げてくださいね」
「殿下は綺麗な顔ですけど、可愛いとは違う気がします。器用かどうかも知りませんし……何を言ったらいいのやら」
悩むエルナを見て、リリーはくすくすと笑う。
「では、この髪型はどうか聞いてみてください」
リリー渾身の作品の出来を評価してもらう、ということか。
余程自信のある編み込みなのだろう。
それならエルナも聞きやすいし、グラナートも答えやすいだろうから、いいかもしれない。
「わかりました。聞いてみます」
リリーは微笑んでうなずいた。
「……殿下、遅いですわね」
アデリナがぽつりと呟く。
ダンスレッスンの時間はとうに始まっているのに、グラナートの姿はなかった。
「やっぱり、忙しいんですよ。殿下が来なければテオさんも来れませんし、講師を探した方が良いんじゃないでしょうか」
アデリナに言われたステップを一人で練習しながら、エルナは提案する。
今日はアデリナが用意してくれたワンピースを着ている。
袖も丈も長い、上品な白のワンピースだ。
エルナが回るたびにふわりと裾が広がって、何だか少し上達したような気分にさえなれる。
リリーが丹念に編み込んでくれたおかげで、髪の毛も邪魔にならず動きやすかった。
後からワンピースの代金を支払うのだと思って金額を聞いてみると、アデリナに眉を顰められた。
何でも、妃教育には相応の予算が組まれているので、そちらから出すという。
それすらも教えられていないなんておかしい、とアデリナは怒り心頭だ。
基本中の基本から叩き込む必要がありますわね、という言葉通り、アデリナは細部に至るまで事細かくエルナに指導をした。
歴史に外交にマナーに国内の勢力図まで、もはやアデリナにわからないことはないという知識量だ。
エルナは寝る間も惜しんで学ぶほどだったが、これが普通の貴族クオリティなのだろうから、仕方がない。
田舎でのびのび遊んでいたつけが、エルナに降りかかっていた。
ダンスのレッスンは初めてだが、たぶんこれも完璧なのだろう。
アデリナの完璧な御令嬢ぶりには、頭が下がる。
下がりすぎて、もはや上げようという気もおこらない。
地べたに寝転んで、頭上に輝く星を眺めている。
せめて言われたことは頑張ろうと、エルナは一人でステップを踏み続けていた。
「殿下は律儀な方だから、遅れるなら連絡があるはずですわ。……何かあったのかもしれませんわね」
アデリナが目を細めると、扉が開かれてグラナートが入って来た。
「遅くなってすみませんでした」
少し疲れた表情のグラナートは、そう言いながら上着を脱ぐとソファに置いた。
遅れてテオドールも部屋に入るが、こちらも表情は硬い。
心配になったエルナは、グラナートの元に駆け寄る。
「大丈夫ですか? 忙しいなら、やっぱり講師を探した方がいいのでは」
グラナートは公務で忙しいはずなので、無理にエルナに付き合わせるのは忍びない。
だが、心配するエルナをよそに、グラナートは何も言わずに固まっている。
「……あの、殿下?」
具合でも悪いのだろうか。
エルナが覗き込むと、グラナートは首を振った。
「いえ、大丈夫です。今日はちょっと、特殊だったので。……それより、そのワンピースは」
「これはアデリナ様が用意してくれたんです。可愛いですよね」
裾をつまんで出来るひだも優雅で、卑猥なワンピースとは全く違った。
さすがはミーゼス公爵家とその令嬢。
用意するワンピース一つとっても、完璧だ。
「そうですね」
「そうだ、この髪型どうですか? リリーさんが編んでくれたんですけど」
リリー渾身の作品の出来を評価してもらおうとエルナが見上げると、グラナートは優しく微笑んでいる。
「……似合っています。とても」
「――え? いや、そうじゃなくて。リリーさんの腕前が凄いという話で」
技術の評価の話であって、エルナがどうという事ではないのだが。
「可愛いです」
「――か、かわ!」
エルナの何倍も麗しいグラナートからの、まさかの言葉。
夜空に輝く月に「あなたも輝いてますね」と言われて、石ころが本気にするわけがない。
とても信じられないが、嬉しい気持ちもあるので、どうしたらいいのかわからない。
動転したエルナは、思わずアデリナの陰に隠れた。
「……いちゃつくなら二人だけで頼みますよ」
「本当ですわ」
呆れ声のテオドールに、アデリナが同意した。
「ほら、始めますわよ」
「ま、まずはお手本が見たいです!」
アデリナは一瞬険しい顔をしたが、ドレスにすがりつくエルナの眼差しに負けて、ため息をついた。
「……ちょっとだけですわよ」
そう言って、アデリナがちらりとテオドールを見る。
「いや、俺そんなに踊ることもないから、手本にはならないと思いますよ」
アデリナは少しほっとしたような、残念そうな表情を浮かべると、またため息をつく。
「では、殿下。わたくしが相手で申し訳ありませんが」
「こちらこそ」
そう言ってアデリナが差し伸べた手を取ると、二人は踊り始める。
グラナートの淡い金髪が揺れ、アデリナの銅の髪が翻る。
無駄のない優雅な動きは美しく、氷上を滑っているかのよう。
それは、まるで一幅の絵のような光景だった。
「……もう、あの二人が王太子夫妻で良くないですか?」
「……ああ」
「凡人がどう頑張っても、あの気品は出ませんよ。なんか神々しくて、このまま見ていたいです」
「本当にな」
兄妹は王太子と公爵令嬢のダンスを見ながら、しみじみと語る。
「大体、あの距離感で足を踏まずにいられる奇跡」
「――おまえ、そのレベルなのか。大丈夫か」
妹のダンスが思った以上に低レベルなのかと、心配の声をあげる。
「まだ踏んだことはありませんよ。踏みそうだから離れたくなるんです」
「まだ、って。離れるから踊りにくいんじゃないのか?」
「接近したら、本格的に踏むじゃないですか。致命傷じゃないですか」
「いや、どんな勢いで踏むつもりだよ」
「だから、踏んでいませんよ。まだ」
「おまえなあ……」
テオドールはため息をつくと、エルナの手を引いて引き寄せる。
「それなりに密着しないと、腰が引けてかえって踊りにくい。この状態なら、動きやすいだろう?」
そう言って基本的なステップを踏むが、確かに踊りやすいかった。
「これはテオさんだから、このくらいなんですか。このくらいなら平気です」
「……何の話だ?」
「先生はもっとくっついてくるので、動きにくくて。距離感がわからなくて足を踏みそうになるんです。だから嫌になって離れたくなるんですよね」
体が離れていると踊りにくいと言われても、ダンス自体に慣れていないエルナには難しかった。
「……もっと、ってどれくらいだ?」
「これくらい、ですかね」
胸に顔をうずめるくらいに接近すると、テオドールが小さく舌打ちをした。
「あの野郎……」
「どうかしたんですか?」
「これじゃ、ダンスじゃなくて抱擁だ。……おまえ、ダンスレッスンにかこつけて、嫌がらせされてたんじゃないか?」
「ええ! これもですか!」
こだわりダンスさんは卑猥なワンピースで、熱血ダンスさんは無駄に密着。
どれだけエルナが気に入らなかったのだろう。
そして、気付いてない自分が何だか恥ずかしい。
「――どうしたんですか?」
エルナの叫びに、グラナートとアデリナが寄ってくる。
事の次第をテオドールが告げると、二人も表情が険しくなった。
「解雇だけでは手ぬるいですわ、殿下」
「そうですね。しかるべき対応を取りましょう」
「俺からもお願いします」
三人の妙な連帯感に、エルナは口をはさむことができなかった。










