お手本が見たいです
「エルナさん、昨日のあれは何でしたの?」
早速、アデリナが講師となって歴史の授業が始まった。
だが、教科書を開くなり尋ねられた内容に、エルナは言葉に詰まった。
「あ、あれって」
「殿下が何か言ったと思ったら、エルナさんは叫んで走り出して。ペルレ様は追いかけていくし、殿下は黙っているし、テオ様は笑っているし。……わけがわかりませんでしたわ」
どうやら、グラナートの言葉はアデリナには聞こえていなかったようだ。
だが、反応からしてテオドールは聞こえていたのだろう。
何だか気まずいので、会いたくない。
「ひ、卑猥なワンピースを早く着替えたくて、走ったんです! ペルレ様は……兄のファンらしくて!」
「ファン? お兄様がいらっしゃるの?」
話題が変わったことにほっとしながら、エルナはうなずく。
「はい、二人います。上の兄が剣術大会で優勝したらしいんですけど、ペルレ様はそれをご存知で」
「剣術大会で優勝。……もしかして、剣豪・瑠璃ですの?」
「アデリナ様も知っているんですか?」
「話は聞いたことがありますわ。学園に通っている身ながら、現役の騎士をものともしなかったという……あれが、エルナさんのお兄様ですのね」
妹のエルナは知らなかったのに、レオンハルトは思った以上に有名人である。
「そうなんです。世間って狭いですね」
「……それで、昨日は何でしたの?」
「うっ」
終わったと思ったのに、また同じ話題に戻ってしまった。
アデリナの様子からして、本当に聞こえていなくて、純粋に疑問なだけらしい。
だが、エルナの口から説明するのは、大変に恥ずかしい。
「今後は、あのワンピースは控えるように言われました」
「それは知っていますわ。その後に走り出したでしょう?」
駄目だ。
どうあっても、はぐらかせない。
エルナは腹を括った。
「そ、その……他の人に、見せたくない、と……」
ぼそぼそと小声で呟くと、アデリナはあらまあ、と目を丸くする。
「あの殿下が、そんなことを言いましたのね。成長ですわ」
「な、何でそんな平気なんですか? じゃあ、テオさんがアデリナ様に言ったと考えてみてください!」
すると、アデリナの頬が一気に赤く染まった。
「テ、テオ様は、そんなこと言いませんわ!」
何だろう、この反応の差は。
どうやらアデリナは、自分の事だけピュアなレディらしい。
言われてもいないことで真っ赤になるアデリナを見て、エルナは少し冷静になれた。
「……まあ、いいです。今日は上着を返しに行かないといけないので、アデリナ様も付き合ってください」
「何故、わたくしが?」
それは、一人でグラナートに会うのが気まずいからだ。
何せ、卑猥なワンピースを着た上で、絶叫からの脱走をしたのだ。
どんな顔をして上着を返せばいいのか、わからない。
「きっと、テオさんもそばにいますよ」
「そ、それは関係ありませんわ!」
口では文句を言いつつも、アデリナはそわそわと髪をいじり始める。
道連れができたことに、エルナはほっと息をついた。
「失礼します……」
これから裁かれる予定の罪人のような気持ちで、エルナは執務室の扉をそっと開く。
すると、予想通りグラナートとテオドールがこちらを向いた。
「エルナさん」
今日も麗しい顔立ちで、グラナートが微笑む。
逃げるわけにもいかず、アデリナと共に部屋の中に入った。
夏休みの宿題と一緒だ。
先延ばしにするほど、後がつらくなる。
さっさとやるべきことを、やってしまおう。
エルナはグラナートの前に立つと、上着を差し出した。
「昨日は、ご迷惑をおかけしました。お借りした上着です。ありがとうございました。失礼します」
一気にそう言うと、上着を押し付けるように渡して扉に向かう。
「待ってください。ちょうど相談したいことがあるんです」
そう言われれば、帰るわけにもいかない。
エルナとアデリナは顔を見合わせると、ソファに腰かけた。
向かいのソファにグラナートが座ると、その後ろにテオドールが立つ。
グラナートに見えないせいか、ニヤニヤとこちらを見てくるのがうっとうしい。
昨日の『他人に見せたくない』発言を、聞いていたのだろう。
そう思うと恥ずかしくなって、思わず睨み返した。
「それで、相談って何でしょうか」
「ダンスの講師の件なのですが、男性講師が難航していまして。もう少し待っていただくことになりそうです」
「あれ? ダンスもアデリナ様が講師になる、と言っていませんでしたか?」
エルナの疑問に、アデリナがため息をつく。
「一人ではステップは教えられても、実際の動きは相手がいないと練習になりませんわ。わたくしは女ですから、男性のステップまでは完璧ではありませんし」
完璧である必要もない気がするが、そこは妃教育ゆえに手抜きはできないのだろう。
あるいは、アデリナが完璧主義なだけなのかもしれない。
つまり、エルナが組んで踊る相手を探している、ということか。
「じゃあ、熱血……いえ、今までの先生では駄目なのですか?」
卑猥なワンピースを用意して着るように言ったのは、こだわりダンスさんの方だ。
エルナ自身は、熱血ダンスさんに特にわだかまりはない。
ぴったりとくっついて教えてくれるので、踊りにくいしちょっと嫌だったが、指導は熱心だ。
だが、エルナが提案すると、グラナートの眉間に深い皺が寄った。
「……彼は駄目です」
「そうなんですか?」
即答するのだから、何か理由があるのだろうか。
「今まで、散々踊っていた相手ですからねえ」
テオドールが何気なく呟くと、グラナートが言葉に詰まる。
それはつまり。
「……ああ、エルナさんのあのワンピース姿と足を散々見た人ですから、これ以上は関わらせたくありませんわよね」
アデリナが的確に言葉を埋めて説明するので、エルナも恥ずかしくなる。
本当に、自分のこと以外は冷めているというか、何というか。
あのピュアレディとは別人のようだ。
「でしたら、殿下がエルナさんのお相手をすればよろしいですわ」
アデリナはこともなげにそう言った。
「ええ? だって、あくまでレッスンですよね? 殿下もお忙しいのに」
「講師選びが難航する理由は、殿下なのです。それくらいは、していただいても良いと思いますわ。それに、エルナさんが実際に踊る相手は、ほとんど殿下です。一番良い練習相手ではありませんか」
「でも」
「心配せずとも、殿下はダンスもお上手ですから、エルナさんをしっかりリードしてくださいますわ」
「そんな心配をしているわけじゃありません。お忙しいのに、殿下の時間を無駄にするわけには」
「――それは、良い案ですね」
まさかのグラナートの賛同に、エルナが凍り付く。
「ずっと書類仕事や会議で、体も鈍ってしまいますから。気分転換にも、ちょうど良いです」
「そんな」
「そうですね。良い癒しになりそうですね」
にやりと笑うテオドールを見て、エルナの中の何かがプチンと切れた。
「……わかりました。では、アデリナ様のお手本を見て学びますので――テオさんに、アデリナ様のお相手をお願いします」
「ええ?」
「はあ?」
二人が同時に声をあげる。
「私は未熟ですから、目の前で実際に踊ってもらった方がわかりやすいです」
「そ、それでしたら、何もテオ様とわたくしが踊らなくても」
「殿下と組んで踊りながら、お手本が見たいです。目の前で見たいです。じっくり見たいです」
「それに、俺である必要がないだろう」
「私、うっかり卑猥なワンピースを着てしまうかもしれません。どこの誰ともわからない人に、足をじっくり見られてしまいますが、それでも良いですか?」
アデリナとテオドールは口を開いたまま、言葉が出ない。
その様子を見ていたグラナートが、大声で笑いだした。
「諦めてください、テオ。……いいでしょう。それでは、エルナさんのダンスのレッスンには、僕が参加します。アデリナさんの助手として、テオも参加させます。いいですね?」










